rai infos/ライ・ニュース 074

"MON PAYS" DE FAUDEL PLACE' AU PREMIER RANG DANS TOP SINGLES 100

 やっぱり最初ダウンロードだけに絞って人気を高めておいて、シングル発売時には一気にチャート上位に躍り出るという戦術でしたか。Bureau Export の Y さんの言われた通りでした。 (^_^)y
 SNEPのシングルチャート、11月12日ー18日の週でフォーデルの MON PAYS が、初登場で見事トップを取りました。 \(^o^)/

 ・・・一方シェブ=マミの LAYALIの方は一週チャートに載っただけで、すぐに圏外に去っています。
 やっぱり世の中甘くないですね。いくらいい出来でも、プロモーション無しではどうしようもないな・・・ (;_;)

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アマジーグ講演会/その6

前からつづく

(会場からの質問)「グナワはモロッコで盛んですが、アルジェリアにおられたときどの程度グナワに接する機会があったのでしょうか?」

「たいへんいい質問です。

 モロッコの方がグナワが目につく形で残っている。グナワの保存が行われている。宮廷にグナワがある。王様のグナワというのもいる。

 アルジェリアではグナワはもっと薄まっていて、おかれた状況はより難しかった。また独立直後はこういう文化を圧殺してしまった時代があった。ブーメディエンヌ大統領の独裁下だ。一種の公務員化政策がおこなわれて、伝統的職業のほとんどが政府公認の職業に転換させられたのだ。フランス治下でさえそんなことはできなかったのに。
 それでグナワのアーチスト、ミュージシャンは別の職業についた。学校の守衛とか、バス運転手とか・・・
 こうやって、ある意味で国の文化を殺したのだ。

 だからアルジェリアにグナワ文化はもうほとんどないかもしれない。でもわたし自身は幸いにもそれをアルジェリア南西部、ティミムーンで発見した。9才のころだ。
 そのころはのりやすい音楽、ロックばかり聞いてた。アルジェリア音楽は全然好きじゃなかったのだ。だいたいアラブ音楽一般が面白くない、古くさい、のろい、重い、若者向きでないものと思っていた。

 アルジェリアの南部に行って黒人たちの音楽に遭遇してみて、それが子供も女性も参加する型の音楽で、みんなが奴隷の、シンプルな歌を歌う、そういう音楽であることが分かったのだ。

 この音楽、グナワのおかげでアルジェリア音楽を愛するようになった。この発見のおかげでそのあとにシャアビ、ライ、ハウズィ、マルーフ、アラボ=アンダルス音楽までを聴くようになった。
 しかしマグレブのほかの音楽は凝ったものであって、通の人のためのものだ。グナワは、そういう音楽よりシンプルでとっつきやすいものだから、入り口になった。
 だから奴隷たちのおかげで自分の国の文化を、そして自分の国を愛するようになったわけだ。

 そしてそれが自分にとって扉だったのなら、他の人々にとっても扉となるのでは? と考えたのだ。」

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アマジーグ講演会/その5

前からつづく

 「グナワディフュージョンというグループを作る必要性、音楽をする必要性を感じたのはフランスに来てからだ。それは自分のアイデンティティを語るためだった。
 アルジェリアにいたときは「わたしはアルジェリア人だ」と言う必要はなかった。それは無意味なことだ。だってまわりに何万人もアルジェリア人がいるわけだから。
 フランスではこの「アルジェリア性」を生きることがずっと難しくなってくる。でも自分は消え去りたくない。
 ぜんぜん違ったもの、ときには正反対のものと出会うこと、これこそが自分のアイデンティティを確認したいという欲求を生じさせるものだ。

 同じメカニズムがグナワにも働いたのだ。逆境に置かれたからこそかれらはひとつにまとまって、声をあげるようになったのだ。」
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rai infos/ライ・ニュース 073

FAUDEL NOMINE POUR NRJ MUSIC AWARDS 2007 ARTISTE FRANCOPHONE MASCULIN

フォーデルがフランスのラジオNRJの音楽賞で「男性フランス語歌手」部門にノミネートされてます。どういう基準で受賞が決まるのかよく分からないのですが、とにかくノミネート歌手にインターネットから投票できるようになってますよ(↓)。わたしとしてはとにもかくにも彼に清き一票を!とお願いしておきます。 (^_^)y

http://nrjawards.tf1.fr/categorie-artiste-masculin-francophone-annee-4.html
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アマジーグ講演会/その4a 「加害者性を引き受けること」

前のエントリーのつづき)

 かつて植民地化した側と植民地化された側のあいだの諍いは、多くの場合「認知」reconnaissance の問題だ、というのはなんとも重い言葉ですね。日本人がこのことの意味をよく理解できているか、そのための有効な努力をしているか、わたしには自信がありません。

 そしてアマジーグが「グナワ」を「自分たちに加害者性を引き受けること」の象徴として機能させているというのも凄いことです。
 16世紀北アフリカのアラブ人、ベルベル人の黒人奴隷貿易なんて、日本だけじゃなくて世界でも実態をよく知っている人、よく意識している人は多くないと思います。
 だから被害者側にいようと思えばいくらでもいられると思うのですが、アマジーグはあえて自分たちの側の加害者性を言いたてるわけです。

 先日のテレビでのアマジーグ紹介放送は「フランスにおけるアルジェリア移民の不満」という主題に限定された放送だったですから、アマジーグの視野の広さ、思想の深さみたいなものはなにも伝わっていないでしょうね。残念です。

 これは、それだけ日本人の器量を小さくすることにならないでしょうか。
 まあ朝からあんまり思想的に濃いものを見せられても重たくてかなわない、ということはあるんでしょうが。

 わたしのところにはあの放送の感想がいろいろ届いてますが、なかには「祖先はフランスのために尽力したのに不当な扱いを受けている。だから反発している。と愚痴をこぼしているだけの印象を受けました」ということで、後味の悪い放送だったという感想を送ってくれた人もありました。
 その意味でもあの放送はちょっと、というかだいぶんアマジーグに申し訳ないですね。

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アマジーグ講演会/その4

その3からつづく)

 ということで、アマジーグの話したことのまとめと、わたしの感想はエントリーを分けることにします。
 最初にお断りしたことを繰り返しますが、アマジーグの話の内容はわたしが聞き取って要約したものであって、アマジーグ本人の確認をとっているわけではありません。通訳の石川さんの日本語訳も参考にさせていただきましたが、聞き取り、内容の取捨選択、解釈の責任はすべてわたくしにあります。


「16世紀に北アフリカに連れてこられた奴隷たちは現在のマリ、ニジェール、ガーナ、ギニア、セネガル、チャドのあたりの人たちだった。

 彼らの間にも文化的、音楽的、言語的統一はなかったわけだから、北アフリカに連れてこられた後でまず自分たちの間で統一を再創造していかねばならなかった。それから彼らのやってきた土地、北アフリカの人々にその文化を受け入れてもらわなければならなかった。しかもかれらは鎖につながれていたし、歌ったり踊ったりすることもそんなに許されてはいなかった。

 そうやってできた文化は、彼ら奴隷が北アフリカの人々に残してくれた最上の贈り物だったと思う。なぜなら植民地状態を脱して独立したアルジェリアは今もまだ若い国だから。歴史的認知を必要としている国だから。
 フランスでも他のところでも、植民した側の国籍を持つ人と、された側の国籍を持つ人の間でいさかいがあるけど、それは多くの場合認知 reconnaissance の問題だ。
 わたしはアルジェリア人としてフランス人に自分たちの歴史の過ちを認めてもらう必要を感じる。

 だけどそこでわたしは、自分たちアルジェリア人自身の祖先がおかした過ちを認めるのも重要だと言いたい。まぎれもなくわたしの先祖たちも奴隷主義者だった。

 だから自分たち白い肌の人間が奴隷の楽器を用いることは、彼らの文化に敬意を表するため、また彼らの子孫たちに敬意を表するためなのだ。
 かつて自分たちを植民地化した人々の側を批判するのと同時に、自分たち自身の側の批判もできるということ、これが重要だと思う。

 グナワ文化は単なる民俗文化、単なる音楽というだけじゃない。謙虚さのレッスン、歴史のレッスン、自らの卑小さを知るレッスンであり、アルジェリア社会にとって真の薬になっていると思う。なぜなら北アフリカは西洋とアラブ世界と両方から圧力を受けた土地なんだけど、そのことを自分たちのような肌の白い人々はそれをつい忘れ、自分たちがアフリカ人であるということを忘れてしまう。
 グナワ文化はそういうアイデンティティのための基盤となってくれるとわたしは信じている。

 わたしの国に詳しい方なら、アルジェリアにはアラブ語を話す人々とベルベル語を話す人々の間に、または伝統と近代化の間に不和があるのをご存知だと思う。グナワディフュージョンの一番大事な仕事のひとつはこれらを和解させ融合させることだ。
 自分や自分の祖先に誇りをもつのはいい。しかし今自分たちが近代化の中で生きていることを忘れてはいけない。

 ずいぶん前からアルジェリアの若者の頭の中に一種の断絶ができている。特にわたしの二、三世代前の世代では、伝統に向かって近代化を拒否するか、近代化に向かって伝統を拒否するか、二つの姿勢が真っ向から対立していた。
 グナワやレゲエ、ニグロスピリチュアルズのような普遍的性格をもつ文化、複数の異文化を融合させる性格を持つ文化は、元々のアイデンティティ identite originelle と近代的アイデンティティ identite moderne の両方を自分のものとして手に入れられる可能性を提供してくれる。こうやってアイデンティティは進歩していくのだ。」


 
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名前。色。

このエントリーの trotteur さんのコメントはなかなか本質的に重要な議論を含んでいるようで考えさせられます。ただお答え、というのはなんだか難しいです。わたしがお答えするまでもなく、疑問にはだいたい既に答えを出しておられる感じでもありますし・・・
 「日本とフランスを対立させる」認識の仕方への弊害ということはわたしも強く感じますので、それについて書こうかと思ったのですが、なんだかこれも難しい。それは、できれば「アマジーグ講演会」のシリーズが全部終わったところか、少なくとももう少し進んだところで扱った方がやりやすいように思うんです。

 ということで、「アマジーグ講演会」いやにぐずぐずしてしまって申し訳ないです。年内に終わらせるためにも、もう少しスピードをあげて、できれば二日にいっぺんくらいは続きをアップして行きましょう。うすうすお分かりと思いますが、アマジーグの言ったことは非常に大事なことなのですが、わたしも仕事がありますし、関心事が他に移りがちなのです(ブログ書きが「義務」になっちゃ嫌ですしね。 (^_^;) )。

 で、とりあえず trotteur さんが用いておられる「粒」と「水の中のインク」の比喩のことについて考えてみました。このたとえは、申し訳ないですが、わたしと trotteur さんの考えを対照するのに有効な比喩とは思えないからです。インクも分子レベルまで分解すれば粒じゃないか、というのは冗談ぽいですが、マジにそう言うこともできるように思います。

 水の中の複数のインクがたとえ相互干渉を起こしていても、「赤」は「赤」としての、「青」は「青」としての性質を保ったまま混じり合わなければならない。紫の部分が生じるのはいい。でも全体が完全に混じり合って赤も青も見分けがつかない、どんより濁った紫みたいな色「だけ」になってしまうのは、これはつまらない、と言っていいでしょう。その意味では「メルティングポット」で全体が均質化してしまうより、メルティングポット部分の存在は可能であっても「サラダボール」状態が残っている方が文化的にはいい、というわけですね(もっとも完全に混ざった紫が独自の美しさ(文化的価値)を持っていて、これが新しい「色」として認知されて行く、ということはもちろんありますし、それは喜ばしいことですらあります。紫が、母体となった赤や青と堂々と相互干渉を起こして行けばますますよろしい。というか、現存諸文化は多かれ少なかれそうやってできて来たのでしょう)。

 音楽を例にとるなら、そういう「あ、これはグナワの要素だ」「これはFrench Touch だ」「日本調だ」という要素がひとつの楽曲の中の一部として特定できることがかなり重要なのだと思いますよ。

 ただ、「グナワ」は国名でないけど「日本」は国名なので、その語を用いる時に国境とか民族とかいったものへの意識が多かれ少なかれくっついてくる。これは「日本」という語が(いまのところ)背負っている宿命みたいなものです。
 だけどいわゆる「日本的なもの」をそれと指し示すためには「日本」という語でやるしかないのです。「国境なしの、国籍なしの、純粋な芸術上のいわゆる日本様式を指し示すためにはこれから『ハニャゴトンゲミンショモ』と呼ぼう」と全世界の人が同時に同意して、そのようにやりはじめるというようなことがたとえ可能だったとしても、それだけではほとんど事態を変えることにはつながらないでしょう。
 なぜかというと「日本」と言う語には膨大なイメージ、情報、それに伴った情動、快感、あるいは嫌悪等がくっついてひとつの総体をなしているので・・・ これは議論が長くなりますね・・・

 とりあえずここまででひとつとします。
・・・あるいは簡単なことを延々と難しげに言っただけかもしれません。釈迦に説法で、trotteurさんを苛立たせるだけかもしれませんね。すみません。m(_ _)m f(^_^;) だいたい、アマジーグの話の後にするとはいえ「フランスと日本を対立させることの功罪」の話はどこへいったのか・・・ それはまた別のエントリーで、たぶんアイスクリームを例に考えたいと思います。

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rai infos/ライ・ニュース 072

IL Y A DU RAI A L'INA !
 フランス国立視聴覚研究所(INA)のアーカイヴの一部が今年4月からインターネットで見られるようになっていますが、ライ関係の映像もあるのを見つけました。

http://www.ina.fr/archivespourtous/index.php?vue=apecole

で "rai"を検索するとRAI A LA MANTES という約26分の番組が出てきます。
これにデビュー前のフォーデルが出てますね。うわ、こんな髪型だったのか! いかにも郊外の兄ちゃんて感じね。 (^_^;) 

 デビュー前のフォーデルの出ているドキュメンタリーとしては、たしか ENFANT DU RAIというタイトルのもあって、それはわたしは Les Halles の MEDIATHEQUE で見たことがありますが、あそこに出ていた彼はこんな感じじゃなかったように思いますけどね・・・
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rai infos/ライ・ニュース 071


LAYALI ENTRE DANS TOP ALBUMS 150 DE FRANCE
 シェブ=マミとマネージャーのミシェル・レヴィが拘留されて一ヶ月近くになりますが、まだ釈放される気配はありません。現地の観測でも、フランス司法側が「証拠」を握っているのは間違いないとされています。この事件は長引きそうです。

 ともかく発売されたマミのアルバム Layali はフランスのSNEPアルバム・チャートで10月29日-11月4日の週に136位で登場しています。
 このアルバムは、聞けば聞くほど素晴らしい出来に思えてきました。マミが主役じゃないみたい、というのを先日書きましたが、そういう気も薄れてきました。この間 Tigi Tigi を聞いていて思わず聞き惚れてしまい、「いくら録音技術が発達していても、世界でこの音を出せる歌手はマミをおいて他にはいない」---と痛感させられたものでした。
 彼がほんとに一生懸命に歌っているだけに、痛々しいです。

 ただ彼が訴えられているのは暴力・監禁行為なのですから、それが事実なら同情ばかりしているわけにはいきませんが。
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アマジーグの英語使用について

このエントリー次のエントリーをご参照下さい)

 アマジーグ・カテブについての放送の最後でアナウンサーの言っていた:

「少しでも多くの人たちに自分たちの思いを伝えたいと、フランス語、アラビア語だけでなく、英語の歌詞も取り入れて今後も歌い続けて行きたいと(アマジーグは)話していました」

というのは事実なのか、という質問への担当の方の回答の趣旨を載せておきます。


○電話インタビューでは「アラブについて歌うだけならアラブ語だけで十分だが、僕らは世界のことを歌っている。だからフランス語と英語でも歌うんだ」という発言があった。

○フランス語によるインタビューの中で、発言のある部分を意図的に英語に置き換えて話していた。例:propreをcleanに、bureau d'informationsをpublic relationsに、など。またライブでも英語でアジっていた。

○アメリカから何度もオファーが来ているのでできれば来年行きたいと思っている、と言っていた。

というところから、

「(アマジーグ)本人としてはブッシュの言葉はあまり使いたくはないが、より多くの人に理解してもらうためにはある程度使わざるを得ないと思っているのではないかと理解しました」

ということで、こういう放送になったそうです。

 この件についてわたし自身の感想を付け加えるのは当面差し控えます。

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