龍馬総括

 

『龍馬伝』きのうが最終回でしたね。

なにかが見れそうな予感がしたので、最初から最後までずっと見てました。

タイトルバックがなかったな。それから時間がいつもより長かった。

そんなことはさておいて、全編のクライマックス、龍馬が暗殺されるシーンでわたしが見せられたのは:

愛媛県知事選挙当確速報

でした。テロップのおかげで刺客の顔が見えなかった。俳優さんたちは一生懸命に演技してたと思うんですけど。

後の報道みてたら、どうやらこれNHKの独自出口調査結果から、開票率ゼロ%で出した当確らしいことがわかりました。

 

これはすごい。

(これが日本だ)これがーにほんだー(私の国だ)わたしのーくにーだー

って感じですね。

さて龍馬暗殺の背景はうまく扱ってあったと思います。これならなんとか福山雅治のイメージとも合わせられました。

龍馬に関しては堀井憲一郎師(『週刊文春』12月2日号)と大岡昇平(『龍馬殺し』)が同傾向の評価を出してるのが興味深いですね。つまり業績からみると彼はフィクサー、裏の存在であって、けっして明るくはないのです。

 

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円熟ハルキ

 

このエントリーで御紹介した読書会のあとで村上春樹さんの『1Q84』についてちょっと質問というか、お話が出ました。

ごめんなさい、そのときは、春樹さんは団塊の世代を具現している、あの世代が好き放題やったあとにやってきたわたしたちには面白いもの何も残ってない、とか憎まれ口を叩いてしまいました。

ちょっとごめんなさいを言っておきます。『1Q84』は素晴らしいと思ってます。春樹さん、円熟したなあと思います。

この作品を論ずるのはあまりにホネが折れそうなので控えます(少なくとも、当面は)が、ひとつだけ言います。

『1Q84』はこれから諸言語に訳されて流布するだろうけど(それだけの力を持ってると思います)、『空気さなぎ』はそういう作品ではないだろう、これは日本固有の、日本でしか売れない、評価されない種類の作品だろう、と思います。そこがちょっと、ひっかかります。

 

 

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まち

 

太鼓コンクール会場そば、JR小松駅前の、ここだけ欧風の外観の建物が並んでいる、という箇所。

これもまた、現代日本特有の風景を形作っているような。

 

 

 

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たいこ

 

昨日、小松市で開かれたシニア太鼓コンクールで、審査員をさせていただきました。写真は会場のこまつ芸術劇場うららです。

なかなか有意義な経験をさせていただきました。わたくしのような者を受け入れていただき、関係各位にはこころより御礼申し上げます。

さて、この太鼓コンクール、面白い構成になっていて、まずジュニアのコンクールの演技をやって、その受賞者が決定する前にシニア・コンクール全体(演技も受賞決定も)をはさみ込む形になっています。シニアの方が完全に終わった後で、ジュニアの受賞者発表となるわけです。

これは、ジュニアの若者たちが結果を待つ間に60歳以上のベテランの演技をじっくり見てもらうようにしよう、という工夫なのですね。なんとか日本の太鼓の生きた伝統をつないでいこうという苦心が感じられます。

わたしはシニアの審査員だったのでジュニアの演技は見ていませんが、授賞式はそのまま見ていました。

てどりこうりゅうわかあゆ組というところが優勝でした(どんな字を書くのか見当がつきませんでしたがこれを見て分かりました。なるほど)。

このチームはメンバーにずいぶん年齢差があって、上は高校生くらいかと思いますが、下は小学校低学年の子なんです。

優勝が決まると高校生の女の子たちは涙を流して喜んでましたが、小学校の子たちはなんやわけわからない、という感じで先輩たちや会場の人たちのあわただしい様子をながめてました。

子どもというのは泣けない。泣くのは大人になったしるしなのでしょうか。

賞はいくつもあります。受賞者は壇上に整列してます。最初の賞のトロフィーもらった小さい女の子が、ずっとそれを持ちっぱなしで立っていました。

重くないかな、大丈夫かなと思いましたが、案外平気っぽかったです。太鼓をやっている人はそれなりに体が丈夫なんでしょうね。

 

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アンコール遺跡整備公団インターンシップ報告会

 

これは来週日曜28日日曜日、金沢での報告会のご案内です。

金沢近辺在住の方々はお誘いあわせの上、ふるってご参加ください。

 

 

金沢大学・アンコール遺跡整備公団インターンシップ報告会 

20101128日午後4時~6時(3時半受付開始)   

しいのき迎賓館3階・セミナールーム

 

 

今 年9月、金沢大学国際学類の企画で、環日本海域環境研究センター・塚脇真二教授の指導のもと、カンボジア政府機関であるアンコール遺跡整備公団で12名 の金沢大生が二週間の就労体験をしました。アンコール遺跡地域はその中で多くの人が生活する世界遺産であり、公団の任務は遺跡の管理から環境の保全、新し い村づくりにまで及んでいます。文系・理系両方の学生たちが、このアンコールというひとつの対象に多角的に取り組んだ貴重な体験について ご報告いたします。  

 金沢大学関係者のみならず多く市民の皆さまのご来場をお待ちしております。

(入場無料)

主催:金沢大学人間社会学域国際学類

お問合せ:角間北地区学務第一係 076-264-5455

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「アフリカとフランコフォニーの未来」(フランス語圏大使館合同シンポジウム)

 

去年ひらかれたこのイベントの第二回が12月11日に開かれます。

ふるってご参加ください。

(ご覧の通り今年はわたしも単独で20分いただいてます。北アフリカについてお話しいたします。フランス語と日本語でやります)

 

*****

 

フランス語圏大使館合同シンポジウム
アフリカとフランコフォニーの未来
« L'Afrique et l'avenir de la Francophonie »

今年はアフリカ17 カ国の独立50 周年と、フランコフォニー国際機関(OIF)設立40 周年にあたります。
独立から50 年を経た今日、アフリカはフランス語を話す人口が最も多い大陸であると同時に、OIF が理想とする文化と言語の多様性が最も実現している地域でもあります。フランス語圏諸国は未だ多くの課題を抱えていますが、このシンポジウムでは、20 世紀の歴史とアフリカ大陸の将来の展望の上に立ち、その未来に様々な視点からアプローチします。また、アフリカのフランス語圏諸国と日本の関係についても考えます。

 

日時:2010 年12 月11 日( 土)14 時~ 17 時
場所:慶應義塾大学 三田キャンパス 西校舎2F 528 教室(東京都港区三田2-15-45)
言語:フランス語(日本語逐次通訳)
参加費:無料
定員:340 名
お申し込み:お名前、職業、同行者人数を明記の上、
tokyo.cc(アットマーク)international.gc.ca まで、E メールにてお申し込みください。


プログラム

<イントロダクション>

14:00-14:10 会場校挨拶

古石篤子、ヴァンサン・ブランクール 慶應義塾大学(総合司会)


14:10-14:15 主催者挨拶

アホメド・アライタ・アリ ジブティ共和国大使(日本におけるフランコフォニー推進会議議長)


14:15-14:35 フランコフォニー国際機関(OIF)の概要


パトリス・ビュレル氏(フランコフォニー国際機関アジア太平洋地域代表)


<アフリカへの視点(第一部)>


14:35-14:55 ギセ・マイムナ・ジャル マリ共和国大使 
14:55-15:15 アントワーヌ・ムニャカジ=ジュル ルワンダ共和国大使 
15:15-15:35 ディスカッションとQ&A


休憩15:35-15:50


<アフリカへの視点(第二部)>


15:50-16:10 ヤヒヤ・ンガム モーリタニア・イスラム共和国大使
16:10-16:30 粕谷祐己氏(金沢大学)
16:30-16:50 ディスカッションとQ&A
16:50-17:00 まとめ

 

主催: 日本におけるフランコフォニー推進会議
共催: フランコフォニー国際機関(OIF)、日本フランス語教育学会(SJDF)、日本ケベック学会(AJEQ)
協力: 慶應義塾大学、TV5Monde (フランス語国際放送局)

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「フランス語とロシア語が欲しいです」

 

兼六園の切符と解説。解説は英語、中国語、韓国語まではありますが、フランス語はないです。切符売り場のおばちゃんは「フランス語とロシア語が欲しいです」と言ってるんですけどね。それほど多くのフランス語圏の人が来ているのです。

 

兼六園の解説のフランス語版を作れ、と当局に掛け合った人を知ってます。

「フランスの人は、英語でいいでしょう」

というのが担当者の答えだったそうで。

 

こういうものは、そんなにお金のかかるもんでもないし、作っておけばフランス語圏からの観光客に「ようこそおいで下さいました。わたしたちは心から歓迎し、お客様方の便宜をおはかりしています」という暗黙のメッセージになるはずなんですけどね。

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ことじ灯籠

 

(このエントリーから続きます)

 

さて金沢と言えばこれ、という「ことじ」灯籠なのですが、外国の人の目からは、そんなに特別なものには見えてないのが分かります。他の人がみなここで写真を撮って行くことで、かろうじてここに何かあるのだというのが分かります。

この「ことじ」って「徽軫」という特別な漢字を書くんですが、なぜそう書くのか、そのいわれは不明みたいです。普通に考えれば「琴柱」のはずですが、それをそう書かずに「徽軫」と書くところに、なんか非常に「これは特別」という雰囲気が漂う気がしますが、日本語のシステムを解さない人にはそんなの意味ない、ってことを考えると日本語理解者に意味があるというのも怪しくなるように感じます。

後ろの方に、池の上に張り出した和室があって(ええと、内橋亭っていうんですか)、夏なんぞはそこでだらだらするとかなり風流だろうと思えるのですが、そういう雰囲気というのも、カンボジアの人に感覚的に理解してもらうことができるだろうか?

 

 

 

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スタンダール、マグレブ、パレスチナ

 

先週の土曜日のことになりますが、例の高等研究所のスタンダール研究プロジェクトの会合がありまして(よく考えたらここ数日スタンダール関係の仕事ばかりやってたことになりますね。あんまりそういう意識がなかったんですが)、けいはんな行ってまいりました(↑ 写真は夜のセッションの開かれるけいはんなプラザホテルの入口を入ったところ)。

今回はグルノーブル大、Michel Jacobさんによる、スタンダール『赤と黒』の新ドイツ語訳のお話に特に興味をひかれました。

2004年に出版されたElisabeth Edlによる『赤と黒』新独訳は、各種書評で絶賛を受けて、かなり話題になったものなのですが、それが「フランス語のオリジナルに近い」というのが、実際どういう感じなのか、ジャコブさんの説明を聞いてよく分かりました。

彼はエードルの新訳を1922年のArthur Schurigの翻訳に比較して見せてくれたのですが、ドイツ語だからというのでどちらも全く読んでいなかったわたしでも、違いが歴然と分かりました。

だって冒頭の一文からして、その差にあっと驚きますからね(以下、ウムラウトとかアクサンは省いてエスツェットはssにしてあります)。

(1922年版)  Die kleine Stadt Verrieres kann fur eine der hubschesten der Freigrafschaft gelten.

(2004年版)  Die kleine Stadt Verrieres zahlt gewiss zu den hubschesten der Franche-Comte.

(スタンダールのフランス語原文) La petite ville de Verrieres peut passer pour l'une des plus jolies de la Franche-Comte.

 

(桑原武夫=生島遼一日本語訳) ヴェリエールの小さな町はフランシュ・コンテのもっとも美しい町の一つに数えることができる。

 

旧独訳は「フランシュ=コンテ」という、フランス語の固有名詞になっているところを語源に遡ってFreigrafschaftとドイツ語化してしまってるんですね。

もちろん独訳は過去にいくつかあるのですが、このシュリッグ訳は21世紀に入るまで長い間ドイツでは主要な訳だったようです。

80年以上のインターバルの後に出たエードル訳との差は、まさに「原文をいかにドイツ語文として内的に均一に整ったものとするか」という意思のもとになされた訳業と、「外のもの、他のものをいかに『他』のままとして受け入れてしかも理解、および審美的体験可能にするか」を念頭になされた訳業の違いなのでしょう。

エードルの訳業を生んだ精神こそ、現代の世界に支配的な精神だと思うのです。そのへんが日本の「教養派」にはピンときてないのだと思います。

 

ところでこのエードル訳発表時(もちろんジャン=イヴのサイトで知ったのですが)には、思い出があります。

わたしはEaux-vives-du-maghreb-palestineというメーリングリストに入っています。マグレブ、パレスチナ関係でメディアに報道があると知らせてくれるこの重宝なリストはJ-P Lansacというひとがひとりでやってるようなものなのですが、この人がライとスタンダールという二大興味をわたしと共有してることがだんだん分かってきました。

スタンダールと、マグレブ、パレスチナというのは、関係がなさそうに見えて案外両方関心があるという人は、多いのかもしれない(以前、ジュリアン・ソレルは今日、フランスなら移民系の中にこそ探すべきである、というようなことを書いた覚えがあります)。

ちょっとしたいきさつがあって、彼にこのエードル新独訳のことを教えてあげたら、これは良い訳だというので大変喜ばれて、わたしもちょっとなごんだものです。

もちろん会ったことなんかありませんが、どんな人なのかな・・・

 

 

 

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次の日

 

奇しくもまちなかライブラリーの次の日が文学概論の授業(おかげさまで今年は履修登録数過去最高の123名です)で、「スタンダール」担当したグループの学生さんたちに発表をやってもらう日だったんですが、うーん、ちょっとバランス悪かったかな。『パルムの僧院』読んできた人がいなかったみたいだし。

一部だけでもいいし、途中から読むのでもいい、と言ってるのですが。

そうしないと絶対、若い子は過去の文学の「傑作」と言われるもの‐‐現にゆっくり読んだらほんとにおもしろいはずのもの‐‐に手を出さないみたいですし。

…問題は日本の若い子たちが「文学」と聞くと反射的に「わたしにはむり」と思うからかと思うんですけど、どうでしょうかね。

「文学」=「古い本」「権威」「過去」「教養」「難しい」「『勉強』しないといけないもの」「自分からは遠いもの」、であるような。いちばん困るのが「面白くないもの」というイメージ。

偉そうな白人系の顔のイメージ、というのも入るかしら・・・

 

来年は少なくとも「編年体」で世界文学を提示するのをやめてしまおうかと思います。

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