日本人はフランス語を誤解している!・・・と思うけどなあ・・・
フランス語系人のBO-YA-KI
良いお年を 国のアイデンティティ
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今年は今日からブログを年末年始休みにいたします(といってもわたし自身は年末年始も仕事ばっかりなのですが)。
皆さまも良いお年をお迎えください。
書きかけのエントリーが山のように溜まってしまいましたが、その中からひとつだけアップしておきます。
先日の関西行きのお話の一部なのですが、書いているうちに話がばかでかくなってわけわからなくなりました。
↑写真はJR奈良駅です。一見お寺みたいですよね。
でも、みうらじゅん+いとうせいこう『見仏記』によれば、この中には昔、あのルーヴルにある「サモトラケのニケ」のレプリカが置いてあったらしいですね。
なんだかむちゃくちゃっぽいですけど、こういうの自体なんか日本らしいと言えば、らしいです。
こんなことが気になるのも、少し前にスイスで国民投票で、イスラム教のミナレットの建設を禁じる結果が出たからですね。
12月11日の日経第一面『春秋』欄には「(スイスは)今回ばかりはいささか非寛容な、らしからぬ結論を出したものだ」と書いてあります。
だけど、たとえば日本の観光客が、風光明媚なスイスの村でくつろぎたい、というのでツアー旅行で目的地に着いて一番最初に目に入るのがイスラム教の尖塔だったら、さてどう感じるか。あんまりそれっぽくないなあ、と感じる人がいないとは思えません。苦情を言うかもしれない。となれば観光業の方々にとってはまったくビジネス上の問題になるわけです。21世紀においてビジネスの論理は絶対ですね。
日本における仏教的「形」と、スイスやヨーロッパにおけるキリスト教的「形」とはあり方が違う、と言うべきなんでしょうか。
12月9日付Le Mondeの記事に引用されていたフランスのある投稿者は「自分にとってフランスの国家アイデンティティの典型的イメージは教会の鐘楼が見える村であって、だんじてミナレットの見える村ではない」と言っています。
そういう国のアイデンティティと結びついた宗教のプレゼンスというものは日本にはない、と言っていいんでしょうか? どうかなあ・・・
日本における寺院というのは、もちろん外来のもので、きらびやかな文化を身にまとい権力を背に背負った存在で、相当長い間民衆と遊離したものだったと思います。
日本で民衆レベルの仏教が根付いて来たのは、くしくも日本最初の寺であった飛鳥寺の末裔である元興寺(がんごうじ。写真のJR奈良駅から東に少し行ったところ)が、浄土信仰という新たな流れにのって、新たな意味を付託されて機能し始めた(いま形として残って機能している元興寺は本来の伽藍を継承する部分ではなく、極楽坊という本来は付属部分だったところですね)ころだったと思うのです。
ミナレット騒動や、イトウヨーカドーとかが立ち並んでしまった奈良の現状を見たら、かのマルローはどう思うでしょうね。彼は日本文化を高く称揚して日本を重要視したことで有名ですが(フランスが『モナリザ』を貸し出したのはアメリカ合衆国と日本だけです)、彼の日本て、奈良中心ですからね。そして彼はフランスと日本だけ知っていて日本をほめたのではなくて、インドシナから始めてほとんど世界全域を見てまわり、熟知し、「想像の美術館」という卓越した着想をみせた人物、政治的にも「文化大臣」の名に値する初めてのフランス文化大臣として活躍した人物です。その彼の称揚なのですから、彼の言っていることについて日本人はもっと考えてもいいと思います・・・いろいろ問題もありますけどね。
(ちなみに前述の日経記事には「21世紀は宗教の世紀になるか、あるいはないかだ」というマルローの言葉が引かれていますが、これは竹本忠雄著『マルローとの対話』332ページには「二十一世紀はふたたび宗教的時代となるであろう。さもなくばそれは存在しないであろう」という形で書いてありまして、著者の竹本氏は「マルロー自身はこれを書いたことがなく、私(竹本氏)を含めて三人の相手に語ったことがこのように集約されるにいたったらしい」と書いておられ、また「じっさいにはマルローは『精神的』と言おうとしたもの」だろうと言っておられます。・・・ いずれにしてもマルローは非常に射程の遠いことを言いました。だって彼はたぶんビジネス絶対主義への反動があることを予期してこう言ったんだと思いますから)
ついでに言うと、わたしも文化的には京都より奈良の方が興味があるのです。
そこで、よく考えたら、奈良というのはまだ日本が中国の圧倒的文化的影響下にあったときにできた町で、その文化遺産は「日本流」なものができる前の産物なのですねー・・・
あー話がわからなくなっちゃいました。
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「フランコフォニーを発見しよう!」(第一回)(2)
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(このエントリーから続きます。12月13日のイベントのご報告です)
わたくしの担当は四カ国ありましたが、最初からいきなりアルジェリアでした。
内容は単純なもので、DVDの映像をバックに大使がお話しされたのですが・・・
アルジェリアは公式にはフランコフォニー世界組織に入っていません。フランスの植民地主義に対する反対の意思表示としてそうするのです。フランス以外で最大のフランス語国といってもいい国なのですが。そのへんが他の国と比べても異色でした。
事情はあえてお尋ねしてませんが、今回のイベントの音頭をとったジブチ大使に要請されてのご出席だったかもしれません。
カメルーンはアフリカの縮図と言われたりします。フランコフォニーと英連邦両方入っているというのがこの国の歴史の複雑さと多様性を両方ものがたっています。
この国で中国語教育がされているという話が出て、聴衆からその実態について質問が出ました。要するに、中国政府の肝いりなのです。中国は中央政府の意思でどんどんそういうことがやれてしまいます。日本は、日本の政体からしてそういうことは難しいのです・・・ ただカメルーンにおける中国語教育は、成果の方はいまいちだそうで。
カメルーンは別に中国だけじゃなく、どこの文化も歓迎する、と言っておられました(↑)。
ジブチは、シンガポールや香港のような都市国家のように見えて、意外と国土の広がりがあって、自然の魅力の大きいところです。この国にこんな見事な塩湖があるとは知りませんでした。
ブルキナファソはトマ・サンカラとブレーズ・コンパオレという二人の大統領の個性で光る国だと思います。資源には乏しいのですが、外交面で存在感を出しています。
ジブチを除いて、いちおう現地の音楽CD用意して行ったのですが、使う機会がなかったですね。まあ、また今度なんとかしましょう。
さてアフリカ・セッションのあとはアメリカ地域をいつも元気な小松祐子さんが、ヨーロッパ地域を高瀬智子さんが(その司会ぶりは、彼女の楽しい授業風景を彷彿とさせてくれました)素晴らしい司会と通訳でリードしてくださいました。
でもこうやって並べてみると、そうですね・・・ こんなこと言ってはいけないかもしれないですが、そもそもアフリカはいつか西洋に「追いつく」ことがあるのか、ということが心配になりました・・・
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ワールドおやじ忘年会2009
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ことしももうあと残りわずかとなりましたね。
今年も昨夜25日、都内某所のワールドおやじ忘年会、行ってまいりました。遅れて行ったら、錚々たる方々がたくさん集まっておられてびっくりしました。
当然ながらわたくしの一枚はアマジーグ・カテブ、Marchez noir。11曲目のDounia。
日本盤発売が予定されているので、輸入盤も国内販売が控えられている段階だとのこと。早く日本盤でてほしいですね。これ、傑作ですから。
(あとラシード・タハ、Bonjourもかけさせていただきました。アマジーグのアルバムがなければ当然これが今年のベストでした。ラシード、ごめんね)
ちなみにアマジーグは、『ミュージック・マガジン』で松山晋也さんがほのめかしておられたように、なんと日本公演が実現しそうなのですが、これはまだちょっと不確定のところがあるかもしれません。期待して待ってましょう。
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不公平
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この土日は大雪の金沢を出て関西に行きました。おかげでまた仕事にしわ寄せがきてしまって年末最後のところがひどい忙しさです。
でもこういうときにこそブログが書きたくなるものでして。
金沢から電車で湖西線を通って関西に出ると、琵琶湖のところで分厚い雲が切れて青空が広がっていくのを見ることがよくあります(↑)。
陰鬱な天気と明るい陽光の境目です。
こういうの何度も見てますが、一年を通じていつも北側が雲、南側が青空です。逆はありません。
世の中って基本的に不公平なものだと、つくづく思います。
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「フランコフォニーを発見しよう!」第一回(1)
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12月13日の催し「フランコフォニーを発見しよう!」(於早稲田大学)の司会と通訳、なんとかこなさせていただきました。司会、通訳の出来についてはわたくし自身にはわかりません。出席された方に聞いてみないと。とにかく必死に頑張りました。上は催しが始まる前の会場です。
(非常に残念ながら、録画等の記録はなされなかったです。これには主催者側の都合もあると思います)
ちょっと内容がまじめすぎるかな、という感想は出席の方からうかがいましたが、そのあたり外交官の方々主導の催しですからやむを得ないところがあると思います。
大事なのは大使の皆さんがほぼ全員これを例年の行事にしたいと言っているということでして、次回からは日本の聴衆へのアピールということのためにもっと工夫を重ねていただきたいと思ってます。
わたしからは内容には全くタッチしませんでしたが、この催しに音楽を導入されては、というのはいちおう提案しておりました。モダンな感覚のアフリカ・ポップを聞けば、アフリカを良く知らない人でも、アフリカの人々がどれだけ現代的感性を持っているかということを即座に理解するはずですから。
それからもうひとつ、思想的に巨大な問題として、フランコフォニーと植民地主義の問題というのがあります。これをよく考えなければ日本でいくらフランコフォニー関連のことを善意で宣伝しても、たいして意味のないことでしょう・・・
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コメ粒とライ
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(前のエントリーとこのエントリーから続きます)
そこで思ったのは、アマジーグのソロアルバムの2曲目Komaきいて「どこにライがあるの?」といぶかしむ人がひょっとしたらいるかも、ということです。
ハレドやマミたちが世界に通用する音を追及して、多様で欧米ポップに近い音を出していただけに、結局「普通のライ」がどういう音かって案外世界のリスナーは知らないかもしれないです。
シンセサイザー担当のMehdi Zioucheは完璧にライの感覚で演奏できる人ですね。アマジーグ自身はライとはあんまり関係ないアーチストですが、ズィウ―シュのシンセに乗って歌っているだけで自然にライになっちゃってるんです。
・・・と、ここまで書いて思い出しました!
そういえばアマジーグは来日時、はじめて楽屋でわたしと言葉を交わしたとき、「次はライもやるよ」と彼らしい、冗談みたいな言い方で言ってました!
すっかり忘れてました。
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コシヒカリとソフトクリームのミクスチャー
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(この昔のエントリーから続きます)
金沢から新潟に電車で行く途中、越後湯沢で乗り換えました。
越後湯沢の駅で、こんなのを見つけました。
「コメ粒入り」というのが気になりまして、買って食べてみました。
うーん、どこにコメ粒があるのか分からない・・・
そしてこれ、最近のソフトクリームみたいに柔らかくないです。歯で削って食べないといけません。
ううむ、ローカル性をアピールして個性を出すために全国的に知られた特産物「コシヒカリ」をフューチャーしたのはいいですが、それをコメ粒として入れるというのはどうかなあ。ましてそのコメ粒自体、舌に感じられないですし。
アイスクリームをコシヒカリのコメ粒の形に固めました、とか言ってアピールしてみるというのはどうでしょう? それで舌触り自体は最先端の柔らかいクリームにするわけです。
炭譚アイスはまさにそうで、海水にみたてた部分は現代的でいい味でした。いまでも覚えてます。
やっぱりアイスクリームはワールドミュージックと似てますね。
土着の音楽をそのまま録音してもワールドミュージックにはなりにくい。
「モダン」に洗練された新たな装いを身にまとって、地元の若者が他の地方の人々、友人たちに誇れるようなものでないといけないわけです。
そうなって初めてワールドミュージックはアイデンティティと現代的な関わりをもつことになり、社会的に大きな力を持つのだと思います。
[追記] このサイトでは、「おコメがプチプチとアイスの中に入っていて面白い食感」と書いてあってびっくりしました。
おコメはどこにあるの? わたしは鈍感なのかしらん・・・
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新潟
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はんぱじゃない忙しさで、激しく疲れてます。
このエントリーに詳細なコメントをつけてわたしのとんちんかんをいさめてくださったアキレスさんへの御礼、ご返事も書けないほど気力がうせてます。
先日の日曜日には東京でこれの司会、やったんですよね。これのご報告もしないと。
授業も、冬休み用にいろいろ教材準備しないといけないですし。
歯も抜いたし。
あと一週間は最多忙の日々が続きます。うげっ。
ところで、さっき新潟へ着いたところです。上は新潟駅です。
明日は新潟国際情報大学でアルジェリア音楽と社会についてお話をさせていただきます。
いくら疲れていてもこれの話をするとなるとわたしは元気出てしまうんですね。アルジェリアン・パブロフですね。
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伝統音楽の意義
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(いちおう前のエントリーから続きます)
わたし、人生が四つくらいあったらひとつはフランス(語)民謡の研究にささげたい、ということをときどき人に言っています。これはかなり本気です。
民謡は、フランスとヨーロッパの文化の配置のあり方が典型的に表れているジャンルのひとつです。
ヨーロッパの文化的中心を自負するフランスに対して周りの国々、ドイツとかイギリスとかはその固有の文化をその固有性のゆえに称揚する、という傾向があります。ロマン主義運動はその典型で、民謡もこの全欧的うねりのなかで再評価されてきたものですね。
フランスは洗練された文化を志向し、外の文化にあくなき好奇心を燃やすのですが、自国の土俗文化には基本的になんか冷淡なんです。
70年代以降、地方文化再興の機運はありましたけど、ブルターニュとかプロヴァンスとかでない、いわゆる元からのフランスの中心部のもっていた文化、とくに民謡はそんなに再評価された感じでもない感じがするのです。
同じことは日本でも言えますね。沖縄の歌とか島歌とかはかなり注目を浴びていても、日本のいわゆる本土の民謡は今の一般の日本の人の関心をほとんどひいていないと言っていいのではないでしょうか。伊藤多喜雄さんなんて、ワールドミュージック的視点からは日本最大の歌手のひとりといっていいのに、日本で何人の人が知っているでしょう(新邦楽の方では吉田兄弟とかの方々が頑張ってますが。どうも日本の人も音楽というと器楽演奏の技巧にまず関心がいってしまうようです。それで、大学の学祭でも「ヴォーカルが弱いなあ」という気がしてしまうわけです。このエントリーにちょっとだけ書いてます)。
わたし、外国の音楽が専門みたいにしてますが、日本にもっとモダン化されて広い支持を受けたワールドミュージックがあってしかるべきだし、日本の音楽として対外的に誇れるものが将来育っていくように多くの人が考えておかないといけない、とも思ってます(Jポップは一部の外国ではかなり売れてますがそれを日本の人が「日本のもの」として誇れるか、という問題があります。ワールドミュージックのキモはそのへんにあると思います。さらに「日本のもの」というのは歴史の記憶からして周辺諸国の人々にどういう反応を引き起こすか考えると、そう話は簡単でないと思えてくるのですけどね)。
神楽というものがある、というお話にピピンと反応したのも、そのへんに理由があります。
ところで日本の音楽というと、一般の方への邦楽の啓蒙に活躍しておられる釣谷真弓氏が金沢の方だというのは、なかなかうれしいことです(↑は氏の本です)。
釣谷さんは、お会いしたことはありませんが見たことはあります。金沢市民芸術村で邦楽のイベントがあったときにレクチャーをされてましたので。元気な方ですね。
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