日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
rai info/ライ・ニュース 132
EL DAMEER EL 3ARABI
アラブ世界の歌手100人がアラブの団結を訴えるために結集して作った40分のクリップ El Dameer el 3arabi(3はアインの字の代わりですね。アラブ語の転写の際、ローマ字であらわすのが苦しい字を数字で表す便法ができてます)『アラブの良心』が話題になっています。
長いものなのでYoutubeでも5つのパートに分けてありますが、Part2トップにハレドがナンシー・アジュラムとデュオで登場してます。
こんな気合のはいったハレド、久しぶりに見ました。 (*o*;)
迫力で他の歌手を圧倒してます。さすがです。
アルジェリア人は惰性で彼を「ライの王様」と呼び続けているわけではないのですね。ここというところで彼が他を寄せ付けない実力を発揮するから、人格的にずいぶん問題があっても (^_^;) 「王様」は彼だということになっているのです。
このクリップに関してはエジポップレヴューさんが詳しく書かれてますので(3月12、13日のエントリー)、そちらをご覧いただければ幸いです。
しかしパレスチナ、イラクの映像をふんだんに使ったこのクリップは、当然のことながらアラブ・ナショナリスムの塊ですね・・・
アラブ世界の歌手100人がアラブの団結を訴えるために結集して作った40分のクリップ El Dameer el 3arabi(3はアインの字の代わりですね。アラブ語の転写の際、ローマ字であらわすのが苦しい字を数字で表す便法ができてます)『アラブの良心』が話題になっています。
長いものなのでYoutubeでも5つのパートに分けてありますが、Part2トップにハレドがナンシー・アジュラムとデュオで登場してます。
こんな気合のはいったハレド、久しぶりに見ました。 (*o*;)
迫力で他の歌手を圧倒してます。さすがです。
アルジェリア人は惰性で彼を「ライの王様」と呼び続けているわけではないのですね。ここというところで彼が他を寄せ付けない実力を発揮するから、人格的にずいぶん問題があっても (^_^;) 「王様」は彼だということになっているのです。
このクリップに関してはエジポップレヴューさんが詳しく書かれてますので(3月12、13日のエントリー)、そちらをご覧いただければ幸いです。
しかしパレスチナ、イラクの映像をふんだんに使ったこのクリップは、当然のことながらアラブ・ナショナリスムの塊ですね・・・
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rai info/ライ・ニュース 131
ROCK LA CASBAH DE RACHID TAHA (1)
ラシード・タハの自伝、いつまでたっても届かないので別のところに発注して、これは一週間で届きました。やれやれ。
ぱっとみたところフォーデルのより「ばっつい」です。こっちは50才前の男だから30才前の男の自伝より厚いのは当然ですか。プロのライター(Dominique Lacout)の手は借りてますが、これはじっくり読まないと。
最後のところに自分のディスコグラフィーに加えて「俺の気に入った本」「俺の気に入った映画」「俺の気にいったレコード、CD」というリストが載ってます。うわ、これ面白そう。 (^_^)
まず本から。
タハはかなり読書家ですね。アラブ教養は別とすると、西欧側教養は全くフランス的な人です。
というわけでフランス文学関係からいくとアラゴン、アルト―、カミュ、ジュネといった人たちの作品がたくさんあげてあります。彼のポジションからして当然の顔ぶれでしょうか。サシャ・ギトリーの名も見えます。タハの語り口に影響を与えているかもしれません。 (^_^)
スタンダールはあがってませんが、許します。(^_^) そもそも19世紀以前のフランス人はあんまりあがってない(ランボーとかネルヴァルの『東方旅行』はありますが)。現世界、現勢に最大の関心がある人の場合、こうなるのは当然なのだと思います。ちょっと日本のフランス文学研究は目が古いところに行きすぎなんでしょう。
フランス哲学ではドゥルーズ(+ガタリ)、デリダあたりが並んでいるのも、これまた順当ですか。サルトルの『シチュアシオン V』は植民地主義を扱ったものです。
マグレブのフランス語作家はあんまりいないですね。ヤスミナ・ハドラくらいです。
続き
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アフリカ回帰
セネガルのスーパースター、ユッスー・ンドゥルがアメリカのミュージシャンと、かつての奴隷貿易の中継地として有名なゴレ島で行ったコンサートに至るまでを描いた音楽ドキュメンタリー映画Retour a Goree / Return to Goree試写会、見てきました(於シネカノン試写室↑)。
この映画、少し前から名前は聞いてましたが、見るのは今回が初めて。日本語字幕も入って一般公開を待つばかりという状態ですね。
こういう「アフリカ回帰」の話というのは、アメリカ黒人のアフリカへの思い入れが先走ってしまいがちなんだと思いますが、このプロジェクトは主導しているのがセネガルのユッスーですから、一味ちがいました。かなり充実した内容で、一見に値しますよ。(^_^)
しかしユッスーはジャズもブルーズも、うまく合わせますね。(^_^;)v
こういうアメリカ黒人の音楽は、ルーツがアフリカにあるはずであるにもかかわらず、系統をはっきりたどることに誰も成功していないのです。
とくにブルーズは「暗くて」、アフリカ人の趣味に合わないのでは、というようなことを鈴木裕之さんが言っておられたように思います。つながりがあったとしても、希薄なものなのかもしれません・・・
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アラブ・デー 2
(前のエントリーに続く)
アラブ・デー会場で某商社の方とアルジェリアの高速道路建設についてお話をしました。
ご存知のとおり東工区を日本が、中央=西工区を中国が担当している大工事です(ついでに言うと、中国がフランス語、アラブ語達者な人間を作って送り込んでいるのに、日本は言語の面で相手に合わせる力において遅れをとっているところが歯がゆいです)。
その方のお話では、「完成して、アルジェリア東から西まで実際に走ってみれば、日本の技術力ははっきり見えるはずです」とのことでした。
そうあってもらいたいものです。
そもそも、難工事が予想される東工区をアルジェリアは、日本ならなんとかしてくれる、と信じて発注したのだ、ということを言う方もおられます。
完成して、メンテナンスがしっかりなされる限り、この高速道路はアルジェリア人の記憶の中に「日本」を、中国との対比のもとに長く残すことでしょう。たとえ日本が今後没落の一途をたどったとしても。(^_^;)
・・・なんだか、カイロの考古学博物館(ツタンカーメンのマスクとかあるところ)の展示品についている解説がいまだに、古くて茶っぽくなった紙に書かれた英語とフランス語だけ、というのが妙にフランス語がエジプトでいまだに存在感を残している印象を与えていることを連想しました。
あんまり関係ないかもしれませんが・・・
アラブ・デー会場で某商社の方とアルジェリアの高速道路建設についてお話をしました。
ご存知のとおり東工区を日本が、中央=西工区を中国が担当している大工事です(ついでに言うと、中国がフランス語、アラブ語達者な人間を作って送り込んでいるのに、日本は言語の面で相手に合わせる力において遅れをとっているところが歯がゆいです)。
その方のお話では、「完成して、アルジェリア東から西まで実際に走ってみれば、日本の技術力ははっきり見えるはずです」とのことでした。
そうあってもらいたいものです。
そもそも、難工事が予想される東工区をアルジェリアは、日本ならなんとかしてくれる、と信じて発注したのだ、ということを言う方もおられます。
完成して、メンテナンスがしっかりなされる限り、この高速道路はアルジェリア人の記憶の中に「日本」を、中国との対比のもとに長く残すことでしょう。たとえ日本が今後没落の一途をたどったとしても。(^_^;)
・・・なんだか、カイロの考古学博物館(ツタンカーメンのマスクとかあるところ)の展示品についている解説がいまだに、古くて茶っぽくなった紙に書かれた英語とフランス語だけ、というのが妙にフランス語がエジプトでいまだに存在感を残している印象を与えていることを連想しました。
あんまり関係ないかもしれませんが・・・
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アラブ・デー
「アラブ・デー」招待というのが来たので、これなんだろう?と思って行ってみました。
アラブ諸国の外交官が、「アフリカ・デー」があるのだからアラブ・デーもあったっていいじゃないか、ということで企画したパーティーというお話を聞きました。今回が第一回です。会場は都内某高級ホテル。
こういうところには有力政治家が出てくるもので、まず最初に河野洋平氏の話がありました(↑)。
上の写真じゃ遠くて河野氏が見えないのですが、顔はあの顔でした。(^_^;) 誰でもテレビで見たことがあるはずで、わざわざ近くに寄って撮る必要もないか、と考えました。
あとアラビックな場所がホームグラウンドと思われる小池百合子氏がおられました。彼女の顔も、あのお顔でした(当たり前。(^_^;) )。『アラブミュージック』のチラシお渡しすることに成功しました・・・だからってどうってことないですけど。(^_^;)
見てたんですが、日本の政治家というのは名刺をもらって、名刺を渡して、写真を撮ってもらって、ちょっとおしゃべりして、というのを延々と繰り返して、いつの間にか会場から消えている、という存在なのですね(河野氏はスピーチしただけで、あとは影も形もありませんでした)。
そのあとクラブ・バシュラフの演奏が入ったんですが、あんまり聞いている人が多くなくて残念。みなさん料理を食べるのと外交活動に余念がなかったんです。場所柄これは仕方なかったかな・・・
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台湾の新総統
台湾の新総統に馬英九氏が当選しましたが、この人は以前台北の学会で見事なフランス語スピーチをしてくれた人ですね。立派な発音で数分も話してましたから、意味もわからず丸暗記というのでは絶対ないです。
相変わらず彼の政策に関してはわたしは全くコメントできませんが、なんでフランス語を勉強したかという動機、どうやって習ったかという方法は知りたいところです。あれだけ喋れるためには少なくとも数年は勉強したはずです。
相変わらず彼の政策に関してはわたしは全くコメントできませんが、なんでフランス語を勉強したかという動機、どうやって習ったかという方法は知りたいところです。あれだけ喋れるためには少なくとも数年は勉強したはずです。
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リリ・ボニッシュ追悼
アルジェリアの元気爺ちゃん、Lili Bonicheが3月6日にパリで亡くなりました。メディアに公表されたのは19日です。享年86歳でした。冥福をお祈りします。
彼のことはあまり日本で知られているとは言えませんから、ちょっとまとめておきます。
○1921年、アルジェのカスバの生まれ。スペインとカビルの混血、となっています。報道には書いてなかったりしますが、言うまでもなくユダヤ系ですね。40年代のアルジェリアのユダヤ=アラブ音楽の代表者のひとりです。でも本人はユダヤ=アラブと言われるのを嫌い、「わたしはただの『アラブ音楽』をやっているだけだ」と言ってたんだそうです。
○若いころはオランでハウズィhawzi(アラボ=アンダルースの流れをくむ伝統音楽)のサウード・ロラネSaoud L'Oranaisに薫陶を受けたものの、この伝統を伝える仕事ができず、残念に思っていたとのこと(ちなみにサウードはレネット・ロラネーズReinette L'Oranaiseのお師匠さんです。このあたりの人はみなユダヤ系です。フランス本土にも教室を持っていたサウードは第二次大戦時にマルセイユで捕まってしまい、収容所で生涯を終えました。盲目の天才レネットももう10年前に亡くなっていますから、ハウズィの伝統はすでに絶えてしまったのでしょうか)。
○ただ彼は伝統的アラボ=アンダルースにジャズ、アフロ=ラテン、エジプト歌謡、ユダヤ歌謡などの要素を投入、徹底的にモダン化した音楽を作ったわけで、アルジェリア音楽史の中できわめて功績のある人物です。
○代表的ヒットにAlger Alger, Ana el Owerkaなどがあります。
○1962年、アルジェリア独立の際にフランスに移住しています。ご存知の通りこのときは反ユダヤ感情がアルジェリアに吹き荒れ、シェイフ=レイモンCheikh Raymond(エンリコ・マシアスEnrico Macias の義父)が殺され、ユダヤ系の人たちが雪崩のようにフランス本土に移住していったのでした。
○長くステージから離れていたのが1998年ころカムバック。やっぱりこの98年ころというのがこういう音楽がフランスで一番受け入れられていた時期なのですね。
さて話はかわりますが、だいぶん前からわたくしの「ライ大好き!」のサイトの模様替えを予告してますが、結局このリリ・ボニッシュなどのアルジェリアのアーチストのニュースが「ライ」じゃないために全部没になってるのがもったいないので、どういう出来事があったかだけでも読者につたわる形にできないか、と考えているところだ、ということなのです。
うまくいきましたらおなぐさみ。 (^_^)y
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アフリカの顔
写真家の高桑常寿さんがJICA広尾の地球ひろば(↑)で展示をされていたんですが、16日までなのでもう終わってますね。すみません。 m(_ _)m
わたしは行ってきました。アフリカのアーチストたちの顔。
いくつかの顔は再会でしたが、アマジーグ・カテブの大写真は、今回はじめてみました。 (^_^)v
さてところで高桑さんのお話によると、次の(かな?)展示会はたいへん壮麗なものになるようです。横浜で開かれるTICAD IV(第四回アフリカ開発会議)に参加する形になるのですから(と思います。聞き違いでしたらすみません。m(_ _)m )。
このTICADというのは、日本がアフリカへのコミットメントを示す重要なものです。アフリカ側は相当期待していて、間違いなくJeune Afriqueにしっかりした記事が載ったりすると思います。
なのに日本の一般の人にいまいち知られてないのが残念です。日本の国民がもっとアフリカに関心が持てる環境が整ってほしいものです。
少なくとも、高桑さんの迫力満点のアフリカ・アーチスト写真を見るには絶好の機会です。詳細が分かりましたらまたお知らせいたします。 (^_^)y
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精神的高さ
とはいえたしかにフォーデルたちは、ジュリアン・ソレルそのものではありません。
前にも書きましたが、フランス社会で成功した移民系の人の多くは、ジュリアンみたいに反抗心を露にしたりしません。実に言動が慎重です。だからこそ成功できたのだ、ということも言えるでしょうけど・・・
フォーデルも、最初サルコジと交友を始めたころは、やっぱりフランスの本物のセレブの中に知己を得て、いざというときの保障にする計算もあったと思うんです。それが裏目にでちゃったんでしょうね。
[追記]読み返してみると、ジュリアンも別に反抗心を常にあらわにしているわけではないので、少し話がずれてる感じかもしれないなと思いました。08.03.20.
フォーデルの「自伝」(タハのもそうですが)は共著形態だというのも、ひっかかります(『赤と黒』はジュリアンの自伝というわけではありませんが)。
うまく書かれていると思う箇所に出会うたびに「共著のプロのライターさんはいい仕事したな」という思いが浮かぶことになってます。
フォーデルたちは厳密な意味での「作者」とは言いにくいところがある。
だからどうだ、ってこともないんですが・・・
かつては文学の書き手は当然筆力を備えていて(知力と教育があった)、今はそれは怪しい、ということになるのか・・・
また話は落ちますが、基本的に本業の音楽の商売に差しさわりのある都合の悪いところは書くはずもないだろうな、という思いもあります。その意味で、あまり正直ではないです。
10年前に出たハレドの自伝Derriere le sourire...↑(これも専門のライターとの共著でした。まあ誰もハレドが一人でフランス語の本書けるとは思わないですけど)も、ラシード・ババ=アハメドとの関係はどうもごまかして書いているふしがあるし、88年の暴動のときの彼の本当の立場はどういうものだったかとかは当然かもしれませんが全然書いてませんね(ちなみにハレドはアルジェリアのマスコミに「質問をはぐらかす術はプロフェッショナル」とあきれられてます)。
書き手としての倫理、誇りとか、プライドとかいうものも問題になってくるわけですね。
[追記] ここはつながりがおかしいですか。書き手の誇りと、真実を隠さず書くということは一応別のことでしょう・・・ 08.03.20.
『赤と黒』を最初に読んだころ、一番奇異に感じたところのひとつは「名誉」honneurというものをジュリアンが馬鹿にしようとすることでした。この言葉をわざわざガスコーニュ方言「オニュール」で発音して一人でふざけてみたりして(第二部第十五章。野崎訳では「めんもくの問題ですとさ」となっている「めんもく」の原語がオニュール "honur" です。ここは注がありませんが、たしかD'Aubigneの書いた『Foeneste男爵』の主人公の田舎貴族の口調を真似ていた個所でした)。
(「鬱」と同じで?)「名誉」心などというものは上流階級に属するもので、俺には関係ない、みたいな感じなのですね。
だけども、読者の印象としてジュリアン・ソレルほど「名誉心」を持った男もいないようにみえますね。平民のくせに、そんじょそこらの貴族たちよりはるかに気位が高い。
こういうのはほんとはdignite「尊厳」とか respect「敬意」とかいった言葉で扱われるべきものなのでしょうか。
ちなみにこの二つの語は現代のフランスの移民系若者の発する言葉にも頻出してます。日本語でいうと「名誉」という言葉とあんまり意味が遠くない感じがしますが、フランス語の使用の中でははっきり違いがあります。
アルジェリアの若者にカリスマ的人気を誇るシェブ=ビラルの最大のヒットのひとつ Ouled Horma は「おれたちは売春婦の子じゃない。おれたちに敬意を払え」という内容だったのを思い出します。
「おれたち」というのは、仕事もなく将来のチャンスもなく、ただ生きているだけのアルジェリアの若者のことですね。ビラル自身がそういう境遇からフランスに渡って長い不法滞在の後にやっとはいあがったんです。
音楽としてはめちゃチャチな歌だけれど、これだけの「重さ」を持った歌は日本ではとても作れないですね・・・
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移動
(前のエントリーの続き)
人間としての力、バイタリティがこういう人たちに集中するというのは、世界の大きな動きの中で、ほとんど不可避のことなのかもしれません。
ところで先月の『文芸春秋』(3月号。↑ 芥川賞受賞作『乳と卵』の載ってるやつ。この著者はいい言語感覚してますね)に池澤夏樹さんが「『世界文学全集』の出帆(ママ)」という記事で例の世界文学全集のコンセプトと、収録作品を選んでみた印象を書いてました:
「乱暴かもしれないが、十九世紀以前はすべて切り捨て、二十世紀後半を主にしてしまおう。今の時点に立って、近い過去を振り返る姿勢で選ぶ」
「欧米の先進国の小説が減って、途上国ないし旧植民地からの作品が増えた。また女性作家が多くなった。ポスト・コロニアリズムとフェミニズムがそれだけ力を得たのだ。
しかも、これも後になって気づいたのだが、登場人物の多くが移動する人である。今の時代、人は国境や、言語の違いや文化の差を越えて、移動する。その困難と苦労の中から新しい世界が作られる」
かつてサルトルは「飢えた子どもの前で文学は何ができるか」Que peut la litterature face a un enfant qui meurt de faim?と無力感を表明したそうですが(この発言のされた文脈を確かめてませんから、ほんとに「文学」の無力感の表明なのか不安です。こういう妙に有名な言葉というのはほんとは趣旨がずいぶん違ってたりするものなので。それにサルトルは同じような意味のことを表現を変えて複数回言っているようです)、この問いは意味合いが変わったのかもしれません。
飢えた子供が生き残って大人になったなら、チャンスを求めて先進国への移動をめざし、何人かはそれに成功するのです。
そうすると彼らの子供たちが親たちの、そして自分たちの物語を書きはじめるのではないでしょうか?
どうも文学は、少なくとも現代の文学はそういうものであるように思います。
(それにしてもラシード・タハの自伝、注文してるんですがなかなか届かないんです。早く読みたいのに、何してんだ。 (`へ´) )
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