日本人は冷たいか?


(前のエントリーに続きます)

 ところで『週刊新潮』のこの号では中井敦子さんの「とっておき 私の京都」( (^_^) 2週連続ですね。そういえば中井さんは生粋の京女でした)もなかなか趣深いのですが、いつもどおり本文記事最後は高山正之氏が書いておられます。

 この人の書くものの中にフランスがでてくるときはいつもボロクソなので (^_^;) 一種の爽快感を覚えます。最近共著で『日本はどれほどいい国か』なんて題の本も出されてるんですね。すごいなあ・・・

 しかしまあその、フランスにもちょっとはいいところがあるし、日本にも悪いところは多々あるわけで、他人のいいところと自分の悪いところというのは、なかなか自分からは見えないものだと思うんですけど・・・

 先日、夏のフランス研修に参加した金沢+富山大生の発表会がありました。
 彼等は研修に出かける前に日本で、そのへんで見かけた学生たち相手にいくつかの質問(「何を勉強していますか」とか「外国語は勉強していますか」等々)に答えてもらってからフランスに出発、現地でもまた同じように学生たちに質問調査するのが課題だったのです。

 回答の内容についてはここでは述べませんが、印象的だったのは質問するために声をかけられた大学生の反応です。

 日本では近くを通る大学生に声をかけても無視されたり、変な目でみられたりすることが多々あったそうです。
 これは、分かりますね。分かってしまいますね。

 でもフランスではそういうことが全くなかった、と彼等はいうのですね。みな非常ににこやかに答えてくれた、用事があったりして質問に応じられない場合も「ごめんなさい、でも頑張ってください」と励ましてくれたり、「あっちの方にもっと人がいますよ」と教えてくれたりした、というんです。こういう反応は日本の学生には全くなかった、というわけです。

 なんかこのへん、基本的なところでちょっと日本の人は負けてんじゃないかなあと思わされるところがあるように思います。
 ゼバイダさんはそうは思わなかったかもしれませんが、やっぱり多くの外国人が日本人の態度の中にある種の「冷たさ」があると言ってくる場合が多いように思えるのは、根拠のないことではないように思うんですよ。

 そしてこういう冷たさがあるとしたら、かなり本質的な弱点につながっているような気がするんです。

 これまた、だからといって変に卑下することもないとは思うんですが・・・

 ひょっとして「そういうフランス人の余裕の態度も、さかのぼれば植民地大国の高慢から来ているのだ!」とか言う人はいるんでしょうか?

 なんだか、自分で何言ってんのかわかんなくなってきました。 (*_*;)


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力道山と岡村正史と福田和也とプロレス


 岡村正史氏の『力道山』(ミネルヴァ書房、2008年10月刊)、すごく面白いのに仕事の合間の数分、数分をつなげて読むしかなくて時間がかかっていたら、書評は福田和也氏の「闘う時評」(『週刊新潮』10月30日号)に先を越されてしまいました。

 世にプロレスラー出身の政治家というのが案外いるのでも察せられるように(かの馳浩はわたしの住んでる選挙区から出てます。(^_^;) )、プロレスは政治に非常に似ています。わたしには、これほど似通ったものは他にないと思えるくらいです。
 またプロレスとフィクション文学の並行性も明白だと思います。プロレスは八百長だから無意味だ、というのは誰でも一度は思うことなのですが、それじゃフィクション小説は虚構なのだから無意味かと考えると、そんなことは言えるはずがないですね。
 なんかそのあたりから、プロレスにはもう一段階上の人間的真実の渦巻く場を含んでいるらしい、というのが見えてくると思うのです。

 そのせいかプロレスは、ロラン・バルトが『神話作用』をプロレス論から始めていることが象徴的に示すように、第一級の知識人の精神を刺激するのですね。
 村松友視以後、プロレスの高度に知的な見方というのが日本社会に認知されたと思います。

 力道山は、疑いなく戦後日本の生んだヒーローのひとりですが、それだけにこの人物について語られるとき、語る人の思い入れがうわーっと前面に出てしまって、その人の興味の側面からしか語られなかったきらいがあります。力道山の在世中にはまだプロレスの知的な見方などというのは存在しなかったのです。

 岡村氏がこの本で探究しておられる中心的興味は、これまで触れられてこなかった力道山が創始した「プロレス」という「ジャンル」そのもの、言いかえればプロレスについての集団的表象なのです。
 たとえば「力道山対フレッド・プラッシーの流血試合をテレビで見ていてショック死した老人が出た」という有名な話がありますが、岡村氏は「本当は何人死んだのか、本当にこの試合を見たショックで死んだのか」というような事実の確度の吟味から、老人ショック死報道の背後にあるマスコミの態度、プロレスに向ける視線、ファンやレスラー自身がプロレスに持っている思いを綿密に解きほぐしていくのです。
 本書は、力道山との同時代意識がほとんどない世代にして初めてできた仕事といえると思います。

 ですからこの本は、力道山在世中のマスコミ報道、関係者の証言を徹底的に調査して書かれた、ものすごいものになっています。
 著者の手なみは、博覧強記の実証主義文学研究者を思わせます。

 このへんに福田氏もうならされたのでしょう(一応福田氏とわたしはフツブン学者という同業者なので、僭越ながら氏の気持ちは分かる気がします)。
 今回福田氏は、単に「闘う時評」に『力道山』をとりあげたというだけではありません。話を他の話題や他の本には移さずこの一冊に集中させるだけでなく、福田氏の感想、主観はほとんど交えずただ岡村氏の本の要点を追うだけで『週刊新潮』の二ページを埋めているのです。福田氏が一冊の本にこんな破格の扱いをされた覚えは、わたしにはないです(『週刊新潮』毎号見ているわけではないですが)。
 他にネタがなかったのかもしれない、という可能性はありますが (^_^;) この扱いが粗末に見えないほど元の本にインパクトがあることは疑いないです。

 だから、力道山どころかプロレスのことも全く知らない、興味ないという方にもこの本はぜったいお勧めです。

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ゼバイダさん

(前のエントリーのコメントに続きます)

 ・・・と言っても、近くまで来られたら寄ってください、というゼバイダさんのお言葉に甘えて先月(まだ先月なんですね! もうずいぶん昔のような気が・・・)お宅にお邪魔して、ご飯をいただいてきただけですので、たいして書くこともありません。アマジーグはモロッコでツアー中とかで不在でした。

 カテブ・ヤシーヌの奥さんでアマジーグ・カテブのお母さんであるゼバイダさんは夫の亡くなった町、グルノーブルにずっと住んでおられます。
 ジャン=イヴがいるから、わたしはグルノーブルにはよく行くのです。
 なんか奇遇です。
 運命のめぐりあわせでしょうか。

 ゼバイダさんは、日本に来る前は、日本人は冷たいとかなんとかいろいろ聞かされていたけど、全然そんなことはなかった、皆さんとても暖かく迎えてくれた、と日本にたいへん好印象をもっておられます。なんだかこちらがこそばゆくなるほどです。まあこれはカンバセーションやメタカンパニーの方々の心遣いが通じたのだと思います。

 そう、東京の深夜にわたしもご一緒させていただいたお食事はほんと楽しかったです・・・ (^_^)
 カンバのおねえさま方も、たくさんアーチストを迎えるお仕事なのにも関わらず、カテブ母子との出会いは今も印象に残っておられるようです。

 ところで来年はカテブ・ヤシーヌ生誕80年、没後20年の年にあたるので記念行事とか学会とか、なにかないのですかとうかがうと、自分は特に聞いていない、最近アラブ関係の文化活動はたいへん低調で、先日マハムード・デルヴィッシュ(パレスチナの詩人)が亡くなった時さえ何もなかったのは信じられなかった、素晴らしい人だったのに・・・ と言っておられました。

 フランスやアルジェリアで何もないなら、日本でなにかやりましょうか? (^_^)y

 
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これ書くの、気が進まないですけど


(前のエントリーと、そのコメントから続きます。書いてから「ずいぶん偉そうなこと、危ないことを書いたなあ」と思いましたが・・・ うーんでもわたしほんとにこう思うんです)

 midiさんのお友達の言うその「いっぱいいっぱい」というのがドイツ文化の「粋」のことを指しているなら、たしかにそれはそうです。

 ただそれは時間の流れと共に徐々に過去に遠ざかっていくところでもあると思います。
 しかもドイツには、新しいスターというのも当分生まれそうにないのです。未来のことは誰にも分からないので永遠に、とまでは言いませんが。

 ドイツ文化、ドイツ語文化は残念ながら20世紀初頭に持っていたほどの輝きはもっていません(フランス語関係者がこんなことを言うとドイツ語関係者は怒髪天をつくかもしれませんが・・・ (^_^;)  わたしも若いころは「そのうちドイツ語学ぼう」と思っていたのです)。

 映画『おくりびと』は主人公の所属していたオーケストラが潰れるところから始まりますね。最後に演奏していたのはベートーヴェン(1827年没)でした。
 西洋古典音楽(その中核は明らかにドイツ古典音楽ですが)というのは、聞くに堪える音を作る(記録音楽というものがあるために聴衆は最高レベルの演奏というのがどういうものか知っている、というのもこのジャンルの足腰を疲弊させたと言えないでしょうか)ためのコストはものすごくかかるのに、端的に言って儲からないのです。商業主義的にそういうことを言うのではなくて、音楽を財政的に支えられるほどの聴衆の精神的支持も今、日本にはないということです(欧州ですら古典音楽の存続に四苦八苦する時代に、日本は欧州でさえないのだからこれは当然です)。
 西洋古典的「教養」という言葉の武器が日本で完全に効力を失ったとき(ということは西洋古典的「教養」を根拠に自らをエリート視することに快感を感じる人が決定的に少数になって力を失うだけでなく、それに依存して成立していた制度自体が崩壊するときということで、そうすぐではないように思いますが)、ベートーベンをはじめとする西洋古典音楽の巨匠たちの音が裸んぼで、ガチンコで21世紀の聴衆の耳と対決して「排他的に」勝つ(つまり、世界の他の音楽諸ジャンルが西洋古典音楽より劣ったもの、とるにたらないものと決定的に納得させる、ということ)とは、わたしには思えません。またそのことが聴衆の堕落、退嬰化を意味するとも思えません(アドルノ(1969年没)ならそう言うでしょうけど。アドルノは今読んでも、「彼の音楽観からすればこうなんだろうな」という相対主義者の思いしか浮かばないのですが、そう言い切ってしまうと彼の背後にあるドイツ思想の流れ全体を否定することにつながるのかなという気もするので慎重に考えたいのですが・・・)。

 だからわたしは、若い人たちがあんまり『のだめカンタービレ』読んでその気にならないことを祈ります。

 わたしの若いころはまだまだマルクス(1883年没)やフロイト(1939年没)、ハイデガー(1976年没)あたりは当然原語で読むのでなければ、という観念が一応知的に自負心のある学生にはあったと思います。
 でもこういうスターたちが年々過去の中に遠ざかっていくことと、ナチスが歴史に与えた衝撃、思想に与えた衝撃があまりに大きくそれをもろに被ったドイツがいまだ思想的混乱から立ち直ってはいないことが、世界がドイツを見る目をどうしても冷ややかなものにしているように思います。

 ただこういう思想的衰退は、ドイツに限らずヨーロッパ全体が思想的に行きつくところまでいったということ、フーコー(1984年没)やバルト(1980年没)が予言したとおり「人間」が消滅するとともにヨーロッパ思想の流れもひとつの大きな終わりを告げたということと軌を一にしているのかなと思います。ドイツだけでなくフランスもついにめぼしい思想家を持たなくなりました。(ヨーロッパにいま新思想があるとすればそれはイタリアでしょうが、これはどれほどの流れになるでしょうか)

       *****

 だから現代は思想的にも、また文学的にも、時代の先端は越境とか、混淆とかの場にあるのだと思います。
 「大物」が見あたらないように思えるひとつの理由は、境界にいる人々の業績というのが一つのスケールで測りがたいところにあるのでしょう。このあたり「発達」の方向性が自明である理科系とは違います。ノーベル賞だって文学賞は明らかに「持ち回り」です。ルクレジオは順番待ちリストに載っていて、たまたま生きているうちに番が回ってきたんですね。推薦者もたくさんいたでしょう。

 さて、フランス語圏にはあちこちにそういう越境、混淆の場があるのですが、ドイツ語圏にはそういうものは見つけにくいです(「フランス語圏」というのと「ドイツ語圏」というのは、概念のレベルが違うのです)。
 そして昔のドイツは、それをかえって誇りにできたし、現にしていたと思います。
 今でもそうだから(ただナチスという桁外れの暴虐の記憶があるためにこれが表に出てきにくいので話がますます難しくなっていると思います)、フランス語圏に近いものがドイツ語圏には絶対ありえない、あるいは作りえないということはないと思うのですが、ドイツ的にはあまりそういうことを意識したり、表に出したりする気が持てないのだと思います。

 そういうドイツ的立場からしてみれば、植民地主義という罪悪の結果としてできたフランス語圏というものが現実に存在するのをよいことに、それを根拠として民主主義だ、多文化主義だ、と高邁な理想を述べたてるというのは「ちょっとそれ、おかしすぎない?」「フランス人は恥を知らんのか?」と言いたくなるでしょう。これは全く当然のことです。
 ただフランコフォニー国際組織がセネガルのサンゴールやチュニジアのブルギバの側からの提唱でできたという経緯があってしまうし、さらに大きくは第二次大戦時、フランス本国がドイツに占領されるという決定的時期にフランス植民地がド=ゴールに権力基盤を提供したという事実(なぜならこのときのドイツは人種差別の権化のような思想をもって世界に戦いを挑んでいたので、アフリカ諸民族としては植民地帝国に対抗するドイツの勇敢な戦いぶりに心情的には共感しても、最終的に支持できるものではなかったです)があってしまうので、これまた表には出にくい話なのです。

    *****

 しかしながらそういうフランコフォニーへの違和感が、日本のような歴史的にドイツへのシンパシーの強い場で生かされ醸成されると、結局結果として、若い学生が今の時代の先端のホットな状況に触れ、理解するのを阻む方向にしか働かないことになってしまうのだと思います。
 
 おおげさな話になりましたが、わたしの考える限り、この問題は普通日本の人が考えるよりはるかに大きな問題なのです。
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京都外大のシンポジウム

このエントリーに続きます)

 それでフランコフォニーですけど、これを日本の語学教育全体をめぐる議論のなかに置いてみると、フランス語教育の枠内だけで話をしているのとは違う、難しい様相を呈すると、かなり前からわたしは思っています。

 さる10月11日、京都外国語大学で日本フランス語教育学会の秋季大会が開かれてました(↑は懇親会場の建物)。そのときもそれを痛切に感じました。

 この日は、最初ベルギーMons-Hainaut大学名誉教授 Raymond Renard氏の講演がありました。この人はぜんぜん知らなかったのですが、気宇壮大なお話で非常におもしろかったです。
 "La laicite, valeur universalisable de la Francophonie"というタイトル(「フランコフォニーの普遍化可能な価値であるライシテ」くらいですか)で、ルナール氏は普通「非宗教性」「政教分離」とでも訳すしかないlaiciteが、デモクラシーと精神性とがないとなりたたないものと規定してこれをフランコフォニー固有の普遍的価値とし、interculturel(これも最近よく使いますがうまく訳せないですね)をフランコフォニーの切り札と呼ぶわけです。
 氏はこういう考えを多くの宗教が共存するレバノンで着想したのだそうです。

 でもルナール氏の講演のこのフランコフォニー礼賛と、氏の講演に続く諸外国語の教育とCEFR(欧州共通参照枠)についてのシンポジウムで出た話には、大きな見方の違いがあるように見えました。

 ドイツ語教育の第一人者杉谷真佐子氏は、語学教育にはそれが生まれてきた文化-- ドイツ語ではKulturですね -- の教育と合わせるべきである、という趣旨の議論をされました。これはこれで説得力のある議論なのですが・・・

 わたしの問いたいのは、フランス語教育を支えるべき「文化」とは、フランス語でいうなら「フランス文化」なのか「フランス語(フランコフォニー)文化」のどちらにあたるのか、ということです。
 というか、この問題は、「フランス語教育が組むべき文化教育とは、フランス文化教育か、フランス語文化教育か、どちらにあたるとするべきであるのか」という問い方になるのだと思います。

 「フランス文化」ならヨーロッパの一国家としてのフランスの国境を基本的に超えない範囲の中で生まれ、育った文化のことになります。
 「フランス語文化」の方、つまりフランコフォニー文化の方なら、これは世界に展開するもので、諸々の文化を含みこんだ「文化の文化」(ルナール氏はまさにculture des culturesという言葉を使いました)ということになり、もちろんアルジェリアやセネガルなどフランス語圏におけるフランス語による営みが全部入るわけです。
 少々単純化しすぎの観はありますが、基本的にはそう言ってかまわないと思います。

 そしてドイツ語教育には、フランス語にとっての「フランス語文化」のようなものはないと言ってよいでしょう。杉谷先生のお答も「ドイツ語にはそういうものはありませんね」というものでした(実を言うとわたしは、ある場所で杉谷先生に同じ質問をたしか10年前くらいにして、やっぱり同じ答えをいただいていました・・・)。

 ここにおいて、ドイツ語教育とフランス語教育は立場が違うことがはっきりしています。日本において、いろいろなところで共通するところの多い二つの言語ですが、ここにおいて大変大きな違いがあります。

 ただ日本のため、世界のためになる語学教育体制を構築することを考える、というだけなら話は難しくないはずです。日本のフランス語教育が「フランス語文化」の方を自らの教育の基盤の文化とする方が国益にかない、また世界を益することだとするなら、フランス語教育がこの方向性を取る方が正しいし、一般社会と他の語学の教育者もこの方向性を妥当なものとして支持・協力していただいてしかるべきだ、ということになりそうなのですが・・・

 しかしここには大きな思想的問題が絡んでいるので、簡単にいかないし、現にうまくいっていないと思うのです。
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女盛り

 ・・・個人的にはいま人生の正念場で、ブログなんか書いてる暇はほんとはない感じですが、とりあえず書きかけのやつを完成してアップしておきます・・・ (^_^;)y

 ライの大御所Chaba Fadelaさんももう50歳近いですが、CDジャケを見る限り彼女も若いですね。アメリカのマドンナさんなども見るにつけ、いまや女性の50歳は女盛りです。
 ナビルの話によるとファデラはもうあんまりたいした活動はしていないそうですが、録音はそれなりにやってますね。
 新アルバムのTout simplement raiはRayanとかいう若手男性歌手とデュオになっていて、冒頭にはかの名曲 N'sel Fik「きみはぼくのもの」が入ってます。
 これはファデラが元旦那のSahraouiと歌って、1987年にライ初の国際的ヒットとなった記念すべき曲で、ライ全体のエンブレムみたいな曲です。何度も録音されてまして、わたしは1995年にBill Laswellのところで録ったバージョンが大好きで今でもよく聞きます。
 二曲目Kiyti majani noumはほんとにいろんな表記法があって紛らわしいのですが、1979年ファデラ単独で歌ったライ初のアルジェリア全国ヒット、Ana ma h'lali ennoum「もう眠りたくないの」でした。今回はラヤンとのデュオですが、ラガマフィン調にしたててあります。

 その他アレンジ全く今風のアルバムです。ファデラもぜーんぜん枯れずにひたすらライしてますね。(^o^)

 
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サミット、ルクレジオ


(このエントリーに続きます)

 さて今日からフランコフォニーサミットですけど、日本のマスコミはちょっとでも報道してくれますかね? 心配です。

 ところでこのサミットについて報じたJeune Afrique12-18 octobre号にはルクレジオのノーベル賞受賞についても報道されてます。彼はフランスとモーリシャスの二重国籍なんですね。考えてみれば当然ですが、うかつにもわたしは気がついてませんでした。
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お願い

 突然ですが、お願いがあります。

 現在パリ在住の方で、7歳の男の子のベビーシッター et/ou 日本語の先生をしてくれる方がおられましたら、ご紹介いただきたいのです。その男の子本人が日本語を習いたいそうです。
 わたくし(raidaisukiアットマークmail.goo.ne.jp)までメールいただければ幸いです。

 つまらないお願いで恐縮ですが、フランスのさる高名な作家から依頼されたことなのでむげにできないところがありまして。

 このブログでみなさまにお願いをするのは初めてのように思いますが、どうかよろしくお願いいたします。 m(_ _)m

(et/ouというのは「と/または」ということですが、この書き方はやらせたのはひょっとしたらバルトくらいなんでしょうかね? ベビーシッター兼日本語の先生でも、あるいは日本語の先生だけでもよい、という意味です)
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うらしまたろう


 今回もまたジャン=イヴのところに行ったら、またいいものをもらってしまいました。
 フランスの漫画家が描いた『浦島太郎』の影絵です。作者のサインも入ってます。
 ありがとう。

 なるほど、変な日本人顔を描くよりは影絵にする方がずっとリアル。この漫画家も考えましたね。

 でも乙姫さまが昔の日本にあるまじきグラマラスなナイス・バディでした。(^_^;)

[追記]著者はAlexとJerome Blancでした。出版元のサイトがここにあります。

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第十二回フランコフォニー・サミット(於ケベック・シティ)


このエントリーをご参照ください)

 10月17日から19日までカナダのケベック・シティVille de Quebecで開催されるフランコフォニー・サミット、史上はじめて日本が招待されているのですが例によって日本のマスコミはほとんど報道しそうにありません。
 Jeune Afriqueの手元に届いた第2492号では特集を組んで報道してますので、それに基づいて今回サミットの要点について考えてみたいと思います。
 なんか常より宣伝臭のあるエントリーになっているかもしれませんけど、ご容赦ください。m(_ _)m

 まず同号に載っている基礎データから。
 フランス語は全世界で約2億人が話し、8300万人が学習している言語(世界の学習者数は英語についで2位)だそうです。もっともこれ、「話す」というのがどの程度のことを言うのかでずいぶん数字が変わってくると思いますけどね。
 また32の国で公用語となっています。
 フランス語圏国際組織 Organisation internationale de la Francophonie (OIF)には現在53の国が加盟しています。現在の事務総長はセネガルの元大統領アブドゥ・ディウフAbdou Diouf。
 フランコフォニー・サミットは現在では2年に一度のペースで開かれています。前回2006年の開催地はルーマニアのブカレストでした。

 まず注意が要るのは、普通日本語で「フランス語圏」という言葉を聞いた時イメージされるものとフランコフォニー、あるいはフランス語圏国際組織はかなり違うということです。それに属する国、地域のほとんど全員が日常的にフランス語を用いている、というわけでは全然なくて、ふつう英語圏、アラビア語圏、ポルトガル語圏などなどに含められる国でも平気でこのフランコフォニー国際組織に入っているのです。

 だから形の上ではフランス語がある程度使える人がある程度いるなら(ということは事実上全世界どこの国でも、ということになりますね)、そのフランス語の使用を根拠に参加できる組織であり、旧仏領の国ばかりが加盟しているわけではありません。
 もちろんイギリスのCommonwealthのフランス版という性格は厳然として残っているので植民地主義との関連がゼロであるわけはないです。
 でも扱う問題が理念的、理想的な枠組みであり、ある程度の普遍性を持っているのは否定できない、とも思うのです。今回のサミットでも主要4テーマが「世界におけるフランス語」「政治的諸問題」「(食糧の安全を含む)経済的ガヴァナンス」それから「環境」だそうで、「政治的諸問題」は「平和」「人権」「民主主義」「法治国家」の四部門に分かれています。

 肝心なことのひとつは言語文化です。フランコフォニーが「フランス語文化普及だ、他の文化はつぶしてしまえ」と言っているのかというと、全く逆なのです。
 文化的多様性擁護・促進というのがこの組織の中核でもあるので、この問題が世界的にクロースアップされてきた現代において、一時過去の遺物になりかかっていたフランコフォニー国際組織が元気を取り戻してくる原因にもなっています。

 フランスの立場もなかなか難しいです。フランコフォニーなんて植民地主義の隠れ蓑にすぎん、という冷ややかな見方をされるのをフランスも気にしてますし、お金をつぎ込んでもどの程度どういう実効があるのかよく見えないということもあります。でも半面この組織でのフランスのまっとうな活躍が期待されているところがある、というのも否定しがたいのです。

 日本にいるわれわれも、フランコフォニーとフランスの文化政策の世界展開をことさら無視しようとすると、かえって単一文化の悪い形に落ち込んでしまう危険性が大になってしまう、というのが現実だと思います。
 別にフランスべったりになる必要はないし、なってはいけないけれど、日本と世界をもっと資するような協力、利用の仕方がフランコフォニーにはあると思うのです。

 さて今回サルコジ・フランス大統領はこのケベック・サミットも初日と二日目だけで帰っちゃうそうですが、フランコフォニーに対する彼の態度をはっきりさせるはじめての機会だけにかなり注目されてます。
 というのは彼の「選択的移民」法案の試みに関してこれを「道徳的に受け入れがたい」としたディウフ事務総長との間に激しいやり取りがありましたし、今年初頭には国際フランス語テレビ局TV5(テーヴェー・サンク)国有化の試みなど外国向け視聴覚関係のリストラを目論んでいたりしたからで、今回はサミットはフランス大統領がフランコフォニーにどれだけ積極的なのか見定める機会となると思います。

 マグレブ諸国関係では、今回チュニジアのベンアリ大統領が欠席ですがこれは別に大きな問題があるからというわけではないでしょう。モロッコのモハメド六世国王(ときどき「M6」と書かれますね)はどっちにしようか考慮中です。
 アルジェリアはまさに植民地主義的性格を問題にしてフランコフォニーに正式加盟していないのですが、にも関わらず過去二回のサミットに出席したブーテフリカ大統領はおそらく今回も出席だろうとJeune Afriqueは予測しています。かなりのカナダ企業(SNC-Lavalin, Dessau-Soprin, Rio Tinto Alcanなど)がアルジェリアで仕事をしたし、アルジェリアがこの組織に加盟してカナダと組めばフランスに対抗する一大勢力が作れるとアルジェリアにサインを送っていることもあって、カナダはブーテフリカ大統領の出席を大変期待しているそうです。なるほど。

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