Bon anniversaire Khaled !!!


Bon anniversaire Khaled, roi du rai !!!

On attend tes morceaux, tes videos, tes tournees !
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Happy Khaled's Birthday !


 はい、今日は「ライの王さま」ハレドの13回目の誕生日です。
 おめでとう、ハレド!
 これからも頑張ってね。

 ちなみに、大学のサーバーが新しいものになる関係でわたしのライ・ページのアドレス
http://web.kanazawa-u.ac.jp/~kasuya/rai-jp.html

http://ykasuya.w3.kanazawa-u.ac.jp/rai-jp.html
というものに変わります。
 実はこのトップページに関しては自動転送が既に設定されています。しかし末端のページの中にはそのまま消えてしまうものもあります。御了承下さい。
(もっとも内容がずいぶん古いしリンクも無効のものの方が多くなってしまっていますので、どっちにしろそろそろ大幅な変更が必要でした)

 わたしは、raidaisukiをやめる気は毛頭ありません。生涯raidaisukiをなのり続けます。
 しかしライはずいぶん元気なくなっちゃったな・・・

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「状況」と知の前線


 南山大学でエリック・ファサンEric Fassin 氏(パリ高等師範学校教授)のお話を聞いてきました(2月21日)。
 
 現代では、日本に外国の偉い先生を招いてご高説拝聴、というのがだんだん意味がなくなってきたとわたしは思いますが――このことにはいろいろ原因があります――、ファサンさんのお話はたしかに聴いて意義がありました。
 タイトルは「治安の悪化は、移民のせい?」というものだったのですがお話はもっと遠い射程をもったものでした。
 わたしも、だいたいそうなんじゃないかなと感じていた「状況」を、ファサンさんが整理した形でお話ししてくれました。

 フランス、ヨーロッパでは露骨な形での人種差別的言辞はオモテに出なくなったが、代わりに特にイスラム、アラブをターゲットにした「彼等euxは女性の解放に反対である。両性の平等を尊重しない。性の扱いの面で我々nousは正しい側にある」という考え方、そしてそこから出てくる「女性が抑圧されている地域、性の扱いが不適切な地域を西洋が解放するのは正しい」という考え方が支配的になっているというお話です。
 一部の国ではイスラム圏からのある程度の長期滞在希望者に、胸を露わにした若い女性や同性愛者の接吻シーンのビデオを見させて感想を書かせる、というようなことまでやっているそうなのです。うわ。(でも・・・ テロリスト傾向をもった原理主義者をあぶりだすにはこういう手が一番だ、とか当局に開き直られたら・・・)

 わたしとしては、こういうのは21世紀型の「文明化使命」mission civilisatrice意識なんだろうなと思います。
 英仏のリビア爆撃もそうだったですけど、20世紀に二度も「世界」大戦をやって大騒ぎした割には結局おおまかな世界図式は19世紀とさして変わってない、ということが丸見えになってきたのが21世紀、という感じですね。げんなりですね。

 ファサンさんの主張は――私の理解する限りですが――女性の裸や同性愛の扱いに対する人の意識・意見というのはヨーロッパ人の間でもいろいろあって定まらないものなのに、それが意識的なアラブ・イスラム差別に使われるのはおかしいではないか、ということだと思います。

 いかにも2012年のお話だなと思います。上でもちょっと言いましたが、今のヨーロッパ、いや世界は状況全体を把握して説明すると称する大理論を持ちえないです。たしかに「おおきなオハナシ」は終わってしまいました。個々の状況においてそれまで先端をいく思想だったものが突然、ある意味色あせるような形になってしまいます。たとえば女性解放を訴える先端的フェミニスムが簡単にアラブ移民排斥運動の中に回収されてしまう、というようなことが現に起こっているわけですね(もちろんそういうフェミニスムに反対するフェミニストもいるわけですけど)。
 こういう状況下でも、やはりフランスでは現状況のはらむ悪弊に警笛を鳴らす人たちがしっかり知的活動しているわけで、彼らは思想界の巨人ということにはならないけれども、やっぱりいてくれると頼もしい存在だなと思います。

 このあたりの議論は、今夏予定の集中講義の内容にも反映したいですが、現状況というものを具体的な音楽、楽曲で示すというのはかなり難しいです。どうしようかな・・・

 ちなみにファサンさんのお話はシェブマミ事件の顛末とも重なるものだと思うので、そのことをお話の後の茶話会でおうかがいしてみたんですが、残念ながら彼はこの事件を知らないようでした。できれば後でネットででも検索してこの事件の概要から何かを掴んでほしいですね・・・

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理系の実感


 えーただいまチョコレート食い尽くし期間ですが(いや、ウソです、冗談です。 大学はちょうど試験も終わって学生が来なくなる時期なので、大学の先生ってほとんどチョコはもらわないものなのです、はい)、ある会議で、ある理系の先生がちょこっとこんなことをおっしゃってました。

 フランスという国は、サイエンスに携わる人数は少ないのに、なぜだか世界のリーダー格の人が必ずどの分野にもいる。

 日本は、数は多くってもあんまり世界をリードできてないってことですか。
 それって、いちど深く理由を考察・探索してみる価値のある実感ですね。

 「それはつまり、フランスはエリート主義だからだ」と決まり文句を言ってそこで思考停止してしまうには惜しいテーマではありませんか。
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風邪


 強烈に寒い今年の金沢。
 風邪をひきました。

 お医者にいって、インフルエンザかどうかの診断を待つ間、診察室の壁に貼ってあるものをぼんやり眺めていると、人間の頭の断面図の中に「トルコ鞍」という部位があるのに気付きました。ウィキで調べたら「とるこあん」と読むそうで、随分昔のイギリスの学者が付けたラテン語名からきているもので・・・ そういえばお腹の中にはランゲルハンス島というのがありました。いしいひさいちがお白州シリーズでランゲルハンス島に島流し、というギャグをかましているのをみて、いしいさん疲れてるなあと思ったことを思い出し・・・ しかしランゲルハンスってドイツ人だろうな。どんな人だろう、と思ってウィキ見てみたらもうこれは涙無しには読めない生涯。こんな優秀で素晴らしい人がわずか40才で死なねばならなかったとは。神さんは、ほんとにいるなら、ときに実にむごいことをなさる。それにしても彼もお墓は英国共同墓地なんだな・・・ わたしのほうはインフルエンザではなくてひと安心。薬を出してもらいに行きましたが、薬剤師さんの待合室にはこんな本がおいてあって、この本も当然ながら白川静をおおいに参考にしてましたが、たぶん中国の人はこのひとを白・川静という中国人だと思ってるだろうな、Marxが馬克斯になるくらいだから、とか思ったりして。病気になって少しでも死というものを意識しやすくなったひとにとって「漢字」みたいに遠い遠い過去 depuis la nuit des tempsからあって、おそらくわたしたち全員が死んでのちも何百年と生き続けるであろう人間の営みを眺めることは慰めになるんだな、と思いました。

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ホイットニー・ヒューストン逝去


 ホイットニー・ヒューストンも亡くなってしまいました。
 もうずいぶん前から麻薬の泥沼にはまってしまっていましたからね・・・

 こころよりご冥福をお祈りします。

 それにしても、いよいよアメリカのポップス界に人がいなくなってきたなあ、という感慨を覚えます。

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David Guetta


 おや、ダヴィッド・ゲッタが来日するんですか。
 フランス屈指の人気DJです。これは見に行ってもいいですね。
 今月にはZazの来日もありますが、こっちの方はうーん、考えた末パス。

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「世界音楽はフランス経由」? スタートです


 そろそろお知らせしてもいいんではないかと思いますので、書きます。

 白水社から出ている月刊『ふらんす』(↑写真は2月号です)に、この4月からワールドミュージックについての記事を連載させていただきます。

 この前に『ふらんす』に連載させていただいたのは・・・ あれ、2002年ですね。もう十年前です。
 あのときは恐れ多くも大御所・北中正和さんと隔月担当という形でした。タイトルは「フランスはワールドだ!」でした。

 今回もそのタイトルで行こうと思ったのですが、世の中には「ワールド」ってワールドミュージック、世界の今の音楽を意味するというのを知らない人もいるだろう、ということで、少しタイトル考えてます。

 今の案は、上のとおり「世界音楽はフランス経由」ってものです。
 インパクトには欠けますが、まあ多くの方々に意味は分かっていただけると思います。

 さて第一回はなにでいこうかな・・・

 『ふらんす』四月号は3月20日ころ店頭に並ぶと思います。
 乞ご期待。
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文学とは何か002


このエントリーから続きます)

 去年の11月27日のことになります。「まちなかライブラリー」、2010年に続いてあつかましくも連続登場させていただきました。

 一昨年はスタンダールだったですが、去年はモーパッサンにしました。『首飾り』と『シモンのパパ』中心ですが、文庫本↑には他にもいろいろ入ってますから、読書会の方々はいろいろ読むことができました。

 わたしの話はともかく、モーパッサンは皆さんにずいぶん気にいっていただけたようで、よかったです。(読書会の方は年配の方が中心なので、金沢大学生も3人連れてきました。彼らには文庫本プレゼントです)

 びっくりしたのは「先生、こんな面白いもの、どうやって見つけてくるんですか?」という質問があったことです。
 年配の方でも、案外ご存知ないんですね。

 だって、だって、モーパッサンですよー。彼は短編が主力だから長さも手ごろだし、お話の面白さではたしかに群を抜いてます。
 たぶん、ストーリーテリングのテクニックはフランスのあの時代で頂点に達しているのでしょうね。

 でもねー・・・フランス文学研究家はもっとむずかしい作家を専門にしたがるんですね。モーパッサンの専門家は、あんまり多くない。
 モーパッサンは青年の文学、というのでもありませんしね。

 ということで、一般の方々は「モーパッサンは、面白い」という単純な事実に気づかずにいてしまうんです。

 こんなふうに。
 文学は、けっして終わってるわけではないんですが。
 なんかちょっと、ずれてしまう。

 いったん文学好きの世界に入ってしまえば、そのうちそれでは物足りなくなったり、もっといきがってみたくなったりして難しいもの読みだす人が出てくるんだろうと思いますけど、そこまでいかない。

 こういうの、普遍的傾向かもしれない・・・ 

 
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豊田泰光さん


 前の木曜(2月2日)の日経新聞スポーツ欄に豊田泰光さんが「自ら学び、育ってこそプロ」というのを書いておられました。


 「新人をこき使いながら、ぬくぬくとやっている先輩たちを憎く思った。今ではパワーハラスメントに該当して、みんなクビが飛ぶだろう。だが、あれで人生を勝ち抜くための力が備わったのも確か。」
 「昔の突き放したやり方は随分乱暴だけれど、個人の才覚を自然と引き出していた。同時に、人間のトータルの器を測るテストになっていた。理不尽な関門とはいえ、そこをくぐり抜けた者は確かにレギュラーを取っていた」

 そうなんですよね。まったくね。
 なんでそこに感慨を覚えるかというと、いま卒業を前にした学生さんたちのことをちょっと思ったからですが・・・

 ちなみに、豊田さんという方はわたしが野球評論家で唯一評価する方です。読売巨人軍出身以外の方がトップレベルで活躍するのが事実上かなり制限されるというこの業界で、この特権的チームと関わった経験なくして味わいある評論を書き続けておられます。
 弱小球団ばかりでなく、西鉄ライオンズという短いながら頂点を極めた球団の主力選手でもいらっしゃるわけで、勝つとはどういうことか、負けるとはどういうことかを、よくご存知だと思います(偉そうなことを申しました)。
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