「このように」


 上京したら行こうと思っていたところが溜まってました。そちらの印象を先に書いてから東京スキヤキ、それから富山スキヤキに戻ろうと思いますけど・・・ちゃんと戻れるかな?

 まずブリヂストン美術館で開催中の『ドビュッシー、音楽と美術 印象派と象徴派のあいだで』(10月14日まで)。


 上は、美術館の売店です。ドビュッシーせんべい、ドビュッシーまんじゅう、ドビュッシーもなかとか、売ってましたよ(まさか)。

 音楽と美術の相互影響、交錯を中心に据えた意欲的な展覧会ですね。
 この展覧会は音声ガイドにドビュッシーの音楽が入っているということで、値打ちだなと思って借りたのですが、思ったほどではなかったですね。
 声優の方があの世のドビュッシーに扮して日本語で解説するというもので、音楽も6箇所で入ってましたが(そしてそのひとつはドビュッシー自演のものでしたが)、だいたいはわたしにそんなに特別な印象を与えるものでもなかったです。わたしの感性が鈍いだけかもしれませんが。

 でも、ただひとつだけ、しかもこれだけあれば十分というのがありました。

 ルノワールの『ピアノに向かうイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロール』 Yvonne et Christine Lerolle au piano (展覧会のカタログの表紙になってるやつです)の前で、ドビュッシー『子供の領分』Children's Corner より『グラドゥス・アド・パルナッスム博士』を聞くことができました。
 それで、演奏がラフマニノフなんですね。
 
 これは素晴らしい。
 ルノワール、ドビュッシー、ラフマニノフの三人がブリヂストン美術館の、この場所に会し、わたしがそこに居合わせたという思いが。
 二回聞きました。

 何が素晴らしいかというと・・・
 うーん言ってみれば、 Doctor Gradus ad Parnassum って、これまでそんなにいい曲だと思ったことがなかったのに(この曲集ではわたしはGolliwog's Cakewalk しか興味なかった)、この体験で、この曲は「このように」「こう」「こんなふうに」いいのだ、というのが了解されたから、のみこまれたから、ですかね。

 この「このように」というのは、言葉では言いようのない、「このように」、としか言えないものと思います。

 これに似た体験というと、またJimi Hendrixになりますが、中学生のころラジオをヘッドホンで大音響で聞いていて、はっと、あ、ジミヘンという人の演奏は「このように」いいのだ、というのが了解されたときに近いかなと思います。

 それから、これも。
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さてシンポジウムですが

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 さて、26日のシンポジウムですが、これはかなり重たい話になりました。
 あらためてまとめ直すのはちょっと難しく思いますので、勝手ではありますが興味がお有りの方はアーカイブをご覧ください、と申し上げておきます。

 重たい流れになったのはスキヤキという場の責任ではなく、明らかにわたしの仕切りのせいです。その辺りは申し訳なかったところがあります。
 ただわたしとしては各パネラーにそれぞれの立場から率直な声を発していただくことだけを念頭においていました。その点から言えば大変成功したシンポだったと思います。

 OKIさんやアマジーグはそれぞれ明確に立場があって、それだけに理解しやすいメッセージを発してくださったと思いますが、わたしはそれが全てだとは思っておりません。
 あの場に廣瀬拓音さん(キウイ・パパイヤ・マンゴーズ)がいてくださったのは大変ありがたいことでした。廣瀬さんは日本に生まれ育ったひとりの人の生活感覚からどういう声が出てくるか模索している、そういう方だと思います。廣瀬さんの方がメッセージの発し方は先のお二人より難しいはずです。
 こういういろんな声が、主張が、メッセージが、ワールドミュージックという場でお互いを押さえつけることなしに何か共通の場を見つけることができれば、と思います。というかワールドの機能って、究極的にはそういうことだと思います。


 まだまだいろいろ申し上げたいところですが、明日は東京でアマジーグたちと再会しにいく日です。またあらたな展開があるかもしれません。楽しみです。

 ということで、あすあさっての二日間はブログお休みです。
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ブーラワンくん


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 グナワ・ディフュージョンの演奏をご覧に来られるかたは、ぜひDJのBoulaoneにも注目してください。

 DJ Boulaone(「ブーラワン」と読ませてます。ナジーブなんとかという本名のアナグラムらしいです)くんは去年もアマジーグのソロ公演に同行して来てましたが、グナワディフュージョンの正式メンバーとして迎えられ(このへんがアマジーグの工夫を感じさせます)今年も来日です。
 いつもニコニコしていて、満ち足りてそうな人ですよ。

 彼のソロアルバム、 Grigri 、300枚限定みたいですから、もしあした東京会場で売っていたらキープされることをお勧めします。
 わたし、スキヤキの終わった翌日(きのうですが)車の中でこれ聞いてて笑い転げちゃいました。
 とくにトラック2の『zoo』の終わりのところなんか、ストラヴィンスキー『春の祭典』のサンプリングが、なんとも悲しいほど貧相にふにゃっとフェイドアウトされてしまうのがおかしくて、おかしくて・・・

 この『春の祭典』という曲は、普通の「西洋クラシック」の曲が日本でもつ威光に、1913年5月29日パリでの初演が新旧の音楽観が激突する歴史的事件になった(客席は騒然、殴り合いの喧嘩も起こっていたとか)というオーラが重なり、音的には後方からどん、どんと迫るティンパニの迫力もあって、非常に神秘性を纏った、アンタッチャブルさを感じさせる曲になっていると思うのです。
 その崇高なる「名曲」のパーツをアラブ人の兄ちゃんがちょい、と切り取ってサンプリング、またにこにこしながらちょい、とツマミをひねって音を切ってしまう、その「なにげなさ」がわたしには目に見える。
 だから可笑しいんだと思います。

 これは別に彼がストラヴィンスキーを茶化しているとか、そういうことではないと思います。
 そんなことは全然ないし、問題はそこではない。
 わたしの笑いは、どちらかを貶めるものではけっしてないです。
 ストラヴィンスキーはストラヴィンスキーで自らの存在場所を音楽の領域に切り開くために、彼の前の敵、困難に必死で立ち向かってるのです。
 そしてブーラワンもブーラワンで自分の感性を真摯に表現しているのですね。それが戦闘的なものにならずむしろ笑いを誘うものになるというのは、ぜんぜん彼の責任ではなくて、彼が彼であるから、なのでしょう。






 
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もうひとつグナワ・ディフュージョン


 初日、24日のステージは舞台ソデから見てました。

 前から見ていたのではあまり意識しなかったのですが、グナワ・ディフュージョンの演奏隊形はアマジーグを中心にきれいな半円で包むような布陣になってました。
 これが本来のグナワ・ディフュージョンの姿なんだなと思いました。

 彼らは今回はアマジーグのソロの曲、『ミュージックマガジン』がワールドミュージック・ベストアルバム賞を与えたあの傑作アルバムの曲は、演奏しなかったです。
 アマジーグには、音楽より大事なものがあるということでしょう。

 東京の演奏でも同じでしょうか。このブログの読者諸氏もご自分の目と耳で確かめてみませんか?
 グナワ・ディフュージョン東京公演はあす8月29日、開場18時、開演19時で、場所は渋谷クワトロです。

 今回はわたくしも彼らを東京まで追っていきます。

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スキヤキ終了! とりあえず


 スキヤキ2012終了です。
 すげー密度が濃かった。

 とりあえずまず申し上げておきます。
 昨日26日ヘリオス・ステージでのグナワ・ディフュージョンの演奏は、これまでわたしが6回聞いたアマジーグのパーフォマンスのうちで、ベストのものでした。
 バランスがよかった。そして昔からのメンバーたちも5年の休みが入ったことによって感性がリフレッシュされ、新たな冒険にがーっと向かっていっている感じが、ありあり。
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さあ、ことしもスキヤキだ。シンポジウムは日本のワールドミュージックについて


 泣いても笑ってもあと24時間(宮田輝調)、「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド2012」もうすぐ開幕でございます。

 自分の担当することだけ宣伝する勝手をお許しください。
 ことしのシンポジウムは26日朝10時半~12時、於アートスペース(ヘリオス内)で:

 「日本にワールドミュージックは育つのか? ~世界から南砺 南砺から世界へ~」

というテーマのもと、アマジーグ・カテブ、OKI、廣瀬拓音氏らをパネラーに迎えて開催いたします。

 一般の方々の積極的参加、積極的発言を期待しております(そうでないとコーディネータのわたくしの立つ瀬がありません・・・ )、ふるってご参加ください。ワールドミュージックって、定義からして人によって皆違うと思われますが、その多様性そのものが意義あるものだと思っております。

 もちろん、入場は無料です。
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チュニジア人の声


このエントリーから続きます)

 チュニジアのLe Temps紙、Melek Lakdarによるブーシュナクとイランのグループの演奏妨害事件へのコメントです。

 「我が国で、その宗教的信条を理由に音楽グループに演奏させないとは、スキャンダル以上のものである! 二つの理由がわれわれに疑惑を起こさせる。

 まず最初にチュニジア人は何世紀にもわたってその歓待によって、開けた精神によって、他者への愛によって知られてきた。チュニジアは全ての文明を集積する資質をもち、思想的であれ、民族的であれ、神学的であれ全ての信条の混合を保持してきた。
 われわれチュニジア人は精神的変身の局面にあるのだろうか? われわれは排外主義者となり、われわれとは異なる人たち、われわれとは異なる宗教的信条をもつ人たちをもはや受け入れなくなってしまうのだろうか? ある人がわれわれの意見、思想、規範、宗教的実践を共有しないからといって、わが国土に錠をおろし、われわれは自ら壺の中に閉じこもろうというのだろうか?

 われわれは、宗教が個人的問題であることを忘れたのであろうか? われらが愛する預言者が、外国人相手に、その人がキリスト教徒であろうとユダヤ教徒であろうと他の宗教の信者であろうと通商をしていたのを忘れたのであろうか? 歴史を忘れる程に健忘症となり、われらの預言者が説いていた寛容、他者への愛、平和主義など全ての教えを押し入れに放り込み、新しい宗教を考案しようというのだろうか?

 なぜわれわれは、なんとしてもイスラムの姿を汚そうというこの作戦に貢献しなければならないのだろうか? 他者に心を開くことを、良き行いを呼びかけるこの宗教の姿を? なぜ差別と暴力の信仰を育て、先史時代の人間のように洞窟に引っ込んで生活しようというのだろうか?

 われわれチュニジア人のアイデンティティについて、或る者たちが汚しながら広めるイメージは滑稽でありまた悲しむべきものである!」

 この記事へのコメントには「この文化的フーリガンたちをとりしまるべき人たちが責任を果たしていない」「大臣を首にしろ」というのもありますが、ブーシュナク自身がベンアリ(Zabaと書いてありますね)が倒れる前は彼に迎合していたことを皮肉るものもあります。また演奏を中止させた原理主義者を「雇兵」mercenairesと呼んでいるコメントは、この蛮行はイスラム保守主義を奉ずる外国の干渉であると言っているわけですね。


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Heureusement qu'on a les Ainous chez nous


 出ました、マレウレウ初のフルアルバム、『もっといて、ひっそりね』!

 金沢のタワレコで探して、なかなか見つからないのでお店の人に聞いてみたら、「CLUB」のところにありました。そういうもんなんですか。

 OKIさんのトンコリ伴奏の入った曲も何曲かはさまってます。先のミニアルバムが完全なアカペラの凄絶斬新な和声が衝撃的だったのに比べて、本作はもっと親しみやすい作りになっていると思います。こういうのだったら、フルアルバムもゆったり聞けるでしょう。

 ジャケットに写っているメンバーは、よく見るとハイヒールを履いていたりするんですよね。民族衣装も、たぶん柄はモダンな意匠だと思います(ちがったらごめんなさい)。
 要するに「ワールドミュージックの精神」に沿ったイメージです。

 いやー日本にアイヌの方々がいて、本当に良かった。
 それでないと、ひょっとしたら日本の人は「ワールドミュージックのなんたるか」がピンと来ないままズルズルいくしかなかったかもしれません。

 マレウレウには世界を、遠くまで行って欲しいです。
 日本から人々がそれを仰ぎ見て、ものを考えるきっかけになるといい、そう思ってます。

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マグリットの月


 きのうの月。

 写真はどうしても像がダブってしまいますが、細い、いい月でした。

 まるでマグリットの絵に出てくる月みたい。

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ラクダル・ブラヒミ、シリアへ


 アルジェリアの元外相Lakhdar Brahimiさんが、コフィ・アナン元国連事務総長がせんすべなしと投げ出してしまった特使のポストに着任、おびただしい血の流れるシリアに赴きますね。

 このブラヒミさんという人はアルジェリア独立戦争中のFLN在インドネシア代表から自国の外相もしたし、国連のアフガニスタン特使、イラク特使やレバノン内戦調停役など、この上なく重要で面倒な役目を、いちばんやばい時期に引き受け、こなしている有能な人です。もう78歳ですからシリアを最後のご奉公と思っているかもしれないですね。とにかく国連が監視団も解散してしまったシリアにひとりで取り組むとは、頭の下がる思いです。

 無事に帰ったら、ぜひとも自叙伝書いて欲しいですね。

 しかしこういう人は、いまの日本から出せそうもないです。まあアルジェリア人のブラヒミ氏にはアラブ世界が自分の土俵だということはありますが・・・
 日本とアルジェリアではどっちが「大国」なんでしょうね。
 
 金沢大学国際学類から、将来こういうことのできる人材が育たないかなあ・・・


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