森首相


 日経、今月の森元首相による『わたしの履歴書』は興味深いです。

 この人はサハラ以南アフリカに日本の首相として初めて赴いた人だそうですし、ロシアとも深い繋がりを持った人なのですね。アルジェリアのブーテフリカ大統領の名前も出て来ました。

 それまでの首相には、そういうのはできなかったことなのでしょうか。
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ライクサムワンインラヴ


 いやーこいつにはまいりました。

 キアロスタミが日本で撮って、カンヌで評判をとった『ライク・サムワン・イン・ラヴ』。

 筋は単純。でもこれほど複雑な映画もない。細部が意味深い。


 ・・・あのおばあちゃんが待っていたロータリーって、静岡駅なんですってね。
 するとあの映画、舞台は日本だけど、東京ってわけでもなく、どこでもない空間なわけですか。ということは、どこでもありうる空間ですね。

 キアロスタミ監督がこの映画を、日本の街角にみた「ウェディングドレスを着た若い女性」から着想したらしいというのは、なんだかすごいことです。

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戦後は各地で終わっているか


このエントリーから続きます)

 戦後は日本では完全に思想的にも終わったみたいですが、それは別に日本だけのことではないみたい。

 フランスでは、社会党からオランド新大統領が生まれたにも関わらず左翼全体の思想的空洞化がはなはだしいといわれてますね(最近Jean-Pierre Le Goffが出した本(この記事(フランス語)をご覧ください)がそのへんのところ詳しいらしいです)。

 韓国では独裁者といわれた朴正煕大統領の長女の朴槿惠大統領が誕生するし。
 中国籍の中国の人から出た初のノーベル文学賞が民主化運動に連帯していないと批判される莫言だというのも関係あるかも。
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えきでん


 次の日には京都で駅伝やってました。
 テレビにわたしの実家直近のローソンが映し出されまして↑。


 で、復路は現実を見ました↓。

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久しぶりのスタンダール、久しぶりの鍋


(このエントリー、書き始めたのはずいぶん前ですが、やっと仕上げて投稿します)

 ほんとに久しぶりのスタンダール研究会で、なんだか同窓会みたいだった12月22日土曜日。

 会場は懐かしの京大・楽友会館。おとどし改装されたんですが、壁が白くなっただけで、作りは昔のままです。
 こういうのは、いいですね。
 京大会館が建て替えのため閉館してから研究会は放浪の生活を余儀なくされてました。
 しかし、文化というのは、ずっと前からあって、これからもずっとあるであろう場所、みたいなものが必要なのかもしれませんね。新しいだけでは、根っこが浅くてすぐ倒れる。

 小野潮さんの『リュシアン・ルーヴェン』についてのお話も、下川茂さんの『パルムの僧院』についてのお話も、大作家の大作品を扱った御発表だけに、重量級のものになりました。

 やっぱり、文学研究って一生ものなので、大作家の大作品に取り組むべきなんですね。そういう作家、作品というのはいくら調べても、いくら考えても分からないところが残るので、汲めど尽きぬ泉のようなものなのです。「これはなんだろうなあ・・・」と考えて、それが頭のどこかにいつも残っていて、それが折に触れて「そういえば、あれはこういうことじゃないか」とかいう形で突如意識の前面に出てきたりするのです。まなびてときにこれをならう、かな?

(下川さんのお話をきいて何日かたって、サンドリーノを死にいたらしめるのは、やっぱり「スタンダール自身である」という言い方をしていいのでは、とはたと思いました)
 
 文学研究は、プロになるのは困難かもしれないけど、やっぱり全ての人が多かれ少なかれ、アマチュアとしてした方がよいことですね。
 この営みの伝統を途絶えさせてはいけませんね。
 
 そして久しぶりに河道屋のうどんが食べられました。
 これでこそスタンダールの年末というものです。
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2012年の終わりに思うこと


 年の暮れも相変わらず劣悪な忙しさです。先日からあんまり体の調子もいまいちです。なんとかノロウィルスは大丈夫みたいなんですが。

 あたまの動きもいまいちだなとは思いますが、気ままに心の向くままに考えが進むにまかせておくと、いろいろ変なことを考えます。

 ・・・ウェーバーにとっては内なるプロテスタンティスムが資本主義の原動力だったかもしれないけれど、それはサンシモン主義でも代替が効く、ということかもしれないし、リークアンユーさん(↑)が言う通り儒教もポジティブに働くかもしれないし、イスラム教だって十分対応できることのはず(イスラム教の場合は世界が野放図なマーケットシステム一辺倒になってしまうのをイスラム金融等でかろうじて抑えてくれているという話もあるし)。
 経済学でウェーバーを特権視する理由はないと思います。むしろいろんな見方があることを認めた方が今日ウェーバーも生きてくると思う。
 
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2013年、わたしのベストアルバム ライは永遠に


このエントリーから続きます)

 先週末のことを詳しく書く前に、結局ベストアルバムのお話にします。

 というのは今日27日の朝9時20分、NHK FMの「音楽遊覧飛行エイジアンクルーズ」でサラーム海上さんがKhaledのEncore une foisをかけてくださったからです。

 サラームさんが「ボブ・マーリーのNo woman, no cryとコード進行が同じで、欧米のプロデューサだったら嫌がって避けるところを、モロッコの名プロデューサRedOneはあっさりやってしまいますね」というようなことを指摘されたのを聞いて、あっそうか、と目からうろこが落ちました。サラームさん、さすがプロだなあ。

 しかもこの曲のあとClaude Francoisの話のついでということでハレド、フォーデル、ラシード・タハによるComme d'habitude(フランス語版)もかけていただいて。もう10年以上前に発表されたものなのですが、ひょっとして今ごろ「効いて」くる遅効性の薬みたいなものなのかも。



 というわけで今年のわたしのベストCDですが。

 じゃーん。

 ハレドのC'est la vie









 だってわたし「ライ大好き」ですもん。

 はじめからこれに決まっていると言えないこともない。

 でも「ハレドのニューアルバムは、アルジェリアで、アルジェリア人が支持している!」という情報を得て、あわてて聞きなおしながら、このアルバムの歴史的意義について思いをはせるというのがわたしの今日この頃なのです。



 こうなると「ライ」というのはもはや音楽ジャンル名をこえた、ひとつの精神のようなものになりますが。
 でもそれでこそ時代に密着し、リードする音楽の名にふさわしい。
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エミレーツ初のマンガ、らしいです


 週末は京都。例によってマンガミュージアムも行きました。

 ガイナックス流っていう特別展をやってましたが(もう終わってますけど)、そんなに面白いものではなかったように思います。アニメ制作の職場って女性はあんまりいないんだろうか、ということの方が気になりました。

 売店で「アラブ首長国連邦初のマンガ」という触れ込みのを売ってました。1000円。
 こういうものを、つい買ってしまう、いけないわたし。

 原作がアラブの人で、作画が日本の人ですね。

 アラブの人は、えーと、きーしゅ、むはまど、さどきー、かな? 
 日本のひとは、えーと、あーきーらー、ひーみーかーわー、かな? あそうか、これは姫川明ですね。

 さどきーさんの方は、すっきりした顔の写真が載ってます。メガネかけて、例の白い布に輪っか二つ巻いた頭で。

 なかみは、鷹匠のコンクールのはなしみたい。スポコンではないけど(そういえばインドで『巨人の星』のリメイクを、野球をクリケットに振り替えて作るらしいですね。おー星飛雄馬がインドの山奥で修行するか)、Bildungsroman的かな。

 試合は近代的なスタジアムでやってます。ノートパソコンもったアラブの人がそのへん歩いていたり。
 こういう現代社会的インフラがないところでは、「マンガ」ジャンルは発展しないのかも、とふと思いました。なぜだかわかんないけど。


 問題はこの作品が現地でどういう流通形態の中にあるかということですね。展示会みたいなところでキレイに飾られているだけだったら、なんも意味ない。
 そのへん、わたしにはわかりません・・・
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メインのジャンル


 前のエントリーからの続きですが。

 世界のゲイジュツトレンド(ほんとにグローバル化したのは最近とすれば、それ以前はヨーロッパ、アメリカ合衆国のトレンドということですが)、「メインのジャンル」というのは、

 19世紀まではずっと「おしばい」。

 バルザックのころから「小説」。

 第一次大戦終わるあたりから「映画」。

 そんでもって、映画のヌーヴェルヴァーグ流行の頃からは「テレビ」、かと思いきやテレビはテキストの定まったゲイジュツというわけではないので、ゲイジュツのメインジャンルは「記録音楽」になってたんでは、という見方はどうでしょうか。

 「記録音楽」って、つまりレコード、CDなどの媒体で流通する、固定化した音のゲイジュツのことですね。その隆盛というのは、簡単に言ってビートルズ以降ということになると思います。

 それでそれで、「記録音楽」が衰退した2010年代以降、なにがくるんだろう。

 「マンガ」かな?

 でも「マンガ」が世界を席巻するほどパワーを持ち得るだろうか。

 
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「音楽」自体が弱体化したかも


 すでに『ミュージックマガジン』の2012年年間ベストも出てしまいました。
 ワールドミュージック部門の第一位はハッサン・ハクムーンですか。まあ順当です。
 けど、わたしにはあんまりしっくり来ません。なぜかっていうと・・・

 ・・・いろいろ理由はありますが、ひとつには「音楽」そのものがなんだか時流にのらないものになってしまったような感じがする、ということがあります。
 時代に密着し、時代を表現し、時代をリードするものとしてずっと輝いてきた「音楽」そのものが、ずいぶん弱くなっちゃったような気がするのです。

 文学が世界に何かをなすことをあきらめてしまってからずいぶん時代が経ちました。
 音楽もまた時代の牽引役を降りるんでしょうか。

 ダウンロードという伝播法が一般化したせいか、記録音楽がどんどん「安っぽい」ものになっていきます。どんな有名アーチストでも、その新アルバムのリリースは昔ほど「大事件、大イベント」ではなくなっているのは明らかです。
 生演奏、生身の肉体をさらすスペクタクル、コンサートの場で作るCDなどなど、「現実での触れ合い」を重要視した活動を志向する向きが多くなったと思いますが、こっちの方はどうしても固定ファンたちの閉じたコミュニティ相手の活動、ということになってしまう危険をつねにはらんでいるような気がします。

 ・・・というようなことは、Jeune Afrique 誌の音楽欄、音楽関係記事が明らかに減ったな、と感じたことから、なんとなく思いました。


 で、今年のわたしのベストアルバムですが・・・
 アルジェのコンセルヴァトワールで共に音楽を勉強していたアラブとユダヤのアーチストたちが50年の歳月を経て再び集うという感動的な物語から生まれた映像と音の記録、El Gustoにしようと前から思っていました。シャアビの演奏としてたいへん見事なものです。

 でもね、年末の土壇場にきて、やっぱり違うか、という気になりました。
 粕谷さんはノスタルジーには耽らないひとなので。

 それじゃ今年のベストは何かというと・・・  

 ・・・その前に先週末のことをブログに書いておきます。久しぶりに余裕がありますので。

 
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