資本主義


 ことしの秋にアラブ系、アフリカ系の留学生がいっぺんにたくさん金沢にやって来たので(それも理科系の博士課程以外に)、歓迎の意味もこめて先週金曜日「アラブ=アフリカ音楽の夕べ」をやりました。お茶を飲み、お菓子を食べながら聞いたのはこんなアーチストたちです:

 Zap Mama, Hakim, Rachid Taha, Cheb Mami & Samira Said, Toto-Bona-Lokua, Amadou et Mariam, Khaled, Cheb Hasni, Takfarinas, Kaysha, Lokua Kanza featuring Tokiko Kato, Fairuz, Larbi Dida, 1,2,3 Soleils, Cheikha Rimitti, Cheb Anouar, Hamid Bouchenak...

 来てくれた人はフランス人も日本人も他の人々もみんな喜んでくれて、それは良かったんですが、ちょっと悲しかったのは、他の先生方はともかくとして、わたしの教え子が全然来てくれなかったことです。
 フランス語の授業ではこの地域の重要性について合間を見て紹介しているのですが、なかなか興味をもってもらえないのですね。

 これって、たいへん大きな問題を含んだ現象なのです。

 一般の方が「現代世界でアラブやアフリカが重要なのは明白だから、日本の高等教育もそれを反映してそういう地域の扱いを急速に大きくして行ってくれるだろう」と漠然と思われているとしたら、それは残念ながら違うのですね。少なくとも何もしないで自然にそうなっていくということはないです。
 
 大きいのは「勉強することを選ぶのは学生さん自身だ」ということです。日本は「あなたたちは〇〇を勉強してマスターしなさい」と政府の命令で学生の勉強内容を強制できる国ではないですから(そういう国は、あります)、志望する学生さんがいなければいくらこっちで教育を施そうと待っていても無駄です。
 あたりまえのことですが学生さんも18歳にもなれば、さすがに人生でどの方向に進みたいか、希望が既にかなりできあがっています。そこで高校までで馴染みのなかった、馴染ませてもらえなかった領域に転換しようというのは、かなり大きなきっかけと思い切りが要るのです。
 馴染みがないだけだったらまだしも、かえって誤った偏見を持ってしまった場合などは、それをほどいて志望してもらうまで持ってくるのは非常に難しいことだと思います。

 もうひとつは教員の側も、これまで非常な努力を重ねて習い覚えたもの、自分も愛着を持っている領域の知識を学生さんに教え、伝えたいという、無理もない欲求を持っているということです。理科系の学問だと分野の有益度はかなりはっきり客観的に見えますが、文化系では「これが面白い」「楽しい」という内容はだいたい主観的なものですから、意図的な教育効果がかなり大きく作用してしまいますね。つまり資本主義的なマーケット戦略が幅を利かせられるということです。

 「金沢や石川県みたいな地方では、そんなに現代世界の先端を追わなくてもいいのじゃないか」という方もおられますが、そんなことはないです。
 石川県は選挙によって森喜朗という首相まで務めた有力な政治家を送り出しているではありませんか。
 日本というのは、世界のかなりのところで多かれ少なかれ期待されている国なのです。その国の首相を送り出せる選挙民が、世界のことについて自分は考えなくてよい、などという権利はないでしょう。そんなことを言ったら世界の人に失礼です(ちなみに森元首相はアフリカにかなり太いパイプを持っておられる方です)。

 少なくとも日本の地方在住の若い諸君には、世界の実像をしっかりとらえた上で自分と国、世界にとって有益な進路選択をしていただきたいものです。

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ジェラルド、来てます!

 でも、この音楽界大不況のなかで、わが友Gerald Totoがジワ、ジワと人気をあげてきてるのは頼もしい!

 ジェラルドは有名司会者NaguiのやっているTaratata(フランスで活躍するワールド系のアーチストを集めてときどき放送される特別番組)にも出たらしいです。わたしには見つかりませんが、ネットのどこかに録画があると思います・・・

 このdailymotionページファブリスが作ってます。ずいぶん内容が豊富になってきました。ぜひご覧になってください。

 ファブリスから最近メールが来たので何かと思ったら、こんなのがあったという知らせなんですね。彼は全世界のウェブページをチェックして、ジェラルドについての言及がないか常に探してるんです。
 これは加藤カズジというギタリストの方のブログで、大意はこれこれだ、と知らせてやったら、"Tu es un amour !"と言ってきやがりました(これは訳がちょっと難しいです。まあほめてくれてるんですけど)。

 ちなみにジェラルドのオフィシャル・サイトはここ。Myspaceはここです。ブログはちょっと怠けてるみたい。

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さまがわり


 フランスの音楽業界誌 Musique Info Hebdoは、日本語で言うと「週刊音楽情報」というような意味ですが、12月から月刊になるそうです。
 音楽業界も昔と同じようにはいかなくなったんですね。

 他の情報源によると、編集部もずいぶんスタッフ縮小したそうです。
 通算500号の表紙の右の方に Change we needとか書いてあってオバマっぽいですが、結局やることはリストラですか・・・ 

 まあこの業界誌もワールド専用のチャートがなくなってかなり興味が薄れてはいましたけど。

 ところで今年のコンスタンタン賞はアシャが獲ったんですね。おめでとうございます。


 
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万国博覧会


 高岡市民会館(↑)で上演された『サムライ高峰譲吉』を見てきました。

 このお芝居は全国を巡回して上演してますが、高峰譲吉がこの高岡生まれなので、この公演は特別に意味があるわけです。
 タカジアスターゼ開発、アドレナリン発見で当然ノーベル賞もらっていい業績をあげた高峰譲吉ですが、1884年のニューオルリンズ博覧会に派遣されたのが人生の転機になっているのを知って、ちょっとこの芝居に興味を抱きました。

 さて高岡は現在富山県にありますが、江戸時代は加賀の一部で、高峰譲吉の生家も加賀藩御典医の家ということです。今では加賀の中心、金沢のある石川県とは別県になっているわけですね。そのあたりちょっと難しいところもありますが高岡市民会館(キャパは1600だそうです)にはかなりのお客さんが集まってました。

 東京ギンガ堂によるお芝居はまずまずでした。
 坂本龍馬も出てきたりして、当然ながら俳優さんたちの「ニッポン」という言葉の発声に力の入る内容でした。

 さて音楽の方は上演前から会場に、ニューオルリンズを思わせるブルーズが流れてましたが、別にお話と関係があるわけではありません。
 お芝居の中ではお米を使った「ガンボ」の話がちょっと出てきてました。
 それから「ラフカディオ・ハーン」の名前が。そうです、ニューオルリンズに長く滞在した彼こそこの地と日本を結ぶいちばん太い線なのですが、ハーンを登場させると話が長くなって別の話になっちゃうので、やむなく簡略化されたのでしょう。

 このニューオルリンズ博覧会は現在の万国博覧会の制度が整う前のものですが、ちょうど百年後の1984年に万博が開かれているのは、たぶん1884年の博覧会の記憶があったからなのだと思います。

 さてその現在の制度ですが、「万国博覧会」を名乗るためには博覧会国際事務局(BIE)の承認をもらわなきゃいけないことになってるんですね。もっともこの承認があるかないかで具体的に何が違うのかわたしにはわかってないのですが・・・ 

 ともかくこの体制はフランスが作ったわけで、現在でもBIEの本部はパリにあります。
 こういうところで例によってフランスは「お墨付きを与える」というやり方で存在感を示してます。苦笑したくなるところもありますがいかにもフランスらしいやり方です。
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パリのひとたち


 先先月パリに出たときは、ファブリス(このエントリーを参照してください)に連れられてChristine Berrouさんのワン・ウーマン・ショーを見てきました(↑)。生でユモリストを見るのは、これが初めてでした。

 ベルー嬢はまだデビューしたばっかりです。パリはピガールの、元ストリップ劇場と思われる小さな劇場で、自らの12か月の生活を語るという趣向のものをやってました。ちょっと難しいお笑いだったですけど・・・

 ショーが終わって、近くのカフェで待ってたらベルー嬢が合流。私服では渋いグリーンのキルト風の服をだらっと肩を大きく出してまとうというお姿で、うむ、さすがパリジェンヌという着こなしでしたね。

 その席にいたのはカルチャー関係には一言ありそうな人たちのグループでした。パリのアーティスティックな人たちね。みなファブリスの知り合いです。そもそもベルー嬢が彼の知り合いなのです。
 わたしの横にいた、テレビ局関係の人らしいFranckという人からは、いま音楽界は最悪の状態だという話が出てましたね。ファブリスも、ほんとだったらわたしを誘うのだから音楽のコンサートに連れていきたかったけど適当なのがなかった、ということでユモリスト鑑賞になったのでした。

 ところで今回会って、ちょっとファブリスを見直しました。
 素人のくせに芸能界に首を突っ込みたがるただの遊び人と思っていたのですが(ファブリスごめん!)、彼はこうやって芸能界、マスコミに知人のネットワークを作っていくことによって自分をグレードアップしていってるんだと気がつきました。彼を通じてパリ芸能界の人物にコンタクトがつけられるという、そういうネットワークを持つ人物にだんだんなっていってるんです。

 彼には前から「日本のワールドミュージック・シーンを伝えるフランス語ページを作る」という話をしていました。わたしがなかなか手をつけないので「早く作ってよ」とやんわり催促されてしまいました。彼はちゃんとわたしを日本のキーパーソンとみなしてくれてるみたいなんですね。期待に応えなくっちゃ・・・
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アラブ系お笑い


 Jeune Afriqueの最近の号に、最近人気のユモリスト humoriste、Sophia Aramの紹介がのってました。彼女はモロッコ系ですね。1月3日までパリのtheatre TreviseでDu plomb dans la teteというのをやってます。

 "humoriste"という言葉は、日本語の「漫才師」を訳するのに使われますが、いわゆる「ユーモア」を扱う人を総称してそう言うようです。だからユーモアのあるマンガを描く人もこれに入ります。

(あと一応このエントリーから続きます)

 ところで先先月(もうずいぶん前だな・・・)の筑波大学での講義のお題は「北アフリカ文化とフランス語」というものでしたが、受講の方々に、最初にFellagのDjurdjurassique bledを見ていただきました。

 フェラーグはアルジェリア・カビル系のユモリストで、『ジュルジュラシック・ブレッド』は彼の代表的スペクタクル(こういうのはなんて呼ぶんでしょうね? sketchという言葉がありますが、これは短いもののように思います)。古代からのアルジェリアの歴史を自嘲とともに茶化す内容なのです。
 フェラーグのは実に上品な、格調高い笑いです。
 さんざん自国民たちのブザマ、愚かぶりをこき下ろしても、一番最後を「アルジェリア万歳!」Vive l'Algerie !!!で締めくくるところは、感動的です。

 フランスにはこういう「アラブ系お笑い」というジャンルが存在するように思います。
 ことさら「アラブ系」と言いたてることなくフランスのお笑いということで総称されるべきなのかもしれませんが、彼らのギャグ、笑いにはやはりアラブの土地からフランスにやってきた彼らの立場というものが、どうしようもなく反映していると思うのです。

 ガド・エル=マレー Gad el MalehのDecalagesはモロッコからモントリオール、モントリオールからパリへと移民していく男の遭遇する悲喜劇で笑わせるものです。Chequer les bagagesのギャグには、大笑いしました。(^o^)

 ジャメル・ドゥブーズ Jamel Debbouzeは、もうご紹介するまでもないアラブお笑いの第一人者。ガド・エル=マレーとともに映画でも大活躍してます。最近美人のレポーターと結婚しましたね。
 筑波では Carlosの人種差別ギャグを告発したギャグを見ていただきました。こいつはよくできています。ひとつ間違えればお笑いどころか大顰蹙になってしまう危ないネタですからね。本当ならテキストをゆっくりながめ、映像を注視して綿密に分析すべき濃い内容を持っていると思います。ジャメル、頭いいですね。
 こういうのを、文学研究家が扱わないですかね・・・

 先ごろ伝記映画がでたコリュシュ Colucheやピエール・デプロージュ Pierre Desprogesのようなフランスの超有名ユモリストたちのギャグも日本ではそう受けるのが簡単でなさそうだというのは、やっぱり笑いというものが文化を超えるのには難しいところがあるからでしょうか。

 でも「越境」を背景にもつ現代アラブ系お笑いには、なんとなく普遍的なところがあるように思います。
 日本のわたしでも、ギャグが「分かる」気がするのです。
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白山比神社


 白山比神社の参道。

 雨でしたが、雨だから、美しかった。
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フランコフォニー


 フランコフォニー・サミットは、どうもあんまりたいした成果なしに終わったみたいです。サルコジさんも冷淡だったし。待ってたのですがJeune Afriqueにも論評が見当たらないです。

このエントリーとそのコメントから続きます)

 当たり前といえば当たり前なのですが、フランコフォニーというのは外からは道徳的に非常に不純なものに見えると思います。
 植民地主義の遺産としてそこにあるにもかかわらず、普遍的価値を具現しているかのようにふるまうのは越権というより、端的に言って偽善であると見える、ということです。
 フランス政府としてもこの点がやはり気になるので、かかわりがあまり前向きにはならない、というところがあるはずです。

 それに対するわたしの主張は、フランコフォニー自体は本質が偽善的であるかもしれないけれども、理念自体は学んでしかるべき普遍的価値を確かにもっているということです。
 また存在としてのフランコフォニーをことさら見ないように、あたかも存在しないかのように否定しようとすると、結局世界の現状においては悪弊しか生まないということ、とくにアフリカ、アラブ圏について変な無知状態に落ち込んでしまう、ということです。
 アフリカに関与することが現在必要なことならば、フランコフォニーは前向きに理解する心を持たねばならないと思います。
 現在のフランス語圏のアフリカやアラブがフランス語を捨てて英語で全部コミュニケートできるようになってくれるのを待つのは、文字どおり百年河清を待つようなものですから。

 今回日本がフランコフォニーサミットに招かれたのはよい機会だと思いますが、それだけに遅ればせながらもこちらの方面へのまじめな政策、まっとうで、現地の人のためになる政策を考えておかないと、日本は知らないうちに現地で弊害を垂れ流すことになって、アフリカにおける自国の存在感を示すこと、維持することもどんどん難しくなっていくのではないかと思います。

 それでアキレスさんのコメントへのお返事ですが(Jeune Afrique待ってたこともありますがえらくおくれましてすみません。なかなか複雑な問題でして)、生徒の囲い込み、というのは衝動というより生き残るための闘いの手段です。いまのような大学生き残りの熾烈な戦いがくりひろげられているときには、学生が来なければ予算縮小、そのうちポスト召し上げ、コース取り潰しなども視野に入ってきます。

 既存の学科というのはおおむね大学の発足時の社会的ニーズに合わせて作られているわけで、時代が変わってニーズが変わっても、既得権を気前よく手放す人はおりませんですね。このへんが問題なのです・・・

(フランス滞在のときのお話とか、書いてみたいことがたくさん残ってますが、相変わらず人生正念場ですし、そのあとどんどん日本でやったことも増えてきますし、なかなか難しくなってきました。でもブログって義務に思えてきたらアウトだと思いますから、気楽にやろうと思います)
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地震


三人の監督によるオムニバス映画 TOKYO! 見てきました。

 レオス・カラックスのは、悪いとは言いませんが、ドニ・ラヴァンが東京をさまよう怪人、というのはかえって当たり前のような気がします。『ポーラX』から9年も撮ってないというのじゃ、カラックスさん、やっぱり休みすぎでは?

 あとの二人、ミシェル・ゴンドリーとポン・ジュノはすごくよかった。どちらも登り坂のアーチストですもんね。東京風俗を扱いながら、東京や日本を知っている人でもはっとするような現実を切りだしてみせたという感じです。

 ネタばれになっちゃ悪いですからあんまり言えませんが、ゴンドリーは江戸川乱歩は読んでたのかな? 
 ポン・ジュノは、地震がよかった。
 彼の描く(香川照之の演ずる)引きこもりさんを見てて、わたしも引きこもりたくなってしまいました・・・ 

 普通わたしは、どんな映画見ても見たあとは元気が出る方なんですが、この映画は元気が出て引きこもりたくなったのが不思議。

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アルジェリア人のこころ


 というわけで摩寿意さんに進呈したエル=アンカのアルバムですが、こんなのです。

 こんなものまで日本盤が出るようになるとは、すごい時代になったものです。
 もっともこれはベルギーFassiphoneという日本とつながりのある会社からでているというのが大きいですし、そもそも日本のような大人口をかかえる国ではミリオンセラーにでもならない限りごく一部の人へのほんのわずかな影響があるにすぎないですけど。

 以前のエル=ハラシもそうでしたけど、エル=アンカも歌詞の内容が興味深いですね。日本人ならこういうことを歌の歌詞にしようとはあんまり思わないような、そういう内容を歌ってます。
 こういうのを「理解」するのが異文化理解だと思います。「異文化だから、こっちの文化とちょっと違うだろうけど、このくらいのものだろう」という漠然とした予想をはるかに超えて意表をつく文化があるんです。

 というわけで、わたくしの解説付きのこのCD、買ってくださいね。

(ところでわたくし事ですが、昨日はとてもいい言葉が聞けた気がします・・・ (@^_^@) )
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