ヨルダンの顔と音

 ヨルダンに行っていたS 嬢が帰ってまして、感心にも約束通りわたしにおみやげカセットをくれました(上)。ありがとう! m(_ _)m (^_^) これはなんかお返しをしないと。

 むかしモロッコのカセットをもらって思ったことですが、カセットって嗅いでみたら、なんか現地の香りがするように思います。これがヨルダンの香りか・・・ 単に手垢の臭いかもしれませんが。 (^_^;)
 オマル・・・なんでしょうね、読めない! 誰かこの歌手ご存知の方おられませんか?
 この人、いちおう彼の地ではイケメンなんでしょうね。
 音の方はやっぱり、現地の音プラスエレキという感じです。たとえば一曲目はエジプト系アラブ歌謡にチョッパー・ベースが入ってます。ポップスは地球上ほぼどこでもこんな感じなんでしょう。
 感想。悪くないです。でもずっと聞くのはちょっとしんどいかな・・・ ちなみに収録時間はアルジェリアのカセット(平均両面で30分強くらい)よりかなり長いみたいです。
 
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清純派アイドル

 今週の『週刊文春』(こんなオヤジ雑誌読んでます。 (^_^;) )の目次に、沢尻エリカ嬢のことが載ってました。あれ、これ『パッチギ!』で主役に惚れられる在日朝鮮人の子の役をやった人だな、と気づいて読んでみました。彼女の清純さが日本のオヤジどもの心をつかんているんだそうです。 (^_^)y

 でも彼女「日仏のハーフ」と書いてありますけど、お母さんは「アルジェリア生まれのフランス育ち」ということですから、コロン系でなければたぶんカビル系の方でしょうね。
 清純派アイドルへの関心を通じて、もう少し日本人がアルジェリアを注目するようになったらと思いますが、無理でしょうかね? (^_^;)
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PAR TOUTATIS --- そうだったのか!

PAR TOUTATISというオベリックスのセリフについての謎を、黒猫亭主人さんが解いてくださいました。m(_ _)m コメントを御覧になっていない方もおられると思いますので、あらためてお知らせしておきます。
ケルト神話のテウタテスですか! なるほど、さもありなん、ですね。
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シェイハ=ネジュマ

 実は K 君はわたしの友人の Kh の友達で、去年アルジェの空港で行き違いになって会いそこねた人です。
 車に乗っている間、わたしの学生たちに聞かせるためのライ・コンピ(そうです、わたしライをテーマにゼミやってるのです。 (^_^)v )を聞かせてあげると、当然かもしれませんがやたら喜んで「外国にいる気がしない!」と言ってました。これに入れている曲は以下の通りです:

1. Fadela & Sahraoui, N'sel Fik (version 1995)
2. Cheb Khaled & Safy Boutella, La Camel (1988)
3. Cheb Hasni, N'chouf el'aziza (=El Visa) (1992)
4. Chaba Zahouania, Abdallah (1995)
5. Khaled, Didi (1992)
6. Khaled, Aicha (1996)
7. Rachid Taha, Ya Rayah (1993)
8. Faudel, Tellement n'brick (1997)
9. 1,2,3 Soleils, Abdel Kader (1998)
10. Cheb Mami, Bladi (1998)
11. Cheb Bilal, Haka Ygoulou (2002)
12. 113, Mohamed Lamine, Magic System, Un gaou a Oran (2004)
13. Cheikha Nedjma, 曲名、録音年不明。
14. Cheb Azzedine, Chouf el hogra chouf (2004)
15. Cheikha Rimitti, Dabri (2005)

 Hasni & Zahouania の Baraka とか Khaled の El Harba ouine とかは外れてますけど、まあライ入門者には聞きやすい選曲かと思ってます。
 K 君の一番のお気に入りはやっぱりハスニの『エル=ヴィザ』です。この歌、アルジェリア人の心にがしっと食い入ってるんですね。彼はアルジェの人でライよりシャアビを聞くと言うんですけど、さすがにこのライ・コンピの曲はほとんど全部知ってましたね。ザフアニアの「アブダッラー」なんてちょっと知られざる名曲も。ちなみにこの曲は例の G さんの会社から95年にリリースされた『GP4番』のCDに入っていたもので(ライはアルバムにタイトルつけるのさえあんまりやらないのです)、Gさん自身も現場で製作に関与しているはずです。「あれはいいアルバムだったね」と言うと、さすがにうれしそうでした・・・  (^_^)
 ところで K 君が知らなかったのは「まだ出てない」リミッティのアルバムからの Dabri と、もうひとつはシェイハ=ネジュマのカセット『HN55番』の、タイトル不明、録音年不明の曲です(A面の3曲目なのですが、曲目が2つしか書いてなかった)。このカセットでこの曲がいちばんネジュマも伴奏者も気合いが入ったいい曲なので(前奏部の終わりにシンセサイザー奏者が放つ3連発の不協和音も、なにげないけど凄いと思う)、毎年オランのライ・フェスティバルでトリをとる大歌手ネジュマから一曲と思ってコンピにこれを入れていたのですが、歌詞の意味はまるでわかってませんでした。
 K 君に聞かせると「ほほう、これはなかなか」だって。こんな意味なんだそうです:

 彼に抱かれると、わたしは生きかえる
 彼に抱かれると、わたしは生きかえる
 ・・・

 彼が奥さんに電話している
 わたしは彼のそばにいる
 ・・・

 「なんだ、それじゃまるっきり不倫の歌じゃんか」
 「そうだよ」

 誰かの曲をパクったかなにかでうしろめたいのかなと思ってましたが。それより特に不道徳な内容の歌だからできるだけ目立たなくしたかったのかもしれません。
 酒が出され、その筋の女たち、その筋の男たちがたむろするいかがわしい場所で演奏される音楽。結婚式の祝いの終わりに、遠来の客たちも寝にいった夜更け、身内だけの間で始まる禁断の音楽。本来のライの姿。

 シェイハ=ネジュマはシディ=べラベス在住で、オランにさえときたま出てくるだけで、当然国際的には全然知られてないです。録音も、CDは出してなくてカセットが何本かあるだけです。
 でもこういうところに、魅力的な音楽があるんですよね・・・
 ネジュマ万歳! \(^o^)/
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祈りの時間

 先週の土曜日にはアルジェリアから金沢大に着いたばかりの留学生 K 君ほかイラン学生、ポーランド学生を、わたしの車で郊外の電気店へ買い物にお連れしました。
 この店はわたしは知りませんでした。さすがに彼等は情報が早い。というかわたしが呑気すぎるのです。もっとも今朝の日経をみたら、最近の電気店はネットで他店の価格を調べ、それに合わせて日になんども100円単位で値段を動かすという、そういう時代なんですね。

 帰りには礼拝所に寄ってきました。金沢にもちゃんと礼拝所があるんですよ。留学生だけじゃなくて金沢で働いている人にもかなりムスリムがいるみたいですから、これは当然です。できればちょっとしたモスクが作れないかと思うのですが。

 あとで K 君のお部屋までお邪魔しました。こちらでもお祈りです。
 ところでいつも思うんですが、イスラムの人がお祈りしている間、非イスラム系人はいったいなにしてたらいいんでしょうね? 声高におしゃべりするのははばかられますが、神妙に待っているのもてもちぶさただし・・・ もちろんライなんて聞くの悪いし。 (^_^;)
 彼とイランの H 君は、自分達はラマダン中なのにお茶とかジュースとか出してくれるんですよね。こういうのも、いつも思うのですが、なんだか悪いです。


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サランが日本に?

 サランがメールをくれて「来年 Paques 復活祭の休みに日本に来るかも」と言ってきました。
 ワーオ! \(^_^)/
 来年の復活祭は4月頭みたいですから、春休みにすっぽり入ってればいいなあと思います。
 (上はサランにもらったチンギスハン・ウォッカ。(^_^)y )
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rai Info/ライ・ニュース 020

EXILS, DE TONY GATLIF
 わたしは映画の題名に「愛」が入ってるとみんな同じに見えてしまうという困った人ですが (^_^;) これはあのトニー・ガトリフ監督の新作ですからしっかり見分けられると思います。(^_^) 
 『愛より強い旅』。原題 Exilsなので「流謫」(るたく)とか「流浪の旅」とかの題がぴったりなんですけどね。アルジェリア系の青年が恋人を連れて自らのルーツの土地に向かう物語ですが、例によって音楽がふんだんに入っていて、パリのテクノ、スペインのフラメンコ、モロッコのスーフィー音楽、そしてアルジェリアのライが聞けるらしいです! (^_^)v
 ガトリフ監督は一貫してみずからの母方ルーツであるロマ(ジプシー)の軌跡を追う作品を発表し続けていますが、今回は以前予告していた通り、父方のルーツ、アルジェリアにカメラを向けたわけです。
 『ルパン』(これはまだ見てないんですが)でルパン役も演じた、いまや売れっ子のロマン・デュリスが主人公ザノを演じていることも注目です(ガトリフ監督とは既に『ガッジョ・ディーロ』で組んでましたね。ところでデュリスってひげ面になるとなんかラシード・タハアマジグ・カテブを足して2で割ったみたい。(^_^;)y )。恋人役は『ビバ・アルジェリア』で主役を演じたルブナ・アザバル(アルジェリア映画史上初の大胆なラブシーンが話題でしたね)。上のポスターの写真ではいまいちさえない感じですが Yahoo Moviesに去年のカンヌ映画祭のときのロマン・デュリスとのツーショット写真がありますから、こちらで彼女の可愛さを確かめてください。 (^_^)
 
 2006年新春ロードショーで年末封切りという感じですが、近々試写会に行ってくる予定ですので、その後でまた感想を書きます。 (^_^)y
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機内

41. ジダンたちが活躍し、ときどきセリーヌ・ディオンとかのメガコンサートが開かれるスタッド・ド・フランス。手前の壁のグラフィティは、ここが「郊外」であることを示していますね。
 これは空港行きの電車、RERのB線から撮った写真です。

 それで、フランス旅行記番外編としてあの日本=パリの飛行機の12時間をどうやりすごすかについて書きます。
 行きの方の話ですが、今回はMDたくさんもっていったのにプレーヤーの充電がきれてて、しかも電池を入れるボックスを機内持ち込みのかばんに入れるのも忘れてて使えなかったというのが最大の敗因でした。(^_^;)
 映画は『マダガスカル』というのを一本見ました。アニメも大変進歩して、最近では立っているキャラクターが画面上に完全静止しておらず、体が少しゆらゆら揺れるようにできるのですね。ただでも揺れ方が「どうだ、揺れてるだろう」と言いたげでまだちょっと不自然に思います。そのうちもっと自然な動きにできるようになるでしょう。ずいぶんお金のかかることでしょうが。そしてその後からは「昔はこんな幼稚な体の揺れだったのだ」てな話になるでしょう。
 映画はあとはそんなに見る気なし。映画に面白いのがあるとだいぶん時間を潰せますが、それでも映画や本は目が疲れるし、消灯されたらあんまり自分だけ光を使うのも周りに気が引けるしで、たぶん音楽がいちばんだと思うんですけど。みなさんはどうやって過ごされているのでしょう?

 てなことで、長々書いてきましたが、フランス滞在の話はこのくらいにいたします。またどっかでかけたら書きますね。それじゃ。 (^_^)y
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タルチュフ

40. さて日本帰還の前日、ちょうどコメディー・フランセーズでモリエールの『タルチュフ』をやっていたので、これを見ました。こういう古典的なお芝居はわたしはとくに見たいとは思わない人なんですけど、ちょうどいいタイミングだったし。他にも会っておきたい人はいたんですがちょっとまた次の機会の方がいいと考えたこともありまして。

 こういう古典劇を現代に生かすというのは、本当に難しいことです。
 フランス語のことを「モリエールの言葉」langue de Moliere ともいうくらいあって(これはよく言う言い方ですが、面白いですね。日本語のことはどんなに無理しても「漱石の言葉」とかは言えないですね。ここになにかしら「ことば」というものの概念化が根本的に違うところがあるのが分かります)、言葉の意味は分かりますが、それを興味深く、面白可笑しく見せるとなると至難の業です。とにかく300年以上前の作品なのですから・・・
 特にこういう昔の言葉でやる劇は予習して行かないと聞き取るのが難しいのですが、勉強はパスしてしまって以前の知識だけで聞いてみました。

 この芝居は偽信心家のタルチュフが資産家オルゴンを騙すというプロットですが、宗教的にかなり危なくてモリエール在世中にはなかなか上演できなかったいわく付きの作品です。
 で、昔から有名なセリフ(Je ne suis pas un ange とか Mais on trouve avec lui des accommodementsとか)は、あわてて言わせてあります。さらっと流さないと大時代的になるでしょうね。
 しかしやっぱりこの芝居は詐欺師タルチュフの言葉の妙技、聞く者が思わず信じてしまう言葉の力が核であることは今も変わりません。人が漠然と思いながら意識の表面には上らせないような考えを言い当て、心の隙に忍び入らせて征服してしまう言葉の力・・・ 日本語話者はここまで言葉の力を信じられないかもしれません。

 それからバカリ・サンガレというアフリカ系の、いかにもアフリカ人的発音(訛りというのとはちょっと違う感じですが)の人がオルゴン役を演じていたのにも興味を引かれました。
 オルゴンの娘や息子などを演じるのはヨーロッパ人なのですから違和感があるのでは、と思う人が日本ではあるかもしれませんが、案外そうでもないんです。だってフランスではいろんな組み合わせの結婚があって多かれ少なかれ混血 metisse, creoleという家庭は多く、黒い肌のお父さんにかなり白い肌の子供たちがいても、必ずしも見た目の無理はないのです。

 上は暗くてよく見えませんが、休憩時間にコメディーフランセーズ座のバルコニーから撮ったパリの夜景です。
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ニューオーリンズ

 ご存知の通り、ハリケーン・カトリーナのためにニューオーリンズの町が壊滅的打撃を受けました。その後には数々の悲惨な出来事が起こっています。わたしは今夏、休みさえうまく長目に取れていればニューオーリンズまで足を伸ばすつもりだったこともあり(できれば世界一周チケットでアメリカからフランスに回れれば、と思ってました)、なおさら深い印象を受けています。
 ところで、まるではかったようにと言っては不謹慎ですが、アメリカという国全体の中でこの町の持つ意義を的確に解説した本の翻訳がこの8月に出ています。バーダマン著『ミシシッピ=アメリカを生んだ大河』(井出野浩貴訳、講談社)です。以下はこの本を読みながらわたしが思ったことです。

 New Orleans は元々フランス人のたてた Nouvelle Orleans であり、フランス文化や、その後入ったスペイン文化の名残をとどめ、アメリカ合衆国でも独特の雰囲気をたたえた町です。その大きな部分はフランス語系の黒人たちの文化のもたらすものでした。
 1800年代初頭に合衆国最大の「有色の自由人」のコミュニティは−−−当然−−−ニューオーリンズにありました。カトリックのクレオールたちはフランス語を話す中間階級であり、教育・文化程度も高かったのです。フランスの黒人法 Code noir は黒人の諸権利を大きく保証していました。
 有色人種の下層の人々も、名高いコンゴ・スクエアの市場に集まって自由に踊り、歌うことができ、暴動防止のために大人数が集合することすら許されなかった他の地の黒人たちとは生活に雲泥の差がありました。「奴隷制度の初期にはこのような文化的な避難所をアフリカ系住民に許した町は、北アメリカ大陸にはほかにひとつもなかった。また、黒人たちに故郷の言葉を使い、故郷の習慣を保持する機会を与えた町も、ほかになかった」ということです(上記書より。この本はフランス文化に好意的に書かれている感じで、嫌仏的立場の本も読んでおかないといけないと思います)。

 この自由と、自由が可能にした文化的実践が、のちにジャズをはじめとする今日のアメリカ最大の文化的産物、輸出品である音楽諸ジャンルを生み出す母体となったわけでなのですが、このような状況は結局フランス的感性がなくては出現しなかったのではないか、と思います。

 優れた文化を生み出す力のある自由な状況というのは、性的放縦、風俗のいかがわしさを伴います。1803年にナポレオンからルイジアナ(今のルイジアナ州だけではなくて、アメリカ中部全体を含んでいました)を購入したあと、禁欲主義のアメリカは船乗りや開拓民相手の売春が盛んだったこの町の「浄化」に乗り出すわけで、同時にアメリカの全国基準を導入されて自由人の身分から被差別民に転落した黒人たちがその音楽をたずさえ他の地に散っていった、というのがアメリカ音楽の「大きなオハナシ」に他ならないのでしょう。

 さて話をカトリーナ災害に戻します。
 「天はみずから助くるを助く」というサミュエル・スマイルズ『西国立志編』の言葉は、武士道という素地があったからではあるでしょうが。日本人の行動規範として深く定着していると言えるでしょう。その自助の心を教える立場であったアメリカ(スマイルズは英国人でしたが)、そして世界一の豊かな国であるはずのアメリカが外国に災害復興援助を頼むとは・・・ と嫌な感じがするというのが日本の一般の人の率直な感想でしょう(神戸の大震災の時日本人は、初動こそ外国の手を借りましたが、あとは当然のように自力で復興しましたよね。ところで今回のカトリーナ災害に対する日本の政府の対応が不十分だったと批判されているようですが、これは国民の気持ちに合わせたというより、単に衆議院選挙の忙しさにかまけていただけ、ということらしいですね。 (^_^;)  でもこういう情けない愚かぶりというのは、あるいはアメリカにあまりまともに厳しいことを言われないための擬態なのかなと思ったりします・・・)。
 でも被害を受けたのがニューオーリンズで、被災者の多くが貧しい黒人層だというところに、なんとなく因縁めいたものを感じさせられます(こんどの災害でまた新たなディアスポラが起こるのでしょうか?)。アメリカ政府がこの地域の災害予防に積極的でなく、そしてとうとう起こってしまった災害の復興にも−−−「いさぎよく」と言うべきでしょうか?−−−外国の手を借りるというのは、なんだかアメリカの中枢がニューオーリンズの町に「いわゆるアメリカ」とは異質のものをいまだに感じ続けていることを暗示しているのかもしれない−−−と考えたら、考え過ぎなのでしょうか? でもわたしはやっぱりあの町の人の心は他と違うような印象を受けるのですけど。逆に言えば、ハリウッドで数多作られたパニック映画で英雄的、献身的に活躍する「アメリカ人」というのがこの地とは異質であるように思えるのですけど(その辺を確かめるためにも現地に行ってみたかったのですが)。
 
 アメリカとフランスの長い長い関係については、日本人にはなかなか思いはかれない深い様相があるように思います。安易にアメリカ人のフランス敬遠や、フランス人のアメリカ嫌いの尻馬に乗るのは、世界というところで日本人やってるとどうしてもストレスを感じやすくて発散させたくなるということを差し引いても、やっぱり軽薄すぎることのように思います。

 ちなみに、救援活動難航のころフランスのニュースを見ていたら、ちょうど観光でニューオーリンズに来ていて災害に巻き込まれたフランス人がインタビューを受けていて、救援の連中は白人の女性ばかり丁重に扱っておったぞ、自分は黒人の友達と一緒だったのがはぐれてしまって彼はどうなったか心配だ、てなこと言ってました。 (^_^;)
 相変わらずの米仏机の下の指相撲ですね・・・
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