ジダンの歌


21 さてアルジェリアでのCD、カセット買いの方ですが、まあ同じものはフランスでも手に入るわけだし、めぼしいものはネットで買うこともできますから、現地ではいま流行りのやつはなにか店員さんに聞いて買ってくるくらいなものです。

 そうやって適当に買ってきたやつを車の中でちょっとづつ聞いてあれこれ考えてます。

 ただモハメド・マズーニだけはこっちから言って買ってきました。
 そしたらうまい具合にRana Maak LoubnanというCDに「おおジダン」Ya Zidane が入ってましたね。
 3年前のワールドカップのときの、あのジダンの頭突き事件で世界が大騒ぎしていたとき、マズーニは「おおジダンよ、祖国の子よ、よくやったぞ」と歌ったのです(このエントリーをご参照ください)。これがあの事件に対する一般のアルジェリア人の率直な感想というものです。

 フランスでCDをいくら探しても見つからないのでおかしいなあと思っていたら、どうもジダン本人が嫌がってフランスでの販売を禁じる措置を取らせたらしいんですね。
 でもたとえばこことか、今の時代はなんでもネットで見つかってしまう時代なので、あんまり意味ないんですが。
 とにかく「モノ」は今回ようやくゲット!

 このCD、御覧のとおりジャケットに「マズーニとシャバ=ジュハラのデュオ」と書いてあって、普通はアルジェリアでは共演の女性歌手の名前なんかクレジットしないのに殊勝なことだと思ったら、全七曲のうちマズーニが歌ってるのはタイトルナンバーのRana Maak Loubnan(イスラエルの攻撃を受けるレバノンの人に連帯を示す曲だけど、普通のポップスです)とジダンの歌の二曲だけなんですね。これだったら名前だして当然、というかほとんどこれはシャバ=ジュハラのアルバムですね。

 あと例によってジャケットに書いてある曲の順番と実際の順番がむちゃくちゃ。

 ジャケットのデザインもなんだか変な感じだし(左上はイスラエルの戦闘機、右上のレバノン国旗の上ではレバノンのおっさんがなんか叫んでます。見方によればこれはコラージュの一種みたい)、だいいちただの紙ジャケで底がない・・・

 でもこの安っぽさがいいんだなあ。

 ライ大好き!
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日本アルジェリア協会設立集会


 さてアルジェリア旅行のお話はまたひとやすみで。

 先日「日本アルジェリア協会」設立集会が開かれました。
 アルジェリア大使館に浦辺前大使や福田教授、小堀教授など日本=アルジェリア関係の重鎮の方々が集まって会則や執行部の選出などが行われました。

 ケトランジ大使からの挨拶は渡辺真美氏がされていたのですが、途中で渡辺さんが「ここにおられる方、みんなフランス語お分かりですし、通訳は要らないのでは?」と言われて、皆さん苦笑して、それからフランス語だけになりました。
 アルジェリア関係者って、そういうものだと思います。

 あとで小池百合子氏が来ておられました。小池氏は御存知のとおりバリバリのアラビストですが、フランス語はおできになるのでしょうか。
 一年前と違って(あれ、アラブ・デーってどうなったんでしょう? わたしにお呼びがかからなかっただけかな?)一応自己紹介もできましたししっかり御対面した感じです。名刺もいただきましたし。
 こんなことを言っては政治家の方にはかえってどうなのかなとも思いますが、とりあえず氏からはよい印象を受けました、と申し上げておきます。

 設立総会の余興は、もうこういう場ではこれしかないというクラブ・バシュラフでした(↑)。 残念ながらライではないですね。日本で「クラシック音楽」というと西洋古典音楽のことですが、アルジェリアで公認の musique classiqueというとアンダルス音楽のことですね(ちょうど昨日、NHKでユーミンさんがスペインとモロッコをうろうろしながら音楽を聴く番組でアンダルスが出てました)。

 クラブ・バシュラフの彼女たちのアンダルス演奏の腕は、アラブ人たちが驚嘆するほどになっています。
 
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20 モスタガネムの海沿いのぺシュリーで先生方と昼食をいただいたあと、遅れて届いた荷物を回収しにオランの空港に直行です。

 大学から派遣されてわたしの移動を担当してくれた運転手のおっちゃんは、「車というものは、できうる限りにおいて追い越し車線を走るのでなければならない」という非常に堅固な思想の持ち主で、一般道を平均120キロで突っ走ってくれました。

 こんだけとばせるというは、モスタガネム=オラン間の道は見通しがきいて、きれいに舗装、整備されているということでもありますけどね(↑)。

 もし金沢とモスタガネムで学生交流ができるようになったとしても、学生の移動を担当するのがこのおっちゃんだったら、ちょっと心配ですね・・・
 ルーバイさんさえ後で「あのドライバーはちょっと怖かったね」と言ってたくらいなので。

 でもねー、このおっちゃん(フランス語あんまり分かんないみたいだったですから話はほとんどしなかったですが)、ほんと屈託がなくて、特に笑ったときの顔がなんともいえずいい顔だったです。こんな顔、日本では見ないなっていうくらい・・・

 彼の顔でずいぶん和んだ。


 
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モスタガネム大の学生たち


19 中央図書館最上階から見たモスタガネム大「元兵舎」キャンパスです。

 海も見えます。

 モスタガネムは海岸沿いの丘の上にある町なのです。

 きれいです。

 でもこのキャンパスで一番印象的だったのはなにかというと、それは学生たちの笑顔だったです。
 男も女も、ベールかぶってる子もかぶってない子も、ほんとみんなニコニコして屈託なく、楽しそうでしたよ。

 これを見ていて、日本の大学生とここの学生と交流ができれば本当にいいな、って思いました。
 心配はいろいろありますけど、いつの日か実現したいです。

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掲示


18 フランス文学専攻生たち(ほとんど女性)は、みんなにこにこしてなにやら勉強してました。

 学生溜りの部屋には、わたしの講演の案内掲示がありました。
 実は自分の講演のタイトル、ここではじめて見ました。
 かなり限定されたものだったんですね。わたしはもっと一般的な話をしちゃいましたね。

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モスタガネム大キャンパス


17 モスタガネム大学にはいくつかキャンパスがあって、フランス文学の学生たちがいるところへ移動です。
 ここはもとフランス軍の兵営だったところを改造したということで無骨な建物が並んでいましたが、この建物などはわりと典雅でしたね。どういう建物か尋ねても由来が分からなかったのが残念です。

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もうひとつネジュマについて


16 前のエントリーにmidiさんが敏感に反応してくださったことからも、日本の知的な人々の関心のかなりの部分が『ネジュマ』に代表されるような著作群、これまで日本で「教養」と呼ばれてきたものからはみ出るような著作群、問題意識に向かっていることが分かるように思います。

 わたしとしては、『ネジュマ』みたいな本を読んで理解することが、21世紀型の教養を形成する、と思うのです。分かる人にはこのあたりに、絶対理解しておくべき何かがある、と分かっていると思うのですよ。

 そういえば筑波大の講義でカテブに話が及んだとき、自分は『ネジュマ』読みかけて挫折しました、とある学部生の子が言うので、東大の鵜戸(うど)という人がResonancesという学術誌の5号(↑)に論文を書いているから、これ読んでもう一遍アタックしてごらん、と言って持ってたコピーを渡しておきました。
 彼、うれしそうでした。
 わたしもうれしかった。日本の若者は、ぜんぜん捨てたもんじゃないです。




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ネジュマ


15 一通り話を終えると、学生さんからはいろんな質問が出ました。

 なかに「あなたは『ネジュマ』を読んだことがありますか」というのがありました。

 残念ながら通して読んだことはない、と答えざるをえませんでした。でもこんなこと聞かれるのは、このカテブ・ヤシーヌの作品がアルジェリアの国民文学と言っていい傑作だからでしょうね。

 ただ、言い訳するわけじゃありませんが、非常に難解です。
 内容は当然ながらアルジェリアの歴史と密接に絡まったものですが、出来事が起こった順に並んでないですからアルジェリア史をよく知らない人はもうそれだけでギブアップです。こういうの、現代文学的手法ではありますが、アルジェリアの「歴史」Histoire(フランス語では歴史historyとお話storyとが同じ単語histoireになるところが面白いですね。ひとつの思想がそこにあると思います)は未だできていない、これから作られるのだという思いの表明でもあると思います。この作品が発表されたのは独立戦争のさなか、1956年です。
 
 このあたり、日本やあるいはフランスのようなかなり単線的な「歴史」を持ち得た「国」の人のもつ感覚では、なかなか計り知れない感覚の存在が指し示されていると思います。

 卑弥呼も豊臣秀吉も、紫式部も夏目漱石もみんな「日本人である」というところでなんとなく「自分と同じ」という感覚が、なんの疑問もなく前提として存在しているような日本の読者のあり方を、アルジェリアの読者はもっていないのです。

 アラブ人系、白人系、黒人系(『ネジュマ』にはちゃんと黒人も出てきますね)、全てが糾合してひとつの「アルジェリア人」を構成する。この民族のるつぼの唯一の定数は、カテブによれば、おそらく「抵抗」である、ということなのでしょう。
 カミュが、人種差別などとは無関係な位置から、アルジェリアが国として立つことが可能か危うんだのも理由のないことではないのです。

 4人の若きアルジェリア人に愛される、新生アルジェリアの象徴ネジュマは混血の女性であり、古代カルタゴの巫女サランボーにもたとえられます。
 フロベールも、ジョイスも、フォークナーも、みんなそこにある感じです。

 だから、アルジェリア人の知的な領域にわけいろうとするなら、どうしても西洋文学、西洋の知を経由しないといけないわけなのです。
 
 ここのところを分かっていただけたら、ヨーロッパの文物の勉強に関して、新しい意味づけが日本でもできるようになると思います。
 ぜひそのようにしたいと思います。

 それにしてもこれを書いたのがアマジーグ・カテブのお父さんだっていうんですからなんとも世の中というのは面白いものです・・・

(カテブ・ヤシーヌって誰? アマジーグ・カテブって誰だ?という方は、ついでにこのエントリーや、このエントリーの続きなどをご参照ください)

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石原慎太郎と『地の糧』


14 石原慎太郎についてのお話は、読者にはあんまりおもしろくないかもしれませんが、わたしには大事なことなのでもう少し詳しいことを書いておきます。

 石原慎太郎が『週刊新潮』2007年6月21日号でこう言っているのをモスタガネムの学生たちに紹介しました(同趣旨のことはたぶん石原氏はあちこちで言っていると思いますが、こんなオヤジ雑誌に出ていたのが印象的だったのでファイルしてあります・・・):

 私が高校生の頃読んだ青春の書ともいえる『地の糧』の中の一節は未だに他のどの本よりも忘れがたい。
 『ナタエル(ママ)よ、君に情熱を教えよう。行為の善悪を判断せずに行為しなければならぬ。善か悪かを懸念せずに愛すること。
 私は心中で待ち望んでいたことをことごとくこの世で表現した上で、満足して――あるいは、全く絶望しきって死にたいものだ』

 たぶん石原氏はNathanael「ナタナエル」の名を間違えたりはしなかったと思います。新潮の記者(新潮だから自社記者だと思う)が間違えたんでしょうか。そもそもこれは聞き書きなのか、どうなのか・・・ まあそんなことどうでもいいですけど。

 ともかく、わたしフランス語の原文を持って行ってこのあたり(つまり原文は文の順序が違うし、間にいろいろ入っているので)を朗読しました。

 Agir sans juger si l'action est bonne ou mauvaise. Aimer sans s'inquieter si c'est le bien ou le mal.
Nathanael, je t'enseignerai la ferveur.

Une existence pathetique, Nathanael, plutot que la tranquillite. Je ne souhaite pas d'autre repos que celui du sommeil de la mort. J'ai peur que tout desir, toute energie que je n'aurais pas satisfaits durant ma vie, pour leur survie ne me tourmentent. J'espere, apres avoir exprime' sur cette terre tout ce qui attendait en moi, satisfait, mourir completement desepere'.

(原文ではespereとdesespere'の両方をイタリックにして同語根の両語が対をなしていることを読者に示してるんですが、こういうのは訳に反映するのが難しいですね。ジッドの賢人の言いたいのは、自分の中にあるすべてのことを表現しおおせて、望むことの尽き果てた状態で死にたい、ということなんでしょう。「あるいは」にあたる要素は原文には見当たらないですから)
 
 フランス語なんぞ役に立たないというだけでなく、子供の産めなくなった高齢の女性は役に立たないとか(これを言ったら聴衆からわあ、と叫び声があがりました。当然)、「第三国人」がどうだとか言ったりしていろいろ物議を醸す人ではあっても有権者に支持された東京都知事であり、息子は国民議会に送り込んでいる有力な政治家で小説家である石原氏が、フランス文学のこういう局面に強い影響を受けた人だということを知ってもらうことが、たぶんアルジェリア人に知的に日本を把握してもらうひとつの手だと思ったのです。

 ちなみに『地の糧』Les Nourritures terrestresは1897年発表。賢者が若者ナタナエルに与える詩的叡智という趣きの作品です。
 煮詰まってしまい、窒息しそうになったヨーロッパ文明の拘束をのがれてアルジェリアに――そう、まさにアルジェリアに――逃れ、陥った病からも生還したジッドが生の歓喜を称えあげた書です。もちろん作品内にはアルジェリアも出てきます。

 この作品もフランスでは長く受け入れられず、まさに第一次大戦の後、評価が高まったのですね。
 1932年生まれの石原氏が高校時代に読んだというのですから敗戦後数年くらいの時期でしょう。第一次世界大戦後、1920年代のヨーロッパの知的世界の雰囲気と呼応するところがあったと思います。

(写真↑はルーバイさんが撮って送ってくれたものです。方式がjpegじゃなかったのでボケボケの状態で載ってますが、ご容赦ください)
 
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WBC

 アルジェリアの旅の話はひとやすみしまして・・・

 WBCは今回もここというところでイチローが打って――というか打たせてもらって(あそこは誰が考えても敬遠だわ)――勝負が決まるという、絵に描いたような幕切れで日本が勝ちましたですね。

 3年前はわたしはこんなアホなこと書いてますね。穴があったら入りたい・・・

 それにしても、日本と韓国が5回もあたるなんて異常。

 なんでこんなことにしたのか分からなかったのでネットを検索してみたら、説得力ある種明かしをみつけました。
 はあ、なるほど。要するにこれが一般のアメリカ人を一番よく動員できる形だからですか。
 つまり最大多数のお客を呼んで、テレビ放映の視聴率を稼ぐことに徹した結果、資本主義的に合理的な行動を真面目に追求した結果なんですね。

 野球の世界の第一位国アメリカ合衆国がこういうことをする(というか、これ以外のやり方をしようと誰かが思っても国の仕組み、思想からしてできないことなのでしょう)以上、どうやっても野球は田舎スポーツの地位から抜けられないでしょうね。

 サッカーのワールドカップがこれより権威がある体裁になっているのは、最初のコンセプトを万年第二位国たるフランスが理性的に仕切ったからだ、と言いたいですね。
 第一位国の力の横暴を抑えるには「理性」とかのようなユニバーサルっぽいものを持ち出して世界の他の国を糾合して数で迫るしかない、ということなんです。フランスはその理屈が良く分かっていて、その理屈の振り回し方のコツをこころえていると思うのです。

 「理性」は資本主義に無理を強いて、ずいぶん目先の損をさせることがありますが(早い話がお客の入らない、ビジネスにならない予選試合もきっちりやらせてしまうから)、サッカーのワールドカップ、それからオリンピックのようなものが世界の人のエネルギーをどれだけ吸い上げ、どれだけのビジネスを生んでいるか考えたら、理性は最終的に物凄い富を生みだしていると思いますよ。
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