カナダ文学の授業 class on Canadian Literature

結局のところ、ウェストファリア的秩序、何事も国別に、大名ごとで話をする、という原則にのせられてしまう――これまで、仕方ないところはあったけど――というのが敗因だったんじゃないですか。

ウェストファリア的秩序が第一、なられっきとした独立国、ウェストミンスター条約のころすーっと独立国になって、今のもみじの国旗になったころ名実ともに独立したカナダ国の文学なんか、まっさきに大学にとりいれられなきゃいけなかったところではないですか?

でも「カナダ語」というのはない。既成の科、コースは英文、米文、独文、仏文、中文、日文できまり。という世界。露文にどんなに黄金時代があったって、西文が伸びて来たってしったこっちゃないという態度。
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授業はイベントに、イベントは授業に

La classe est une chose qui a lieu, se passe une fois pour toutes. Elle n'est pas un équivalent du document, écrit ou sonore, qu'on utilise dans la classe. La classe est inséparable d'une personne qui se donne dans la classe et qui montre que ce qui est donné vaut la peine d'investir du temps et du travail d'un être mortel dont la force et la vie ont forcément une limite.
いま他の先生方と同じようにわたくしも授業のためにがんばって「教材」をどんどん作っています。ただ、それが普通の授業をビデオで撮ったものであれ、パワーポイントに音声をいれたものであれ、他のものであれ、教材は「授業の等価物」でないことははっきりさせておかなければいけません・・・ 有名な先生が優れた「教材」をビデオやパワーポイントで作る;その先生が退職するときに勤務校が「おやめになったらどうせ使われないのですから、学校に引き取らせていただけませんか」てなことを言って代価を申し出る;有名な先生でもお金は欲しいしその方面でもう業績を上げる気もなかったとしたら、妥当な代価でその教材の使用権を売る;学校としては「〇〇先生の授業」というものを持っていることを、持ち続けていることをセールスポイントにできる;レポートのチェックのできるひとを雇っておけば、特に高給の先生を雇っておく必要はない・・・ そうなると若い人が職業として学業を続けられる可能性を減衰させるはず。初音ミクの出現が修行中ミュージシャンのアルバイトを困難にしてしまったように。

結局それに類したことが起こるのは不可避なのかもしれません。

そうなっても、学業への嗜好は続くだろうし、精神は思索を続けようとするでしょう。それは「人は知ることを愛する」からですが、それよりも「この営みは力も命も限りある存在が喜んで労力と時間を捧げる価値のあるものだ」ということを「先生」から自然に伝えられるから、であるはずなのです。
命はかない人間が喜びと共に教室内で語る言葉は、アクションペインティングの刻印のようなものを自らの身体に刻むアーチスト同様、「先生」の身体とともにあるべきで授業は、人間の身体が一回きりの生のものであるのと同じに一回きりのもの――ととらえるべきだと思います。



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いま必要なこと 1.女性への配慮

Ben, à mon avis, le Japon ne doit plus être si machiste institutionnellement après la crise coronavirus, comme avant. N'oubions pas que la culture proprement japonaise a été inaugurée par les femmes intellectuelles comme Sei Shonagon ou Murasaki Shikibu (Lady Murasaki)...
わたくしが最近変なことを言っておりますのは、要するに「まず」これです。800年くらい前に北条氏が権力を握って以来、日本の指導層は女性の力を低くみようとする「武」のひとたちがやってきたんだけど、いまや女性の力を生かさなければ日本社会はにっちもさっちもいかないところまできたのではないでしょうか。ただ現指導者層の政治家のひとたちのバックにはたぶん非常に男性優位的傾向のひとたち、団体が控えていて、たぶんそのひとたち、それら団体の構成員は平均年齢が高くて、自分たちが消えてしまう前に女性を押し返さないと「日本」自体が潰れると信じておられるのだと思いますよ。安倍首相の振る舞いはそういうひとたちの考え方についのってしまっているもの、なんではないですか。あとはネットの発達と若者の徹底した平和志向ですね。アルジェリアの日本ファンの方々、よく見ておいてくださいね。

この記事、すぐ消えちゃうかもしれませんが。
これ
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