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「ぷるり」複言語文化協会のフランス語講座

ぷるりのサイト

フランス語クラスは、今期「英語をにらんでフランス語」というお題にしています。あまりいい名前ではありませんね。なんかもっと品格があってぴったりくる名前はないですかねー。10月からの来期は替えたいですねー。
内容はいずれにせよ同じことで、普通にフランス語を1から習うわけですが間言語理解intercomprehensionを念頭にできるだけ学び手が「英語でフランス語をやる」感覚も持つことをこころがけるのです。日本の学習者の場合、英語がカンペキに入っている方はそんなに多くなさそうだし💦、とくに中高校生には英語で苦しんでいる方が多いと思われるので、英語の復習にもなって英語の運用能力があがり知識が整理されるようなフランス語学習コースというのがあれば意義があるはず――そういう発想でクラスを組んでます。他のフランス語講座やDuolingoなどとの差異化がここにあり、また「複言語」文化協会の講座にふさわしい、というわけでめでたいでしょう? (^o^)  大学に行ったらフランス語やろうと思っている方、また中高でどうも英語が苦手になってしまったという方などはとくに、今月中は受講申し込み受付ますからyuichikasuyaアットマークgmail.comまでお問い合わせください(学割等あり)。
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PLURI ぷるり 複言語文化協会 Facebookページ、始動してます

https://www2024年12月・・・何日からだったかな?💦 PLURI ぷるり 複言語文化協会 Faceboookページが開設されています。

PLURI ぷるり 複言語文化協会 facebook ページ

まだ発展中ですが、最初は[弗加]、アフリカ、カナダと世界の進展に関わる投稿を充実させることから始めています。

ご笑覧ください。
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複言語文化協会(ぷるり)、始動します

2024年10月1日より、複言語文化協会(ぷるり)の活動を始めます。

複言語文化協会(ぷるり)のサイト

御覧の通り、最初は複言語文化に関連するネット講座の開設です。

よろしくお願いいたします。
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Aya Nakamura 中村あやさん (^o^)



オリンピック開会式で歌う中村あやさん

Félicitations pour Nakamura-san d'avoir réussi son pari d'enflammer son Paris... et le monde. Comment était rapportée cette brève apparition de la diva de France aux médias japonaises ?
セリーヌ・ディオンとかに出てこられるとさすがにアヤ・ナカムラも簡単には勝てない。勝ち負けの問題かいな! (^o^) とにかくアヤさん、Institut de Franceフランス学士院の建物から登場、フランス代表であることを誇示して、立派に歌い上げました。\(^o^) /\(^o^)/\(^o^)/  
メドレーの最後で歌ったDjadjaが彼女の最大のヒットで、歌詞も最大に卑俗なフランス語です。💦
学士院って、正しく美しきフランス語の牙城アカデミーフランセーズの本拠ですから、ここから出発してポンデザールをいちばんこっちの岸近くまで進んだところで、いちばん「崩れた」フランス語で歌ったわけですね。
なにはともあれ、彼女がいまフランスのトップの歌手、いちばん売れているアーチストなわけですから、まあ、フランスも人種差別主義者の巣窟の国、というわけではないんだなあ、ということが論理的に分かるわけです。

かっこいいねえ。たしかにこれだけかっこよく歌える歌手、いまフランスには他におりませんね。

なんだか日本のアナウンサーは、やたら「おしゃれおしゃれ」言ってるみたいだな。Oshareの語感には合わない趣向に対しても。これは日本保守派の感覚からすると、「まじめでない」という意味で、ディスリになってると思ってます。フランスは、まじめでない、と。彼らはアナウンサーみたいな人には、そういわせるんだと思います。

これで二週間大騒ぎして、オリンピック終わるころには、「マリーヌ? はあ?」てことになりますよ。ついこの前の選挙のことなんかみんな忘れちゃってます。マリーヌ・ルペンとその極右のお仲間は「オワコン」です――この言葉自体がオワコンですが――。
こういうやり方、ルイ十四世以来のフランスの為政者の伝統で、他の国にはとても真似できんです。
このイベントをやるためにものすごい税金が投入されてるはずですが、フランス国民はこれを許しちゃうんです。世界の視聴者も許します。
それに、今回のオリンピック、新築で、建てさせた政治家が「どうだ、あれはわしが建てたものだ。わっはっは」と自慢できる「記念建造物」みたいなものは、あんまりなかったと思う。一回のイベントにかけるだけなら、結局そんなに税金無駄遣いにはならないと思うんです。
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嫌弗嫌佛

嫌弗嫌佛

粕谷のFacebookページ

mot de sagesse de Lucy Van Pelt In all of mankind's history, there has never been more damage done than by people who "thought they were doing the right thing".

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musicking... can we think of literaturing ?


今では立派な金沢大学教員になっておられる西島千尋先生(彼女とそのご著書についてはこの投稿を参照してください)がなぜかわたくしのような老人にお話が、というので何かなと思ってうかがいましたら、この『音楽の未明からの思考』という御本(彼女が第一章担当です)についてのお話でした。そこでmusickingというものを知りました。

これは現時点でよく考える意義のある概念です。音楽、と呼ばれるあの現象?営み?・・・を「音楽music musique」という名詞でおさえて把握しようとしたとたん抜け落ちてしまうもの、抜け落ちてしまう大事なものは何か。
こういうのは、アカデミックなことばで表現するのが難しい(だからこそこれまで語られていなかったわけですが)。でも、そろそろ、人類はこれを考えざるをえない局面に入ったと言えます。

まだ何も理解していないうちに直感的把握だけでお話ししてしまうと、わたくしには「文学」にも似たような、literaturingみたいな概念が要るだろうな、ということになります。

まあとにかく、よく読んでみないといけませんね。ちなみに西島先生はご単著もいつかお出しになりたいとのことでした。楽しみにしていましょう。(^o^)
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Je n'avais rien écrit en 2023. 今年まだなんも書いてなかった

Je n'avais rien écrit sur le blog parce que j'ai écrit ailleurs (Facebook) et je n'ai que des choses pas trop pertinentes à écrire...
De toute façon je ne suis plus stressé, je ne bois plus, je ne suis jamais soûl.
大学の正式退職は去年でした。フランス語教育は某所、オンラインでまだやってます。
最近はFacebookに書くことが多くなったのと、わたくしの関心事がおおっぴらに書くとどこかに差しさわりがでそうなことばかりになってしまったことがブログの敗因になってます。
Facebookの主な投稿をブログに移そうか。そんな暇なことやってたら人生終わりそうですね。

大学の教職を離れて起こった顕著な生活の変化は、酒関係まったく飲まなくなったことです(飲み会で飲むことはできます。理想的)。
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Dima Algeria はアルジェリアの友が集まる東京の会です!

毎年恒例だった東京シェブ・ハスニ命日(9月29日)の会は、2回のコロナ中止を経てやっとフルスペック、二日日程で開催されます! 名前もディマ・アルジェリアとなって10月1日、2日、いずれも午後の開催です。北中正和さん(音楽評論家)、石田昌隆さん(写真家)という大御所に交じって粕谷祐己さん(?)も登壇いたしますので、ぜひ来てくださいね! 北中さん、石田さんにはすごいお話を期待することにしまして、まあ、粕谷もアルジェリアで他の人のいかないようなところには行っているので、それなりにへんてこな話はできると思います・・・ (汗)
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Mort de Ishihara Shintaro, écrivain 石原慎太郎氏逝去

Écrivain et homme politique, ISHIHARA Shintaro, célèbre pour ses propos blasphamatoires à l'égard de la langue de Molière, des femmes ayant dépassé certain âge, des certains pays étrangers, etc., est décédé à l'âge de 88 ans. Il se sympathisait tout de même avec André Gide, des Nourritures terrestres. Je cite ci-dessous le passage favori du défunt. Toutes nos condoléances.
ふりかえってみるとこのブログは2005年4月に始めています。始めて間もなく例の石原都知事(当時)のフランス語中傷事件(フランス語は数が数えられない云々、だったかな? もう忘れてる・・・)がありました。そのころの投稿です。

これ

その石原慎太郎氏が亡くなりました。ご冥福をお祈りします。
当時の投稿を見てみると、今と全然違いますね・・・ 「ライ」にまだ活気がありました。

以下はわたくしがアルジェリア・モスタガネム大学で学生さんにお話ししたときの投稿です。石原氏についてお話ししたんですね。

これ

この投稿のころはアクサン出すのに難儀してたみたいですね。もう一度引用してみましょう・・・

Agir sans juger si l'action est bonne ou mauvaise. Aimer sans s'inquiéter si c'est le bien ou le mal.
Nathanaël, je t'enseignerai la ferveur.

Une existence pathétique, Nathanaël, plutôt que la tranquillité. Je ne souhaite pas d'autre repos que celui du sommeil de la mort. J'ai peur que tout désir, toute énergie que je n'aurais pas satisfaits durant ma vie, pour leur survie ne me tourmentent. J'espère, après avoir exprimé sur cette terre tout ce qui attendait en moi, satisfait, mourir complètement désesperé.

ジッドが『地の糧』で望んでいたことは疑いなく、全ての欲望を満たし、尽き果てた境地で死にたいものだ、ということだったと思います。
そういう境地に達したなら、死んでもいいと。
それって『パルムの僧院』でブラネス師がVincenzo Montiの句 :

Come al mancar dell'alimento
(ランプの)油が尽きたように

を引いて、自らの死を語ったのと同じこころですね。
スタンダールもそう願っていたでしょう。
ここだけ詩の引用になっているのは、そういう死を称えているのだと思います。

石原氏はそういう死を迎えることができたでしょうか。

ところでわたくしはまだ生きてますし、おかげさまでそこそこ元気ですので、別にこのブログを閉めたりはしません。
全く開店休業でしたが、そろそろ時間もできるし、生活の中心になる出来事がブログに書いていって差し支えないようなものになる時が再び来るように思います。喪失の気持ちもわたしのなかで落ち着いたように思いますし。




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