名前のはやりすたり


(前の前のエントリーのコメントの続きですけど、このところエントリーがないのが寂しいので、しょうもないですがエントリーに昇格させときます。 (^_^;) まだまだ忙しい日、移動の日が続きます)

 全然関係ないですけど、フランスでも名前のはやりすたりはあって、たとえば「滝クリ」嬢で有名な Christel は今はやりの名前なんだとフランス語教育界の重鎮ジョルジェットが言ってましたね。

 ずいぶん前の映画になりますが『ディーヴァ』の主人公の男の子が Jules という名前なのは古くさい、とからかわれるシーンがあったように思います。これ、Julius Caesar だから、軍事的英雄が待望される時代に多くなる名前なんですね。
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地震

 ご存知の方も多いと思いますが、石川県で地震がありまして、たしかに金沢もかなり揺れました。

 それでご心配いただいて、無事ならブログに書いては、というメールを下さった方がおられまして感激、恐縮いたしました。 m(_ _)m

 わたしのところはまったく大丈夫でしたので、ご心配なく。 (^_^)y
 家も大学も、壊れたものはありません。上から落ちたものは空箱だけでした。
 アタマは元から壊れてますし・・・ f(^_^;)
 能登の方、七尾の方では相当被害に遭われた方もおられるようです。

 金沢もときどき地震はありますね。
 でも記憶に残るのはやっぱり神戸淡路大地震が起こって、金沢でも震度3くらい揺れたときです。あのときもちょっと前に能登沖頻発地震とかがあったので、それの続きかと思いました。そうしたら・・・

 わたしはあの時間、起きて大学で仕事してたんです。
 あのころは、眠りがうまくいかない頃だったですね。それで時間がもったいないからつい仕事してしまってました。
 最近はおかげさまで、もう少し眠りが取れるようになったんですが、それだけ仕事に時間かけなくなったのかな・・・ (^_^;)


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アルメニア(つづき)


相変わらずひでえ忙しいですけど(汚い言葉でごめんなさい。でもそう言いたくもなる・・・)ブログ書きます。

 前のエントリーにコメントを書いて下さった Quezacさんも言われる通り、日本における○○年、てなんだか商売第一みたいなところがありますね。

 この「アルメニア写真家たちの撮った東洋」L'Orient des photographes armeniens 展ーーほんとは写真家というより写真屋のおっちゃんたち、と言った方がいいような人たちだったでしょうねーーというのは、お金にはならないでしょう。
 しかしそこから開けていく世界が広くて、心が遠くに飛びます・・・

 展覧会自体、開催にそんなに無茶苦茶お金のかかるものでもないように思います。
 カタログに載っている写真の所蔵のクレジットを見るとPierre de Gigordコレクションというのが59点、Badr el Hageコレクションが30点、その他11点にアラブ・スター写真、芸術写真が9点(オマー・シャリフの若い頃のとか)。最初の二つのコレクションの展示が許可された時点でほぼ展覧会は可能になったと言えるでしょう。

 19世紀後半から20世紀にかけてのオスマン・トルコ帝国の視覚像。イスタンブール、カイロ、イェルサレム、ベイルート、バグダッド、アンマン、ハイファ・・・
 エジプトのピラミッドとかイスタンブールのアヤソフィアとかだったら、今でもあるんだから、わざわざ古い写真を見ることもない。でも当時の市井の人々の姿といったら、こういう写真の上にしか残ってないはずです。
 イスタンブールのユダヤ人て、こんな人たちだったのか。エジプトの水売りは・・・
 アルメニア人はイスラム教徒じゃないから、人間の像をとることにタブーがなかった、ということもあるんですね。

 そして興味深いのはーーフランス語系人としては当然注目してしまいますがーーいくつかある写真のクレジットが多くフランス語でなされていることです。英語より多いです(まあ、フランス語のを中心に集めたということかもしれませんが)。

Gorgore Mehmed au Cafe (なんてお腹のおっさんだ・・・ (^_^;) )
Luxor. Grande colonade d'Amenhotep III
Les Derviches Tourneurs
Une rue a Stamboul
...

 19世紀、トルコのイスタンブールで宮廷写真家としても活躍した Abdullah Freres アブドゥラ三兄弟(freresが既にフランス語ですね)はイスタンブールのことをわざわざConstantinopleと書いてます。フランス語ではIstanboulはそう呼ぶ、という感覚かな? それとも一般でもそう呼ぶ向きが多かったのかしら?(ソ連時代、公式には Leningrad と呼ばれるべき町を市民はピーテルーーつまりピョートル大帝の建てた Sankt Petersburgだからーーと呼び続ける向きがあったという話をきいたことがあります)

 19世紀のオスマン帝国領内でどれだけフランス語が通用していたか、それとなく人々に喚起することもまた、この展覧会の狙いなのでしょう。
 まあ昔の話ではあるんですけどね。
 
 もっともこういうことをするから、この間日本に来たバンジャマン・ストラなどが、フランス人は最近かつての「帝国」を思い出そうとする傾向を見せている、というような指摘をしたくなるんでしょうね。
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アルメニア


 時間全然ないのに敢然とブログに挑む蛮勇を奮います。 (T_T;)y

 今年は「フランスにおけるアルメニア」年なんですね。この「○○における××年」てやつ、日本でもやってますが、アルメニアが出てくるのはいつのことになるかしらん・・・

 国家を継続して持たなくても世界的になんらかの意味で存在感のある民族っているものです。ユダヤ人やジプシー=ロマはその典型ですが、ちょっと渋いところでこのアルメニア人てのも押さえておくとかなり世界が見える感じがします。いまでは国がありますが、世界各地に散らばった人たちです。

 名字に「イアン」が付く人が多いんです。英語の -son と同じで「○○の息子」という意味だとか聞いたことあります。ハチャトリアン、コーチャン、ベルべリアン、ベデキアン、カラヤン(はそうかな?)・・・ むかし京都でちょっとドイツ語しようかと思った時、ゲーテ・インスティトゥートにペーター・カシアンて先生がいましたね。やっぱり彼もアルメニアの流れのはずです。彼がヘブライ文字の新聞を持っていたのでヘブライ語できるのかと聞いたら、これはイディッシュ語だと答えてくれたのを覚えてます。あれ、わたしは何語で聞いたんだっけ? f(^_^;) ずいぶん昔の話です・・・

 ところでアルメニア人たちはオスマン帝国で芸術技術担当マイノリティという感じになっていて、写真術も一手引き受けしていたのだというのを、アラブ世界研究所でやってる「アルメニア写真家たちの撮った東洋」L'Orient des photographes armeniens 展というのではじめて知りました(4月1日まで開催)。スルタンたちの肖像写真も、アルメニア人が撮っているのですね。

 ご存知の通り、トルコにおけるアルメニア人虐殺という事件の扱いがトルコのEU加盟を左右する問題になってます。今そのアルメニアに焦点を当てるというのも、やっぱり政治的意図があるんでしょうね・・・
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うえーん (;_;)


日本に帰ると、ひでー忙しさに突入してしまいました。 (;_;)
ブログやってる暇がない・・・ (T_T;)

こういうときは力なく笑うしかないです。あは、あは、あはははは・・・ (;o;)

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ギメ美術館


 突然ですがまたパリに来てます。 (^_^;)y
 昨日は日曜だったので、アラブ世界研究所とギメ美術館に行ってきました。

 ギメ美術館というと、ひとつ思い出があります。
 モンゴルにZanabazar という彫刻家、というか仏師がおりました。たしか王族の人で17、18世紀の人だったと思います(不正確でしたらご指摘ください)。彼の作るのは金箔を貼った仏様にしては独特の気品があります。モンゴルもチベット仏教の影響下にありましたからエロチスムの要素は最初からあるのですが、ザナバザールのは暖かさを感じさせる色気をもったなめらかで美しい仏像なのですね。機会があれば一度ごらんください。

 さてこのザナバザールほかモンゴルの仏教美術の展覧会をギメに見に行ったとき、なにやら凄い人が一団のマダムーー巴里の有閑マダム!ーー相手に解説をしてました。実物を前に、とにかくすごい深い専門知識をものすごいスピードで喋っているのです。わたしには、理解はできるものの到底記憶に残せない、そういうスピードです。
 あれを全部録音できればそれだけでモンゴル美術の専門家になれるだろうな、と思いました。
 たとえば『聖王の持つ七つの徳』という絵について、絵に描いてあるひとつひとつのシンボルの意味、イコノロジーを猛スピードで説明、最後の七つ目の、なんか坊さんみたいな格好の人が箱を前に置いている形象についてこう言ったのを覚えてます:

 「最後にこれがたいへん有能な総理大臣で国庫は満杯というわけです。わが国ではなかなかこうは行きませんが」

これを聞いて、パリのマダムたちがホッホと感嘆する。なんだか非常に良くできた流れだな、と思ったものです。

 あれは絶対、名のある学者のはずです。ああいう人を持っている、というのがフランスの強さかな、と思いました。日本ではモンゴル美術みたいな特殊な領域でこれほど立て板に水に喋れる人はいないように想像します。

 日本語はしゃべるのにそんなにスピードが出せない言葉かもしれません。外国語だけでなく字音語が多くて、そもそも字を思い浮かべないと喋れないところがありますから、それでスピードが削がれてしまう。
 フランス語が外来語の要素をなるべく少なくする努力をしているのは、そんなところにも影響を及ぼしているように思えます。
 たしかに物凄い早口の人の率はだんぜん日本よりフランスの方が大きいように思います。

 これは別にどちらが優れている、ということを言っているつもりではありません。そういう傾向はないだろうか、あるならその原因はなにかと考えているのです。


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rai infos/ライ・ニュース 084

T4XI, KHALED, AKIL

 近日公開の映画『タクシー4』の音楽にはMelissa featuring KhaledとAkilの曲が入っています。ハレドのはいつもながらのデュオ曲ですから、これよりよっぽどライらしいアキルの曲の方がお勧めですかね・・・ (^_^;) BOのCDは2枚組になってます。
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ウズベキスタン、イルホム劇場


ウズベキスタンのイルホム劇場、松本公演について。

 演出のマルク・ヴァイルというのはウズベキスタンの人ですが、先祖はユダヤ系フランス人だそうです。ナポレオンのロシア遠征のとき、ボロジノの戦いのドサクサの中でこの地に居座ったというか置き去りにされたというか、そういう経緯があったそうです。こういう人たちっているんですよね。昔ストラスブールにいたとき、グスタフ=アドルフ王の遠征でやってきたスウェーデン人の末裔だ、という人がいたのを思い出します。

 それはさておき。
 『コーランに倣いて』は劇、というか現代バレーです。演出等、非常にモダンなものです。
 「映画監督」が観客の知らないうちに舞台にでてきてタバコふかしながら小道具やカメラを点検するところから始まります。
 音楽担当のミュージシャンは左側の透明の箱みたいなものの中で演奏するんですが、民族楽器とヴォーカル担当のシャフカット・マチャクボフはその外側にいるし、踊りにも参加するんですね。
 ちなみにCDで歌担当だったラフシャン・ナマゾフが来日しないということでちょっと心配したんですが、マチャクボフはナマゾフより優しい味わいで聞かせてくれたかな、という感じです。 (^_^)y
 わたしは劇とかバレーとかにはくらいのですが、音楽は十分楽しめました。(^_^) みなさまもぜひ聞いてみてください。とくに11日の「コンサート」には。作曲のArtyom Kimが公演後の挨拶に出てきてました。彼はやっぱり西洋クラシックの方で有名な人のようですよ。今年10月にもイラン・インド・ウズベキスタン・日本のコラボレーションがあって、東京で彼の作品が聞ける予定です。

 さて『コーランに倣いて』はプーシキンの作品なわけですが、このロシアの大作家はコーランから、宗教的というより詩的インスピレーションを受けてその一部を自分なりに解釈している、ということのようです。(原作読んでないのです。ごめんなさい) いわゆる「コーラン」の話ではないです。

 ウズベキスタンは新しい国で、アイデンティティの模索が続いていて、その中で例によってイスラムが問題になってくるわけですが、この作品は原理主義的な不寛容に対して異議を唱えるものであるのは明白です。
 ただウズベク人にこれができるのはやはりなんというか、「ソビエト連邦」による意識の近代化という前提があるからなんですね。というか、ほんとはこういう国はもともと寛容のイスラムでしかうまくいかないと思います。それはフランスによる長い植民地化の歴史をもつアルジェリア以上にそうだと思います。
 しかしもっとも厳格なイスラムを奉じ続けている国、地域では絶対そうはいかないです。そして、そういう国は「遅れている」から「近代化」しなければならない、と西洋的な頭で考えるだけでは明らかに不十分なのです・・・

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まつもと市民芸術館


 ウズベキスタンのイルホム劇団、行ってきました。(^_^)y

 東京公演には行けないので、4日の松本を見ました。

 松本っていいところですね。山もお城も、美しいです。

 会場は、まつもと市民芸術館というところでした。
 建物もよかったですよ。外から見ると壁に水玉模様がついているのが見えるだけですが、これは窓なので内側からはすごく綺麗。 (*o*)

 さっそくデスクトップの背景にしました。(^_^)v

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国立新美術館  広がり


 ロケーションという点ではもちろん新美は東京のど真ん中、最高のはずですね。

 だけど東京六本木などに建ててしまうと、開けた空間という感じにはならないですね。「敷地」というのがしっかり定められている感じ。すぐ周りを高級マンションが取り囲んでいる。やっぱりなんだか意識が内にこもってしまう・・・

 だから、上のような「ふとん」(↑あーよく見えませんね。でもありました)が目に入ると、なんかほっとして親しみを覚えて、外に向かう広がりを感じていい気持ちがしたんです・・・ (^_^)

 比べて申し訳ないですけど、金沢二十一世紀は金沢大教育学部付属中高の広々とした跡地に建てられて、全体が公園みたいなものです。周りもマンションという感じじゃなくて市役所とか神社とか・・・なんか周囲から精神的に支えられてる?みたいな感じがします。

 まあいっぺんおいでまし、金沢へ。 (^_^)y

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