クローデル

(前のエントリーに続きます)

 そういえば、世界諸民族の歴史を包括したPaul Claudel の大作『繻子の靴』Le Soulier de satin -- ほんとに恐れ入った壮大さですなあ、ようこんなもん書くわ -- でも日本人は絵師で代表してありますね(Daibutsuっつぁんていう変な名前ですが。(^_^;) )。

 藤田嗣治およびロベール・デスノスの奥さんだったYoukiの回想(↑ この本おもしろいですよ。原著もとりよせました)を見ると、作者のクローデルはやっぱりずいぶんと尊大な人物だったようですね・・・
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 日本では『よつばと!』は第8巻が出たところですが、フランスの本屋ではいま第7巻が平積みになってます。
 同じ巻を比べてみると、フランス版は紙が白くて、印刷が濃い感じですね。白黒のコントラストがきつい。場所によっては線がつぶれ気味になってしまいます。これは吹き出しや擬音を入れるために版を作り直しているからでしょうか。

 こうやって日本版の『よつばと!』見てると、怖いことに北斎の線の繊細さを連想します。紙の色の柔らかさも似通っているし。

 やっぱり日本人というのは本質的に「画家民族」なのかな。

[追記] どうでもいいことですが、わたしは『よつばと!』の裏主人公はあさぎだと思ってます。
 で、彼女はやんだ君が射止めることを期待します。
 それで彼女も救われるように思いますから・・・ (^_-)v

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捲土重来


 日本に帰ってきました。 (^_^)y

 写真添付したメールが送れないのでは面白くないし、やっぱり移動中はあんまりブログ書く時間がありませんでした。
 これからいろいろ思い出して書こうと思いますが、いまさら時系列に沿うのもなんなので、適当に書きます。それにさすがにえらく忙しいので、ゆっくり書きます・・・

 ということで、なぜか旅の一番最後にやったことから。

 普通フランスでのわたしの最後の仕事は、空港の書店で雑誌類を物色することです。自分の関心のあるジャンル、よく知っているジャンルばかりでなくざあっと眼を通してみます。

 見覚えのある顔が表紙になっている雑誌を見つけて買ってみました(L'Entreprise。↑ もちろんビジネスの雑誌ですね)。
 彼に関する記事は3分の1ページだったですが、でもまあ近況はわかりました。

 ジャン=マリ・メシエ。

 Vivendiグループ総帥として飛ぶ鳥を落とす勢いのころの彼は「J6M」と言ってましたね。
Jean-Marie Messier, Moi-Meme, Maitre du Monde(「ジャン=マリ・メシエ、俺だ、世界の主だ」ってことです。

 2002年のVictoires de la Musique賞の表彰式というおめでたい席でロック・グループ Noir DesirのBertrand Cantatが来賓として客席にいたメシエを名指しで批判、その利益至上主義を糾弾したものです(そのカンタもいまや牢獄の中ですね。人の運命はわからないです・・・)。

 失墜もずいぶんドラマチックで、世界トップからあっというまの業績低迷、解任までたしか1年半くらいの急激なものでした。

 いまはただの「J2M」ですが、仲介業のMessier Partners社を率いてFaubourg Saint-Honoreにオフィスを構え、近いうちにロンドンでも業務を開始するそうです。そこでSteve Jobs, Donald Trump, Chantal Thomassと肩をならべてRebondir(日本語なら「捲土重来」というところなんでしょうね)を試みる企業人、という形で紹介されているのです。

 わたしがなぜ彼に注目したかというと、フランス人のくせに(?)、見た感じも丸っこくていかにもフランス人という感じの人物のくせに(^_^;)、「文化的例外」を核とする国としてのフランスの方向性に真っ向から異議を唱えた人物だからです。
 だからこそフランス人たちの支持を一気に失って失脚してしまったのですが、彼もまたフランス人のある種の典型なのです。フランスというと文化人しか見ないのもやっぱり偏ったことなのだと思います。

 さて日本では麻生さんが首相になりましたか。小池さんは意外に不人気だったんですね(これを見て小泉さんも引退宣言ですか)。
 彼女はこの国のトップの座を再び争うことがあるでしょうか。
 そのためにはずいぶんスタンスを変えたり、いろいろしないといけないでしょうね。

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けけけっ、ハレドが

 プランクトンの社長さんがご自身のブログ9月20日のエントリーでハレドのことを書いておられます。
 なんとハレドはKutcheをプロデュースしたマルタン・メソニエ Martin Messonnierと再び組んで録音中なのだそうです。社長さんはそのスタジオを訪問されたんですね。

 バンドのライブスタイルということですから手軽な録り方なんでしょうけど、「今回の作品はトラディショナル」「神業こぶし」という表現には思わずどーんと期待してしまいますね。そう、妙にこちょこちょいじりまわしたり混ぜたりするより、正攻法のライがハレドに、特に今のハレドに必要なんだと思いますから、これは朗報です。 (^_^)y
Yさん、情報ありがとうございます。
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げげげっ、フォーデルが

 さてオルレアンに行く前にナビルに会いました。21時の待ち合わせというのは、やっぱりラマダン中だからですね。こっちの時間と合わせにくいですけど、こういうところはイスラム教の人に配慮しなければ。

 ナビルはリミッティのデルブッカ奏者で、いろいろ業界の現状を教わりました。

 いちばんげげげっと思ったのは、ミシェル・レヴィがフォーデルのプロデューサーに納まったという話でした。
 よく考えてみればこれほど自然な結びつきもないのです。サルコジ支持で多くのファンを失ったフォーデルはキャッチーなライらしいヒットが欲しいところですし、マミとの裁判泥仕合でダメージをうけたレヴィとしてはマミに代わる新しいタマがほしかったはずです。

 しかし、なんだか今となっては割れ鍋に綴じ蓋、という感じもしなくもないですね・・・ (^_^;)
 
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synchronicity

 話が前後しますが。

 サラン一家がパリ郊外に戻っているので、泊めてもらってます。

 彼女のところに転がり込んだ日にお友達のイザベル一家がちょっとだけやってきてお喋りして帰っていきました。

 イザベルは法曹関係詳しい人のようなので、エジプトの話を出してみました。

 エジプトは、非常に古くから西洋の法体系が、存在というか混在する国なんだそうです。だから法律の関係する場でも西洋語が長く併用されたというのです。
 フランス語ももちろん使われましたが、フランス語の前はイタリア語が使われていたとか。
 彼女の話にle tribunal mixteという言葉も出ました。そうそう、そういえばちょっとエジプトにおけるフランス語のこと調べたときにこの言葉が出てきて、どういうものかさっぱり分からなかったことも思い出しました。

 そして、ウーム・カルスームのパスポート見ていぶかしく思った次の日に、相当の専門家でないと知っていそうもない知識の持ち主がわたしの前に現れたことに、奇異な印象をもちました。

 こういうの、ユングだったら共時性(シンクロニシティ)とからめて話するかもしれないですね・・・
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puer aeternus

(前のエントリーの続きです)

・・・あのアルバムではLaughingがとくに印象に残ってます。
 歌詞がここにありますね。

 最後に陽光の中で笑ってる子供って、ユングに言わせたらまさに始原児puer aeternusの原型Archetypeなんでしょうね。
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オルレアン


 大学間協定のお話をするということでオルレアンまで出かけました。公式的にはこれがこの旅で一番大事な仕事です。
 来年はたぶん、この町に一ヶ月近くいることになるでしょう。

 ところでオルレアンで有名なのは、包囲されていたこの町の解放に神懸り的に成功したJeanne d'Arcということになりますか。

 小池百合子さんが自民党のこれだと言ってる人もいるそうです。 (^_^;) 日本では総裁選はどうなってますかね?

 さすがに町のまんなかにジャンヌ・ダルクの銅像があります(↑)。


 わたしとしてはオルレアンというと、あの古い、古い歌を思い出します。

 Orleans, Beaugency, Notre-Dame de Clery, Vendome, Vendome...

 鉄道の駅で案内を見ていたら、ちゃんとボージャンシーに停車する電車があるんですね。当たり前ですけど・・・

 最初に聞いたのはデヴィッド・クロスビーのファースト・アルバムだったですね。ずいぶん昔の話ですが、あれはいいアルバムだったな・・・
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バルベス終わっちゃうかな・・・


 ショッキングなタイトルをつけましたが冗談ではありません。
 インターネットで音楽をダウンロードする人が増えて、パリのアラブ街バルベスでCDを買う人が激減しているのです。

 CDショップ(もうほぼカセットは淘汰されたと言っていいでしょう)の店員さんはお客のいない店内を示して「いまラマダンなのに、このありさまさ」と嘆いています。
 老舗でも店を閉めてしまうところが出ています。
 
 このままひとつの文化が失われ、パリがひとつ魅力を減じてしまうのでしょうか・・・ (;_;)
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ウームカルスーム


(展覧会場は↑のアラブ世界研究所の向かいの建物なのですが、その写真が携帯から送信できません。ある程度以上の重さのある添付ファイルは送れたり送れなかったりしてイライラします。チュイルリー公園みたいに空が開けているところでは成功しやすいみたいですが・・・ 以後しばらく写真なしのエントリーが多くなると思いますがご了承ください)

 さてエジプトの至宝、アラブの星、ウーム・カルスームの展覧会、こんなこと言ってはなんですが、カイロにある彼女の記念館よりはだいぶんましなものでした。(^_^;) 
 
 内容は彼女の衣装だけではなく、映像、文字資料に彼女を描いた絵画(ほとんどが2007年か2008年の製作です。この展覧会のために描かれたのでしょうか)などです。

 解説パネルによるとウーム・カルスームの生年について「1898-1908 l'incertitude demeure(不確かなところが残る)」と書いてあります。
 1898年生説があるんですか。
 これだけ現代に近くて、これだけ有名な人物にして生年に10年の誤差があるというのはすごいです。アラブ女性にめったなことで年など聞くものではない、というのがよくわかりますね。(^_^;) 

 それはとにかく、彼女の歌のすばらしさは、少し慣れれば誰でも感じられるものという気がします。
 それでも彼女がアラブ世界の外で歌ったのは60年代後半のパリ公演2夜のときだけだったとのこと。
 当時の新聞には、そのコンサートは21時25分から始まって、彼女は1時間歌って1時間休憩、という感じで3曲歌い、終わったのは2時過ぎだったと書いてあります。さすが。
 いくらよくても、これだけ長いとさすがにわたしはちょっとしんどいですね・・・

 ところで、興味を引かれたのは展示されていた彼女のパスポートです。

 アラブ語とフランス語で書かれていて、英語がないです。

 このへんがエジプトという国の面白いところですね。イギリス支配に対する反感がフランス語へのシンパシーを動機づけているところがあったかな、と思います。

 もっともこのパスポート発行当時エジプトはシリアと「アラブ連合共和国」を作っていたので、かつてフランスの保護領であったシリアと合わせていた、ということかもしれません。どうでしょう?

 不思議なのは、貼ってある写真はたしかにウーム・カルスームですが、パスポートの所持者のところに名前の記入がないことです。
 生年はしっかり1908年と書いてあります。

 やっぱりなんとなく謎っぽいですね。

 映像で見る彼女は、ずいぶん茶目っ気のある人物のようなんですけどね。

 
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