鈴木昭一郎先生(5)


 鈴木先生にはいくつか大事なことを教わりました。先生の歯切れのいい東京弁は非常に説得力があるんです。
 いちばんわたしに影響を与えたのは:

 「仕事ってのはね、忙しい時ほどできるもんだよ」

というもので。

 以来、とにかく仕事は入れれば入れるほど忙しくなって、したがってよくできるようになるんだ、と思いこんでしゃかりきにやってきました。

 たしかにこれ、あたってるところも大きいんですが・・・

 でも最近は、やっぱり忙しすぎると仕事できないこともあるんじゃないかな、とも。
 ねえ先生、そんな気がするんですけど。
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鈴木昭一郎先生(4)


 ジャック・デリダの訃報を聞いた時、なんだか変な感じがしたことを覚えています。
 デリダのような人が、死ぬ、というのはなんだかふさわしくないような気がしまして。

 ここで書きましたが、エリアス・カネッティがスタンダールを不死の観念と結び付けています。

 スタンダールもスタンダリアンももちろん死ぬんですけど、でもなんかあんまり死んでないような感じなんですね。まさに鈴木先生について、わたしにはそう感じられます。

 わたしが死んだ時は、そんな風に感じる人が何人かはいるだろうか。

 なに書いてんだかさっぱり分かりませんね。



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鈴木昭一郎先生(3)


 さて鈴木先生は、最初陸軍士官学校に学ばれたのですが、戦場に出る前に終戦になり、戦後の混乱期に京大仏文に入り直された方です。
 しかしまた、なぜフランス語を、なぜスタンダール研究を志されたのか。
 わたしは、それをうかがったことがありませんでした。
 奥さまさえお尋ねになったことはないのだそうです。
 社会が180度変わってしまった時、いろいろお考えになっただろうことは想像に難くありませんが。

 多感な青年期を軍国主義の真っただ中で過ごされた方が、2011年まで生きておられたわけで、それを思うと、変な言い方なのかもしれませんが、人間はずいぶん長く生きなければならないな、と思ってしまいます。

 先生は、体は少し弱られたとはいえ切れ味鋭い知性は最後まで健在だったそうですから、このたびの原発事故の際の政府の、東電の、そして日本人たちの対応をご覧になり、旧日本陸軍の愚行と本質を同じくするところを感じられ、日本破滅の危機についていま一度、考えをめぐらされたのではなかったかと思います。はからずも軍国オンリー日本の破綻も、経済オンリー日本の没落の始まりも目の当たりにされたわけですから。
 このことも、おうかがいすることはできませんでしたが。

 
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鈴木昭一郎先生(2)


 先生にお焼香してきました。
 遺影のお写真を見ても、先生が亡くなったという感じがしませんでしたが。

 奥さまから、いろいろ先生のことをうかがいました。

 鈴木先生は多くの学生からガミガミやかましい、怖いと言われていたというのですが、これは意外。
 わたしは先生に怒られた、という記憶はぜんぜんないです。少なくとも理不尽な怒り方は絶対されない方でした。わたしの卒論口頭試問のときには厳しいことを言われましたが、これは当然。

 そういえば、京大仏文の卒論審査の様子をお話しされたこともありました。

 中川(久定)さんと吉田城が怒り狂っていて(註:つまり学生の卒論の不備な点をはげしく追及する、ってことですね。鈴木先生はこういう言い方するんです)、わたしはいつもなだめ役です

ということでした。

 吉田城先生も早くに亡くなられました。
 大変な秀才でした。
 わたしの名前はスタンダールのプレイヤード版の「謝辞」のところの大勢の名前の中に出てくるだけですが、Jo Yoshidaの名はプルーストのプレイヤード版で編集者たちの中に燦然と輝いてます。

 中川先生も御病気らしいです。早くご回復されるようお祈りしています。
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