日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
鈴木昭一郎先生(8)
ひとつも完成しなかったスタンダールの戯曲ですが、スタンダール最後の未完小説『ラミエル』草稿研究が専門のセルジュ・リンケス君は、若いころ書こうとしていた『二人の男』という未完戯曲の着想をスタンダールは死ぬまで捨てていなかったいたみたいだ、てなことを言ってました。『ラミエル』執筆中にもそれが浮かび上がってきているらしいんですね。
それがどういうことなのか早く知りたいですが、セルジュはまだプレイヤード版の原稿が完成できてません。もう7年くらい遅れてるはずです。でもそういうことはこの種の仕事に関する限り、よくあることだと思います。とにかくセルジュの原稿が出来ない限り、プレイヤード版『スタンダール小説集』第三巻が出ることはないのです。
鈴木先生も、セルジュも、またスタンダール自身も、「時間」なんかないかの如く(つまり、限りある時間、というようなものは知らないかのように、ということ、sub specie aeternitatisということです)ある「観念」を追い続けているんです。生とか死とかもそんなに意味を持たない場みたいなものがそこにあるようです。
これも、これが、不死ということなのかもしれません。
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鈴木昭一郎先生(7)
それで、鈴木先生の厳密な意味でのご専門は「スタンダールの戯曲について」という、なんともヘンテコなものでした。だってスタンダールは戯曲作品はたくさん書き始めたものの、まともにはひとつも完成しなかったのですから。
ご自分でもこのテーマは「あんまり面白くないんですよ」と言っておられました。
でも、あるとき先生は「スタンダールがなぜ戯曲が完成できなかったか、やっと分かった」と言われました。鈴木先生が数十年の研究の後にたどり着いたその結論というのが、すごかったです・・・
いつまでも尽きない鈴木先生の思い出の続き、スタンダールがついにひとつも戯曲を完成させられなかった衝撃的原因は日本スタンダール研究会の次の会報、鈴木先生の追悼号に書かせていただこうと思います。この会報は近いうちに研究会のサイトにアップされて、皆さまにも閲覧いただけるようになります。
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鈴木昭一郎先生(6)
鈴木先生の御業績はあげだすとキリがないのですが、わたしが一番すごいと思うのがこれ。
『スタンダール研究 付年譜・書誌』(白水社、1986年)。
桑原武夫・鈴木昭一郎編となってますが、これはほぼ鈴木先生のお仕事です。
これがどれだけ凄いかというと、最初の論文集のところはともかく、「年譜」のところが、スタンダールが生まれてから死ぬまで何年何月何日にどこにいて何をしていたかという居場所・行動が判明している限り「全部」書いてあってその居場所・行動特定の「出典」も全部書いてある!(「出典(つまり情報ソースですね)が書いてない情報は、何も意味がないんだよ」というのも鈴木先生のお言葉でした)し、「書誌」のところ(こっちは栗須公正先生担当でした)では世界と日本の膨大なスタンダール作品・翻訳・研究書・論文が作品別、テーマ別に分類して全部網羅してある!、というとんでもないシロモノなんですね。しかもこれだけの本(もちろんフランス語が大量に出てきますし、年号とか日付とかページ数とか、数字がものすごく大量に出てきます)に間違い・誤植というものが全く見当たらない!(これがいかにも鈴木先生らしい)
後からくる研究者にとっては便利この上ないものですが、これをつくるために鈴木先生がどれだけ仕事をされたことか。どれだけ緻密な精神を集中されたことか。想像するだに怖ろしい。
ずいぶんチマチマした仕事であるとも言えますが、鈴木先生はぜんぜんチマチマしたところのない人なんですよね。
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鈴木昭一郎先生(5)
鈴木先生にはいくつか大事なことを教わりました。先生の歯切れのいい東京弁は非常に説得力があるんです。
いちばんわたしに影響を与えたのは:
「仕事ってのはね、忙しい時ほどできるもんだよ」
というもので。
以来、とにかく仕事は入れれば入れるほど忙しくなって、したがってよくできるようになるんだ、と思いこんでしゃかりきにやってきました。
たしかにこれ、あたってるところも大きいんですが・・・
でも最近は、やっぱり忙しすぎると仕事できないこともあるんじゃないかな、とも。
ねえ先生、そんな気がするんですけど。
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鈴木昭一郎先生(3)
さて鈴木先生は、最初陸軍士官学校に学ばれたのですが、戦場に出る前に終戦になり、戦後の混乱期に京大仏文に入り直された方です。
しかしまた、なぜフランス語を、なぜスタンダール研究を志されたのか。
わたしは、それをうかがったことがありませんでした。
奥さまさえお尋ねになったことはないのだそうです。
社会が180度変わってしまった時、いろいろお考えになっただろうことは想像に難くありませんが。
多感な青年期を軍国主義の真っただ中で過ごされた方が、2011年まで生きておられたわけで、それを思うと、変な言い方なのかもしれませんが、人間はずいぶん長く生きなければならないな、と思ってしまいます。
先生は、体は少し弱られたとはいえ切れ味鋭い知性は最後まで健在だったそうですから、このたびの原発事故の際の政府の、東電の、そして日本人たちの対応をご覧になり、旧日本陸軍の愚行と本質を同じくするところを感じられ、日本破滅の危機についていま一度、考えをめぐらされたのではなかったかと思います。はからずも軍国オンリー日本の破綻も、経済オンリー日本の没落の始まりも目の当たりにされたわけですから。
このことも、おうかがいすることはできませんでしたが。
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鈴木昭一郎先生(2)
先生にお焼香してきました。
遺影のお写真を見ても、先生が亡くなったという感じがしませんでしたが。
奥さまから、いろいろ先生のことをうかがいました。
鈴木先生は多くの学生からガミガミやかましい、怖いと言われていたというのですが、これは意外。
わたしは先生に怒られた、という記憶はぜんぜんないです。少なくとも理不尽な怒り方は絶対されない方でした。わたしの卒論口頭試問のときには厳しいことを言われましたが、これは当然。
そういえば、京大仏文の卒論審査の様子をお話しされたこともありました。
中川(久定)さんと吉田城が怒り狂っていて(註:つまり学生の卒論の不備な点をはげしく追及する、ってことですね。鈴木先生はこういう言い方するんです)、わたしはいつもなだめ役です
ということでした。
吉田城先生も早くに亡くなられました。
大変な秀才でした。
わたしの名前はスタンダールのプレイヤード版の「謝辞」のところの大勢の名前の中に出てくるだけですが、Jo Yoshidaの名はプルーストのプレイヤード版で編集者たちの中に燦然と輝いてます。
中川先生も御病気らしいです。早くご回復されるようお祈りしています。
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申し訳ないですが早くも中断 + いちおうシェブ=マミ
さて京都の鈴木先生のお宅にご焼香しに参りたいのですが、週末までは無理です。
それまですこし身を慎みたいですので、始まったばかりで恐縮ですがニューオルリンズ・シリーズは中断いたします。ご寛恕ください。
ひとつだけシェブ=マミのことについて。
出所後のマミの動向についてはビバ・アルジェリア!のサイトで詳しく報じられておりますので、そちらをご参照ください。わたしの旅行中にずいぶん日が経ってニュースが古くなってしまったので、このブログでは別の機会にまとめて書くことにいたします。
しかし4月30日、マミはマルセイユで出所後初のステージをつとめたと思うのですが、翌日起こったビン=ラディン殺害事件で世界は騒然、マミのことなんかどこかへふっとんじゃいましたね。
マミはほんとうに運命に翻弄されてきた男です。①ライ史上屈指の名作Let me rai発売が第一次湾岸戦争にぶちあたってセールス難航してしまったし、②イタリア・トスカナでのスティングとのライブDVD撮影が9.11事件が起こってパーになっちゃったし、③渾身の力を込めて作ったアルバムLayali発表直前に例の女性監禁暴行事件で逮捕されちゃうし。それで今度はカムバック・ステージがビンラディン報道で消されちゃったわけですか。
ああ、ついてないね。Pas de chanceだね。
[追記] パリのノルディン・ガファイチから、マミはマルセイユで3曲歌ったと連絡が入りました。ノルディンも、それ以上の報道はどこでもなされていないようだと言ってます。2011.5.13.
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鈴木昭一郎先生
わたしがニューオルリンズに行っている間に、わたしの恩師、鈴木昭一郎先生がお亡くなりになりました。いまスタンダール研究会からのメールで知りました。
ショックです。
わたしをスタンダール研究に導いて下さった方です。
謹んでご冥福をお祈りします。
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