不死について

 死、不死ということに思いを馳せてしまいましたので、エリアス・カネッティElias Canetti の『群衆と権力』Masse und Macht (1960)の中に出てくる「不死について」Von der Unsterblichkeitのことを書きます(なんだかこのところドイツ語ばっかしですね。(^_^) )。

 スタンダールについて書かれた最も美しく、本質をついた文章は、アランのでもヴァレリーのでもなくて、これだと思ってます。

このあいだLe Courrier Stendhal 第21号の校正をしていたとき(このメール雑誌はジャン=イヴが書いてわたしが校正をしてます。たぶん校正というのは、フランス語を母語としない人間の目の方がうまくできる作業のように思います)、先月ある研究会で「スタンダール読者カネッティ」という発表があったというニュースを見ました。場所はグルノーブル大学、発表者はルーアンのメイエル Christine Meyerという人です。

 ジャン=イヴは内容を知らないみたいだったので、グザヴィエとフランソワにメールで聞いてみました。二人とも発表自体は聞いてませんでしたが、グザヴィエは「L'Annee stendhalienne(スタンダール研究雑誌。年刊です)の次の号にレジュメが載るらしいよ」と教えてくれました。フランソワも「うん、僕もカネッティのがスタンダールへの賛辞でいちばん美しいと思う」と言ってきました。 (^_^)

 スタンダールが、自分は1880年に読まれるだろう、とか100年後に読まれるだろう、とか言っていたことは有名です。カネッティもそれを引き合いに出してはいますが、たぶん生前あんまり自著が売れなかったことに対する負け惜しみも少しは入っているに違いないスタンダールの台詞 (^_^;) をおうむ返しにするだけではありませんでした。

 カネッティのスタンダール賛からいくつか心に残る言葉を引用したく思います。わたしはドイツ語ほとんどできませんから f(^_^;) 和訳は岩田行一訳(法政大学出版局、1971年)をお借りします。ウィトゲンシュタインや奥先生や、その営みを多少ともわたしが受け継がせていただいた(と信じる)すべての方に捧げたく思います。


 Es ist gut, von einem Manne wie Stendhal auszugehen, wenn von dieser Art privater oder literarischer Unsterblichkeit die Rede ist.

 文学的な、あるいはその他あらゆる私的な不死の観念についての考察は、スタンダールのような人間を対象にして始めるのがもっとも効果的である。

... er ist darum nicht schal geworden, weil er das Verinzelte auf sich beruhen liess. Er hat nichts zu fragwurdigen einheiten zusammengefasst. Sein Mistrauen galt allem, das er nicht zu empfinden vermochte.

 かれは個々のことをもっともらしい統一にまとめあげようとはせずに、そのままにしておいたので、かれは浅薄にはならなかったし、陳腐にもならなかった。かれは自分を感動させないものはすべて疑った。

... als hatte er die Sprache auf eigene Faust zu reinigen unternommen,...

 言語を独力で浄化するという使命を自らに課したかのように見える男・・・

 Man wahlt sich die Gesellschaft derer, zu denen man selbst einmal gehoren wird: alle jene aus vergangenen Zeiten, deren Werk noch heute lebt, die zu einem sprechen, von denen man sich nahrt. Die Dankbarkeit, die man fur sie fuhlt, ist eine Dankbarkeit fur das Leben selbst.

 かれはかれ自身が他日、その一員となるであろう人びと、その作品が今なお生命をもち、かれに語りかけ、かれの糧となっている過去の人びとと交際することを選ぶ。かれらに対して抱くかれの感謝の念は人生そのものに対する感謝である。

 Es ist Werk gegen Werk, was sich dann misst, und es ist zu spat, etwas dazu zu tun.

 (生き残ることというのは百年後には)作品と作品の闘いという問題であろうし、かれ自身にはどうしようもないことである。

 Nicht nur hat man es verschmaht, zu toten, man hat alle, die mit einem waren, mitgenommen in jene Unsterblichkeit,...

 かれは殺すことを拒否したばかりでなく、かれは自分といっしょに同時代を生きたあらゆる人びとを、あの不死のうちに導くのである。

So bieten siche die Toten den Lebenden als edelste Speise dar.

 このようにして、死者たちは生者たちへのきわめて高貴な糧として現れる。

 Das Uberleben hat seinen Stachel verloren, und das Reich der Feindschaft ist zu Ende.

 両者(生者と死者)の間にはもはや激しい憎悪は存在せず、生きのこることからその棘は取りのぞかれたのである。

 ところでカネッティってずいぶん博識な人で、この『群衆と権力』も面白い本ですが、ジャンルを何に分類すべきか分かりません。タイトルは『かたまりと力』くらいの方がいいかもしれません。人間は集団になったときなんか別のものになるというわけで・・・ 
 ともかくカネッティの主著と言っていい本で、さらに「不死について」はこの本の中で「生きのこる者」Der Uberlebendeの章の締めくくりにおかれたかなり重要な節です。
 スタンダールを称揚する文章であることは明らかで美しいのは美しいですが、スタンダールのフレーズ自体がまったく引用されていないため、スタンダールのどの本のどんなところを念頭に書かれているか分からないのが困ったところです。おそらく自伝『アンリ・ブリュラールの生涯』の全体的印象で話をしているのだと思いますが・・・
 そこでフランスにいるときに少しカネッティのスタンダール観について調べたこともありました。もっともあまりこれまで研究はないようで(とくにフランス語では)、オーストリアの学術雑誌に載っていたインタビュー記録(これはソルボンヌの図書館で見ました。あのジョゼフ神父がリシュリューに設計図見せてるところを描いた大きな絵のかかっている閲覧室です・・・)を見つけましたが、カネッティがスタンダールの主要作品をだいたい全部読んでいるらしいこと、質問者が「不死の王者」スタンダールと「死の王者」ナポレオンが生前浅からぬ関係にあったことを指摘しても、カネッティ自身はこの両者の関係については考えたことがなさそうなことくらいしか分かりませんでした。
 今回のメイエルさんの研究によってより大きな解明がなされることを期待したいところです。

 それから、とくにドイツ語文学、ドイツ語思想関係の方から、この方面の研究について御示唆がいただけましたら幸いです。 m(_ _)m
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