日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
デル=リットさんの葬儀
(前のエントリーの続きです)
ちょうどヴィクトル・デル=リットVictor Del Littoさんが突然亡くなったとき(2004年8月)セルジュの家族とジャン=イヴの家で一緒になりました。
あのときはわたしがパリまで来ていて、彼らが先にジャン=イヴのところに遊びに行っていたのです。
デル=リットさんはスタンダール研究の大御所中の大御所で、ベルチエさんは「われわれの法王」と言ってました。
デル=リットさんの略歴については今年鎌田博夫先生と岩本和子先生が邦訳を出された『スタンダールの生涯』(法政大学出版局)に載ってますから、そちらをご参照ください。
晩年にはもうアパルトマンを出ることもままならなかったみたいですが、FAXを使って原稿を出版社に送り続け、高価な本を出し続けておられました。 (^_^;)
ちょうど亡くなられたときにフランスにいたおかげで、くしくもわたしは泰斗デル=リット先生の葬儀に参列した唯一の日本人ということになりました。
フランスでお葬式など出るのはあれが初めてだったのですが。
式場はCentre funeraire intercommunal a La Troncheというところです。「ラ・トロンシュ(大グルノーブルを構成する一地区)地区合同葬儀センター」くらいの意味になるでしょうか。教会じゃありません。
参列者は80人くらい。バカンスの最中ということでこれなかった人も多かったと思います。
グルノーブルの山の中に住んでるラノーさんは当然来てましたが(スタンダール研究者代表として弔辞を述べたのは彼でした)、ベルチエさん、コレドールさんは来なかったし、クルゼさんは当然来ず。ディディエさんはちょっと遅れてきました。あとマリエットさん、クロードンさん(すみません、人の知らない名前ばかり出しまして。m(_ _)m みんなスタンダール研究の大家なのだとご了解ください)。
ジャン=イヴ、セルジュとわたしは並んで後ろで立ってました。椅子が50人分くらいしかなかったですから、年配の人に座ってもらう方がよかったです。なんせデル=リットさんは享年93歳ですから、あんまり若い知人はおられなかったはずです。
さて式次第というのは ― もうだいぶん忘れてしまいましたが― 案外日本と同じようなものだという印象を持ちました(案外日本のやり方のルーツはヨーロッパの方とか?)。日本だったら「ご焼香」というところは、なんか木の枝を持って行って個人の棺のところに置くんですね。弔辞は地元の文学会やグルノーブル選出の議員、故人の長男さんなど数人が述べてました。
フランスでは不祝儀の色が青(というか水色かな)だというのが分かりました。葬儀屋の代表さん、お棺をかつぐ兄ちゃん四人、いずれも青背広に青ネクタイ(代表さんは青の蝶ネクタイ)なんです。
それから、式を取り仕切ったカトリック教会の代表が「地区責任者」という肩書の女性だったことにもちょっと驚きました。彼女は全くの平服でした。旧来だったら祭式用の服を着た男性の「司祭」とかがやるところですね。妻帯が許されないカトリック聖職者は今なり手がなくて困っているという現実がここにも現れています。お葬式の挙行などはこのように女性が担当することも多いのでしょう。当然フランス社会はそれを受け入れているわけです。
日本の仏教葬に、お寺から尼さんがやってくる、というのはたぶんないでしょうね。 (^_^;)
その女性は福音書の朗読とそれに関してちょっとしたお話とかはしてましたが、参会者の祈りを求めるとき「強制はいたしませんが、そのお心があれば、どうか『主の祈り』をお唱えください」というような言い方をしました。
わたしはあそこにおりましたが、とくにこのようなとき、わたしがイスラム教徒だったらあそこにいてよかったんだろうか? というようなことはいつも考えます。
見たところイスラム教徒らしき人はいないようでしたけど・・・ なぜ仏教徒の日本人は受け入れられて、また受け入れてしまうのか・・・
ちなみにデル=リットさんも元はイタリアから来られた方で、れっきとした「移民」なのです。
さて、霊柩車にお棺を乗せて「ご出棺! チーン」で、参会者が粛然と見守る中、車がスタートする・・・というようなことはフランスでは全然ないです。会場を出たところでみんながてんでバラバラにおしゃべりしているうちに霊柩車がなんの注目も受けずに発進。
おしゃべりは永遠に続くかと思ったら、気がついてみるとわたしたち三人にラノーさん夫妻の5人だけになってました。それでお開き。
行き帰りはセルジュの車だったんですが、彼の車は運転席から助手席までがひとつながりの、ちょっと弓なりになったベンチみたいな座席なので、まるで宇宙船の操縦室みたいなんですよ。 f(^_^)
ああいう遊び心のある車って、日本では見たことがないな。わたしが知らないだけかもしれませんが・・・
いつもは彼と奥さんと可愛い息子さんとを並べて、楽しくドライブしてるんだろうな。 (^_^)
あの「宇宙船車」は息子さんが喜びそうだな。(^_^)y
[追記] 失礼いたしました! デル=リットさんのお葬式のことでは、とんでもない思い違いをしていたようです! このエントリーをご覧ください。 2013.04.20.
ちょうどヴィクトル・デル=リットVictor Del Littoさんが突然亡くなったとき(2004年8月)セルジュの家族とジャン=イヴの家で一緒になりました。
あのときはわたしがパリまで来ていて、彼らが先にジャン=イヴのところに遊びに行っていたのです。
デル=リットさんはスタンダール研究の大御所中の大御所で、ベルチエさんは「われわれの法王」と言ってました。
デル=リットさんの略歴については今年鎌田博夫先生と岩本和子先生が邦訳を出された『スタンダールの生涯』(法政大学出版局)に載ってますから、そちらをご参照ください。
晩年にはもうアパルトマンを出ることもままならなかったみたいですが、FAXを使って原稿を出版社に送り続け、高価な本を出し続けておられました。 (^_^;)
ちょうど亡くなられたときにフランスにいたおかげで、くしくもわたしは泰斗デル=リット先生の葬儀に参列した唯一の日本人ということになりました。
フランスでお葬式など出るのはあれが初めてだったのですが。
式場はCentre funeraire intercommunal a La Troncheというところです。「ラ・トロンシュ(大グルノーブルを構成する一地区)地区合同葬儀センター」くらいの意味になるでしょうか。教会じゃありません。
参列者は80人くらい。バカンスの最中ということでこれなかった人も多かったと思います。
グルノーブルの山の中に住んでるラノーさんは当然来てましたが(スタンダール研究者代表として弔辞を述べたのは彼でした)、ベルチエさん、コレドールさんは来なかったし、クルゼさんは当然来ず。ディディエさんはちょっと遅れてきました。あとマリエットさん、クロードンさん(すみません、人の知らない名前ばかり出しまして。m(_ _)m みんなスタンダール研究の大家なのだとご了解ください)。
ジャン=イヴ、セルジュとわたしは並んで後ろで立ってました。椅子が50人分くらいしかなかったですから、年配の人に座ってもらう方がよかったです。なんせデル=リットさんは享年93歳ですから、あんまり若い知人はおられなかったはずです。
さて式次第というのは ― もうだいぶん忘れてしまいましたが― 案外日本と同じようなものだという印象を持ちました(案外日本のやり方のルーツはヨーロッパの方とか?)。日本だったら「ご焼香」というところは、なんか木の枝を持って行って個人の棺のところに置くんですね。弔辞は地元の文学会やグルノーブル選出の議員、故人の長男さんなど数人が述べてました。
フランスでは不祝儀の色が青(というか水色かな)だというのが分かりました。葬儀屋の代表さん、お棺をかつぐ兄ちゃん四人、いずれも青背広に青ネクタイ(代表さんは青の蝶ネクタイ)なんです。
それから、式を取り仕切ったカトリック教会の代表が「地区責任者」という肩書の女性だったことにもちょっと驚きました。彼女は全くの平服でした。旧来だったら祭式用の服を着た男性の「司祭」とかがやるところですね。妻帯が許されないカトリック聖職者は今なり手がなくて困っているという現実がここにも現れています。お葬式の挙行などはこのように女性が担当することも多いのでしょう。当然フランス社会はそれを受け入れているわけです。
日本の仏教葬に、お寺から尼さんがやってくる、というのはたぶんないでしょうね。 (^_^;)
その女性は福音書の朗読とそれに関してちょっとしたお話とかはしてましたが、参会者の祈りを求めるとき「強制はいたしませんが、そのお心があれば、どうか『主の祈り』をお唱えください」というような言い方をしました。
わたしはあそこにおりましたが、とくにこのようなとき、わたしがイスラム教徒だったらあそこにいてよかったんだろうか? というようなことはいつも考えます。
見たところイスラム教徒らしき人はいないようでしたけど・・・ なぜ仏教徒の日本人は受け入れられて、また受け入れてしまうのか・・・
ちなみにデル=リットさんも元はイタリアから来られた方で、れっきとした「移民」なのです。
さて、霊柩車にお棺を乗せて「ご出棺! チーン」で、参会者が粛然と見守る中、車がスタートする・・・というようなことはフランスでは全然ないです。会場を出たところでみんながてんでバラバラにおしゃべりしているうちに霊柩車がなんの注目も受けずに発進。
おしゃべりは永遠に続くかと思ったら、気がついてみるとわたしたち三人にラノーさん夫妻の5人だけになってました。それでお開き。
行き帰りはセルジュの車だったんですが、彼の車は運転席から助手席までがひとつながりの、ちょっと弓なりになったベンチみたいな座席なので、まるで宇宙船の操縦室みたいなんですよ。 f(^_^)
ああいう遊び心のある車って、日本では見たことがないな。わたしが知らないだけかもしれませんが・・・
いつもは彼と奥さんと可愛い息子さんとを並べて、楽しくドライブしてるんだろうな。 (^_^)
あの「宇宙船車」は息子さんが喜びそうだな。(^_^)y
[追記] 失礼いたしました! デル=リットさんのお葬式のことでは、とんでもない思い違いをしていたようです! このエントリーをご覧ください。 2013.04.20.
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
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青い背広に青のネクタイ、それに女性が式を執り行うことなども、へ~っていう感じです。
ところでどうしてカトリックでは、聖職者は妻帯が許されないのでしょうね。使途ペテロには妻がいましたし(コリント第一9:5)、テモテ第一3:2では「司教は…一人の妻の夫…でなければならず」とありますのにね。テモテ第一4:1~3に「…ある人々は惑わす霊と、悪魔の教えに心を奪われて、信仰を捨てることになるでしょう。…この…人々は、結婚を禁じ(ます)」とありますが、ここにあった「ある人々」のような気がします。
カトリックで妻帯がだめなのは、世俗権力の聖職私物化を避けるため、という話だったと思います。詳しいことは知らないんですけど・・・
仏教は本来は妻帯禁止ですよね。でも日本ではずいぶん昔からうやむやになってます。清少納言がそんなこと書いてたような覚えが。日本てほんとに仏教国かな、と思ってしまうところです。
セルジュの頭は、正確に言うとイガグリ頭というのに近いかもしれません。丸刈りでも、つるつるに磨き上げたスキンヘッド、というんじゃなくて、毛はなんとなく見えてはいるのです。それでなんとなくゴリゴリしたくなるのです。(^_^;)
彼が日本に呼んでもらえるようになるには、パリの大学の偉い先生にならないといけないかもしれませんね。