rai info/ライ・ニュース 120-122 +よいお年を

 今年は学生さんたちの卒論につきあったりシラバス書いたり原稿書いたりで忙しくて忙しくて、外国にいくどころかきのう京都であったスタンダール研究会=忘年会も行けずじまいでした。 (;_;)
 週間天気予報をみると、金沢は30日から雪だるまさんが並んでます。やっと降るんですね。でも降ったら降ったで、大雪になるそうです。 (T_T;)

 ということで、今年はライ・ニュース3つのエントリーで終わりにします。
 新年は4日ころには雪がやみそうですから、その頃雪に埋もれてなければまたエントリーいたします。
 それではみなさま、良いお年を。 (^_^)y


120 CHEB MAMI FLATTEUR DU PRESIDENT BOUTEFLIKA

 相変わらずアルジェリアに潜伏したままのシェブ=マミですが「この裁判沙汰にカタがついたら、ブーテフリカ大統領三選のために尽力する。アルジェリアを正しい方向に導けるのは彼だけだ」と宣言した、という話がBled Connexionに載っています。
 マミが裁判で有罪になっちゃったらこの話はパーだし、だいたいずいぶんイメージダウンしたマミの協力を大統領が受け入れるかどうか分かりませんね。ただこのような話をマジでするということは、マミはまだアルジェリアではフランスにおけるほど人気にダメージを受けていない、と判断しているということなのでしょう。
 でも、ここまでこじれた裁判が大統領選挙戦までに完全決着がついているとは思えないな・・・ (^_^;)  あるいは、こういうことを言って大統領の歓心をかってフランスとアルジェリアの国同士の交渉レベルで裁判を自分の有利にしてもらおうというんでしょうか。ちょっとそれは甘いんではないかな・・・ (T_T)


121 CHEB TARIK DANS LE SILLAGE DE GRANDS CHANTEURS FRANCAIS

 シェブ=ターリクがEdith Piaf、Jacques Brel、Charles Trenet、Charles Aznavourなどフランス歌手の名曲を東洋風アレンジでカバーしたアルバムを作っています。とくにアズナヴールはこの企画を援助しているとのこと。ターリクとアズナヴールの写真が彼のMyspaceサイトに載ってます。彼の歌う『世界の果て』Emmenez-moiアラブ版も聞くことができます。
 ターリクはライ歌手の中でも進取の気性に富んだやつで、インターネットもよくやってるようです。いっぺんわたしにメール送ってきたことがあります。日本公演したいから世話してくれ、って。 (^_^;)


122 L'ORCHESTRE NATIONAL DE BARBES REVIENT APRES HUIT ANS DE SILENCE

 オルケストル・ナショナル・ド・バルべス8年ぶりの新譜 Alikが来年2月初旬に発表されるそうです。ONBってまだあったのか、てな感じもしますね。 (^_^;)

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スアド・マシ


(前のエントリーの続き)

 中村とうようさんはこのスアド・マシSouad Massiの『アクースティック・ライブ』にも点が辛いんですね。「全曲が既発売曲」「客席の反応は弱く」 (^_^;) ジャケット(↑)まで「臨場感ゼロ」とけなされちゃってますね。(^_^;;)

 彼女は非常に多くの数のライブをこなし続けてるんです。こういうときは、新しい音を模索してクリエイトしていくという仕事はなかなかできないと思いますから、このアルバムに新曲がないのは、まあ残念ですが仕方がないです。
 それだけ彼女は聴衆との触れ合いを大切にしているんだと思います。
 またスアドのライブがスタジオ録音とは別の、独特の魅力を放つのを聴衆が知って求めているからこそ、コンサートの依頼が引きも切らないのだと思います。

 だからこれ、いいアルバムだと思いますよ。要するにアクースティック、つまりスアドのこれまでのレパートリーをエレキ抜きにして演奏しているわけですが、これが彼女のライブのスタイルなのです。まだ来日を果たしていないスアドのライブに触れられるのはよいことです。

 彼女のステージは、4年前に見る機会がありました。
 そのときの印象は今でも覚えています。

 彼女のコンサートでは、聴衆はこの宝石みたいな人を静かに見守るという感じなんです。

 バックのミュージシャンたちも彼女をサポート、盛り立てようと一生懸命なのがうかがわれて微笑ましいのです。生楽器だけではともすれば単調になりそうですが、周りがこまめに楽器を替えてリズムを変えて曲の感じを微妙に変えていくので、飽きがこないようになってます。

 ちなみに、なんというか彼女が、フランスでは大半の聴衆が理解できないアラブ語で歌っているということも、彼女と聴衆とをかえって直接的に触れ合わせることにつながっているようにも感じますね・・・

[追記] Jeune Afriqueが年末恒例の「アフリカを作る100人」特集をやってますが、みごとスアドもその100人に入ってますね。音楽界からは他に Femi Kuti(ナイジェリア)、Manu Dibango,(カメルーン)、Cesaria Evora(カポ=ヴェルデ)、Salif Keita(マリ)、Tiken Jah Fakoly(コートディヴォワール)、Kotfi(アルジェリア)、Angelique Kidjo(ベナン)、Alpha Blondy(コートディヴォワール)そしてYoussou N'Dour(セネガル)となっています。07.12.27

[もうひとつ追記] スアド・マシのこのアルバムについてはビバ・アルジェリアにも載せておられます。
 
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奈津江さま~ (^o^)y


 『ミュージックマガジン』1月号が店頭に並んでます。表紙はジョンです(わたしの若いころロック界では「ジョン」とだけ言えばジョン・レノンのことだったんですが、あとでクラシックギター界に首突っ込んでた頃には、クラギ界で「ジョン」とだけ言えばジョン・ウィリアムスのことなんだというのに感慨を覚えました)。

 ウアムリア奈津江さんのすばらしいアルジェリア音楽解説が載ってます。カビル、シャウイ、それからスタイフィまでこれだけ詳しく紹介されたことは日本ではなかったことです。彼女のブログと合わせてぜひご覧くださいね。 (^o^)y

 シェイハ=ラビアの『リべルティ』、宗像明将さんはかなり評価してくださってますが、中村とうようさんは点が辛いですね。 (^_^;)  とうようさんはマトゥーブ・ルーネスへの評価が高いですね。

 石田昌隆さんがアルファと並ぶアフロ・レゲエの雄だった南アフリカのラッキー・デューベ Lucky Dube の素晴らしいポートレートを載せておられます。彼は先日強盗に殺されてしまったんです。冥福を祈ります。

 ちなみに先日の鈴木裕之さんのお話では、アフリカの音楽シーンはほぼラップとレゲエが主流になっているというのをうかがいました。

 石田さんはベストアルバムで Zinaを挙げておられますね。イタリア・ライです。ワールドおやじ忘年会ではティケンが誰かに先に取られたらこれにしようと思ってました。このブログで当然扱いたいんですが、情報が少なくてまだ果たせてません・・・ m(_ _)m
 マニュ・チャオは鈴木孝弥さんがイチオシです。 (^_^)y

 で、『ミュージックマガジン』の選ぶワールドミュージック今年のベスト1位はやっぱりティナリウェンですか。来日中止は残念でしたね。また来てね。 (^_^)y



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コートディヴォワール


 Jeune Afriqueのこの号にはAlpha Blondyの新譜Jah Victoryと彼の近況の話も載ってました。日本では全く紹介されていないながらアルファはアフロ=レゲエの巨人、コートディヴォワールの生んだスーパースターです。恒例のアビジャン・大みそかコンサートには30万人の観客来場が予想されているとのこと。 (*o*)

 アルファがコートディヴォワールのレゲエの王様、ティケンが皇太子という感じですが、両者の対立が大きく取りざたされています。今度のアルバムには、アルファがティケンを攻撃する歌も入っているそうです。でもティケンはティケンで、アルファの建国の父ウーフェ=ボワニ大統領べったりなところなど政治姿勢を批判していました。

 Jeune Afriqueは、2002年からのコートディヴォワール危機の時代に国を離れていた、ということで本国ではティケンへの目はあんまり暖かくない、と言っています。本当ならこれはティケンには少々酷な話かもしれません。彼の政治姿勢に反対する勢力のために、ティケンは国を離れざるをえなかったわけなので。

 さて話は変わりますが、今年の「異文化理解III」はコートディヴォワールの話から入りました。アルファやティケンの歌も歴史や社会を理解して初めて意味がわかる、というところがあるんですね。

 去年3人、今年2人の授業だけど、去年いちばん熱心に聞いてくれたのがヴェトナム人留学生で今年はロシア人留学生だってのは、なんか考えさせられます。(^_^;) まあ彼女たちが故国で世界を視野にいれた思索をするときにわたしの話が少しでも役に立てば、と思います。
 
 金沢大は地方の旧国立大でそのへんのんびりしているところがありますけど、北大シンポでお会いした他所の先生のお話などを聞いていると、「受講生が少ない」ことを理由にこの種のクラスをつぶそうとする大学もありそうな気がします。

 こういうところは、あんまり市場システムの発想で扱うべきではないと思うんですけどね・・・

 というのがこのBO-YA-KIブログの趣旨でした。 (^_^;)


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異文化間の「気づき」

 
 さて北大のシンポジウムですが、いくつか個別発表がありました。二つだけご紹介しておきます。

 ICT、つまりコンピュータとはあんまり関係ないですけど、「自律学習」の一種ということで、「『異文化間の気づき Intercultural awareness』はひとりでに得られるか -- 言語バイオグラフィの工夫について」というタイトルで発表されたのが姫田麻利子さんと、わがランコントル(関西フランス語教育研究会)の盟友 (^_^)v マリー=フランソワーズ・パンジェのお二人。

 現地フランスで研修する大学生に「異文化間の気づき」、すなわち「出身文化(この場合日本文化ですね)と目標文化(この場合フランス文化ですね)の間の目立つ共通点と相違点に関する知識、意識、理解」(この定義は例の欧州共通参照枠によるものです)を促進する試みの報告です(という理解でいいですか?)。

 というとすごく特殊なお話のように見えますが、要するにフランス現地でどのようにフランスについての自分の知識が増えたか、とくにそれまでの偏見がどのように修正されたかという、外国に行った人ならだれでも考えてしまうことを、日記を書いてもらってしっかり自省してもらう、あるいはそういう自省が有効にできるような日記の書き方を工夫する、後でアンケートを取る、分析する、等という試みです。

 (報告された学生の日記を生でそのまま引用するのは、いいのかどうか分かりませんのでわたしが要約しますが)「フランス人は自己主張が強いとか冷たいとかいうイメージがあるが、実際は話し好きでときにおせっかいで、親切な人たちだと思った」というようなことを自らの文化、日本文化との関連において思考してもらいたいわけです。もっとも「フランス人は声が大きい」「フランス人は家の修理をするのが好きである」みたいな、ちょっとまとをはずれたようなことしか書けない子もいてしまうわけなんですが。 (^_^;)

 わたしとしては、異文化体験で起こる最初の「気づき」、有意義な収穫というのはたぶん「フランス人」というのが「一枚岩」じゃないということがわかることなんだと思います。「フランス人は○○だ」みたいな言い方にはすぐ反例が見つかって粉砕されてしまう、ってことですね。しかしこれ、言葉が分からないと何年たっても気づかなかったり、ある程度気づいたことがあっても日本に帰国したらもとの偏見の中に戻ってしまってまた頭の中がボコボコの一枚岩だらけになってしまう、というのもよくあることのように思います。

 さて、あまり教育現場に詳しくない方々の中には、「こんなことって、調査して分析して学会発表するほど値打ちのあることなのか」という方もいるかもしれません。

 だけど、まずはこれはより高度な理論への、すぐれた指導方法および調査方法の枠組み作りへの途中段階の話なのだと思いますし、それに今は大学教員が「結果」を出さなければいけない時代だ、ということも関連していると思います。
 「あなたの教育で本当に効果が上がってるんですか?」と問われる時代、たしかにこの教育が有益であると説明する責任を果たさねばならない時代なわけです。
 フランス研修をしたことで確かにこういう変化=成果がありました、と客観的に示せるようなものが出せないと困る場面があるかもしれないのですね。
 
 でもわたしとしては、ほんとはこういう研修は非英語教育に理解のないおとなの人たちにやってもらいたいところですね・・・ (^_^;)

[追記] このシンポの案内ページはここでした。

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なんの脈絡もないですが・・・


 ひさしぶりに midiさんお気に入りのSUPERDUPONTの顔が見たくなりました。 (ほんまかいな。(^_^;) )

 彼のマントというのは、よく見たらいつのまにか鎖骨の上のくぼみのところにはさんであるだけになってるんですね。

 なんちゅういいかげんな。 (T_T;)
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rai info/ライ・ニュース 119


CHEIKHA RABIA, LIBERTI

 シェイハ=ラビアの『リべルティ』、日本盤が発売されました。
 とくにDJの皆さんに聞いていただきたい一枚です。

 わたしがライナー解説にも書きました通り、ルーツスタイル、リミッティスタイルのライを世界のマーケットに送り続けているのはもうこのラビアくらいになっています。放っておけばこのまま消え去ってしまいそうなジャンルです。
 しかしこのアルバムではこの古臭い音に、クラブで安心して使えそうなデジタルなサウンド処理をくわえて、あるいはこのジャンルもまだ生き延びられるか、と一瞬思わせる、そういう音に仕上げられています。

 このエントリーのなかで、ビートルズのオリジナル曲の録音が「『音響的』な点で今の音楽の要求にこたえていない」から例のLOVEという企画の意義がある、という話が出ていました。

 多くの場合若い人が過去の名曲を敬遠するのはそういう理由があるわけです。だからこういう録音で聴くラビアの歌い方、ガスバの吹き方がかっこいい、自分もやりたいと思う若者がもし出てきたら、このアルバムをプロデュースしたDinah Douieb(Dynamiteレーベルの女性社主です)が試みたことは成功したと言えるでしょう。
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ライとわたし


 わたしはraidaisukiとなのってます。ライ大好きです。(^_^)y それは、このエントリーの下の方にも書いた通り、理屈抜きのところがあります。ツェッペリンとかロックとか、気に入らなくなったらたいていのものはあっさり捨てましたが、ライのやることだったら、基本的に何でも許しちゃいます。f(^_^;)

 わたしがフランスに渡ったちょうどそのときに、わたしを待っていたかのようにライ人気が最高の盛り上がりを見せたのをみて、そこに運命的出会いを感じたということも理由のひとつでしょう。
 突然へんなことを言いますが、愛とはそういうものじゃないでしょうか。 (@^_^@)
 ひとが結婚するときなんか、理屈抜きの「この人との出会いはわたしの運命だった!」という思いが、決断を促するように思います。

 確かにいまライは、以前ほど歴史や社会と直接の深い関わりを見せてはいません。
 フォーデルやジダンのような移民二世世代の成功者たちの多くは実に言動が慎重ですが、そんなフォーデルでも例のサルコジ大統領との関係で批判を浴びて火だるまになっちゃいました。シェブ=マミのグロテスクな事件も、見方を変えればやはりある意味で世界の現状の縮図を示していると言えるのかもしれません。
 でもたしかにライは、今アルジェリアでテロリストの直接の標的になる、というようなことはありません。それにライは、民衆の先頭に立って戦うというような勇ましいジャンルでは元からないのです。
 勇ましくはないかもしれないけど、やっぱりわたしライ大好きです。

 またこんなこともあります。
 2005年の「暴動」のとき、ライ界は音無しでした。いちばん何か言いそうなラシード・タハにも目立った発言はなかった。このへん、たしかにわたしもがっかりしました。
 ただタハの目から見れば、2005年フランス全国に波及した暴動は単に、まさに彼が音楽活動を開始した80年代リヨン郊外で行われていた非行(彼はあの有名な1983年の「ブール大行進」実現のため働いた、と言ってました)の規模が大きくなっただけのものであり、なにをいまさら、という感覚なのかもしれません。
 彼が日本にやってきたのは2001年10月、あの9.11事件の直後だったのですが(あのときわたしはプレスインタビューの通訳をやらせていただきました)、「この事件で世界が変わった、などというのは単なる無知を暴露しているにすぎない。アルジェリア人は10年間、テロリストに叩き殺され続けていたのだ。アルジェリア人とアメリカ人で命の重さに違いがあるとでも言うのか」というようなことを言っていたのをよく覚えています。
 欧米で耳目を集める事件を直接歌うわけではなくとも、アルジェリアの人々の心の底を流れる思いと直接つながっているなら、やっぱりライはたいしたものであるように思います。

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時計台


 北海道大学のシンポジウム二日目の朝、時計台いってきました。

 全国「がっかり」名所ナンバーワンの呼び声高い (^_^;) 札幌時計台ですが、雪をかぶったところに朝日があたるとほんとにきれい。快晴。青空。

 「がっかり」なんて失礼だよ。
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アルジェリアのテロ


Jeune Afrique12月16日-22日号(↑)に12月11日のアルジェでのテロ事件の報道がありました。今回も自爆テロですが、実行犯はFIS、GIAの残党だったのですね。若者を鉄砲玉に使ったのでなかったところがわずかな救いのように思えます。若者さえ巻き添えにしなければ、彼らはやがて消えていくだけの存在です。

 彼らの写真があります。1人は65歳で、つまらなそうな顔をしてます。GIAのメンバーだった二人の息子が軍に殺されたのが80年代のことだというのですからアルジェリア危機より前の時代のことですね。これが本当なら、長く世に恨みを抱きながら年を重ねてきたのでしょう。もうこれ以上生きていても仕方がないと思ったか。あるいはどこかから強制をうけたか。

 もう1人は30歳で、笑ってます。GIAメンバーで98年に逮捕されたということですから、21歳のときですか。国民和解政策のおかげで去年出獄できたんですね。娑婆に出たら一直線に山に戻ったんでしょうか。あるいは一応は社会に順応しようとしたんでしょうか。彼は若者といえば若者だな・・・

 フランスのテロ対策専門家Louis Caprioliのインタビューが載ってます。完全な掃討は難しいけど、テロリストたちは山の中に散り散りになって追い込まれている、武器も独立戦争のころのをまだ使っている、ということです。それでも人を殺すには十分なわけですが。
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