良いお年を


 大晦日のキャンパス。
 雪に包まれた金沢大学図書館。
 きれいですね。

 今年は京都にゆっくり帰りましょう。(11月からこっち、忙しくてブログに書きたくて書けなかったことがかなりありますから、もしできたら書くことにいたします)

 それではみなさまもよいお年をお過ごしください。
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カタール


 (このエントリーから続きます)

 帝国主義時代と全く同じかというと、そうでもないかもしれません。
 カタールの野望を警戒、サルコジ大統領がリビア新政権の人たちに向かって「カタール人のいいなりになるな」と言い放ったそうです。Le Nouvel Observateur が伝えています。
 さすが――いい意味でも悪い意味でも――フランスですな。
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ラミエル

(前のエントリーから続きます)

 すると、スタンダール最後の長編小説、未完の作品、『ラミエル』の女主人公 Lamiel のキャラクターの重要性もわたしの視界に入ってきました。

 はやくセルジュの校訂したテキストが読みたいものです。

 彼のプレイヤード版の仕事はもう4年以上遅れてますね。
 でも、文学研究の世界ではこういうのはよくあることです。
 セルジュもまた、納得のいく結論が自然に熟してくるのを待っているのでしょう。
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クレリア・コンチ


 2011年の世界のこと、日本のフツブン学界のことなどを、卒論指導をはじめとする年末のいろいろな仕事のあいまにあれこれ考えているうちに、突然はたと気がつきました。

 前にもときどき書いてました通り、わたしにとって『パルムの僧院』ってきわめて大事な存在なのですが、これまでずっと第二部がよく分からなかった。
 たしかに第一部バルザックが激賞する通り「各章に崇高が輝く」んですが、第二部はなんか「だれる」と思っていたのです。

 昨日はじめて「いや、第二部はだれてなんかいない!」ということに気づきました。Eurekaです。バンザイです。

 要するに――気がついてみれば当たり前のことなんですが――この作品は女主人公のクレリアが最重要人物なんだ。
 主人公のファブリスがなんでクレリアみたいな子――美人らしいんですが、周囲の人の俗っぽさが煩わしいとかばっかり思ってる子――に命がけで惚れ込むのか実感がわかなかったんですが、やっぱりこの子もネジュマみたいだからこそ――話し、行動するネジュマ――ファブリスの渇望の対象になるんです。

 これ以上の詳しいことは今あまり述べたくないので、Eureka!の喜びだけ書きました。すみません。天がわたしにあと十年ほどの仕事期間を与えてくれるならなんとかこのイデーを説得力ある形で公刊することができるでしょう。

 しかし『パルム』を最初に読んでから35年以上。フランスで『パルム』について熟考しながらまとめ切れずraiだけ持って帰ってきた留学から13年。これだけかけないと、「分かった」という感覚が得られなかった。

 偉そうなことを言いますが、文学ってえてしてこういうものです・・・

 だから、とくに若い人には、文学的なこと、哲学的なことにあんまり性急に結果を求めるべきではないと思います。
 いま卒論を指導しているので(ことしは文学の指導はないですが)とくにそれが切実に感じられます。

 答えに自信がもてない疑問はそのままにおいておいて、それが熟して自然な答えが実るのを待つのがいい。
 「わたしは疑問を待たせておくのが好きだ」と言っていたのは、ヴァレリーだったか、アランだったか・・・

 先生から結論、結論と急かされて適当に形を作ってしまうと、本人にはそれが本当に正しいように思えてしまって、また他人からもその結論と本人が結び付けて認識されるようになってしまって、身動きがとれなくなってしまう。
 文学研究が、人間の心にとってかえって害のある営みになってしまうのは、そういうときだと思うのです。

 そういう考え方って、いまはやらないかもしれないんですけどね。

 
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日本のフランス文学研究界に提言するとすれば


 今年も大学で「フランス語学習者が減った」と言ってる人が多かったです。実は金沢大もそうなのですよ。今年はドイツ語をとった一年生が非常に多かった。一般の方は「え? なんで?」と思われるかもしれませんが、それが日本の大学の現実なのです。

 わたしは、精神的にはぜんぜん安楽です。

 フランス語学習希望者は、潜在的には日本にたくさんいるし、
 しかもフランス語のできる人はむしろこれから増やさないといけない局面に日本はいるのだから、
 大学で学習者が増えない、減っているというのは、大学の「第二外国語」の教育方針が時勢にあっていないか、またはフランス語教育は大学中心でやるものとは言えなくなってきている、ということにすぎないと思いますよ。

 だから、自分のできうる限りにおいてフランス語の有用性をアピールしながらフランス語を習いにきてくれた人たちを一生懸命教えていれば、たとえそれが社会的にはあまり評価されなくても「それは日本の一般社会が世界の現実をよく分かっていないせいだ」ということなので、わたしは心安くしていられる、ということです。

 さてフランス文学、フツブン研究というと昔はフランス語教育とイコールみたいなものだったのですが、いまでも当然、密接なつながりがあります。

 そのフランス文学研究こそ今、フランス語教育以上にむずかしい局面を迎えているわけですが、フランス文学の振興を図りたい人には、わたしは以下のような策を提案したく思います:

1.フランス文学関係の若手の人たちにWikipediaの日本語版のフランス文学関係を面白く充実させるのを奨励する

2.フランス文学と世界の文学、とくにラテンアメリカとか東欧などとの影響関係にスポットを当てた研究を奨励する

3.フランス文学と日本の文学、とくに各地の郷土の作家との繋がりにスポットを当てた研究を奨励する

4.3に繋がるものとして、モーパッサンあたりの文学、あるいはロマン・ロラン、マルタン=デュ=ガールあたりの文学を日本で、現代的視点を加えて再評価する仕事を奨励する

5.もちろんフランコフォニー文学研究も奨励する

6.映画やマンガ、音楽など文学周辺の新興ジャンルの研究も奨励する

御意見、ご質問等がありましたらおうかがいいたします。

[追記]
心しなければならないのは、フランス語フランス文学だけが伸びればそれでいい、よかったよかった、他の語学や文学のことなんか知ったことか、には絶対してはならないということです。
日本の未来のために必要な言語の教育を振興するなかで、フランス語教育にふさわしいポジションは何か見定め、それを「取りに行く」という姿勢がなくてはいけないと思います。

それから
7.英語が世界に広まり、日本でも英語力が求められている現状にフランス語教育が貢献し、またそこから恩恵を受ける態勢作りに、フランス文学研究界も協力する

というのを追加します。 2011.12.29.


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今年はいろいろあったなあ・・・


2011年の総括。

なんていっても地震と原発事故は大きいです。
今年だけですまないですしね。
こんな年を過ごして「あけましておめでとう」じゃしらじらしいから、もう年賀状は無しにしようかと思っていたくらいです。まあ遅ればせながら書くのは書こうと思いますが、年が改まったら去年のことは水に流して、というわけにはいかない。その水に放射能が入ってる。流れて行った先を汚染する。

それにしても、経済大国とか偉そうなこと言っていて、大地震がきて原子炉潰れたら、ダダ漏れ放射能で国土の半分つかえなくなるかもしれません、というような危うい基盤の上に立っていたとはね。

 先日、原発事故の後の再現ビデオみたいな番組やってたのを徳光の温泉の休憩室のテレビで遠くから見てましたけど(だから音は聞こえなかったんですが)、例の東電の「全員退避したい」の話が出てきてましたね。
 これって、いったいホントなのかと思ってしまいます。
 大義名分は、「社員の生命を危険にさらすわけにはいかない」ですか?  
 ここで再現ドラマでは菅首相が「決断」したことになっていて俳優さんもそういう「演技」をしてましたけど・・・
 あの東電の要請が、原発がつぎつぎ爆発して日本の国土半分使えなくなりますがよろしくご了承ください、地球全体が放射能で汚染されるがままにしますが勘弁してください、数千万の人が寿命を縮めることになりますがしようがないでしょ、ということをほんとに意味していたのなら――一般人には分からないウラの話や専門的話はあるかもしれないから実際のところは誰にもよくわからんというところがこの話の本質ですが――、そんな決断、日本の首相ともあろうものが、とれるわけないじゃないですか。こんなの「決断」でもなんでもない。

 菅さんも似たようなこと言ってましたが、結局原発導入からあとの全ての過程をよくよく検討しなきゃいけないです――でも結局ほんとのこと言わない人が多いだろうから、たぶん核心のところは良く分からずじまいだろうなあ・・・

 なんというか・・・ たぶん、責任あるエライ人の頭に「安全性は問題あるけど、○○を導入した方が政治的にはうまいな」とか「これで大地震来たらお陀仏だけど、××導入の方がコストが安い。結局原発稼働は数十年のことだから、目をつぶって」とかいう考えがよぎってしまったら、その時点で日本は終わり、オワコン覚悟、という構造になっていたってことだと思います。
 これ、東電がどうだとか政府がどうだとかいうはるか以前の、第二次世界大戦のはちゃめちゃ戦争遂行で露呈した日本人の弱さがなんら変わってない、ということだと思うんですが。

 もひとつげっそり来たのが、英仏のリビア爆撃(というしかないでしょう。しらじらしくもNATOの旗掲げてましたけど)。これじゃ帝国主義時代とおんなじだ。世界の基本線は何も変わってない。

 第二次世界大戦も、第一次世界大戦も、真の意味ではまだ終わってませんね。それを痛感しました。

 「ヨーロッパ」もそろそろ幕引きの時期に入ったのかもしれませんしね。Europaという言葉を生んだ民、ギリシャ人たちをeuroから切り捨てようかというのでは。

 ヨーロッパ連合だ、ユーロだと綺麗ごと並べたって、結局はドイツの経済力頼りですか。

 地獄からヒットラーの高笑いが聞こえるような気がしますね。

 ジャスミン革命はいいんですが、結局イスラム主義政党が総選挙で政権をとっちゃいまいた。文句のつけようがない。アルジェリアのFISほど過激ではないけれどもね・・・

 こういうの、巨視的に見れば日本だって同じことと思いますね・・・

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Paris -- Hollywood


 さて今年のわたしのベスト盤。

 ちまた――と言ってもワールドおやじ、おばはんたちの小さな世界ですが――では『グナワ大学』の評判が高いです。でもね… ONBにいた人がマルタン・メソニエのプロデュースで細心の注意を払って音作りしたら、ま、こんなものになるでしょう、ということで、なんというか順当過ぎて意外性がないからわたしは面白くないんです。

 『ミュージックマガジン』ではティナリウェンの新譜Tassili がワールド部門のベスト1でしたが、これはちょっと玄人向け過ぎる気が(とうようさん亡きあとも『マガジン』は本物志向にこだわり続けるんですね)。

 ということで、なんじゃこれは、と思われる方も多いと思いますが、わたしの今年の一枚はAkli D.のParis-Hollywood

 アクリ・デーはアルジェリア、カビルのアーチスト。以前から、カビル歌手としては異色なほどアメリカの音を志向していた人ですが、これまでの二枚のアルバムは、良い曲もあるものの、わたしはなんとなく散漫な印象を受けたものでした。二枚目はかのマニュ・チャオのプロデュースだったんですがね(マニュが扱ったからこそ、いろいろやりすぎになっちゃったのかも)。

 プロデュースにPhilippe Eidelを迎えた(マトゥーブ・ルーネスに捧げた曲 Luken-LounesだけSteve Hillage !)今回のアルバム、曲自体の出来はこれまでとさほど変わらない気もするんですが、なんというか、統一感が見える気が。そしてなんか将来的展望が垣間見える気も。

 Akli D.が進歩したのもあるかもですが、それ以上に時代の雰囲気が彼の音を包み込むような感じに進展してきたことが大きいような気がします。

 ジャスミン革命のおかげで北アフリカ地域が世界的に注目を浴びて、北アフリカからもそれだけアメリカや広い英語世界への関心が増す予兆が感じられるように思うのです。

 わたしの気に入りは6曲目、Mister Gnawi。

 Baba l'Gnawi, play something for me

というんだから、これ、ボブ・ディランの『ミスター・タンブリンマン』を踏まえてるんでしょうね。Hey Mr Tambourine Man, play a song for me...
 音的には全然グナワじゃなくて、むしろブルーズを意識したものであることが注目できます。好感が持てちゃいます。

 グナワだグナワをつかえ、というのでカルカブを曲の背後でカチャカチャ鳴らしたりするのは、非常に安易にできるだけに、すでに陳腐化しはじめているということでしょうか。

 てことで、「アルジェリアのボブ・ディラン」の称号はBaazizじゃなくて(バァジズがボブ・ディランなんて、そりゃあんたボブ・ディランに失礼でしょ、という気がいつもしていたので・・・)アクリ・デーにあげ直したいな、と思う今日この頃でした。
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追悼 セザリア・エヴォラ


このエントリーから続きます)

 引退が報じられてあまり経ちませんが、訃報をきくことになりました。
 セザリア・エヴォラが亡くなりました。
 ご冥福をお祈りいたします。
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ペリアン


 鎌倉のお目当てはこれ。
 Charlotte Perriand (1903-1999)。
 これまでたぶんほとんど紹介されていなかった人だと思いますが、これは重要人物。
 第二次大戦中に――こんな時代にドイツじゃなくてフランスから人を呼んだんですね――、またのちにエールフランス極東地域取締役の奥さんとして来日。デザイン、インテリアの分野で日本に足跡を残しています。

 ル=コルビュジエ、板倉準三、柳宗悦、岡本太郎などとの交流もあってなかなか面白い。すぐには凄さが見えてこないかもしれませんが、やっぱり凄いところのある人。

 インテリアとは、マッスのための芸術というべきなのかと思います。
 これが前面に出るということは、『モナリザ』みたいな一点のみの傑作が――そればかりが――問題になる時代ではない、ということでもあります。

 建物の中の部屋構成というのがブルジョワ支配の時代の残滓であり、非機能的になる元凶なのだ、ということでしょうか。
 うまく整理整頓できるようなシステムを考えた人なのですが、本人も整理整頓がきちっと出来るたちの人だったようです。
 こんな風にできればわたしの部屋ももう少しきれいになるのですが・・・

 「シャルロット・ぺリアンと日本」展(於神奈川県立近代美術館鎌倉。2012年1月9日まで)。この展覧会は面白いです。
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鶴岡八幡宮


 鎌倉は二度目。
 鶴岡八幡宮ははじめて。
 雪と雲に包まれた金沢から行くと、青空がまぶしかったです。
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