スキヤキ2015の収穫~3 ワークショップ・マリのリズム


 ヘリオスというのはまことによくできたホールで、なにやらあちこちに収納スペースがあっていろいろなものが隠されていて、必要に応じて引っ張り出してすぐ対応できるようになっているんですね。でも何がどこにあるのか、ニコラさん以外に全部把握しているひとはいるんでしょうか? この太鼓群↑、スキヤキ三日目のワークショップ「マリのリズム」で使ったものですがそれぞれ微妙に種類が違う。「ジャンベ」と「ドゥンドゥ」と、もうひとつなんて言ったっけ。所蔵品リストが字で書いてあっても○○というのが「なに」かわからなくては、困る。

 マリはバマコから来たベカオ・カンテット唯一のフランス人メンバー、エムリックAymericさんが講師をつとめる形。マリ人たちは(現地語以外は)フランス語しかできないみたいで、もっぱらエムリックが英語で受講者たちに解説。
 ただ彼の英語は「フランス語を、英語文法にのっけて話している」という趣のもので、通訳をつとめた各務さんも四苦八苦しておられました。
 こういうの、はたで見ていると、申し訳ないですけど、なんか可笑しい気がします。

 あと"sentence"とか"code"とか、エムリックの使う言葉にはいまいち何を意味するのかよくわからないのがあったな・・・ まあ彼自身何年もかけて修めたマリ音楽の神髄を、1時間半ほどで日本人が体得できるなんて考える方がおかしいわけで。ひとつの文化の一端を垣間見た、というくらいのことでしょう。

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スキヤキ2015の収穫~2 Florencia Ruiz


 これもカフェステージのフロレンシア・ルイス。なんどか会場ですれ違いました。小柄なひとです。それで銀髪だから、なんだかお婆さんみたいにも見えますが、あの張りのある声は老人では出ないです。

 このひとはうまい。そして声がいい。高音のすばらしい声をきかせてくれるだけですでにもう十分。
 ほんとうに一生懸命歌ってくれました。彼女には音楽への、無限の信頼があるんでしょうね。
 この彼女の脇をヤヒロ・トモヒロさんをはじめとする最強のニッポン・トリオ Los Hongos Orientales が固めてました。ちょっとスアド・マッシのコンサートを思い出したな。

 彼女のCD「間」(ま)は、ひとつひとつ入れ物がちがった。わたしが選んだのは、彼女自ら手作りの袋入りで売っていたもの↑。
 買った時は小さな糸くずも入ってたんだけど、あの糸くずはどこかへ行ってしまった・・・ と思ったらあとからあとから糸くずがほどけてきて。

 CDで演奏をしているのはLos Hongos Orientalesではありません。また彼女の歌にもいろいろ録音上の仕掛けが入っています。

 でも、本当に歌のうまい人が一生懸命歌うときは、仕掛けがなんであろうと、バックが誰であろうと、歌がすべてを圧するのがわかります。
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スキヤキ2015の収穫~1 Black Wax 粕谷の法則 Sunny


 スキヤキ2015は、南砺市のも、トーキョーのも、日本国内のは終わりました。

 わたしはことしはワークショップ班のひらスタッフとしてまじめに働いていたので―― いや、これまでスタッフとしてまじめに働いてないわけでもなかったと思いますが(汗)――、――それから金沢大学生がたくさんスキヤキ・ボランティアで働いていたので――、他のみなさんがたくさん御報告されていることでもあるし、あんまり書けることないんですけど、なんとか「落ち穂拾い」をやってみます。そうだなあ、今年はフィナーレの熱狂のなかにいることもできなかったな。Oh, well.

 カフェステージに登場したBlack Waxさん。素晴らしい出来でした。

 たしかに、若い女の子がサックスを「駆って」(こんな言い方しないかな・・・)音楽に肉薄している姿を眼前にするのがこのバンドの魅力だとは思います(こういう言い方は、フェミニズム的にどうか・・・)。でも、CD買ってきいてみても、やっぱりよかったですよ。




 粕谷の法則って、このブログでもう書きましたかね? ああ、書いてますね。 おわかりのように本来は映画について言っていたものですが・・・ 現在の定義でいうと、(かなり趣味を信頼している)友人から「ああ、あの映画面白くないよ」と言われた映画は、あえて見に行ってみると案外面白いものだ、という法則。

 たぶん、期待なしで見に行くから、いいところが全部プラスに感じられて印象がよくなるから、というのが大きいと思います。

 Black Waxさんも某さん (^o^) から「CDだとあんまり・・・」と言われたのですが、聞いてみるとなかなか悪くない。基本ジャズなのですが、個性というか出したい音というか、自然に出てきている感じがします。でももう、これはわたしには言葉にできないな・・・

 わたしの買ったのはVigorというアルバム↑。おや、Sunnyじゃないですか。なつかしい・・・ この曲がオリジナル・ヒットしたころは、この子たち、どころかこの子たちの親御さんたちも生まれてなかったかもしれませんね。わたしは既に生きてました。たしかに「洋楽」にめざめてこの曲を知るまでにタイムラグはあったけれど、たしかにわたし存在はしていましたね。1966年。なんだか不思議な感じがします・・・
 ・・・で、Wikipediaひいてみるとこの曲の由来がしっかり書いてありました。そうだったのか。この歌、いい歌だし、わりとストレートなラブソングみたいなんだけど、そのくせなんか悲しげで切なげな感じのする歌だなと思ってたんですが・・・そういうことだったんですね。

 ・・・というようなことができる時代になったのは、よいことです。だけど文系学問のあり方も根底から変わらないといけない時代になったということも意味してますね。(このエントリーの前の二つのエントリーを参照してください)


 あとVigorからはAwa, Agaizatoのあたりがいいかなあ。それからNight in Tunisia。わたしが人前で演奏した数少ない曲のひとつ。


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大学における文系学問の意義 2


 いま「文学をやろう」とする者は、「世界文学の全体」を「その誕生から未来への時間全体」の中でとらえているのでなければならない。
 あるいは「いま、ここに生きるわたし」に全力で肉薄するのでなければならない。

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大学における文系学問の意義 1


 理系には確かに「教えて、伝えて、発展してもらう」べき「モノ」がある。

 文系はちょっと違うみたい。だから「文系はなんのためにあるのか」という変な質問も出るわけなのですが、また「教員はコーディネータ」みたいな言い方をする諸々の「教育のあり方」コンセプトみたいなものがいつの時代にも――スタンダールの頃から!――あるわけなのですが。

 教員が教えるというのと反対に、学生から教員が教えられるということも理系よりははるかによくあると思います。

 中国、ベトナム、チェコの留学生がいた今期の「フランス史概説」授業では、それを痛感してます。彼らの書いてきたレポートを見てますますそう思います。


 なんかクンデラが、ベートーベンの作曲法の発展みたいな話、文学史の推移みたいな話をしていました。彼もチェコ人ですね。

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シェブ・ハスニ没後21年記念の会  9月27日ですよ~


 今年もやります、ハスニの会。(これとかこれもご覧ください。あ、できましたらこれも)

 そろそろ、この会もマジっぽいところがでてきました。ぼのぼさんの御好意に加えて、今年はLos Barbadosロス・バルバドスさんの御協力をいただくことができました。

 継続は力ですねー。といっても現場ではウアムリア奈津江さんの尽力に、わたしは頼りっきりです。すみません・・・

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欧米へのあこがれ? 1


 わたしは、たしかに日本人の伝統的な「美人」観には色白ということが基本的に入ってるかな、という気はします。ただしそれは労働する必要がなくて屋外で陽にあたらなくてもすむという上流階級へのあこがれと結びついていた美的感覚であって、本来、いわゆる「白人」の肌の色とは関係なくできあがった美意識だと考えています。
 ついでに言うとかなり最近まで「美人」観は「豊満さ」と結びついていたと思います。人類の歴史の大部分で、大部分のひとは基本的に飢えていたのであって、太り気味ということはたくさん食べられる、上流階級の者である、ということを意味したと思うのです。

 ありがたいことに日本は欧米諸国に植民地化はされずにすみました。アメリカ合衆国には占領されましたが(あ、今日は8月15日だな?)、まあ、やってきた米兵にはいろんな人種のひとがいたわけだし。

 わたし自身、とくにいわゆる「白人」的美人スタンダードが、世界の唯一の美的価値観ヒエラルキーのトップにたつとは、思ってないと思います。(子どものころのアイドルは南沙織ちゃんだったしね) ある種の価値観と結びついたかたちで「白人」好きという人が日本にいるのは確かだと思いますが、いわゆる「黒人」好きというひともいるし、「アラブ人」好きという人もいます。幸いなことに。ありがたいことに。

(以上のことは、男女どちらについてもいえることだと思います)

 以上、前置きです。(つづく)
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Jazzは、こうやってダメになったってことか・・・


 『セッション!』という映画は、予告編からしてしょーもなさそうで見る気ぜんぜんありませんでした。あかでみー賞とかとってたそうで金沢のシネモンドでは満員の入りだそうで、わたくしからは、そら、よろしおしたなあ、とだけ申し上げておきます。

 そしたら菊地成孔さんがこんなことを書いていると教わって、はー、と思いました。

 この映画、見なくてよかったわーと思うと同時に、ジャズが力を失って衰退したのはこういう事情があったか、でもまだ菊地さんみたいなひとがジャズにいたのは日本の誇れるところだなと思いました。

[追記] こっちの方がよさそうですね。
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