サラン、またね

 残念ながらサランは今回の日本旅行はキャンセルでした。ご主人の仕事関係で難しくなったみたいです。大相撲のウランバートル場所もキャンセルになっちゃいましたね。
 まあそのうち来ると言ってますから、待ってるよ。 (^_^)y
 またはこっちからアンカラ行こうかな。

 そういえば昨日金沢のトルコ料理店に行きました。メニューにクスクスも載ってたけど、注文した人はないみたい。
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台北へ行ってきます

 木曜から台北に行ってきます。 (^_^)/ 「アジアのフランス語」でも触れましたが、世界フランス語教員連合のアジア太平洋支部大会なのです。
 日本ではアジアの隣国で(英語以外で)どういう語学教育をやっているかなんて話題にものぼりませんが、どの国を見ても日本よりは多様な教育を、日本よりは早期からやっていることを知っておいていただきたいです。
 アジアでは日本語や中国語も伸びてはいますが、フランス語教育も同じくらいやっているのです。
 「フランス語なんてどうせ斜陽だ。日本語教育がとって代わればいい」と思う人が日本にはいるかもしれないです。でも、そういうことには絶対なりません。そういうことを考える方は、こう言ってはなんですけど、アジアの人の心をもっと分かって欲しいです。

 ともかく、こういう教員のネットワークみたいなものが世界規模で存在しているのはフランス語が一番のような気がします(たしかに他の言語の例はよく知りませんが、そういうものの存在の話は聞いたことがありませんので・・・)。これがよく機能するようになればかなり面白いことになるのでは、と思います。

 こんなニュースもあります。「アジアにおけるフランス、なんてピンと来ない」なんてきめつけてそれ以上何も考えなくてもいいと思っていたら、世界に置いていかれると思いますよ。

 言語教育というところからみても、フランスと日本は別世界にあるのではなくて、同じひとつの世界の中で悩みも苦しみも持ちながら進路を模索している2つの国、そして互いの存在が大きく影響しあっている2つの国だということが分かるように思います。

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Kitchenette + le dessert

 『素顔のGT」のエントリーの最後にも少し書きましたけど、GTことジェラルド・トト君のアルバム Kitchenette の内容、および最終的にKitchenetteに含まれて発売されながら中身がジャケットには書かれていないCD、le dessert の内容について。
 
 Kitchenetteの方は Mamie chatrouがメイン曲なのでしょうね。電話でおばあちゃんに how to cook chatrou ? と尋ねてるみたいなので。GTはパリ郊外サンドニのkitchenette(小台所)からマルチニクに電話しているんです。
 前作 Les Premiers Jours がカリブ海なら、本作は大西洋ですね。Par temps calme はブルターニュの海岸を歌った、とGTは言っています。それだけ地味で、そして静かな感じが漂います。

 le dessert。収録曲がCD表面にしか書いてないですけど秘密にしているわけではないみたいなのでここに書いておきます。

 Sa nou pe fe / Et si(前作 Les Premiers Jours収録の名作ですが、これは新バージョン)/ Sa nou pe fe flute (instrumental) / Buisson dormant / L'eau martienne / Boulangerie。

 Buisson dormant 『眠れる茂み』、L'eau martienne『火星の水』は CD1の方にも入ってますが当然別バージョンで、こちらの方がアコースティックな作りです。特にBuisson dormantなんて生ギターとGTの歌、あとは手拍子くらいのミニマルな作りです。こういうのはごまかしがきかない。むき出しの素材自体に自信がないとできないです。GTの官能的な声、歌をじっくり味わいましょう。
 L'eau martienne。新しい生活を求めて火星へ、という話は誰でも考えつくけど、火星にも水があってそれが seve (樹液>精気)を蘇らせるというのも生理的レベルに訴える発想です。CD1の方には Tes dessous の

Tes dessous sont pleins de malice
 君の下着は悪意でいっぱい

なんていうどきっとするエロチスムなども目を引きますね。GTはこういう感覚が鋭敏で、好きです。

 le dessertには映像として Sa nou pe fe のクリップと共にGTのインタビュー「EPK」 が入ってます。EPKってどういう意味かな? 
 あんまり自分のことは語りたがらない奴なので、わたしも初めて知る彼のプロフィールです。
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アルジェリア大統領の発言とそれに対するリアクション

 このブログはあんまりニュース報道をする趣旨のものではないのですが、かなり気になる事件が起こりましたので、お伝えしておきます。

 去る4月16日、アルジェリアのブーテフリカ大統領がフランスの過去の植民地主義を激しく非難した演説を行いました。アルジェリア東部の工場の竣工式でのことです。彼によると植民地主義は「アルジェリア人に対するジェノサイド(民族虐殺)であり、われわれのアイデンティティ、われわれの歴史、われわれの言語、われわれの諸伝統に対するジェノサイドであった」とし、「われわれはもはや自分がアマジグ(ベルベル)人なのか、アラブ人なのか、ヨーロッパ人なのか、フランス人なのか分からないのである」と言い放ちました。

 事実アルジェリア人というのはアラブのなかでももっとも西欧化した人々と見なされているだけに、「われわれはもはや・・・」というのはまったく本音から出た言葉だと思います。

 最初フランス外務省は「アルジェリア大統領の発言についてコメントを控える」としていました。しかしこの沈黙はアルジェリア大統領の発言を認め、フランスの犯した罪を認めることになるとみなされます・・・

(アルジェリア、オランの日刊紙 Le Quotidien d'Oran のM. Saadoune 記者は21日の記事で「フランス外務省は最初 faire le dos rond することを選んだようであった」という言い方をしています。「背中を丸くする」つまり頭を下げる、相手の言うことをごもっともと受け入れる、ということですね。フランス語はジャーナリスティックな文でこういうすごく「身体的な」表現を使うんです。庶民でも感覚的に分かるように、ということなのかなと思ってます。日本語でもこういうふうにできるといいんですけどね。実はわたしは、日本の人が政治的な行動を起こすのにきわめて緩慢なのは、ひとつには日本語の文章というのが基本傾向として身体レベルでビビンと響く言葉、表現を使わないということにも原因があるんじゃないかと思ってます・・・)

から、右派の議員(サアドゥン記者はUMPのLionel Luca議員を例にあげています)の突き上げ、大統領がこの問題を蒸し返した態度への反発もあり、外相のDouste-Blazyがリアクションを起こしました(ちなみにドゥスト=ブラズィ外相は、やっとその気運が高まったのに昨年後半から頓挫している両国の友好条約締結に向けた動きを先に進めようと一週間前にアルジェを訪問したばかりであり、このときの話し合いの不調が大統領の問題の発言を引き出した観があります)。
 Quotidien d'Oranの伝えるところでは外相は、

「植民地化全体の中に二つの時期があります。征服の時期は常に恐怖の時期です。しかし征服のあと、多くの男女が働き、子供たちを教育しに向かったのです。フランス人学校教師たちは彼らの仕事をし、建築家は自分の仕事をし、医師たちは治療にあたったのです」

と言っています。
 子供たちの教育といってもアラブ人の子供たちは明らかに植民者たちの子弟より冷遇されていたし、またアラブ語教育をフランスが振興してくれたわけではないので、これはあまり手放しで誇れることとも思えないのですがサアドゥン記者はそのことには触れず、こういう発言にはフランスの有権者への配慮があることを指摘し、「恐怖の時期」がはなはだ長く、規模が大きかったと言えることを強調しています。

 ただサアドゥン記者も、ドゥスト=ブラズィ外相が慎重な言葉で、アルジェリア、フランス両国が過去の遺恨を克服し、前向きに未来を共に建設していくためには、大統領が「ジェノサイド」というような乱暴な言葉を使って議論を蒸し返したことはよろしくないとたしなめる姿勢であることには一定の評価をしているように見えます。

 19日のLe Monde ではJean-Pierre Tuquoi記者が、フランス=アルジェリア企業経営者協会会長 Slimane Azzoug がもっと激しく、このような大統領の言葉は「長年両国の接近のために努力している全ての移民たち、経営者たちへの侮辱である」と断じていることを伝えています。

 さて4月21日18時の時点で、日本ではこのニュースはまだ全く報道されていないみたいです。ぜひ報道して欲しいです。フランスの暴動の背景にある諸問題に関して日本人がアルジェリア系移民にシンパシーを感じることはできますが、フランス/アルジェリア、日本/韓国・朝鮮と並べると否応無しに日本はフランスと同じ側にあることを意識することになりますしね。

 ブーテフリカ大統領は現在、去年受けた「胃潰瘍」手術の経過診察ということでフランスで入院中であり、そのことはルペン国民戦線党首に皮肉られるネタになっています。
 ほんとに複雑な両国関係です。

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連帯

 最澄と天台の国宝(於東京国立博物館、5月7日まで)。

 伝教大師最澄があの尼さんのような頭巾を被っている図像で示されることが多いのはなぜか不思議に思っていましたが、これはおそらく天台の祖師、天台大師智(ちぎ)のイコノグラフィーに合わせたんだと合点がいきました(というのはわたしが思っただけです。お間違えなきよう。違っていたらご指摘お願い致します)。
 
 一字一字を美しく飾った教典。法華経は思想であるとともに、多くの人にとって出来うる限りに美しい物を作るという物質的美の追求の媒体にもなったのですね。

 この展覧会の直前にも出品予定の文化財が一点盗難にあって、会場には写真だけが陳列してありました。無事に発見されることを祈りますが、この会場に集められたおびただしい仏像、仏画、お経、仏具の数々も何百年、何千年のスパンでみればいずれは全て滅んでいくのだと考えましょう。

 上の写真は国立博物館前、上野公園のホームレスの人たちに配る食べ物を運んできた車です。

 仏教の根本は「慈悲」なのだと思いますが、21世紀のわたしが恵まれない人々に感じるのはむしろ「連帯」の念と呼んだ方がいいと思います。本質的には同じことかもしれませんが。

06.0420. 一部字句訂正。「」の字をやっとみつけました。 (^_^)y
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rai info/ライ・ニュース 033

DATE DE CONCERT DE RACHID TAHA A ORAN
 既報のラシード・タハ、アルジェリア・ツアーですが、今月の26日とお伝えしたオラン公演の日程は5月26日の誤りでした。タハのコンサートに合わせてオラン旅行を計画しておられる方がもしおられましたらお詫び申し上げます。まことに申し訳ありません。 m(_ _)m コンサートはアルジェ、トレムセンにアンナバでも予定されているようです。
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Kitchenetteやっと出ました!

 ジェラルド・トト君のニューアルバム Kitchenette 『小さな台所』がやっと出て、やっと入手しました。(^_^)/
 しかし、なんともややこしい作りですわ。 f(@_@;)
 二枚組CDなのですが、二枚目(le dessert『デザート』と題されています)にどういうものが入っているか、ジャケットにはどこにも書いてない! CDの表面にしか書いてない!

 P2004とありますから、やっぱり少なくとも一枚目の音自体は一昨年に完成していたのでしょう(2004年9月にパリで Richard Bona, Lokua Kanzaと三人でやったコンサートに行きましたが、そのときにレコード会社の人が「年内には出る」って言ってましたっけ。ほんとCDの発売というのは遅れるものですね・・・ そういえばシェブ=マミの新アルバムはどうなっちゃったんでしょうかね?)。それで一枚CDで出す予定が、後からでてきたアイディアや曲(とくにSa nou pe fe)を詰め込んだために2枚組のこんな形になったのかなと思います。

 一番のアイディアはジャケットかもしれません。内側の紙にいくつも丸い切れ目が入っていて、切り取ってみると裏にレシピの一部が書いてあるんですね。そして開いた穴からは、CD が入ってないときには野菜の絵が見えるようになっています。切り取ったレシピの紙はどこに入れておけばいいのかちょっと悩みますけど、楽しいです。
 ジェラルドの考えていることは分かる気がします。彼は、未来はどうなるかというのを先取りして考えてしまう、頭のいい奴なんですよ。音楽はネット配信が主流になる時代にモノとしてのCDを売ろうとするなら「物質性」が感じられる売り方をしなければならない・・・ と考えて彼は、アソビの感じられる、持ち主が自ら変形していくジャケットになるよう工夫したのでしょう。

 最新曲 Sa nou pe fe およびそのクリップが二枚目CDに入っています。このクリップは前にもお伝えした通りここにありますが、二枚目のCDに入っているものはパソコンのドライブで見られるようになっています。

 この曲はまさに注目のシテの状況を歌ったものですから、もっとよく知られてほしいものです。タイトルはクレオール語で「(状況に対して)なにができるだろう」という意味だとジェラルドから解説がありました。冒頭はだいたいこんな意味です。

 インティファダが
 自分の家の下までやってくる
 顔をのぞきこむ弾遊び(jeux de balles) 
 怒りが猛威を振るう
 おれたちに何ができるだろう、何が言えるだろう

 空虚な言葉
 現状維持
 動かないこと(immobile)の動機(mobile)
 それは中心街を洗う(白くする blanchir)こと
 おれたちに何ができるだろう、何が言えるだろう

 火  おれたちの愛はどこにある?
 君はここで生まれ、僕はあそこで生まれた
 君がそれを望んだわけじゃない
 僕がそれを望んだわけじゃない

 ・・・

 他の曲の解説は、エントリーをあらためて書きます。


06.04.20.一部字句訂正しました。「お花」じゃなくて「野菜」ですね、料理だから。
06.04.21. 歌詞の訳語で「ボールゲーム」を「弾遊び」に替えました。うん、この方がいいはず・・・
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「ヴァカンスは神聖」

 12日の『クローズアップ現代』はCPEをめぐる混乱の経緯を紹介していました。
 EUの「リスボン戦略」がフランスの労働市場の改革を迫り、ドヴィルパン首相が中小企業向けに実施した政策が拡大されてCPEに至ったのですが、首相の諮問委員会のエリック・コーエン氏が登場し「多くの国が雇用対策に取り組んできましたが、フランスだけがそれをできませんでした。問題はただひとつ、国民が受け入れるかどうかなのです」と言っていました。

 さてこの番組のポイントは「普通のフランス人の豊かさ」だったと思います。
 今回の問題で抗議活動に参加したリール大学二年生の家族が紹介されたのですが、

「休職中も(給料の)8割」「出産手当×4人」「20歳まで家族手当」「(3人以上子供のいる家庭を対象にした)20%以上の減税」「有給休暇は5週間で完全消化」
という話が並び、お母さんは
「休暇は最低5週間、わたしはこれ以外に3週間休むことが出来るんです」
と無邪気にのたもうわけです。 (^_^;)

 キャスターの国谷裕子氏が「フランスでは職があれば、ほんとうにすばらしい、豊かでゆとりのある生活ができる、思わずため息が出てしまいそうなんですけれども・・・」と感想を述べるのも無理はありません。

 このゆとりある生活のおかげでフランスの出生率は先進国では有数の高さになっていること、また今回のデモ、ストなどの活動についても、このように人々が直接的に意思表示ができるということの良さも指摘され、東京外大の渡邊啓貴教授の

「矛盾の中で次のステップへ進む、そういうことではないか」

という言葉が番組の締めになっていましたから、これはいちおうフランスを好意的に扱った番組と言ってよいかと思います。
 それでもやっぱり、朝から晩まであくせく働かざるを得ない日本の視聴者の心に残るのは

「労働者がこれだけ贅沢やってりゃ、国際競争力は落ちるのが当たり前だよな」

ってことになると思いますね。うらやみの心と、でもグローバル化の波が来ているわけだし、そろそろそういうのあきらめないといけないんじゃないの、という一種からかいの気持ちとがあると思います。政府に頼り過ぎなのでは、という印象も受けるでしょう。

 今の制度が次の世代にも受け継がれてほしいというのが登場したリールの家庭の人々の願いのようですが、一部に手厚すぎるといえる社会保障のあり方はこれから見直さないわけにはいけないように思います。
 でも、これもフランスに生活したことのある人なら当然お気づきと思いますが、この国はずいぶん税金が高い、つまり国庫を通過するお金の率が非常に高い国で、政府の政策の影響力が大変大きい。その分起業精神旺盛な人々には足かせがかけられたようで嫌でしょうね。これは基本的に自由主義で発展した英米に続くナンバーツーが自己防衛のスタイルとして長年つちかってきたもので、そう簡単に変わるものではないと思いますが。国民も、なんというか生活を政府との駆け引きの上に成り立たせているようなところがあって、このスタイルもなかなか変わらないでしょう。
 皆様はいかがお考えでしょうか。


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分かりやすい対立図式:もうひとつだけ

『地球特派員2006』からもうひとつだけ。
 しつこいかもしれませんが、日本人の世界認識の一番の弱点に関わることだと思ってますので、繰り返し述べます。

 「分かりやすい対立図式」のエントリーに出てきたシテのアフリカ系の若者の言葉を省略せずに書きますと

「シテで育つということは、人種差別と共に生きるということなんですよ。それはもう規定の事実で、受け入れてやっていかなければならないんです。わたしにも白人の友達はいます。でも彼らははじめからいい家に住んでいますが、有色人種のわたしたちは汚い団地に住んでいるんです」

となります。
 わたしはJeune Afrique l'Intelligentの報道(3)の最後のところの、元来中産階級だったFrancais de soucheが格差社会で没落してシテ周辺に流れ、アパルトヘイト社会が広がった、という分析があたっていると思うのですが、ぜんぜんフランスに行ったことのない日本の人が『地球特派員2006』の提示に接したら、いつも同じ言い方で恐縮ですが、白人ばかりとイメージされた「フランス人」が全員一枚岩となって、シテ出身の肌の色の違う移民系の人たちを十把ひとからげに露骨に差別する、それがフランス全土のどの場面に行ってもある、というイメージを思い浮かべると思うのです。

 そういう風になっていない、というのは少しフランスに暮らしたら誰でも分かることですし、生活してしばらく経ったら、日本でどんなことを想像していたかさえ忘れてしまう、そういうものだと思うのですが、でも実際に体験してみないと分からないことです。フランスの社会というのは日本とずいぶん違うので、良心的な解説を得ながらゆっくり理解しないといけないものだと思います。

 もっともこんな報道もされるようになってきてますね。やっぱりわたしにはフランスはかつてないほど悪い状態みたいに思えます・・・
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分かりやすい対立図式(補足)

 『地球特派員2006』で、たしかにいろいろな話が入っているにも関わらず基本的に「白人のフランス人」と「非白人の移民系」が強く敵対する図式がイメージされるのはなぜか考えてみたら、気がつきました。
 これは姜氏が直接言葉を交わす相手の問題でしょう。姜氏がインタビューするのは:

○シテの移民系住民で失業中の人たち(シテに住む元からのフランス人 Francais de souche でなく、また先の暴動で逮捕された人でもなく)
○ジャン・ルノワール高校の、パリ政治学院 Science Po 進学希望者たち(発言したのはアフリカ系の子でしたが(姜氏は「チュニジア出身」と言っていましたが、わたしにはそうは見えませんでした)、さすがにその教室にはアラブ系、アフリカ系、アジア系にFrancais de souche系らしき子もおりましたね)
○ご存知ジャン=マリ・ルペン
○CPE反対のデモ参加者3人(うち一人はたぶんアフリカ系)

の四者です。対立図式に唯一ノイズを入れたのはシアンス=ポ志望者ですが、これは「ごく限られた人」の意見ということで考慮から除外されてしまいましたから(森永、姜両氏とも、シテからシアンス=ポ入学者を募るというのは「ガス抜き」と言ってました)、CPEはまた別の話だとすると、残ったのは

シテの移民系失業者 vs ジャン=マリ・ルペン

なんですね。これじゃあ、そういう印象を受けるのは当たり前ですね。
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