Sukiyaki 2016 bilan 収穫 5  Moi, interprète de Peter Solo, par hasard


 その予定ではなかったと思うのですが、Togoのスター、ピーター・ソロの通訳までやるはめに。

 彼のグループが音を出し始めて、わっと思いました。彼、こんなファンクだったかしらん? 前回のスキヤキとずいぶん違った音のように聞こえました。
なんでもかんでも入ってる。

 周りのひとには、フェラ・クティのパクリ丸出しだエチオピックも入ってるあカリブ海も、と言って酷評する向きもあるのですが、わたしは、個人的にはこういうの弱いのです、つまりついついノッてしまう。

 CDきいてみても、出だしからまるでジェイムズ・ブラウンみたいに「ウッ」とか「アッ」とか言っているから、笑ってしまいました。

 節操は、たしかにないですね・・・ でもパンアフリカンと言えば、そうも言えます。

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Sukiyaki 2016 bilan 収穫 4 Moi, interprète de Damily, faute d'autre interprète


 他にやる人がいなかったもので、ダミリ―さんの通訳もわたくしが。

 ダミリ―さんは Madagascar のギタリスト。デガリさんが「東京の夏」で日本に来た頃はマダガスカル音楽もまだ珍しい、個性的というより異様な、というべき音を聞かせてもらって、へえこんな音楽が地球上にあるのか、という感じだったですが、今ではマダガスカル音楽もずいぶん普通の音楽になってきました。それでも個性は失われていません。

 ダミリ―さんは紳士。グループのメンバーもみな物静かなひとたちでした。
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Sukiyaki 2016 bilan 収穫 3 moi, interprète de Sahra (à la place de mon étudiante)


なんやかやで、わたしがオープニングステージで三人のアーチストの通訳をするはめになりました。(右端が橋本委員長です)

 まずサハラさん。わたしの教え子さんのひとりにお願いする予定だったのですが、ちょっと内容が難しい?(ソマリランドですからね・・・)かもということで急遽わたしが。
 あんまり心の準備ができてなかったからか、途中大きな部分が頭から飛んでしまって訳せなかったところがありました。残念。

 でも、ワークショップはうまくいったし、宿舎でお会いしたときサハラさんはわざわざわたしのピンの写真を撮って喜んでおられました。(^o^;)
日本というところにはこんな変な顔のやつがいる、と知り合いたちに見せるのかなあ・・・

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Sukiyaki 2016 bilan 収穫 2  La pluie


 スキヤキはずっと「晴れ」男、橋本委員長の神通力でだいたい天気には恵まれてきたのですが、3年前くらいからちょっと雲行きがあやしくなってきました。
 がんばれ橋本委員長!

雨は降りましたが風はさほどでもなく、オープニングステージは雨天決行!でした。雨足が強まれば早めに切り上げという話だったのですが、なんとか最後のセシリア・トッドまで演奏できました。

 写真で見ると、雨のフローラルステージも、それなりに趣がありますね。


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Sukiyaki 2016 bilan 収穫 1 Sahra Halgan Trio


 Sahra Halgan Trio. Répétition. サハラ・ハルガン・トリオ。

今年のスキヤキで個人的にいちばん印象深かったのはサハラ・ハルガンさん。これまでお会いしたアーチストのなかでも、実際にお話をしてみて、これほど親しみを感じさせてくれた方はいなかったように思うくらいです。

 これはトリオのリハーサル風景(左端はスタッフです。左からMael, Sahra, Aymeric)。エメリックは去年BKO Quintetを率いてスキヤキに来ていました。音楽(マリ音楽)に対する彼の態度の真摯さは尊敬に値します。去年はずいぶん神経質な男だなという印象を受けていたのですが、あとで聞いたら来日直前にお父さんが亡くなったのだそうで、さすがに不安定だったのでしょう。今年はずっと穏やかでした。

 スキヤキ二日目にこのトリオのワークショップがあってわたしはその司会をしました。
 話の大枠はわたしが作って、パワーポイント資料で導入しました。彼女の「国」、ソマリランドはほとんどのひとがなにも知らないような土地なので、どうしても全体がつかめるような解説が必要でした。
 だから基本的事実がつかめるように、あまり細部に陥って全体が見えなくならないように工夫して、日英語(フランスに長く在住(亡命)していたサハラさんも英語はかなりできます)並記で資料を作って、7分くらいで語り終えました。
 うん、これはうまくいったな。
 あとでエメリックに、あれはよくやってくれたとほめられました。

 Bureau Exportの佐藤麻美さんもうまく通訳をこなしてくださって助かりました。


 彼らの演奏自体は、ワークショップのときにも言われていたように、「ソマリランド音楽」ではありません。あくまでもこの三人のコラボレーションが生んだ新しい音です。

 フランス亡命中のソマリランド人歌手サハラと、マリ音楽を深く追及するエメリック、どっちかというとロック系のマエルが「一緒にやれる」ことを全く疑わず、一つの音楽の創造に向かう。皆で、ある種の普遍を信じる。


 あえて言うと、こういうのがフランス的精神、なんだと思います。
 
 
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スキヤキ2016――前夜


 美しい!

 狂熱の三日間の開幕を明日に控えた、ヘリオスの雄姿。

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そもそも


 なんで昔のロックのスターたち――嗚呼、若くしてみまかりしロックの英雄たちよ――のことなんか思いだしたかと考えたら。

 このお二人の活動50周年、40周年記念出版物を続けて読んだからですね。

 山上たつひこといしいひさいち、両氏。


 この話をし出したら長いので、それはまたいつかにしておきます。(ひとつだけ言っておきたいことは「わたしは『光る風』は認めんぞ!」ということです)。


 だって、明日からスキヤキだもん。今の音楽を聴いて、前を向いて進まなくては。


 さあ、スキヤキだ!!!

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リーズ大学(1―100位)


 キース・ムーンの魂が安らかに憩わんことを。
 ロックはその最上のドラマー二人――ボンゾとムーン――を夭折させてしまっているんですね。罪深いことです。彼らの死は、戦死です。

 『ジョンの魂』――原題は John Lennon, Plastic Ono Bandですね――も Led Zeppelin ファーストも、長い間音自体は聞かなかったアルバムですが――ということを言うのは鼻歌では実に頻繁にジョンもツェッペリンも出てくるからですが――こいつは音自体をずっと聞きつづけてます。車に乗るようになってから、これとParis, Texasはカセットに入れて聞いてました。『パリ、テキサス』は長い間きいてなかった期間があったけど、こっちの方はずっとずっとわたしのそばにあり続けてます。
 写真は『25周年エディション』で、曲数もオリジナルの倍に増えているのですが、やっぱりわたしはダルトリーが歌の出を間違えかけているところが入っている、またテープの逆回しみたいな音をライブ音源に挟み込んである元の奴の方がいいです。

 The Who. Live at Leeds.

Oh, well, a young man ain't got nothin' in the world どんどんどんどん

というのから始まって、緊張にいささかの間断もなく、最後まで突っ走りますからね。

いま見返してみると、See me, feel meの歌詞って・・・団塊そのものというより、まるで団塊を後ろから見つめる世代の述懐のようです。

Listening to you, I get the music
Gazing at you, I get the heat
Following you, I climb the mountain
I get excitement at your feet

Right behind you, I see the millions
On you, I see the glory
From you, I get opinions
From you, I get the story

 リオオリンピックが終わった今はじめて知ったのですが、ロンドンオリンピックのクロージングセレモニーでフーが出てきてMy Generationとこれ――ということは、たぶんLive at Leedsに近い形のメドレー形式――を演奏したんですね。これは「イギリス」にとっても代表的な楽曲なんでしょう。

 1970年2月14日に演奏された音が、信じられないほど良好な録音で――誰だったか「これはロックの神のおかげに違いない」とか言ってました――その後何十年にもわたってひとの心を、とくにわたしの心を魅了するなんて、なんていうんでしょう、不思議なものではないですか。

 2016年に日本の大学の先生などやっていると、リーズ大学(大学ランキングといういかにもグローバル時代的なもので言うと世界100位以内に入るのだそうですが)の学生たちってどういう人たちだったか、フーの連中にとって彼ら学生はどういうものだったか、というのがなんだか気になります。社会階層的に、とか・・・
 それはわたしの心が堕落したからではなくて、単に音をよりよく聞くための試みを続けているだけだ、と思いますよ。




 このへんで音楽はやめときましょう。さもないと、昔のわたしの音楽の「バイブル」を続けてあげていくと

 ジミ・へ・・・あわわ
 ジャニス・ジョップ・・・あわわわ

 ええともっと時代を下げてと・・・

 カート・コバ、じゃなかったカート・コベ・・・あわわわわ

 非業の死を遂げたやつばかりになっちゃいますので。生き残ってるのはジェイムズ・チャンスくらいか。


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つぇっぺりんで、「ぺ」にアクセント


 あえてジャケ裏を載せてみました。こうやってこの若い四人(プラントなんか、まだハタチだ!)にがっと来られると、こっちは引いてしまいますね。

 これはCDとして数年前から持ってます(と思ったんですがリマスター版が出たのは2014年のようで、それなら2年くらいだな)。別によく聞くわけではなかったので、今回気合いをいれて真剣に聞いてみました。

 このエントリーとその続きでツェッペリン(ゼッぺリンじゃありません。ましてやゼップではない。つぇっぺりんで「ぺ」にアクセントをおくのが団塊的かと思いますが、思い違いかもしれません。とにかくそれはわたしはやらない)のことはずいぶん書いてますね。結局このバンドのベストはYou shook me だという評価は、わたし的には変わりません。

 でも、よく聞いてみると、この1stアルバム、構成が実に緊密だと思いました。曲の繋ぎがうまいんです。
 たとえばBlack Mountain Sideなんて70年代初頭に最初聞いたときはただの繋ぎの曲と思っていたのに、よく聞いたらこれは実にいい曲です。それにこれを聞かせておいて、次の曲を予感させるようにザッと終わるから、次のCommunication Breakdownが映えるんですね。
 ご存知の通りこの曲では一瞬音をストップさせるところがありますが、あれがあるから次に出てくるペイジのなんてことないフレーズが生きる。これも繋ぎの妙ですか。
 彼らがシングルをほとんど出さなかったのが理解できます。

 それから思ったのは、プラントって端的に歌手として「うまい」ということです。最初聞いたころはシャウト唱法とかロックの美神とかの言葉に気を取られて彼の「歌」が聞けてなかったかもしれません。

 I'm gonna leave youが盗作かどうかなんて、今となっては、聞いている方にとってはどうでもいい話。ハレドも Didi の件ではもう少しうまく立ち回ればよかったのに。ペイジは、うまく逃げたと思います。

 ペイジは、両親の写真は絶対出さないな。
 フレディ・マーキュリーは彼のパルシー=ザンジバルの出自を語るのは「ロック的でない」と思っていたみたいですね・・・

 うん、そこを明るみに出すことから「世界音楽」は始まるのでしょう。

 で、団塊のひとには「世界音楽」はたぶん無理、ということか・・・


 今気付いたんですが、ボンゾことジョン・ボーナムが死んで(彼の死は一種の戦死だと思います)ツェッペリンが解散を発表したのは1980年12月4日、ジョン・レノンの死の直前なんですね。
 そんな記憶が全然なかったのが不思議です・・・

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団塊が、うざい。けど?


 おそらく団塊世代のはた迷惑な思い入れが、時代を毒しているんでしょう。

 ああ、うざい! うざい!




 だから、というわけではないんですが、わたしがこれまで一度も買ったこと、「もった」ことがなかった『ジョンの魂』をアマゾンで中古で買いました。もちろんCDで。
 なんで買ったことがなかったかというと、これの出たころはもう、そのへんでこのアルバムの曲がかかりまくっていたので買う必要を感じる暇がなかったから、でしょうね。
 「所有」ということの意味。音楽において「もつ」とはどういうことか・・・
 さてこのアルバムのことを『じょんたま』って言ったらわたしの奥さん(このひとはかなり若い。このアルバムが出たとき(1970年)まだ生まれてない。当たり前だ。46年も前だ)が「ダサイよー!」って笑うんですな。当時はこういう言い方する人多かったんだけど・・・ それがすでに団塊的ということなのか・・・

 じゃ、なぜ今これを買ったのか、というと、うーん、わたしも年をとったからか? 月並みだな。
 たしかに、この次にジャニスの『パール』買おうかと思ってるくらいだから、そうかもしれない。これも、「もった」ことがない・・・
 でもまあその、なんか聞きたくなった、というか、なにかを確かめたい気がしたんです。
 ――何を確かめたいの?

 それは、確かまってみないと分からない。←こんな日本語ない。けど作りたい。

 さて。

 あの熱に浮かされたような時代の大波が去って幾多の年月が過ぎ--ô saisons ! ô châteaux !-- 静かにたゆたう水の中に置いてみたら。

 いちばんいい、かなと思ったのは I found out ですな。だってジョンはロッカーだもん。
 ハレドだって、ライらしいライを歌っているときがいちばん輝くんだから。

  Mother は、異様な曲だわ。出た当時はそんな印象、わたしはまるで持ってなかったのに。でも、たしかに曲がフェイドアウトしていく中から聞こえるジョンの絶叫は、今きいても鳥肌がたつ。

  Love は、他のひとに歌われ過ぎたか。Look at me は、いまも可愛い。手垢がついてない。

  God は、「信じない」ものを総入れ替えしないとだめか。総入れ替えしてもだめか。Gott ist tot だし、並べるものがないか。



 ・・・長い間、わたしはよく週刊誌を読んだものでした。いまはオヤジしか読まないような週刊誌。どれだったかに黒鉄ヒロシ氏が連載をしていて、わたしは毎回読んでいました。あるとき、というのは今考えたら1980年の11月ころということになりますが、なんか彼が予感めいたことを書いていたのが目にとまりました。何を書いていたのかはまるで覚えていないのですが、彼がなにか妙な感じを覚えたのだろうという感じは確実にわたしに伝わりました。黒鉄ヒロシというひとは非常に麻雀が強いのを知っていたので、このひとの「カン」は信じられると思いました。たぶん、その年、1980年が終わる前にだれかが死ぬのだろうと思いました。
 ジョン・レノン射殺を知ったとき、ジョンだったか、と思いました。
 週刊誌の次の号で黒鉄氏は冒頭に「ジョン・レノンが死んでしまった」と書いていました。
 A day in the life.



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