紙媒体の本をどうするか 1


 こんなもん、「よもやまよもやま」なのですが。

 もうわたくしも、残り時間でできる仕事が見えるようになって久しいです。
 実際の退職はまだかなり先ですが、「これ関係の仕事は、もうやってる暇ないよな」という本は、「処理」してます(「処分」ではない!と言いたい)。

 「本 de 募金」というのに本を送ると、売れたお金が寄付金になるということで、先日どさっと送りました。それでもまだほんの一部、頭が痛いのが洋書です。

 本は、どこかの図書館にあって、必要になったらすぐ取り寄せられることを確かめた上で、送り出します。
 ああ未練がましい。

 しかしこれから知の領域のデジタル化、ウェブ化が進めば、日本国領土の上にある多くの図書館に多数所蔵されている紙媒体の本は、全部残しておかなくてもよいだろう、場所が足らないし・・・ という話がかならずそのうちでてくるだろうと思ってしまうと、簡単に手放すのもためらわれて・・・

 それに、この仕事はもうできないだろうと考える、ということはそれだけ死を意識するということですし・・・

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イタリア


 ここを参照してください。

 ヤマザキマリ氏が

「イタリア人は、古代ローマ帝国の1000年の歴史、その後のベネチア共和国の1000年の歴史を持っています。この二つの1000年の歴史の中で、人間がやれること、やるべきことはすべてやってきたという感覚をたいていの人々は持っています。」

って言ってますね。至言です。

 加えてイタリア人は神の代理人と称するローマ法王の世俗にまで及ぶ支配、それから銀行、複式簿記の発明による経済支配も経験しているし、あと航海術とかルネサンスとかボナパルト家(元来トスカナの家系らしい)まで考えたら、世界はイタリアが作ったんじゃないの?という気がしてきますね。

[追記] ダンテと俗語論を忘れてました。(汗)

[追追記] フランコ・モレッティと文学の不平等、それと「遠読」も入れておきましょう。



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そうこうするうちに中国系大統領がアフリカに生まれそうだったんですが


 
 ガボンではジャン・ピンがアリ・ボンゴ現職と大統領選を闘いましたがまだ最終決着はついていない感じです

 こういうの、もっと日本でもウォッチングするひとが増えてほしいですね。ジャン・ピンさんは中国とガボンのハーフですが、アフリカ政界で重要人物です。
 ただもう70歳こえてますから、わたしとしては彼に自伝でも書いてもらって、読んでみたいところです。
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Sukiyaki 2016 bilan 収穫 6  Défilé, yotaka-andon.


 8月27日土曜日はお昼にわたし司会のワークショップがあったわけですが、写真をまだいただいてないので、パレードの方から先に。

 天気はかなりあぶなかったのですが、なんとかパレードは挙行できました。

 福野の夜鷹行燈。加賀、能登はこういうのが伝統で、ずいぶん立派なものです。全国的にはあんまり知られていないみたいなのが不思議です。

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オリンピック


 今回もシドニーのときと同じで、全部みたのは女子マラソンだけでしたが、このレースもそんなにドラマチックという展開ではなかったですね。

 リオ五輪。わたし的には:

○ベルニャエフ選手はソ連があった時代の不健全さを脱して体操界は真っ当になったのだ、ということを内村選手を弁護することによってアピールしたかったのだろうな、ということ

○ボルト選手は偉かったということ

○日本の若い世代は、団塊が思うよりずっと世界に伍する力を持っているということ(とくに男子400メートルリレーはほんとによくやりました)

を示してくれたかなと思います。

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モハメド・アリ! トランプ! いしいひさいち!


 モハメド・アリがこの時期に亡くなってイスラム教式のお葬式をあげさせたのは、トランプ候補に何か言わせたいためだったのかな? 最後まで大向こうをうならせる仕掛けを忘れないひとだったな。トランプ候補はそれに何か答えたのかな?
 あと二日で七十才になるトランプ候補を、いしいひさいちはどっかで描いてないかな。もうそこまでのお仕事は残念ながらされないんでしょうか・・・

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「もつ」ということ


 マルローついでにもうひとつ。

 禅の高僧の肖像に限らず、掛け軸の絵にはよく「賛」がついてますね。絵の上になにやら書いてある、鑑賞者のコメントです。ハンコも押してある。ある意味でこの絵を「所有して」「もって」、その絵にコメントを付け加えることをもって「参加して」しまう。

 「中国においては、宗教的なものを除いて、作品の享受はその所有ということにまず結び付けられる」(『空想の美術館』)

 ぜんぜん話ちがうのかもしれないけれど、断捨離的ミッションの仇敵的な思想。

 「大体私が勉強をしますときには、その後の勉強の仕方におきましても、この人と思うような研究者の学問の全容を、全体系きのいてうかがうというようなことを致したいと思いまして、なるべく全集を買いました」(日本経済新聞2007年9月2日、三浦雅士による引用。原典は白川静「京都の支那学と私」、『桂東雑記I』(平凡社、2003年)収録)

 お金を出して買って「もって」いなければ、白川静はあの大学問体系を構築できなかったのだろうか。

 もつってなんだろうね。
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サンチャゴのカテドラル


 カーヴァーの『大聖堂』 Cathedral は、あれは物語の核がカテドラルだから、話になるんですね。
 目の見えないひとには、それが何か、何のためのものか、説明することがとても難しい。


 サンチャゴのカテドラル。
 スペイン、ガリシアにあるサンチャゴ・デ・コンポステラのカテドラル。

 大学からお金を出してもらって仕事で行ってきました。旧大陸の西の果て。と言ってしまうと、ほんとの西の果てはアフリカのカーポヴェルデっていう話も出そうだけど。あ、アゾレス諸島とかも。

 これほど「夕陽」の光が似合うカテドラルはありません。

 このカテドラルが「大西洋」を向いているからでしょうか。
 わたしは巡礼たちのやってくる方向、東を向いているのかと思っていたのです。

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 きょう、金沢はアルビス田上店の駐車場からみた雲。風は強いけど、天気はいい、今日の雲。

 下の端が、なんか美しい形をしている雲のような気がしました。一種の鋭い感じがする、と思ったんですが、写真だとそうでもないかな・・・

 人間が作ったものでなくてもいいという条件なら、美しいものは偏在していて、お金を払う必要は全くないです。桜は散ってしまうし、雲はみるみる形を変えていくものではありますけど。

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 熊本で大地震がありました。エクアドルでも。
 それに比べれば小さなことかもしれませんが、金沢は今日、かなり強い風が吹きました。

 街路樹の桜が一本、幹が完全に折れてしまっているのを見つけました。

 花の盛りなのに、可哀想に、無理に折られてしまって。

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