最初の人間


 Le Premier Homme 見てきました。

 フランスは幸せです。イタリアという先輩、客観的な目を持っているから。
 アルジェリアとフランスの関係については『アルジェの戦い』が、ポンテコルヴォというイタリアの監督の作でした。
 カミュに関してはヴィスコンティの『異邦人』があるんですが、これはまあ、パス。

 「最初の人間」というのは、DNA的には人類発祥から綿々と続いているものながら、精神と呼びうる精神をもった存在は、この作品におけるジャックが最初の人なので Le Premier Hommeなのだ、というのが第一の意味だと思います。
 彼の母が文盲だというのがそれを裏付けています。
 本当はこの母の役は、休みない辛い労働の人生で「人格」という贅沢品を持ち得なかったような顔の人にやってもらうとそれがはっきりしたはずですが・・・ これが「映画」というものの限界です。

 爆弾テロのシーンが出てきます。
 このテロを実行していたのがFLNで、現在もアルジェリアの政権にある「グループ」です。
 先日の人質事件でテロリストを倒した側の人たちです。正当な政府であり、その軍は公認された軍です。

 ということを言って、お前は何が言いたいのだと問われるかもしれません。
 わたしも、なんと言っていいか、分からないです。

 ただこの映画の雰囲気は、見る前に想像するような暗く、重いものではないように思います。
 あまりにも問題が明白に見え、そこには「正解」などあるわけがない、ということがあっけらかんと見えすぎるから?
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Argoが


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 今日の新聞で映画Argoがアカデミー賞で三つ賞を取ったという報道がありました。
 へえ。そんな気はなかったんですが、わたしはいいタイミングで見たんですね。(ところでアカデミー賞って、権威ある賞なんでしょうか?) 
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非常に感じ悪いけど、たしかに正論

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 同じ2月3日号の「海外メディアから」欄では、英誌『エコノミスト』1月26日号社説を紹介して同誌が:

「(サハラ(砂漠の地帯)は豊かになって初めて安定する」「アフリカで増えるイスラム教信者の大半は聖戦(テロ活動)に反対」と指摘し、先進国の積極的な関与を呼びかける

ということだけ書いているのですが。

 この「豊か」「増える」というところはよくよくその意味を考えるべき重要なポイントだと思います。

 日本が「先進国」でありたいなら「積極的な関与」は、しないといけないと思います。



 こういうことを帝国主義の親玉イギリスのメディアから言われると非常に感じが悪いのですが(それを日経がアシストして日本国民に伝えているわけですが)・・・

 でも、これ正論だから仕方がない。

 イギリス、フランスはさすがに帝国主義本家だけあって、「事情はよくわかっている」んだと思います。


 読者諸兄はどう思われますか?



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2800円


 このごろ忙しかったので読めてなかった紙媒体新聞を急いで読んで。

 日経今月の「私の履歴書」(先月の渡辺淳一氏のは各回とも歴史的観点からいっても非常に興味深いものでした)はオンワード樫山の顧問の馬場さんという方ですが、読んでいるうちにふと:

 アメリカではJohnとかBobとか、人はファーストネームで呼び合うというのが基本、というのはやはりこの国が民衆の国を志向していることになっているからだろうか、イギリスではSherlock Holmesの時代でもワトソンは「ホームズ!」と呼んでいたのだし。日本は苗字、というか官職名(右大将、とか課長とか)で呼ばないと落ち着かないというのはなぜか。「きらきらネーム」というのはなんだろう、「民衆」の「貴族」志向の、特異な噴出形態だろうか、とか。馬場さんという方が名家の姓を継がれた方なのでそのようなことを考えたのでしょうか。

 日経2月3日の書評欄。わたしの興味を引いた三冊:

 『フレディ・マーキュリー 孤独な道化』
 『トクヴィルが見たアメリカ』
 『ピアフのためにシャンソンを』

は、翻訳でもありますが三冊とも2800円だったのがなんとなく面白く思いました。
このところ「2000円以上の本は売れませんよ」という話だったように思いますし、自分でもたしかにそうだなあと思っていたのですが。
 なんかひとつのトレンドがここにあるのかも・・・
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入試

雪だ・・・
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Argo


 例の「粕谷の法則」によると「あの映画つまらないよ」と言われた映画はたいていそれなりに面白い、というわけですが、その逆「あの映画面白いよ」と言われた映画は、たいていあんまり面白くないことになります。

 この映画、 Argo も、それにあてはまりました。
 面白いという話だったんで見てみたんですが、わたしは面白くなかったです!
 飛行場のカーチェイス。なんですか、あれは! 飛行機はもう離陸する寸前の猛スピードなんだから、パトカーで迫ったって轢き潰されるだけではないですか! イラン人はそんなに愚かだろうか。

 あとで調べてみたら、やっぱり当事者のカナダの元大使が「これじゃカナダがほとんど貢献していないみたいだ」とベン・アフレックに苦情を言っているという話がみつかって、さもありなん、と思いました。

 1980年当時、カナダのおかげでアメリカ人人質が助かったというのでThank you Canadaという感謝が全米からカナダに送られたのを、わたしも覚えてます。

 この映画を見たアメリカの人の中には単純にこれを真実と思い込む人も多いだろうし、これはフィクションで事実を歪めているはず、と思うだけの批判精神をもった人も「やっぱり偉かったCIA、USA」という像――虚像ですが――を心の中に残すでしょう。
 そうあってほしい、という像だから。

 (映画、漫画等も含む)文学は、こういう力を持っているから怖しいのです。

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クーシューとハイカイ


このエントリーから続きます)

 わたくしの自作の「HAIKU-HAIKAI」のファイルが一時的に行方不明になっていましたが、ありました。これを見て書きます。

 俳諧Haikaiをフランスに伝えたのは、そのカーンの世界周遊給費で1903年から1904年に日本に滞在したクーシューPaul-Louis Couchoud (1879-1959)です。この人は哲学、精神医学が専門の人ですが、この世界周遊給費生に選ばれて地中海諸国からアメリカ、カナダを通って日本に来たのですが、日本で周遊をストップして、とどまったというんですね。

 この国に特別な何かを見つけたのでしょう。

 俳句の価値を最初に認めた西洋人はいわずとしれたハーンですが、普通のイギリス人があまり興味をもたなかったのに、フランス人はぱっとこのジャンルの真価に気づいたようです。

 19世紀後半に日本の美術・工芸品がフランスにもたらされてヨーロッパに「ジャポニスム」ブームを起こしたのは周知の通りですが、文学の分野での日本文化の紹介はこれより遅れるものの、これまたフランス人たちによって紹介され始め、とくにこのハイカイというジャンルはかなり注目を集めました。ヨーロッパ人たちは最初「これは何か」「これで何を目指しているのか」がよくわからなかったみたいです。

 Haikaiはクーシューからジャン・ポーラン、ポール・エリュアールといった錚々たる文学者に伝わっていきます・・・  Nouvelle Revue Francaise no.84, 1920年9月1日号はHAI-KAIS アンソロジーになっています。

 平川祐弘など「(エリュアールの)新しい詩的世界の現出には間接的に日本の俳諧が関係していたのではないか」と考える論者もいます。シュルレアリスムというものの本質を考えたら、全然おかしくない。

(以上、柴田依子「詩歌のジャポニスムの開花―クーシューと『N.R.F』誌(1920)「ハイカイ」アンソロジー掲載の経緯」(『日本研究』第29集(2004年12月)初収)によっています)

 クーシューがフランスで最初のハイカイ紹介を行った1906年、早くもカタルーニャの評論家Eugeni d'Orsがこれをキャッチ、スペイン語圏へのハイカイ紹介を行ったようです(スペイン語圏への俳句の導入は一般にはメキシコのタブラーダの功績と考えられていますが)。そこからマドリッドのあの伝説的な「学生寮」la Residencia de Estudiantesでマチャード、ヒメネスそしてガルシア=ロルカといった錚々たる文学者にこの日本の詩ジャンルのことが伝わり、影響を受けた可能性があります。

(以上、田澤佳子「スペイン語俳句とマドリードの『学生寮』―ロルカ・マチャード・ヒメネスらを中心に―」(『大手前比較文化学会報』、2004年3月)によっています)

 ヴェトナムの詩人、小説家 Pham Van Ky(最初のaの下に点が、次のaの上に中国語の三声の印が、最後のyの字に鋭アクセントがついてます)は1945年パリ刊行の雑誌Existencesのなかで数篇のHaikaisを発表しています(もっともこれは四行詩をいくつも並べたような形で、575の俳諧という感じではないのですが)。この人は東洋の隣の国の詩の伝統を自らの文学表現のために用いたのですね。

 こういうの眺めていると、ほんとうに楽しくなってきますね。心のたいまつが次々と受け継がれている様子が目に見えるようで。

 第二次大戦後、占領者として日本にやってきたアメリカ人に俳句が伝わり、それが「禅」と結び付けられてビート詩人などに影響をあたえていくにつれて、世界における俳句というとアメリカ系統のことしか知らない人が多くなってしまったのですが、やっぱり昔からフランスに伝わったハイカイのことも知っておきたいではないですか。

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へえっ!


 Jeune Afrique (↑)読んでたら、最後のPost-scriptum欄(Fouad Laroul筆)を見て「へえっ」って思いました。

 まあ、そうだろうとは思いましたけど、やっぱりそうですか。

 枝さん、ね・・・

 ちょっと日本語に訳してみますね。細かい注釈は後でつけます。

   *****

 「カルロスはルブーrebeu !」

 先週、衛星局Al-Arabiyaで見たこと。ルノー=日産社長、カルロス・ゴーンのインタヴューが予告されていた。ダヴォスから中継だった。美しい雪、山小屋、青空。インタビューが始まった。なんと! インタビューは英語でも、フランス語でもなかった。アラブ語だった。ゴーンはこの言葉を完璧にしゃべっていた。美しいレバノン訛りの、ジハーズJihazの言葉の中でも必要なテクニカルタームをなんの問題もなく発音していた。"cash-flow"みたいな英語語法を混ぜるのは稀だった。

 わたしも、他の皆と同じようにルノー=日産の社長がレバノン系だというのは知っていた。しかしふつうはこんなことを言うくらいで満足するものだ:彼はブラジル生まれに間違いなく、模範的学歴を持っている、つまりパリでmaths sup/maths spe、ポリテクニク、ミーヌなどなどだ。歌の文句みたいに「これで立派なフランス人ができあがる」といいたいところだが、彼の母語、彼がbrioをもって操るのは、シテや郊外の何千もの若者、ときには最初から人生を諦めたような、彼らの民族的出自が失敗を運命づけていると信じているような若者たちの言葉と同じ言葉なのだ。
もちろんだれもがX-Minesはできないし、ゴーンはJamhourのノートルダムのイエズス会のところを通ったからにはサラフィストのqamisに身を隠すのは避けられた。それでもやはり、努力する気のあるものにとって事実は事実だ。カルロスはルブーだ。彼らと同じに。

 カルロスはルブーだ! フランスで最もサラリーの高い男(年収1000万ユーロに届くという・・・)は我らと同族なのだ!
 ボンディとかモントルイユとかでもっとこんな風に言えばいいのに:ルブーだってサッカーと銀行強盗以外に大金持ちになる方法があるって。天からのいくらかの恵みに加えて、一生懸命働くことというのがそれ。言い古されたセリフで申し訳ない。何万ものアラブ系フランス人が仕事と才能で身をたてているのはわたしも知っている。私自身何十人も知っている。しかし彼らは目に見えない。しあわせだが、息をひそめている。偶然でくわすだけだ。カルロスは、見えるすべてだ。ならば彼をもっと見せよう。フランスやイギリスの財政アナリストを幻惑させる「ロードショー」ではなく、アラブ語方言で話している彼を見せよう。ときどき"zaamaや"ouallah"が入ればなおよろしい。郊外のガキの何人かはすこし数学の授業に興味を持つことになるかもしれない。

 まずは彼の名前を正しく発音しよう。GhosnはRossnと発音する。「小枝」「枝」、あるいは「開花」を意味するのだ。"gone"とは関係ない。それがわれらのBegagのChaabaのgoneであっても。Rossnは生命の、活力の、希望の象徴だ。これを言ってみよう!

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おっ!


 今日の新聞をよく見たら、森元首相がプーチン大統領と、かなり突っ込んだこと話してるじゃないですか。

 これは、ひょっとするとひょっとするかも・・・

 タイミングも絶好だし。
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勇利アルバチャコフ


(二つ前のエントリーのコメントから続きます)

 アルジェリアにも漢字名を作ってあげたいというのは、そうしたら日本人にとって格段に親しみのもてる存在になると思うからです。

 ええと、むかしユーリ・アルバチャコフというボクサーがおりまして、物凄く強い人で世界チャンピオンまでいったんですが、ボクシング界というのはなんだかずいぶん難しいところで、かなり苦労されたみたいです。

 この名前で日本チャンピオンやってたら、日本人に違和感があって「日本のチャンピオン(これは所属ジムからそういうことになるみたいなんですが)とは認めない」みたいな雰囲気になってきたのを、奥さんのアイディアで「ユーリ」を「勇利」という漢字にしたら反感がピタッとおさまった、というような流れがあったと思うんですが・・・

 ウィキペディアの勇利アルバチャコフの項にはこの話は載ってないですね。

 でも、あってもおかしくない話でしょう?

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