日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
Exorcisme完了
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日本に帰ってきて驚いたのは、ツェッペリンのベストアルバムの中で、これまでほとんど聞きもしなかった中期、後期の音が「あれ? 全部いい!」と聞こえるようになったことです。
D'Yer Mak'er みたいな曲が「いい」と聞こえる日が来るとは夢にも思わなかったです。
なんのことはない、ニューオルリンズまでいって本物のブルーズに接することによって、逆にツェッペリンからブルーズの呪縛を「悪魔払い」したんですね、わたしは。
あのバンドはわたしがナマを聞いた時点で既にブルーズから離陸しようとしてたんです(メドレーの中ながらYou shook meもやってましたが)。
サードアルバムでは明らかにトラッドに行こうとしたのに四枚目で、たいした内発的欲求もないのにファンが要求するから無理に「ハードロック」に戻ったのか、と思っちゃったんですね。
ブルーズということをのけて考えれば、ツェッペリンは、ペイジやプラントは、その後も苦心して自分たちの音を追求してたんです。
40年かかりましたが、生きているうちにそれが分かったのは幸せです。
やれやれ、プラントなんぞ聞いたおかげで、長々とツェッペリンの話になってしまいました。お許しあれ。
しかしこのバンド、われらがアルジェリア系アイドル沢尻エリカさんも聞きにいったくらいで、たしかに究極の、不世出のロックバンドに違いないです。このエントリーで「同じ音楽的志向を持った人が一緒にやる、というのは弦楽四重奏とか標準編成のロックバンドとかのように4,5人が限界」と書いてますが、ここでわたしの念頭にあるロックバンドの典型というのはツェッペリンとザ・フーなんです。どっちも四人一丸で「ぶっとんで」ます。
・・・どちらもドラマーが急死したバンドなのは偶然ではないように思います。このレベルの「ぶっとび」に曝されると、いちばんドラマーが人格を破壊されてしまうのだと思います。
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二つのうちのひとつ
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ニューオルリンズ、ルイ・アームストロング・パーク。かつてのコンゴスクエア。聞くに値するアメリカ音楽全ての発祥の地。
わたしは、世界の中でここともう一つの場所の、どちらかにつながる音でないと心から愛することはできないように思えます。
もうひとつとはスペイン、アンダルシアです。
本当に、この世にアメリカ黒人と、アンダルシアのモール人がいてくれて、良かったです。
でもそのことを認識した上でなら、それぞれのアーチストの必死の努力はそれなりにわたしに効果をもたらすのですね。
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「わたしは黒人と同じ音は出せない」
リトル・フレディ・キングの音を念頭にツェッペリンのYou shook me を聞きなおしてみると(ツェッペリンのファーストアルバム、1000円で売ってたのを買ってきました)・・・やっぱり彼等のは白人のやってるブルーズだな、という気がしました。
あんまり黒人だ白人だというのは人種差別ぽいですが、この場合仕方がないです。
白人系のスターたちはよく:
黒人音楽は素晴らしい。だけどわたしはアメリカ黒人と同じ音は出せない。
という思いにとらわれるように思います。この白人系アーチストたちの気持ちはわたし、若いころでも理解できました。
黒人と同じようにはできないという挫折感から、それじゃわたしにできることは何か、って考えておこなう試行錯誤がとりもなおさずロックという音楽なのだと思います。
・・・ところでこの感覚、フツブン関係の人はあんまり持ってないかも、なんでしょうか・・・
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海水注入中断がどうのというのではなくて
「廃炉だと? この原子炉に何億円かかってると思ってるんだ」というような雰囲気が現場にあったと、今回の原発事故が起こった当初には報道されていました。
東電トップが震災の時点で外国出張中で、日本に戻るのにものすごく時間がかかってしまい、本来なら現場で決断すべき人(それが誰だったのか存じません)が思わず責任回避気味に動いてしまっていたとしたら・・・ということも考えます。
日経5月24日付「大機小機」欄「東電問題を考える視点」には:
国のエネルギー政策の中核である原子力発電の安全確保と事故対策を含む総費用の計算を曖昧にし、世界最大級の(名目にせよ)民間電力会社に国策遂行の役割を担わせた、システム設計と運用の問題だ。
とありました。これこそ的を得た指摘だと思います。
ただシステム設計というより、日本はそういうシステムしか取れないような成り立ちをした国なのかもしれないとも思えて、暗澹たる気持ちになります。
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