国歌

 以下、ワールドカップ開幕のころ書いたものです。内容をちょっと変えて今日エントリーします。

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 ワールドカップ、始まりましたね。
 イングランド=パラグアイ戦、始まるところを見ました。
 イングランドが先制点入れたところでチャンネルをロラン=ギャロスの決勝に変えましたけどね。
 エナン=アルデンヌという人は、なんか必死の、いたいけな感じがいいですね。服装も地味だし。クズネツォヴァの方が体格もいいし、余裕がある感じでした。エナン=アルデンヌはアゴが上がってたりしました。・・・
 それでも、勝ったのはエナン=アルデンヌなんですね。勝負とはえてしてそういうものです。
 フロラン・ダバディーが英仏の通訳やってましたね。前にも書きましたが、こういう人材日本には少ないんでしょうね。(わたしも英語はずいぶん勉強しましたが、使う機会がないままに錆び付いてます。フランス語だけでいい環境にわたしは働いているのです。このへんも日本の縦割り問題のひとつのあらわれのような気がします) また彼自身がタレントであるし、英語と仏語2人通訳雇うより安上がりだ、ということなのでしょうか。最近テレビは全然見ないのでわかりませんが、こういうのよくあるのでしょうか。

 まあそれはいいです。
 国歌のことです。

 国歌って、「愛国心」の踏み絵みたいなもので、厄介なものです。
 イングランド・チームはほとんどがGod Save the Queenを歌ってましたが、パラグアイはそうではなかったですね。
 God Save the Queenを歌わなかったイングランドの選手、そしてパラグアイの選手たちが彼らの国歌にたいしてどういう思いがあるか、わたしには分かりませんから、コメントはしません。

 ずうっと昔のストラスブールのことを思い出します。もう20年前かな。
 ストラスブール大学で、夏期のフランス語講習を受講してました。
 土地柄、ドイツの連中がたくさんいたな。あのころはアメリカの連中も、たくさんフランス語を勉強しに来てました。ドイツのガビーは、アメリカのダニーは今頃なにやってるだろう?・・・

 講習の最後のころのパーティーで、歌を歌おうということになりました。
 覚えているのは、イタリアの連中が Bella ciao を歌ったこと。
 日本勢が「バラが咲いた」を歌ったこと、でした。
 ドイツはなんかコミックソングみたなのを歌ってました。

 それでね・・・イギリスの連中が God Save the Queenを歌いだして、一同どっちらけになったんですよね。 (^_^;)

 いろんな国の、いろんな立場の人がいて友好を深めるべき場では、国歌って出さない方がいい、しまっておくのがエチケットですね。

 他に思ったのはこういうことです。
 イギリスはもう何百年も政体が変わってない国です。
 アメリカは新しい国のように思えますが、政体は建国以来もう200年以上変わってない、その意味では古い国です。
 国歌というようなものを屈託なく無邪気に歌えるのは、世界で彼らくらいなもの、ということになるのかなと思います。
アングロ=サクソンというのは特殊な連中だな、というわたしの印象は、この辺に端を発してます。
 「世界にはキングは5人しか残らないだろう。イギリスのキングとトランプの4人のキングだ」と言ったのは、たしか昔のエジプトのパシャでしたね。

 ふつうの国はここ数十年の間に、つらい、価値観の転倒を経験してます。
 日本は1945年に、180度の変革を強いられてます。前日まで使っていた教科書の記述を墨で消さされた、っていうのはすごい。世界史的体験だと思います。これをやらされた世代が筋金入りの価値相対主義を奉ずるようになったのも当然です。

 フランスも、戦勝国といっても名ばかりで、大きな心の傷を残しました。現代フランス文学の売り物のひとつである「新批評」Nouvelle Critiqueの隆盛も、背景にはフランスの古い価値観に安住していたのでは他の国に負けてしまう、という強い自覚があります。

 他の国ももちろんそれぞれの事情で、それぞれの屈折があります。

 「愛国心」をめぐる話が政治問題になってますが、こういう教育があまり成功しすぎて、それにふさわしくない場所に国歌を無神経に持ち出す子供が育たないか、というのが今のわたしの心配です。

追記:スペイン戦の前のフランスチームでも、歌ってない選手がいましたね。誰がとはわざわざ言いませんけど。06.06.30.


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ジダン!

 さっきまでワールドカップ見てました。(^_^)y
 (このエントリーのコメントのところでアキレスの踵さんに突っつかれてますが、(^_^) わたしも、専門的なことは分からないながらサッカーには興味ありますよ。ちょっと仕事というか人生が忙しすぎて今あまり見る暇はありませんが。98年にはちょうどフランスのワールドカップ優勝の熱狂を現場で見るという幸運に恵まれました。「98年ワールドカップ フランス勝利の夜」をご覧下さい)

 この試合は、引退するジダン最後の晴れ姿になるだろうな(だって相手は好調スペインだし、フランスはよたよたの一次リーグ突破だし)と思っていたのですが、すごい! フランスが勝ちましたね!

 ご存知の通り彼はアルジェリア系です。彼の活躍に、いまごろサッカー狂のアルジェリア人たちは大騒ぎしていることでしょう。 (^_^)y

(ところで今回のワールドカップ、実はアルジェリア人たちはあやうくテレビで見られないはめにおちいりそうだったんですよ。マグレブ地区放送の権利をもっているサウジアラビアのテレビ局ARTの総裁 Cheikh Salah el-Kamalという男がアルジェリア国営テレビENTVに、自分の局との高額の視聴契約を結ぶことをワールドカップ中継放送権許可の交換条件として持ち出したのです(これは、汚い! (X_X) )。アルジェリア国営テレビはこれを拒否して交渉は暗礁に乗り上げました。
 ご存知の通りアルジェリアではパラボラアンテナが林立、外国の衛星放送をキャッチしている家庭が大半なので、それを見ればいいやとタカをくくっていたアルジェリア人たちも、このシェイフ=サラーの要請でアルジェリアに電波が入る外国局がワールドカップ中継にスクランブルをかけるというニュースが伝わって大騒ぎ。官民あげてプロのスクランブル破りさんたちの仕事に期待を寄せたというんですから、いかにもアルジェリアらしい。(^_^;)
 最後はブーテフリカ大統領自ら事態の収拾に動き (^_^;;) 値切りに値切って、国費を投入して、やっと交渉妥結したのがワールドカップ開幕前日というんですからあきれた話です。 (^_^;;;)
 でもね・・・ワールドカップ見させないなんてこと本当にやってたら、シェイフ=サラーは無事でいられなかったんじゃないかなあ。怒り狂ったアルジェリア人たちは原理主義過激派残党を刺客にしてサウジに送り込む、とかやりかねなかったのでは・・・ (^_^;;;;)  )

 スペイン=フランス戦、ほんとにいい試合でした。無駄なホイッスルもなく、両者ともほんとに上手かった。リベリもヴィエラもマルーダも、そしてジダンも素晴らしかった。若いスペインの勢いを、調子を取り戻した老練なフランスが固い守りで抑え、ねじ伏せたという印象を受けました。
 1点リードしているのにジダンはロスタイムに入ってからイエローカードをもらったりして何をしているのかと思ったら、その直後に見事なゴールを決めました。最後まで闘志を失わない男なんですね。

 まあ、つぎは相手ブラジルだし、たぶんこんどこそジダンの引退試合ということになるでしょう。
 フランス人、アルジェリア人の両方にとっての英雄ジダンには、今後両国の架け橋になるような仕事を期待したいです。
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音楽の祭 Fete de la musique

 このエントリーでもお分かりのとおり、6月21日は「音楽の祭」ということになっているのですが、「ああ、そう・・・ でもそれって結局なに?」というのが日本の多くの方の偽らざる反応のように思います。

 もう今年は終わっちゃいましたが、1982年からやっているこの「音楽の祭」の意義をMusique info hebdo 6月16日号掲載のジャック・ラングのインタビューからちょっと確認しておきたく思います。

 「音楽の祭」は当時文化大臣だったラングの文化戦略の一環として始められたものです。「音楽は言語の差、世代の差を超えて行くものだから国民 citoyens の結束に貢献する」というわけです。
 最初はただフランスで音楽愛好者に対して、「夜の最も短い日」にプロもアマも路上や駅や公園など野外のいろんな場所に集まり、音楽を演奏して楽しもうではないか、という呼びかけだったのです。以後だんだん規模が大きくなり巨額の予算を使うようになってきたこの催し(ジャック・ラングは「アヴィニヨン演劇祭の千倍くらい(!)」と言ってます)は多くの若い無名な才能の登竜門になり、この日を境にCDがバンバン売れだすアーチストも多いということです。(ジェラルドのCDは売れだすかな? (^_^)y )

 さて個々のアーチストやCDを外国に売り込むのは、前にも述べたことですがたいへん苦労が要ります。
 しかし「祭」ということなら、なんだか面白そうだということでどこの国でも「のる」人がでてきて、そのうち定着することも望めるでしょう。これが狙いのひとつであるように思います。
 現にバルセロナではシェブ=サミールみたいな人がフランスの援助なしで何かやる、こういう感じになりつつあります。
 「ことしは参加国が170になった」とラングは言っています。音楽の祭が国際化して行くなら、結局はこの祭は本場がフランスという意識がはたらいて、フランスおよびフランス音楽の世界内での存在感アップということとつながっていくように思うのです。
 
 非フランス人たるわたしのような者としては例によって、せいぜいこれを利用して文化振興に役立てられればいいと思うのですが、ラングのような巧妙で懐の豊かな (^_^) 仕掛人がいても日本では難しいかもしれないですね。なぜって日本の人は「自発的に、自主的に音楽を楽しもう」なんていう呼びかけに乗る、というような感性からは遠いところにいるようにも思えるので・・・

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ほとけ心?


 先日ジャン=イヴから20日に行われた例のスタンダールの日記等競売について結果を知らせてきてくれました。

 『日記』についてはグルノーブル市立図書館が80万ユーロ(プラス経費)で先買権獲得! さらに驚くことには『パルムの僧院』自筆訂正本(通称 Royer 本)の方は、あのベレスが国家に寄贈してくれたんだそうです!

 性悪(なんて言っちゃ悪いかなあ・・・)のベレスも土壇場でほとけ心を出して、フランスの宝に敬意を捧げたんでしょうかね? 
 あんまりそうとも思えないので f(^_^;) Jean-Yves にウラ事情を尋ねてましたが、今日まで返事がありません。おそらく彼も知らないんでしょう。

 それはともかく、これでベレスの全所蔵本競売完了ではない、というのを阪大の柏木先生から教わりました(先生、ありがとうございます。 (^_^)y )。だとするとわたしが関心を持っている『恋愛論』諸断章部分の最初の草稿は、これから出てくるってことでしょうかね。
 変な人の手に落ちないことを祈るばかりです・・・ (^_^;)
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MIG : Yamatna

 ところでこれはグナワディフュージョンで女性コーラスをしていた Djazia Satourが作ったバンド、MIG のセカンドアルバム Yamatna です。去年出ました。
 こいつはエスニックなところが全然ない、都会的で、モダンなサウンドです。 (^_^)y

 言葉は英語、アラブ語、フランス語を使い分けてます。どれもかっこいいのですが、それでもなんとなく言語によって曲調に個性があらわれるように聞こえるところが面白いですね。

 そのうちミグも来日しませんかね。ジャジアはなかなか上手い歌手ですから、いちどライブを聞いてみたいです。
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グナワ・ディフュージョンとアマジグ・カテブ

 今年10月にはカンバセーションさんの企画するイベント「コンダロータ」の一環としてグナワ・ディフュージョンが来日しますので、これのご紹介をしておきます。

 Gnawa Diffusion はフランス・グルノーブルに本拠をおくバンドです。 
 彼らはなかなか洗練された面白い音を出すバンドですが、ラガ・ロックを基盤に「グナワ・ミュージック」とそれに固有の楽器を採用することで、北アフリカにルーツを持つフランス定住者としてのアイデンティティ探求の音楽活動を展開しているわけです。
 写真は現時点での最新アルバム Souk System です。公式サイトでこのアルバムの曲を聴くことができます(GNAWA Diffusionのロゴの下、ぶら下がっている小さなカーテンの下みたいなもの10個を順にクリックしてみてください。06.06.26.)。 (^_^)y

 さてそのグナワとは、北アフリカのアラブ社会のなかの黒人の楽士たちが市場などで演奏していたもので、gnawa という語はギニア Guinea と関係があると言われています。
 本来のグナワは人をゆったりとした気持ちからトランス状態まで高める力をひめた物凄い音楽です。
 少し前にサラーム海上さんがレクチャーをしておられました。 (^_^)y

 メロディ楽器のグンブリは、見た目はゴミ箱に箒の柄をくっつけたみたいなものです。 (^_^;) 打楽器としては鉄製カスタネットのカルカブを使います。両者ともたいへん個性的な楽器です。


 グナワ・ディフュージョンはカリスマ的リーダー、アマジグ・カテブ Amazigh KATEB に率いられています。この人は素晴らしい声の持ち主ですが、かなり政治的意味の高い音楽活動をする人で、その意味でも注目できます。フランス共産党のイベントに招かれて歌ったルイ・アラゴンの Au fond de la nuit がレパートリーになっています。

 そういう政治姿勢は、父 KATEB Yacine --- 名作『ネジュマ』を書いてアルジェリアのフランス語文学の方向性を決めた作家 --- 譲りのものかもしれません。アマジグがアルジェリアからグルノーブルにやってきたのも、白血病でこの町の病院に入院していた父を追ってのことだったといいます。

 ちなみに現在、来日中にアマジグのミニ=レクチャーができないか交渉中です。実現すれば、フランス都市郊外に住むアラブ系移民の意識などについて、興味ある発言がきけるものと思います。
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日語通

21.ある国を離れるとき、その国の小銭を処分するのはいつも苦労しますが、台北の空港ではつい、この日本紹介日本語勉強雑誌『日語通 時事日語ぺらぺらにほんご』というのを買ってしまいました。いけないわたし。 f(^_^;)
 こういうのあるって聞いてましたし。

 日本語と中国語が巧みに混ぜこぜにしてあって面白いです。

 「メールマガジンで情報通になろう! 日文的電子報大搜羅」
 「言葉にならない美しさ 日本三景  難以筆墨形容的日本三景」

などなど。日本語の漢字にはカナがふってあります。

 「絢香 ayaka I believe 堅信不移」

の歌詞解説なんてのもありますよ。

 「カタカナ語言い換え 最終第4弾  「替代語」将取代「難懂外来語」」
 「連想式10分で学べる和製英語 10分鐘快速學會和製英語」

なんて記事内容を見ていると、台湾の人の視点から見るだけに、日本人はほんとに何やってるのかという気がしてきますね。(^_^;)

 CD-ROM がついてますが、これは日本語と中国語で雑誌本文の朗読が入っているだけで、映像はありません。この方が勉強のためにはよいはず。



 これで台北学会の報告は終わりにします。ほんともたついでごめんなさい。お疲れさまでした。 (^_^;)y

 あ、それからこの学会、費用は全部自前です。こういうの、どこかからお金を引き出すコツがあるのかもしれませんが、わたしは知りません。知ってる人は競争者増やしたくないから教えてくれませんよね・・・
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rai info/ライ・ニュース 044

FETE DE LA MUSIQUE 2006
 6月21日、今年の「音楽の祭典」でも、フランス各地でライ周辺の音楽、マグレブ系音楽からの参加があります。Musique Info Hebdo 6月16日号の報道からピックアップしてみます。
 南仏ペルピニアン Perpignan では Cheb Fafa, Cheb Boucif, Cheb Golo (3人とも聞いたことない名前です。 f(^_^;)  地元で活躍している人たちでしょうか?)によるライの夕べが。
 パリのアラブ世界研究所 Institut du Monde arabeでは Cheb Amar や Ouled Juini(これはチュニジアの数少ない、ライに近いポップ感覚のバンドです)の演奏が。
 カーンCaen では Diwan de Briska というバンドがグナワを演奏します。  
 スワド・マッシ Souad Massi はパリ中心の Olympia と郊外 Aulnay-sous-Bois の二会場かけもちです。

 ライからは離れますが、ジェラルド・トト Gerald Toto くんはカビル歌謡のAkli Dとともにパリ7区 Jardin de l'hotel Montesquieu というところで演奏しますね。 (^_^)y もっと情報がはやくはいってれば宣伝したんですけど・・・残念。
またグナワ・ディフュージョン Gnawa Diffusion が、フォーデルの故郷 Mante-la-Jolieで演奏します。このバンドは10月に来日予定で、このブログでもうすぐご案内をする予定です。乞うご期待。 (^_^)y
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rai info/ライ・ニュース 043

RABIA ET FADELA RENDENT HOMMAGE A RIMITTI A ARLES  
 7月11日、フランス、アルルの古代劇場 Theatre antique で開かれる Les Soirees Suds という催しで Cheikha Rabia と Chaba Fadela (ファデラは若い頃、Rimitti Sghira 「小リミッティ」という異名をとっていました)が、リミッティのバックバンドと共に「ライの母」のナンバーを歌って追悼の意を表すそうです。この頃フランスに旅行される方は行ってみられてはいかがでしょうか。なおこの催しのページには、ごく短いものですがリミッティのライブ映像が載っています! いつ、どこでのパーフォマンスかデータが書いてありませんが、最近はどこでもこんな感じだったと思います。・・・ぜひごらんになってください。リミッティの歌う姿を実際に見たことのなかった方々、ライの母の音楽って、こういうものだったのです。  
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