海水注入中断がどうのというのではなくて


 「廃炉だと? この原子炉に何億円かかってると思ってるんだ」というような雰囲気が現場にあったと、今回の原発事故が起こった当初には報道されていました。
 東電トップが震災の時点で外国出張中で、日本に戻るのにものすごく時間がかかってしまい、本来なら現場で決断すべき人(それが誰だったのか存じません)が思わず責任回避気味に動いてしまっていたとしたら・・・ということも考えます。
 
 日経5月24日付「大機小機」欄「東電問題を考える視点」には:

 国のエネルギー政策の中核である原子力発電の安全確保と事故対策を含む総費用の計算を曖昧にし、世界最大級の(名目にせよ)民間電力会社に国策遂行の役割を担わせた、システム設計と運用の問題だ。

とありました。これこそ的を得た指摘だと思います。

 ただシステム設計というより、日本はそういうシステムしか取れないような成り立ちをした国なのかもしれないとも思えて、暗澹たる気持ちになります。
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金沢大がんばる


 日本と福島第一原発との闘いに関してこんな記事がありました。
 金沢大がんばれ! です。
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Little Freddie King Blues Band


 それで、ジャズ&ヘリティッジ・フェスの話は4日目の5月5日、フェスにいけた最終の日に跳んでしまいます。なんなんだ。でもこれツイッターじゃなくてブログですから・・・
 途中のお話はまた後からいたしますのでお許しを。

 それまで、ブルーズ・テントの前を通るたびに、そこから聞こえてくる音にひきつけられながら、他に聞いておかないといけない見ておかないといけないというのがあって、ブルーズ聞いてなかったんです。

 そこで出発の前の日のお昼頃、あまりにもったいないからブルーズ・テントに入りました。
 やっていたのはリトル・フレディ・キングという、フレディ・キングの息子みたいな名前のお爺さん(でもフレディ・キングとは関係なくて、ライトニン・ホプキンズのいとこ(ライトニン・ホプキンズはずいぶん昔の人だからこのcousinは単に血縁の意味かな)なんだそうです。こういう情報、ほんとに、ウィキペディアとiPhoneがあるおかげで地上のあらゆる人がその場で、即座に分かるようになりましたね。ほんとすごい世界になったもんだ。知的営みというものが根底からその性質を変えたという気がします・・・ でも間違ってないだろね?)。わたしはぜんぜん知らない人でした。

 すばらしい。
 こういうのって、いいなあ。いいなあ。
 ほんとに滂沱の涙です。これほんと。

 そのとき考えたんですが、このフェスに来て、わたしにとっての幸福最大量を得ること(ちなみにこれスタンダールの生涯の目標)だけ考えるんだったら、なんのことはない、ブルーズ・テントに一日中座って、ブルーズに浸っていればよかったかもしれないんです。
 ニューオルリンズの、本場のブルーズに。
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You shook me


 そこではっと気づいて、You shook meの歌詞をネットで検索してみました。
 ウィリー・ディクスンのオリジナルも載ってましたが、ツェッペリンのバージョンは、こんなのです。

You know you shook me. You shook me all night long.
You know you shook me. You shook me all night long.
You shook me so hard baby. Baby, baby, please come home.

I have a bird that whistles and I have birds that sing.
I have a bird that whistles and I have birds that sing.
I have a baby, won't do nothing ...oh, buy a diamond ring.

I said you shook me, baby. You shook me all night long.
I said you shook me, baby. You shook me all night long.
You shook me so hard, baby. You shook me all night long.

 現代はこういうのが簡単にネットで確認できるようになってるんですね。それだけ文化が正確に伝わり得るわけですが、でも別の意味の伝達障害が生まれているわけです。

 わたしがみたLed Zeppelin I のLPについていた紙の歌詞カードは全然デタラメでした(それにしても英語というのは発音の不明瞭な言葉ですね。LPに付いている歌詞カードなんてさすがに英語のネイティブの人が聞きとって転写してるはずですけどねえ・・・)

 「わたし」は男で、家族と別居しているんですかね。愛人が去ってしまってうろたえているようです。A birdは奥さん、birdsは子どもたちかな。家族にはなにもやらないけど愛人にはダイヤの指輪を買ってやるから戻ってくれ、ということですかね?
 全然違ってたら恥ずかしいです。

[追記] ちなみにツェッペリンのファーストアルバムに入ってた厚紙の「歌詞カード」に書いてあったのはこんなのだったです。

I have been burnt that whistle
and I have burnt that same
I have been burnt want you now say, oh oh...

これじゃ、なんのことかわかんないですよね。
でもわたしはいまだにこれで覚えてしまってたわけです。

・・・インターネットの世の中になって何が一番大きく変わったか?
 ハイカルチャーでないものに関する情報の精度が飛躍的に増大したことかもしれない、と思います。
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ブルーズ!


 You shook meでのプラントのハーモニカ、良かったですねえ。四人とも実に楽しそうにやってる。

 わたしにとってツェッペリンというのはへヴィーブルーズバンドであり、それ以外のものじゃなかったんだな、ということにやっと、やっと気がつきました。
 わたしにLed Zeppelinというバンドを決定的に印象付けたのはラジオで聞いたWhole lotta loveでしたが、ああいいなあ、音楽ってものがあってよかったなあ、と思わせてくれたのはYou shook meだったんですね。
 だからわたしは彼等の中後期の諸作を聞く気がしなかったんだな。

 帰って来てから、いま家にある唯一のツェッペリンのCD、リマスターのベストアルバム↑を聞いてみました。

 プラントがいまだに歌い続けているThat's the wayの入っていたサードアルバムのB面(アコースティックな音で統一してツェッペリンが新境地を見せた箇所)から一曲もとられてませんが、それ以上にYou shook me も I can't quit you babeもLemon songも、ブルーズ関係がないのが目につきます。まあこれらはオリジナル曲でないし、盗作ぽいのもありますしね。

 当然のことながら、You shook me が「よい」というのはツェッペリンが偉いからということではなくて、ブルーズというジャンルが偉いからです。十二小節の至福です。


 
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ニューオルリンズのジュークボックス


 フェスティバルの会場はニューオルリンズ郊外にありますが、旧市街、いわゆるフレンチクォーターの有名ディスクショップ Music Factoryの2軒ばかり隣にバーがありまして、そこのジュークボックスをふと見たら、ツェッペリンのファーストアルバムが入ってました(左上のやつですよ。念のため)。

 ずいぶん古い、しかもイギリスのものを置くんだなと思いました。プラントがフェスに出演しているからだろうか・・・

 いやこれは、Willie Dixon作のYou shook me、I can't quit you babeが入っているからか、と思いました。

 考えすぎでしょうか。
 だってここはニューオルリンズ。ブルーズの聖地ではないですか。

[追加] そうか、ツェッペリンはアトランティック所属でしたね。そのせいかも。2011.5.20.
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ぷらんと


 ベックの次、初日のトリはRobert Plant。
 「さあ皆さん、ロバート・プラントを呼びましょう」とかいうくさいアナウンスに爺婆が歓声を上げてから数分、ステージに現れた彼は、あいかわらず長い金髪をなびかせてますがだいぶんしょぼくれました。もう62歳なんだから(そうか、まさにウッドストック20歳の世代か)しかたないです。まあ最近の彼の風貌は例の『砂漠のフェスティバル』DVDで見てましたからそんなに目新しくはなかったです。

 わたしが大阪フェスティバルホールで聞いたツェッペリン初の日本公演が1971年ってことだから・・・げげ。40年も経ってる! たぶんわたしが最年少の客だったでしょうけどね・・・
ツェッペリン時代の曲で特定できたのは二つ(わたし途中で帰っちゃったし、だいたいツェッペリンのアルバムは5枚目以降は聞いてもいないですから、どうでもいい話にしかなんないですが)。
 That's the wayはフェスティバルホールでも、ペイジとジョーンズと三人並んでちょこんと椅子に座ってやってたのを覚えてます。その間ボンゾはお休み(ボンゾ。早くに亡くなりましたが、いいドラマーだったです。巧いし、パワーがありました。げんこでスネアを殴りつけてました)
 あとMisty Mountain Hop。この日はサビのところのコード進行をさらに単純にしたシンプルバージョン。プラントはこうやって、ここまでして歌いたいのか。

 若い頃はあれほど美しかった彼。力任せのシャウトで聞く者を完全に圧倒できた彼。

 その彼が老残の姿を平気で晒し、傷めた喉をいたわりながら、あくまで現役で歌い続ける。歌うためならサハラ砂漠の真ん中まで行く。
 申し訳ないけど今の彼の音自体には、わたしはあまり興味ありません。でも彼がしつこく歌い続けている、歌だけを続けているということには一種の感動を覚えます。

 最近の彼は女声ヴォーカルを横に置いてやってますが、もう自分では出せなくなった高音の幻影を聞いているのかもしれません・・・

 楽器といえば、ハーモニカだけはやりますね。今でもやってます。あのハーモニカも、枯れてますね・・・
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べっく


 さてこのジャズアンドヘリティッジ、「じいさんばあさんの客が多いなあ」というのが最初の印象。
 アメリカは初めてなので、当然こういうフェスも初めて。
 最近テレビで放映されていた1969年のウッドストック・フェスティバルのことを連想しながら会場をさまよいました。

 てことで、昨今ではべっくというとロウファイの方かと思いますが、フェス初日の午後メインステージに出てきたのはギターの大御所ジェフ・ベック。The Great Jeff Beckとアナウンスされてました。

 彼は少し前に金沢公演やったんですがねー。わたしはいいカッコして見に行かなかったです。金沢みたいなところで気合いの入った演奏してくれるかなあという気もしたし。

 ということで、このステージが生のジェフ・ベック初体験でした。

 相変わらず服の趣味が悪い。この日もわけのわからん青いしましまのちゃんちゃんこみたいな服。
 でも、相変わらず超うまい。この人は永遠のギター青年、でいい。

 Led Boots。この曲は1976年発表だから、ベックは35年弾き続けてることになりますね。実はこの曲、You know what I meanと並んで、わたしの鼻歌レパートリーのひとつなんです。
 あとこの時期の曲で、タイトルはたしかThelonius、というのも。

 A Day in the Lifeなんてビートルズナンバーもやってくれちゃってます。
 昔からベックって、自分が気に入った曲ならなんでも弾いてしまう人だったです。ロッド・ステュワートとやっていたころ突然『恋はみずいろ』L'amour est bleuなんぞを弾き出してロッドを唖然とさせたなんて話もありました。今となってはこういうの、フェスの主催者にとってはやりやすいですね。「今日の客は爺婆主体だから、昔の曲で喜ばせてやっちゃあいただけやせんか」って頼みやすいし。

 Little Wing。ジミヘンの曲をベックがやるのも爺婆の耳の中でエレクトリックギターの二大巨頭がダブって聞こえて、受けるのかな(この曲だけギター持ち替えた)。

 スライ&ザ・ファミリー・ストーンの I wanna take you higherなんてのもやりましたなあ。ちなみにこの曲には今をときめくトロンボーン・ショーティがゲスト出演。

 こういう数々の懐かしのナンバー、ウッドストック・フェスなんか聴きに行った人は涙ぽろぽろ、なんでしょうね。1969年のウッドストックに20歳で行った人は今年で62歳になる勘定です。そのくらいの歳の人、会場にごろごろいました。
 でもウッドストックにはかれらより上の世代はおらず、若者「しか」いなかった。30歳超えたらもうおしまい。いーじゅーこいたちゃんじー。考えてみりゃ、これはきわめて異様なこと。当時はこれが当然みたいな感覚だったけど、今じゃ考えられない。

 日本もアメリカも、若者は団塊世代の爺婆パワーに圧倒されちゃってますなあ。

[訂正]  すみません、アルバムWired最初の曲はLed Bootsというのでした。Wiredという曲だと勘違いしてました。訂正しておきました。11.05.31.
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Jazz & Heritage Festival


このエントリーから続きます)

 鈴木先生追悼エントリーはこのくらいにして、また音楽の話にいたします。

 ニューオルリンズへの旅の主たる目的は「ジャズ・アンド・ヘリティッジ・フェスティバル」を聴きにいくことでした。
 できれば、ルイジアナの黒人フランコフォン・コミュニティについて調べる足掛かりを得たいなと思ってましたが、こっちはさすがに短期間では無理でしたね。本は買ってきましたが。

 いうまでもなく――と言っていいんだろうか?――このフェスは「ジャズ・フェスティバル」としてスタートしたのですが、かなり早い時期――1976年――から既に「ジャズ」一枚看板ではなく「&ヘリティッジ」と付けるようになってます(ヴィンテージ・ポスター展示があったのでそのことが分かりました)。
 フェスの会場はたくさんのステージ、テントがありましたが、「ジャズ」のステージは会場の一番隅っこに押し込まれ肩身の狭い思いをしていました。

 ・・・アドルノが噛みついていたのは、そのジャズだったな。こんなところに噛みつかれても、もうあんまし痛くないよ。

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わたしは


 それではわたしに関してはどうかというと、たぶん「『パルムの僧院』って、そもそも何か?」みたいなことが頭にあるかなと思います。自分のやっている究極の目標、こだわりがあまりはっきり表現できないというのは変なものですが。
 このことが『ラミエル』や『二人の男』の問題意識と呼応するところがあるのかどうかは、セルジュの仕事が完全に表に出ないと分からないです。

 『パルム』というのはバルザックの言うとおり、各章に崇高が炸裂する、素晴らしい作品だと思います。でもわたしは、第一部は完璧に分かると思うのですが、第二部が何なのか分かりません。

 ここでこのブログの読者の方々に分かっていただけそうな言い方を考えたのですが・・・
 こんな風に言えるかもしれません。そもそも『パルム』はいちおう「小説」なのですが――たしか池澤夏樹は「娯楽小説の原形」とか規定してました――、スタンダールとしては『パルム』を書きながら、広い意味(スタンダール的意味)での「感覚」に導かれ、何かの観念の糸を必死でたぐっているのであって、それがたまたま小説として現れて、それがまた小説としてきわめて面白くなった、にすぎない、ということではないかと。
 第一部に関してはこれだと思うのですが、それでは第二部は? ファブリスはクレリアを愛することで、「何」をしているのか? 言い換えればスタンダールは「愛すること」の本質をどこに置いているのか?ということだと思うけど、その問いのたて方でいいのか?

 そもそも1997年にはこれを考えるつもりでフランスに行ったのでした。授業はベルチエ先生のに出るだけで。
 でも帰国の前になって「だめだ、これはもう一年要る」と気づいてしまいました。そんなことは大学在職中はできるわけもないので、もし天が寛大でsi le ciel est clementわたしに退職後いくらかの寿命と、思考を続けられる頭と、生活を支えられるお金と環境を与えるならば再び取り上げよう、ということにしました。そうしか仕方がないです。Si le ciel est clement.

 それで、代わりに「ライ」を日本に持って帰ってきたわけです。これはこれで日本に非常に貢献しているはずです。

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