日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
たいこ
きのう金沢大学「角間の里」で開かれたシンポジウム「新しい民俗芸能創出の道」って、すげーエキサイティングでしたよ。
これは参加者が少ないのは全くもったいないです。
ネットにもほとんど情報の載ってなかったイベントなので、ある程度わたくしが御紹介しますね。
ジョン・アートル(金沢大学准教授)の開会あいさつ・趣旨説明のあと、神谷浩夫・金沢大学教授(写真)から「日系アメリカ人を媒介とした和太鼓の伝播と変容」のお話。
かつては海外で日本文化を代表するものというとまず「華道」とか「茶道」とかがあがったのが、いまでは「和太鼓」になってきている、というお話です。
しかも太鼓はパフォーミングアートということで、日本という枠をこえた展開もあるのですね。
これは蒙を啓かれました。なるほど。
そのあと野澤豊一・金沢大学博士研究員から「上海の太鼓文化」。
中国の太鼓というのは、ひょっとしたら世界の太鼓文化のなかで日本の太鼓と同系統かもしれません。(この件に関してはここをご覧ください)
かの地では太鼓が、日本のゲートボールみたいに高齢化社会・健康対策の一環になっているのですね。
ウェスリー・ウエウンテン・サンフランシスコ州立大准教授から「島んちゅブルース:時間と空間、サウンドの屈曲」。
言葉で言えないことが、音楽でなら言える(ユゴー)。ちゃんぷる。混ぜる文化。これはなかなか一言で語り尽くせない深い思想です。
内田忠賢・奈良女子大学教授から「よさこい・YOSAKOHI系祝祭の普及と増殖」。
YOSAKOIって、完璧にワールドミュージックじゃないですか。あるいは日本でいちばん活気のあるワールドミュージック系活動かもしれない。このあたり、少し探索しなければ。
河原清・金沢市都市政策局文化交流部長/文化政策課長から「加賀宝生とお囃子の世界」。
加賀宝生(宝生流のお能の加賀独自の展開)という、金沢の地元に根差したもの。こういうのわたしは絶対大事にしないといけない、と思ってます。ただその「大事にする」というのはどういうことか、というのも考えないといけないと思います。
ほんとどれもが面白いお話でした。
いずれ上記のひとつひとつにわたしなりの展開を加えていこうと思います。
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民族音楽
きのうは、金沢大学の名誉博士号を受けるシャルジャ首長国(アラブ首長国連邦のひとつ)の首長に随行して来た楽師たちの演奏が金沢大学でありました。
面白かったですけどね。でもこういうのは、いつもちょっと複雑な気分です。
なぜなら、こういう民族音楽というのは、たしかに日本の人に物珍しくはあるかもしれないけれど、演奏している人達を、自分たちと同じ音楽に共感しうる人々に見えなくさせてしまう、「しょせんはよそのひとたち」という感覚を暗に定着させてしまう危険を感じさせるんです。
一般の日本の人だって毎日、雅楽や長唄ばかり聴いていてそういう音楽にしか審美感覚がない、というわけではないというところに、なかなか人は思い至らないんです。
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サランの日本デビュー!
サラン(ここなど、このブログで検索をかければいくつも出てきます。わたしのモンゴル人の親友で現在フランス在住です)が、次に出すCDを日本でも出したいから解説を日本語訳してくれって言ってきました。
急いで訳して送りました。
以下はその一部です。
「モンゴルに里帰りしているときに、わたしはウランバートル国立オペラの音楽家たちとアルバムを録音しました。このアルバムに集められたのは遊牧生活で育まれた伝統の歌、わが幼年時代の歌、祖母の歌、ユルト(ゲル)の中で自然に始まる歌の宴の伝統そのままにわたし自身が作った歌です。祝いの主人が捧げる馬乳酒の椀、歌の椀は、人の輪を三周します。その椀がわたしの手にとどまるたびに、隣の人がしたのと同じようにわたしは歌います。即興の歌を歌い、人々に捧げるのです。それはわたしにとっていつも大きな喜びでした。ある年の冬、新年を祖母のユルトで迎えたときのことを覚えています。そこには祝いの日のために集まった人々の持ってきた8本のロウソクがありました。ユルトは宮殿のように輝いていました。」
このアルバムがどんな作りになっているか聞いてみないとわかりませんが、このエントリーなどからお分かりのように、だいたいはモンゴル伝統歌謡に近いものでしょうけど中には意外に、おっ、と思うワールドミュージック仕様のが入っているかもしれないです。
サランが友人だから言うんじゃないですが、聞いてみる価値はあると思いますよ。
彼女のサイトはここ、彼女のやってるアソシアシオン「タリンモンゴル」のサイトはここです。
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新たな桜
浅野川沿いの桜。というか金沢大学から町中へ降りていく一本道が川に接するあたりの桜です。
わたしが金沢に来た頃ははたしてあったのかどうかも記憶がありません。
でも三年ほど前からでしょうか、車から「たわわ」になって咲いている桜の花が人家の向こうにチラホラ見えるようになってきました。木が成熟してきたのでしょう。
写真は、もうだいぶん散った後の桜ですが、それでもとにかく新しい桜スポットができてきた感じです。
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しいのき「迎賓館」
(二つ前のエントリーから続きます)
石川県の旧県庁は最近大改装されまして「しいのき迎賓館」として生まれ変わりました。
(わたし、「げーひんかん」という語感は、前から好きでないです。それに「迎賓館」というのは賓客をお泊めするところという意味だと思うのですが、ここには宿泊施設はついてないです。英語名はShiinoki Cultural Complexとしてありますね)
まあそれはともかく、正面から見れば元のクラシックな造りが残った重厚な建物ですが、裏は写真のようにガラス張りでモダンです。
レストランとカフェとして、ポール・ボキューズさまが入ってらっしゃいます。ご覧のようにカフェテラスもありますね。
写真の正面奥に兼六園があります。
その右側が金沢二十一世紀美術館です。
写真の左手が金沢城で、その手前に最近復元されたむかしのお堀が水をたたえています。
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ハイティを学ぶ
かつての「異文化理解III」は、人文学類の科目として「フランス語圏研究A」とかいう名前になってます。
とにかくフランス語圏を探索する授業、今期は受講者13名でスタートです。
今回はハイティから始めます。でもハイティの世界史的意義を理解するためには当然フランス革命、ナポレオンからやらないといけません。
・・・年をとった世代の方からは、いまの若い人は教養に欠ける云々とか言われたりしますが、フランス革命、ナポレオンとハイティ革命、トゥーサン・ルーヴェルチュールを最初からひとつながりのものとして学べば、それが21世紀型の教養の身につけ方、と言えるような気がします。
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ユキとニナ
『ユキとニナ』見てきました。
これは極上品。
日本の監督が作った最高のフランス映画。
諏訪敦彦とイポリット・ジラルドのコラボレーションが、ユキという日仏の境にいて日仏両語を操る子の姿と見事に交錯します。そして空間的にも・・・
あ、フランスでミンミンゼミの声を聞いたことがあったかな?・・・
ところでユキYukiをYoukiと書くと、これは藤田嗣治がフランス人の奥さんにつけたあだ名になります。
面白いのは藤田がYoukiさんに、「youkiとはばら色の雪の意味だよ」と言っていたらしいこと。
日本語の「ゆき」は、すでに何か美しいものを連想させます。
ただ、雪国の人にとって、雪は単に雪にすぎないです。金沢に来て、それを思いました。
フランス人にとっても、単なる雪であるneigeが詩情をたたえるにはバラの色が要るかもしれないんです。
Youkiはデスノスにも愛されました。
デスノスがYoukiの名を呼ぶとき日本の、バラ色の雪を思っていたでしょうか。
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すきやきしゃぶしゃぶ
先月のお話に戻ります。
卒業生や退任される先生方の歓送会がいくつかありました。
そのひとつに、スキヤキとしゃぶしゃぶ両方食べる、という席がありました。
こういうの違和感あります。
わたしはスキヤキもしゃぶしゃぶも好きですよ。でもスキヤキとしゃぶしゃぶでは、味の「美学」が違うと思うんですよ。一緒に食べるものではない。
ちなみにアイスクリームの味の美学についてここでぐだぐだ言ってますのでご参照ください。ただアイスクリームの場合はアイスクリーム・ベースに味付けが異なる、ということなのに対してスキヤキ/しゃぶしゃぶの場合は肉は(ほぼ)同じでも料理法が異なるということで、かなり場合が違う気がします。
いずれも、ワールドミュージックにおける混交というのとはかなり話が違うはず。
あーところで「ワールドミュージックタイム」の放送時間が今月から変わって、日曜日の24時(つまり月曜日の0時)からになりました。再放送はそのままで月曜の朝10時からです。つまり10時間のインターバルで二回放送される、という感じになりましたね。
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