プラテーロ


 ・・・わたしはヒメーネスの『プラテーロ』に弱いのです。

 カステルヌオヴォ=テデスコのギター曲の『プラテーロ』も絶品だと思います(この『プラテーロとわたし』Platero y yoという作品はどうも音楽家を刺激するようで、他にもエドゥアルド・サインス=デ=ラ=マサとか、ええとお名前を失念しましたが日本のギターの人とかが曲をつけてます)。
 ロバのプラテーロがのそーっと野原の向こうから現れるような第一曲 Platero、燕が乱舞する Las Golondrinas ―なんて美しい響きの言葉だろう―とか、心に残る曲がいくつもありますね。
 手元にはセゴビアの独奏が5曲ありますがこれはLPレコードなので、今のわたしの環境では音を出して聞くのが面倒。CDは福田進一さん(村治香織さんのお師匠さんで、前にも述べた通り関西大学出身の三大偉人のひとり)のギター、江守徹の朗読というのを持ってます↑。これもいいなあ。
 ネット検索したらいまは福田さんのソロ演奏版が出てるんですね。知りませんでした。

 でも『プラテーロ』に関しては、ヒメーネスの言葉の力がすごい。

 ・・・授業でこれを語っていると、声がおかしくなっていたと思います。
 学生さんたちは変に思っただろうな・・・

 いちばん力のあるところは授業では扱いません。扱うべきではない。
 文学は、教壇の上から受け取るものではないです。
 文学の受け取り方は、かなり難しいです。
 でも・・・適切な作品を、適切な時に、適切な形でツボにはまるように受ければ、これほど強力なものはないはずです。音楽とはまた違った形で・・・

 ・・・文学が表向き力をなくしているとしたら、それは「教育」の場で文学と文学研究が過去の「澱」のようなものをたくさん身にくっつけてしまったせいではないだろうか。
 われわれは文学をどうしてしまったのだろう。

 ヒメーネスは『プラテーロ』以外にもたくさん詩を書いたひとですが、残念ながらそういう業績は日本ではたぶんほとんどの人が知らない。わたしも知らない。
 それでもとにかく『プラテーロ』があるからヒメーネスは、ルベン・ダリーオより多くの人に知られているでしょう。

[追記] 上記のCDは、濱田滋郎さんの訳がいいですね。江守さんの朗読もすばらしい。でも廃盤ですか。はあ・・・ 2012.4.29.
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アンダルシア


 ふう。ほんと懸命に仕事しました。気がついたらブログもほとんど書いてませんでした。
 国際学専攻の大学院も今年からスタートだし、グローバル人材育成推進事業というのもあるし・・・

 でも学校関係でなによりもつよい印象を受けたことは、まだ正確な数はわかりませんが、どうも今年の一年生のフランス語履修生では、国際学類の学生さんの数が人文学類の学生さんの数を上回ったらしいということです。
 つまりこれは、文学や思想、歴史研究のためにフランス語を学ぶ人より、国際的場での有用性を念頭に置いて学ぶ人の方が多くなった、ということのように思います。
 上の方のクラスでは、科目の組み方のせいでもありますが、わたしのクラスは圧倒的に国際の学生さんが多いです。

 その意義についてはまたゆっくり、詳細に考えたいと思います。率直に言って、これがフランス語教育の現実だと思います。

 でも、今日はむしろ、文学の方に頭を向けてみたいです。

 ・・・というのは、去年からスペイン語文学とフランス語文学の影響関係、という変な授業をやっていて(去年は受講生ひとりでしたが、今年は6人になってる!)、昨日Juan Ramon Jimenezが出てきたからです。

 昨日、今日はいい天気でした。金沢では稀にみる、と言いたくなるような。
 花粉の季節もそろそろ終わり、空気は暖かく、空は青い。
 わたしはこれだけで十分満足なんですけど、ヒメーネスのことが思われて、この青空がまるで遠いアンダルシアの空のように思えてならないのです・・・


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健在さくら


 先週の週末に咲き誇っていた金沢の桜も、今週末はどんどん散っていきます。

 金沢大学角間キャンパスは山の方にあるので、平均気温もいつも少し低いのですが、そのせいかまだ花が多く残っているようです。

 向かう道の途中、白っぽい花のと赤っぽい花がまじって咲いているところがあります。
 うーんいいなあ。
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世代をこえる歌が


 金沢大学国際学類の新歓合宿に行ってきました。
 
 みんな将来への夢に胸を膨らませてていいですね。
 もちろん現実は常に厳しいのですが、ときにはこんなふうに無限の未来を感じられる時期が、人生にあることはいいことだと思います。

 さて、まだまだ寒い北陸地方ですが、夜にキャンプファイアーという趣向がありました。
 周りで学生さんたちはキャーキャー言っていろいろ歌うんですが、さて、先生の世代の知っている歌がぜんぜん出て来ません。
 わたしの知ってたのと言えば、くまさんにであった、サッサッサーって、あれぐらいでした。やれやれ。

 いま日本には、世代を越える歌って、ないですねえ。

 ・・・でも、昔はあったのかな? 

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Ben Bella 死去


 昨日、4月11日にアハメド・ベンベラがアルジェで亡くなりました。95歳ということですから、天寿をまっとうしたと言えるでしょう。

 アルジェリアの初代大統領・・・と思うのですが、Wikipediaでも日本語版とかではフェルハト・アッバースを初代においてたりします。
 でも、現在のアルジェリア人の実感からするとアルジェリア最初の大統領はアッバースでもベンベラでもなく、ベンベラを倒して政権を掌握したフワリ・ブーメディエンヌ、なんだと思います。
 ベンベラは失脚し、監禁され、自由になってからも長く外国に住み、アルジェリア政界の中心に戻ることはありませんでした。
 彼の評価は人によっていろいろありますが、アルジェリア共和国に敬意を示すためにも、追悼の意を表したいと思います。
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現代日本最強

 
(前のエントリーから続きます)

 わたし的には、加藤りまさんの対極にあるのは何かというと、就活、のような気がします。
 今の日本で、少なくとも日本の大学でいちばん強いものは何かというと、それは就活だと思いますので。
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ベッドルーム・ポップの定義ってなんですか?


 このあいだ、4月8日日曜日に金沢21世紀美術館でやってたイベント。
 PASCAL PINON / SYLVAIN CHAUVEAU JAPAN TOUR 2012 KANAZAWA とチラシには書いてありますが、他に日本のアーチストも、前座という感じじゃなくて出てましたんで、なんだか良く分かりません。

 全体的になんだか良く分からないものでしたが、うん、面白かったです。お客さんはほとんど若い人ばっかりだったです。

 最初に四本アニメ上映がありまして(キノ・イグル―ってところがやっているものです)。

 音楽の方では、加藤りま、っていう人がまず面白かった。アコースティックギターの弾き語りで、自作の英語歌詞の歌を歌うんですが、コードは適当に並べただけのようなもので。意識的ににこりともせず、お客には曲の最後にぺこと一礼するだけ、ということですが、なんだか良く分からないですがわたしはこれはお客の共感を求めない姿勢そのものがある種のお客の共感をパラドクシカルに呼ぶのだと思います・・・ 
(こういうタイプの音楽に詳しくて、いや、そういうんじゃない、とお教えいただける方がおられましたら、ぜひご教示ください)

 ASUNAって人のパーフォマンス。お客に飴をくれました(↑穴のあいた、丸いやつです)。

 その次が外人組で、Charlotteなんとかさんとシルヴァン・ショーヴォ―さんのパーフォマンス。生ギターを横に置いて、それを中心にしていろんな音を出している途中で、非常になにげなく、シルヴァンさんの歌が始まります。後でシルヴァンさん(ベルギーで活躍してるけどフランス人だそうで)本人に確認したら、やっぱりこの肉声による歌の部分が、全体の中でいちばん重要な部分だ、と言ってくれました。わたしもそうだと思った。たぶんこれ、あらゆる媚とかコマーシャリズムを抜く意味があると思います。いい歌だった。

 最後にPascal Pinonってフランス人みたいな名前のアイスランドのユニット。チラシには双子の姉妹の写真が載ってますが、実際に演奏したのは三人になってて、なんだか良く分からないということで。

 他の人たちもみな同じでしたが、なんてことはない服を着て、なんてことはない曲をちゃちな機械とともに演奏するわけですが(こういうの、ローファイっていうんですかね)、こういうなんてこともないアイスランドのねえちゃんたちが日本公演ができてしまうというのがなんとも現代。曲作りや演奏テクニックの面から言えば、このレベルの人は世界に膨大な数いるでしょう。その中で彼女たちが一種「スター」的に海外公演ができてしまうのはなぜかというと・・・まあなんだか良く分からない、一種のはずみなんでしょう。そのストーリー性もまた彼女たちの魅力(?)の一部なんでしょう。
 
 うん、全体的にみてこういうのいいと思いますよ。
 でもパスカル・ピノンのチラシ↑に書いてあった「ベッドルーム・ポップの申し子」ってのは分かんないです。ベッドルーム・ポップって、こういうのがそうだと言われれば、まあ「これ」なんでしょう。でも定義ってないですかね? 年寄りはそのへんにこだわります。ネットを探しても定義がどこにも見当たらないのでなんだか良く分からないです(定義さえ良く分からないというところがまた「それっぽい」ことではあると思いますけど)・・・




 
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四月の雪


 うっすらですが、雪が積もりました。
 金沢ではときどきあるんですよね、四月の雪。翌日花見ができたりする年もあります。
 だけど、寒いね。
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アラブのからだ


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 Jeune Afrique 4月1日-7日号を見ていたら(セネガル大統領選はMacky Sallの勝ちでした。ワッドは案外いさぎよく敗北を認めましたね。ほんとによかった)、2012年3月27日から7月15日まで、パリのアラブ世界研究所で"Le Corps Decouvert"(あらわにされた体=発見されたからだ?)という展覧会をやっているという記事がありました。さっそくカタログを大学用に発注しました。

 展覧会の案内はここ(フランス語)です。

 このNicolas Michelによる記事によると、この展覧会は歴史をあまりさかのぼることはせず、西洋的意味における「美術」の誕生以来(ということは十九世紀末以来ということです。日本とおんなじ)、芸術家たちが人体をどのように扱ってきたかを表す作品を集めているそうです。
 20世紀以前にはアラブ世界には美術学校というものが「無く」――というのは人体を描くなどという偶像崇拝的な行為を行う場所をイスラム社会は許容しなかったということでしょうか――芸術家になりたい者はどうしてもイタリアやフランスに行かねばならなかったのです。
 アラブのNahda(ルネッサンス)運動を進めたパイオニアは、カイロやダマスカスの都市エリートたちでした。
 彼らは西洋にオダリスクだのハマム風景だのの絵がたくさんあるのを見て唖然としました。そこから自分たちの現実を奪回するための模索と実践が始まったわけですね。

 アラブの芸術家たちが人体で表現しようとしたのはアイデンティティ、信仰、苦しみ、欲望、快楽、孤独、愛、老い・・・などなど多岐にわたります。
 そう、これらの精神的価値について、人体を造形芸術で扱うことを通してしかできないことがあるはずですね。

 展示作品はほとんどが私的コレクションからのものだそうです。なるほどね。でも、集めるのたいへんだったでしょうね。この展覧会を実現したHoda Makram-EbeidとPhilippe Cardinal両氏に称賛を送ります。

 パリにおられる方は是非見に行かれるとよいと思います。

 それにしても、早くカタログ見たいです!
 表紙がここに載ってますが・・・  おお、尻か、これは!
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ケベックからの視線


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 ポロックとネイティブ・アメリカンのお話もしましたけど、過去の土着の文化と、その文化を作りだした人々と血は繋がっていない現在の居住者たる芸術家が深い関係を結ぶ、というのが実にラテンアメリカ的、とくにメキシコ的なんだと思います。
 ジェラール・ブシャールのこの本を読んだとき、ずいぶん合点がいったものです。例として原文の一節と、日本で公刊されている邦訳の該当箇所を並べます(原文一行目のces représentationsとは、原住民のインディオたちがカトリックを自分たちの文化の中に取りいれ、混交させてできた諸表象ということだと思います)。邦訳はわたくしにはちょっと不満ですが、訳の問題もまた示唆に富むと思います。
 
 Les Créoles épousèrent ces représentations qui furent à l'origine du premier indigénisme. Au Méxique, comme ailleurs en Amérique latine, il est remarquable que les plus anciennes expressions du sentiment ou de l'idée nationale incluaient l'indianité comme composante essentielle. Il faut voir là les racines des identités nationales qui s'épanouirent aux XIXe et XXe siècles en s'appuyant sur l'Etat. La notion d'appropriation convient tout à fait pour désigner les processus d'emprunt, de métissage et d'acculturation auxquels se livrèrent les Créoles. Dans la vie quotidienne, ils incorporaient de nombreux éléments indiens, et parfois africains. Sur le plan biologique, ils se réclamaient du mélange des races ; peu à peu, le métis devint la figure authentique de l'américanité et prit le pas sur le Créole, qu'il finit par l'englober.
(Gérard Bouchard, Genèse des nations et cultures du Nouveau Monde, chapitre IV : Essor de la conscience nationale au Mexique et en Amérique latine, Boréal, Montréal, 2001, (orig.2000), p.195.)

 クリオージョたちは、こうした最初のインディヘニスモの表象を擁護した。他のラテンアメリカ諸国同様、メキシコにおいても、ナショナルな感情や思想を表す最も古い表現の中に、基本要素としてインディオの文化が含まれていたというのは注目すべきことである。十九世紀・二十世紀に、国家というものを拠り所として花開いたナショナル・アイデンティティの根を、ここに見なければならない。領有という概念は、クリオージョたちが身をゆだねていた借用・混血・異文化受容という過程を示すのに、非常に適している。クリオージョたちは、多くのインディオ的要素、ときには黒人的要素までを日常生活に取り入れた。生物学的側面については、彼らは異種族の雑婚を引き合いに出した。少しずつではあるが、混血の人々がラテンアメリカの正当な人間となり、クリオージョの人々を凌駕し、最後にはこの二つが合体したのである。
(ジェラール・ブシャール『ケベックの生成と「新世界」/「ネイション」と「アイデンティティ」をめぐる比較史』、第四章「メキシコとラテンアメリカ諸国におけるネイション意識の高まり」、彩流社、2007年、p.219)

 épousèrentは「擁護した」より「自らのものとして引き受けた」、appropriationも「領有」より「取り入れ」くらいに訳すべきだと思います。
 こういうのは日本の人には非常に分かりにくい、というか「抵抗のある」発想だと思うのですが、いかがでしょうか。

 この本はカナダ人、ケベック人ならではの視点から書かれた、興味深い本です。ご一読をお勧めします。
 これからの時代、アメリカとか、フランスとか、ドイツとか、イギリスとか、そして日本とか、「何か背負っている」または厳密には「20世紀に」かなり重いものを背負っていたクニからの声だけじゃなくて、カナダみたいなところ――そしてメキシコみたいなところ――の声をよく聞くべき時代だと思います。
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