アイシャ出産


 カダフィ一族の受け入れに関してアルジェリアは、大佐の娘アイシャの出産のための人道的措置と説明していますね。アイシャさんはアルジェリアで無事女の子を出産しています。
 でも、アルジェリアも苦しいですね。
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カダフィのどら息子


 うーむ、カダフィ一族はやっぱりアルジェリアを頼ってきてますね。これをご覧ください。
 夫人と長男、五男、長女がアルジェリアに避難ということです。
 アルジェリアは国際社会に対して態度を明らかにしないといけない立場に立たされました。

 ちなみに五男のハンニバルって札付きのどら息子で、パリで酔っ払って車でシャンゼリゼ逆走したとか、バカな話がいくつも伝わってます。
 彼なんかかえって命助かったりして。そうしたら人の世の移ろいやすさを歌うライ歌手なんぞになってはどうかな。
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Steve Jobs


 アップルの創業者にしてCEOを辞したばかりのスティーヴ・ジョブズは、どうやら重病で命が危ういのでしょう。
 今から振り返ってみると、パソコン、インターネットの驚異的な発展は、彼が支えてくれたものであったといっても過言ではないように思えます。ビル・ゲイツなんてのは単なるエピソードにすぎなかったですね。なんて言ったらMSの人怒るかもしれませんが、いまさらMSに怒られてもどうということはないです。なんてめまぐるしい栄枯盛衰だろうか。

 1995年、神戸の大震災のころにはまだインターネットなんて使ってなかったなあ、というのを思いだします。たった16年前なのに、もう有史以前のことのような気が。

 わたしは、「ライの母」シェイハ・リミッティが亡くなったあと、ライそのものもなんとなく元気がなくなって衰えてしまったように感じています。ひとつの「ジャンル」の寿命も、守護神的な人間の命の長さとそう変わることはないのかもしれないな、と思います。
 ITも、案外そうかもしれません。

 ところで、彼が実はアラブ系のひとだったという話がでてますね。
 oumma.comをご覧になってください。

[追記] この話はウィキペディアにも載ってる有名な話なんですね。ふうん。11.08.29.
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えっカダフィが


このエントリーから続きます)

 カダフィ大佐はアルジェリアにかくまわれたのではないか、といううわさが出ているようです。
 アルジェリアがまったくの沈黙状態ですから、ありえない話じゃないのではと思えてしまいます。
 これちょっとやばいかも。アルジェリアとリビア関係が一気に緊張しちゃいますよ。

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白い小さい箱


 カウシキさんの大阪公演いって、CD聴いて、インド古典音楽の聴き方がちょっと分かった気がします。

 それにしてもわたしが印象的に思うのは、あの白い小さい箱。
 タンプーラっていうんですか、あのインド音楽のバックにぼよよよよよよぉぉん、ぼよよよよよぉぉぉぉんって鳴り続けているあの楽器の音をデジタル的に出してしまう箱です。
 去年デバシッシュさんがこれのスイッチをちょい、と止めるとあの「精妙な」音がパッと消えてしまったのをみて、21世紀を感じました。
 インドって押しも押されぬ現代のIT大国。山奥で修行する、んじゃなくて町中で音楽を修行する国なんです。

 今は車のなかでCDのカウシキさんの声に合わせてぼよよよよよよぉぉぉん、ぼよよよよよぉぉぉんという音(「ドローン」音ていうんですか。この言葉もなんだか「おのまとぺー」みたい)を出して遊んでます。

 インドの人たちが演奏の後でしてくれる「合掌」も、この挨拶の仕方はこの人たちからわれわれにつたわったのかなあと感慨にふけらせてくれます。彼らは手を顔にくっつけるような位置で合わせますね。

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アイドル時代の終わり


(前のエントリーに続きます)

 AKB48(個人的にはこれ、「アーカーべーよんじゅうはち」って言ってます。アーカーべーってロシア語読みで、昔のソ連秘密警察KGBを思い出すので。KGBはケージービーって英語読みするよりカーゲーベーって言った方が、なんかこわもてがしますでしょ?)というのは、あるいは「アイドル」時代の終わりを予告しているのかも、という気がしてます。
 だってあの売り方はもう、音楽とは全く関係ないようなものなので・・・

 今の若い人(わたしもこういう言い方をする年になりました)にとっては、アイドルというのは当然、自然にそこにあるもの、あるはずのもの、あることを認められているものでしょうけど、わたしにとってはそうではないです。

 最近読んだ本で『アイドル進化論』というのがありまして、副題が「南沙織から初音ミク、AKB48まで」となってました。
 たしかにこのアイドルという存在は南沙織から始まってます。アイドル時代は彼女がデビューした1971年から始まってるんです。

 南沙織が出てきたとき、わたしのような、団塊・全共闘のひとつ下の世代には、その「意味」が明確に分かりました、というか分かってる気がしてました。
 それは日本インテリの全面的敗北、ということです。

 ウィキってみるとあさま山荘事件は1972年なんですね。そういうころです。

 「日本でも一番あたまがいいはずの人たちの『闘争』の行きつく果てがこれか。無意味で、凄惨な殺し合いか。なんとあほらしい。こんなことなら、可愛い女の子でも追っかけてた方がよっぽどマシではないか・・・」

という認識を、意識するとせざるとに関わらず気分として、あの時代の人(とくに男性)は共有していたと思うんです。

 この時代も40年続いたわけですが、3.11を境にして、そろそろ終わるか、大変質があるか、とわたしは思います。
 やっぱり、可愛い女の子を単に追っかけてるだけでは、これからダメですよ・・・
 ただ、旧来型の日本教養、旧来型日本インテリは、アイドル時代以前に実質終わっているので、そこをなんとかしないといけないです。

(ついでに言うと、たぶんスタンダールの恋愛至上主義も発想的には似たところがあるはずなんです)

 ところでアイドル時代もそうですが、「ロックの時代」もアイドル時代と同じ頃に始まって、だらだらと現在まで続いてますが、そろそろケリをつけた方がよろしいかも、ですね。

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AKB48かカウシキか


 南砺市福野のスキヤキ本番のあと、アーチストたちは日本各地に、そして韓国に出張っていってます。

 なかでもカウシキ・チャクラバルティ・デシカンさんの評判がすごい。
 スキヤキのアーチストたちのなかでもインド勢は特に存在感があったと思いますよ。前の前のエントリーの写真、拡大してみて下さい。カウシキさん、写ってますし(他にもマンゴーさんとかアマジーグとか写ってますよ)。

 わたしはスキヤキ本番ではゆっくり聞けなかったので、おとといの大阪公演までおっかけました。
 会場は肥後橋の玉水記念館てとこで。演奏のあと入口ロビーで↑サイン会しているカウシキさんが見えますか?

 こんどは彼等も十分時間がとれてわたしもゆったりとインド音楽を堪能できました。
 一曲一曲がとても長いですが、低い声からだんだん高い声にあがっていく高揚感があるんですね。

 カウシキさん(これヒンディー語読みで、ベンガル語だとコウシキになるそうです。サラームさん情報でした)は、可愛いですね。丸顔気味なのが親しみやすい。

 どうでしょうかねー、日本もこれまでのやり方じゃやっていけないのは見え見えなので、AKB48のCD5500枚買うより(ほんとにそういう人がいるらしいです。すごいというかなんというか)、カウシキさんのCD1枚買ってゆったり世界の現状と未来に思いを馳せた方がよっぽど心が豊かになると思うんですけどね。

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リビア侵略


 てなこと言ってるうちに、どうやらカダフィも年貢の納め時なようで。
 逃げ切れますかね?
 それから、まだ挽回の余地はあるんでしょうか?(リビアにはまだカダフィ派が押さえている地域もあります)

 それにしても露骨な西洋の軍事攻撃でした。

 ところで周辺国が続々と反カダフィ政権への支持を表明する中、アルジェリアは何をしているんでしょうね? ブーテフリカ大統領の沈黙がなにやら不気味ですが、政治判断の誤りを指摘する声も上がっています。
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円城


 ヘリオス近くの「円城」のお座敷での打ち上げは忘れられないです。

 わたしは職業柄、いろんな国籍、民族の人が集まる場というのはよく経験してますが、こういうのは始めて見た気がしました。
 よく考えてみるとこれまでわたしが見たのは留学生だとか、フランス語の先生とか、かなり共通性のある人たちの集まりだったです。
 ここはなんだか多様性がすごかった。
 
 ウルグアイの好々爺、ニジェールのトゥアレグ、インドのお姫さま(カウシキ・チャクラバルティさんてまことそういう感じですもん)、アルジェリアのDJ、などなどが一緒になって飯食ってるんですからね(イスラムとインドじゃ、食事関係は難しかったでしょう。彼らはいったい何食べてたんだろう?)。

 てんでばらばらですが共通するものがあります。

 音楽。

 それだけで、十分です(コルネイユのメデーみたいだな)。
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爺さんは


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 ウーゴさん(↑CDジャケットでも同じ並び方してますね)の音の素晴らしさは、当然ながらジャズの大きな影響下に成立したものですね。
 かつて「ジャズ」というのが「真面目な」「正統の」「本当の」音楽のカウンターパートとされていた時代がありました。Jazz & Heritage フェスティバルの元々の名が単に Jazz Festivalだったことが象徴するように。

 いまは、アマジーグがどこかで言っていたように"le rock, au sens large du mot"「広い意味でのロック」というのが現代の音楽のベースにあると思います。
 そして、いわゆる西洋古典音楽を「世界の」classicとすると、かなり衰弱がはなはだしいというか、この音楽は先があるのか、という気がしますから、やっぱりこれもアマジーグが言う「奴隷の音楽」文化が世界音楽とイコールになっていくのかなと思います(これはもうちょっとよく考えないといけませんが)。

 ・・・それでウーゴさんの演奏、わたしは最高に楽しんだんですが、このフェスティバルには金沢大からインターンを送っていまして、その中にスペイン語やってる学生さんもいました。ほんとはわたしのような爺さんは本番中も交代で仕事をやっていた彼女たちと代わってあげて、ステージを見させてあげたかったところです。
 あとから彼女に聞いたら「ウーゴさん、聞きたかったけど仕方ないです。CD買います」と殊勝なことを言ってくれたりしましたけど・・・ 罪悪感感じますね・・・
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