四国八十八か所巡礼の旅をしたことがありますか?
先月22日に高野街道を歩いた同僚の中には、四国の八十八か所巡りを何回もした人がいました。
定年を機に、自分を見つめ直したい人やこれからの生き方を考えたい人、心を癒したい人など、色々な目的で八十八か所巡りをしているようです。
お遍路では札所を巡る順番に決まりはありません。
1番札所(徳島県鳴門市の霊山寺)から四国を時計まわりに巡ることを「順打ち」、反時計まわりに巡ることを「逆打ち」といいます。
一般的には「順打ち」が基本とされていますが、「逆打ち」の方が功徳が大きいとされています。
何故なのでしょうか?
そこで調べてみました。
「逆打ちの由来」
四国八十八カ所の札所を1番から巡ることを「順打ち」、88番から巡ることを「逆打ち」といい、「閏年」に逆打ちすると「逆打ち」1回で「順打ち」4回の御利益・功徳があるとされています。
「逆打ち」の始まりは伊予の国の衛門三郎が弘法大師に会いたい一心で霊場を廻ったのが始まりとされています。
「逆打ちと衛門三郎」
四国を巡礼中の弘法大師がある日、愛媛県松山市郊外の大きな屋敷に托鉢に訪れ、そこの主人で強欲の衛門三郎は何度も訪れる乞食僧(大師)を追い払い、最後には、大師が持っていた鉄鉢を8つに割ってしまいました。
その後、乞食僧は来なくなったのですが、三郎の子供8人が次々と亡くなったのです。
三郎は托鉢に訪れた人が弘法大師と気づき、自分の今までの行動を悔い、大師を求めて遍路の旅に出ました。
しかし、簡単には会えず、二十数回「順打ち」でまわっても会えなかったため、逆に廻り始めました。
しかし、心身ともに疲れ果て十二番の焼山寺で倒れてしまいました。
意識が遠のいていくときに、大師が現れ、罪を許してもらったのです。
そして、最後の望みとして、「今度生まれ変わるときは、領主になりたい。」と願いました。
そこで、大師は衛門三郎と書いた石を衛門三郎に授け、それを握ったまま衛門三郎亡くなったのだそうです。
その後、伊予の領主に男の子が生まれました。
ところがその子の手は、しっかりと握られたまま開きません。
困り果て、安養寺(現在の石手寺)に連れて行き、祈念してもらったところ、その子の手が開き、そこから衛門三郎と書いた石が出てきました。
人々は衛門三郎が生まれ変わったと思ったということです。
この逸話から、衛門三郎が「逆打ち」で廻って弘法大師に会えた年が閏年だったので、閏年に「逆打ち」すると弘法大師に会えるという伝説が今に残っているそうです。
「逆打ちの方が功徳が大きいとされている理由」
1.弘法大師が順打ちで四国を巡っていることから、逆打ちのほうが大師に出会いやすいと言われていること。
2.遍路道が順打ちを基本として作られている為、逆打ちのほうが巡礼することが難しいとされている為です。
実際に遍路道では案内板や道しるべが順打ちを基本に設置されている為、逆打ちは初心者の方には巡りにくいそうです。
なお、「打つ」の語源は、以前、お寺を参拝した際に巡礼者が柱や壁に木製・銅製の納札を打ち付けていたことに由来しています。
今年は閏年です。
今年お遍路するなら「逆打ち」の方がご利益・功徳がありそうですね。