日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
Femi Kuti
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このポスターなんか、抜群にいい。
これがニューオルリンズにあるのが、いい。
似たようなものは日本人もフランス人も作れるけど――そして作りたいのだけど――、日本やフランスの街の中に置いても、同じ効果は出ないんですね。
アメリカ、ニューオルリンズという場に置いてみて、はじめてその本来の威力を発揮しますね。
わたし、アメリカに来てみて初めてこれに気が付きました。
ええと、フェミ・クティの演奏自体はわたしはまあ、あんまりぴんと来ないです。思想的に意義があるのは分かりますが。なんか申し訳ないですけどね。もったいないですけどね。
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とろんぼーんしょーてぃー
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ニューオルリンズ若手ナンバーワン、トロンボーン・ショーティには、先に書いた通りジェフ・ベックのステージで初めてお目にかかりました。
彼のトークセッションも聞きましたが(↑彼は有名な"Treme"の出身です。トレメってニューオルリンズの地区の名前ですが、ここを舞台にしたテレビの連続番組が人気なんです)ちゃんと演奏を聞いたのは、フレンチクォーターの有名なライブハウス、House of Bluesでのレイトショーです。
夜中の2時からというので、どうかなと思いましたが、時差ボケに吸い込まれてかえって問題なし、になるんですね。
はてさて彼の音楽というのは、Sunny Side of the Streetとかもやってましたが基本的にメロディに頼らず、リズムというか「音塊」の時間軸上での並べ方、みたいなものに核心がある作りなわけですね。
今の音楽というのは、そういうものです。
そこで、わたしの鼻歌レパートリーのジェフ・ベックにだってYou know what I mean (Blow by blow 所収。1975年)とLed Boots (Wired所収。1976年)の間に変化があるのに気がつかされました。前者はこの上なく明確なメロディラインがありますが、後者はそれが希薄になり始めてますからね。してみるとトロンボーン・ショーティーまで続く傾向はこのへんに既に淵源がありますかね?・・・ ベックとショーティーでは厳密にはジャンルが違うといえばそれまでですが。
ハウス・オヴ・ブルーズでショーティーが客席に飛び込み、大の字になったまま、お客たちに順送りにかつがれて客席を一周してステージに戻るところを眺めながら、そんなことを考えました。
彼は、超ロングトーンできますね。循環呼吸ができるんでしょうね。5分いや10分くらい、音程が全く揺らぐことなく吹き続けてました。
こういう「身体性」への強い顧慮というのも、おそらく音楽がテクノロジーの進歩で否応なしに身につけた新境地なのだと思います。
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アメリカ、アメリカ keep your children free
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会場の上では、ずっとセスナ機が広告の横断幕引っ張って飛んでました。
アメリカだなという気がします。
あと、会場の中がいたれりつくせりになってること。
各種の食べ物、飲み物。お土産。CDショップ。ポスターショップ。Tシャツ。飲み水詰める水道。ATMもあるし。
それだけすべてが商業化されてるってことなんですけどね。
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すた研
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震災の影響であちこち大学の日程が変則的になって、学会開催のための部屋が借りにくくなってます。日本フランス語教育学会もかなり変わった時間割で開いたので、スタンダール研究会も本番の方は行けませんでした。角津さんも内田さんもいいご発表だったそうなんですが。
懇親会の方だけ出ました。↑料理は美味しかったです。
・・・本番には冨永先生がお見えだったそうです。冨永先生はお元気で何よりですね。
下川さんがひげを生やしたそうな。ひええ。
わたしがこの話をしたら、石川美子さんが鈴木先生に「先生は、スタンダールに似てますね」ともろに言ったそうな、という話が出ました。
すると鈴木先生は、いやな顔されてたそうです。あはは。
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学会で東京
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今週末は教育学会とスタンダール研究会で上京でした。
東京はいろんなところで節電です。
地下鉄も便数減らしてます。そういう掲示もしてあります。
・・・変なこと言うかもしれませんが、いろんなところに英語表記するんだったら、こういうところこそ英語にしてはどうでしょう。
この危機的状況が、それだけ世界の人の共有するところになると思います。
当然これって日本人だけのもの、なんて思わないようにしてはどうかな、と思います。
こういうこと言うの、post3.11状況下をより切実に生きる方々の心に配慮しない行為かしら。それともこれは日本の恥を強調することになるのかしら。
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Exorcisme完了
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日本に帰ってきて驚いたのは、ツェッペリンのベストアルバムの中で、これまでほとんど聞きもしなかった中期、後期の音が「あれ? 全部いい!」と聞こえるようになったことです。
D'Yer Mak'er みたいな曲が「いい」と聞こえる日が来るとは夢にも思わなかったです。
なんのことはない、ニューオルリンズまでいって本物のブルーズに接することによって、逆にツェッペリンからブルーズの呪縛を「悪魔払い」したんですね、わたしは。
あのバンドはわたしがナマを聞いた時点で既にブルーズから離陸しようとしてたんです(メドレーの中ながらYou shook meもやってましたが)。
サードアルバムでは明らかにトラッドに行こうとしたのに四枚目で、たいした内発的欲求もないのにファンが要求するから無理に「ハードロック」に戻ったのか、と思っちゃったんですね。
ブルーズということをのけて考えれば、ツェッペリンは、ペイジやプラントは、その後も苦心して自分たちの音を追求してたんです。
40年かかりましたが、生きているうちにそれが分かったのは幸せです。
やれやれ、プラントなんぞ聞いたおかげで、長々とツェッペリンの話になってしまいました。お許しあれ。
しかしこのバンド、われらがアルジェリア系アイドル沢尻エリカさんも聞きにいったくらいで、たしかに究極の、不世出のロックバンドに違いないです。このエントリーで「同じ音楽的志向を持った人が一緒にやる、というのは弦楽四重奏とか標準編成のロックバンドとかのように4,5人が限界」と書いてますが、ここでわたしの念頭にあるロックバンドの典型というのはツェッペリンとザ・フーなんです。どっちも四人一丸で「ぶっとんで」ます。
・・・どちらもドラマーが急死したバンドなのは偶然ではないように思います。このレベルの「ぶっとび」に曝されると、いちばんドラマーが人格を破壊されてしまうのだと思います。
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二つのうちのひとつ
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ニューオルリンズ、ルイ・アームストロング・パーク。かつてのコンゴスクエア。聞くに値するアメリカ音楽全ての発祥の地。
わたしは、世界の中でここともう一つの場所の、どちらかにつながる音でないと心から愛することはできないように思えます。
もうひとつとはスペイン、アンダルシアです。
本当に、この世にアメリカ黒人と、アンダルシアのモール人がいてくれて、良かったです。
でもそのことを認識した上でなら、それぞれのアーチストの必死の努力はそれなりにわたしに効果をもたらすのですね。
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「わたしは黒人と同じ音は出せない」
リトル・フレディ・キングの音を念頭にツェッペリンのYou shook me を聞きなおしてみると(ツェッペリンのファーストアルバム、1000円で売ってたのを買ってきました)・・・やっぱり彼等のは白人のやってるブルーズだな、という気がしました。
あんまり黒人だ白人だというのは人種差別ぽいですが、この場合仕方がないです。
白人系のスターたちはよく:
黒人音楽は素晴らしい。だけどわたしはアメリカ黒人と同じ音は出せない。
という思いにとらわれるように思います。この白人系アーチストたちの気持ちはわたし、若いころでも理解できました。
黒人と同じようにはできないという挫折感から、それじゃわたしにできることは何か、って考えておこなう試行錯誤がとりもなおさずロックという音楽なのだと思います。
・・・ところでこの感覚、フツブン関係の人はあんまり持ってないかも、なんでしょうか・・・
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