英語によるフランス語授業。やっと始まった。


 「英語を使って、フランス語を教える」という機会を前から模索していたのですが、金沢大学のKUSEPプログラムに正式登録して、留学生が7人も履修登録してくれたので、突然本格的に開始、これに突進することになりました。

 日本側学生は、正式履修2人に、単位は要らないけど出てくれるという人が1人いますから、この人たちと留学生たちとの関係をうまく作らなければ。

 このクラス、ぜひとも成功させたく思いますが、なにせ全然フランス語やったことないという人と、6年やったという人がいっしょくたなわけで・・・



 
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ラジオ出演


 わたくしのラジオ登場は今日、23日、JFNネット「A・O・R」という番組の後半、ワールドミュージックを扱うところでライの紹介をちょっとだけ。電話インタビューです。

 この番組をいつも聞いている学生さんのはなしだと、この「R」は "radio"の意味ではないか、ということです。


 まあ、お時間あるひとはお聞きください。

 わたくし自身は、学生さんの指導がありますので聞けないかもしれません。

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Ginrei


 Ginreiというのは金沢駅の建物の中にあった食べ物やさんです。
 まあ、とくに特別なところもない、普通の食べ物やさんでしたが、ここの「海の幸定食」がわたしの気に入りで、他所にでかけるわけでなくても、時々食べに行ったものでした。

 さて来春金沢にも新幹線が来るのですが、当然ながら駅や駅回りがずいぶん改装されて新しくなりました。
 ・・・でぶらぶら見ているうちにはっと気づいたのが「Ginreiがなくなってる」ということでして・・・

 「新幹線がきます! 駅も綺麗にしました!」ですか。そりゃ、よろしおしたな・・・

 ふつうお店が閉まる時には「閉店いたします。これまでのご愛顧ありがとうございました」という張り紙くらいお客は見せてもらえるのにね。閉店前にチャンスがあれば店のご主人から、実はこのたび閉店することになりまして、と言ってもらえたかもしれない。こちらからも、残念だけどこれからもがんばってください、って言えたかもしれない。

 なにが切ないって、わたし、こういうのがいちばん切なく思えるんですね。

 むかし地上げブームのころ、京都は百万遍北にあった「千里」がふっと消えたときも悲しかったです。あそこの「チキンカツ定食」の味は独特だったですから。ご主人がお客のかえるときにかける「ありがとうございましたっ」っていう挨拶のイントネーションも、面白いものでしたね・・・

 経済は、資本主義は、マーケットは人間や、文化のことなんか考えないです。本来経済には「頭」はないので。
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ラジオにちょっとだけでます


 わたし、音楽は引退したはずですが、まあ頼まれましたのでちょっとだけ音楽がらみ、ライがらみでラジオからわたくしの変な声をお聞かせすることになりました。気分を悪くしたくない方は:

JFNネットワークの「AOR」(これってAdult Oriented Rockってことですか? ずいぶん古くからある言葉ですが・・・)って番組の今週木曜日23日の回

は聞かないようにしてください。(汗)

 石川県では「FM石川」が20時から20時55分の枠(したがってわたくしの声はこの枠内のどこかで出てきます)で放送してますが、ほかの地方は時間がずれるかもしれません。お確かめください。

 ごく短いものなので、あんまり期待されませんように。かかるのも二曲、「ライの母」と「ライの王」の曲だけです。

 さて番組収録では、肝心の音源のことを何も聞かれないので

「音源はどうするんですか」とお尋ねしたら担当の方が

「iTunesで探します」というお答えなんですね。

 なるほど、現代ではこうするわけですか・・・ 

 ライのいちばんライらしくていい音というのは、iTuneにはのってないものの中にたくさんあるんですけどね・・・

 ただそういう音源をやり取りしていたら手間もかかり時間もかかり間違いも起こるかもしれない。

 専門家のコメントは電話インタビュー録音を使い、音源自体はiTuneからとる(アーチスト名や曲名のスペルさえ聞かれませんでした。検索手段はいくらでもあるからでしょうね)。
 現状の資本主義的、マーケット主義的社会では、このようにするのが合目的的で、正しい経済活動、ということになりますね。


 別に、これを否定しているわけではないです。むかしだったらマニア、おたくしか持ってなかったような音がネットで簡単にみつかるようになったことは確かなんですから。ただね・・・
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金沢がくるか・・・


 金沢港に寄港するクルーズ船が急増しているそうで、きのうはフランスの船がやってきました。

 L'Austral号。美しいですね。
 10944トン、最大264名乗れるそうです。

 金沢港は観光スポット、JRの駅に距離的に近いのが強みだそうです。加えてもうすぐ新幹線も来ますから・・・

 金沢でもフランス語通訳できる人、ガイドできる人の需要は、これから増えるものと予想されます。
 英語もできて、プラスフランス語という人が求められるのでしょうね。

 依頼に応じて、金沢大学国際学類から二人、助太刀に行ってもらいました。

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飴(つづき)


 ノーベル文学飴は、モディアーノにあげるくらいならウエルベックにあげればいい気もしますがね・・・


 (日本に戻る考えはありますか?)

 「それはない。仕事はこちら(アメリカ合衆国)と決めている。裁判も決め手になった。大勝したら日本に残ろうと思っていたが、そうならなかったので米国に移った。この選択は間違っていなかった。」(日経10月9日)

 問題は、中村教授がアルジェリア人だったら――だったとしてさえ――こんなこと絶対言わなかっただろうということですね。本人も周囲もアメリカ定住を当然と思うはず。
 それを世界的、世界史的視野から、どう考えるかということです、問題は。

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 ノーベルでっか。

 中村教授。米国籍とっちゃってるんですね。日本では「みんなの力で達成した」と考えようとするのを、アメリカ合衆国的、つまりグローバルスタンダード式考え方ではそうではなかった、ということですか。
 で、いったんノーベル取ったとなると日本のマスコミは「日本人が日本人が」となるんだな。

 赤崎教授。85歳の方を名城大学というところはよく雇用しておられました。わたしも85歳まで働かせていただきたいものです。

 一方小保方さんは博士号剥奪ですか。

 Cojaalはアルジェリアから契約解除ですか。


 ノーベルは、文学賞は誰ですかね。案外ひょっこり今年こそ春樹さん、とか?
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BabyloneとCameleon


 はい、ここで9月28日、シェブ=ハスニ没後20周年記念会のお話です。
 おかげさまでなんとかとどこおりなくとりおこなうことができました。
 奈津江さん、お料理、会場の準備など、ほんとにお世話になってしまいました。ほんとにありがとうございます。
 ハスニもたぶん、あの世で喜んでくれているでしょう。

 トフィックさんにここ数年のアルジェリア音楽事情をきいて、BabyloneとCameleonという二つのグループの台頭に興味をもちました。
 どちらもずいぶんモダンな、アメリカ的に新しい音を出すグループです。そしてもっと注目すべきは、ひとつの固定したジャンルではなく、いろいろな音を出せるひとたちだということです。カントリー調、ロック調、フォーク調、いろいろということです。BabyloneのこれとかCemeleonのこれ(もう3年前のものですね)とか。

 かれらが、諸言語の雑多な混在を暗示する「バビロン」とか身体の色が環境で自在に変化する「カメレオン」という名前を自分たちに冠しているのは象徴的ですね。

 ハレドのアルバム C'est la vieをきいて「ワールドミュージックの終焉」の予兆を感じたわたくしですが、さらにこういう展開になってきたということに感慨を覚えます。

 アルジェリアでも「アルジェリアのワールドっぽい音」がひとつの選択肢、多くのスタイルのなかのひとつのスタイルとして演奏されるようになるでしょう。そのときにはその「アルジェリア」っぽさというのは、アルジェリア人に根差した音ということになるのでしょうか? そんなことにはこだわる必要はなく、単に全ての人が世界人になればよいということになるのでしょうか?

 それを決めるのは、もう若い世代に委ねてしまいたく思います。


 わたしの音楽の言い遺し、終わり。



 

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時代は変わる



 ビートルズやグールドの頃は、スタジオにこもって完璧な音を創る、というところに精神的崇高さがあると、みんな思っていたのですね。写真右上の本はそういうグールド本のひとつかな。

 でも、思わぬ時代の流れ――ですけどよくよーく考えてみればこれは必然の流れでもありましたが――のおかげで録音された音楽のデータというのが異常なまでに簡単に流通するようになったおかげで、ふたたびコンサート、ライブ、「なま」の時代がやってきました。
 そして、おそらく今はそちらにこそ精神的高さがあるはずなのです。
 
 高いところばかり見ていては、高みに登ることにならない。精神的高みは横方向にもある

ということでしょう。

 最近本屋さんでグールド本の新刊をみつけました。左上のものです。
 いまどきグールドなんて、と思って手にとってみました。
 結局内容は、グールドがコンサートをやっていた時代全体の雰囲気、のようなものを懐かしむ本のようですね。当然ながら、コンサートをやらない、ということの積極的意義のことは書かれていないのです。

 石原さんのように「白人支配」とかどぎつい言葉は使いたくないのですが、ヨーロッパ系の人間のやっていること「だけ」が世界の先端、という時代はたしかに終わったし、はっきり終わらせてしまわないといけないでしょう。
 世界の、時代の先端は、たとえば写真下側、コンゴのジュピターさんの試みのなかにある何かなのです。


 And the times they are a-changin'...
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