Adieu Rachid


Conformément à la coutume japonaise, j'ai habillé Rachid Taha en chanchanko rouge, le jour de son 60 ans. Oui, il aurait eu 60 ans aujourd'hui, s'il était vivant. Adieu Rachid, tu resteras dans la mémoire de tous tes amis.

 
アルジェリア・シグSigでの埋葬の模様はいくつも報道されていますが、AFPの映像Jeune Afriqueの記事には彼の奥さんが出てきます。彼女のコメントからするとラシードと悪い関係ではなかったことがうかがわれます。それが救いです。(こういうのは難しいもので、おおやけの授業ではあまり教えられないことですが・・・フランス語圏は歴史的に見てもかなり「人間的」にやっているんじゃないかと、あえて言ってしまいましょうか)

 タハのことはそろそろ置いて、前を向きましょう。アルジェリアの若手、しっかり頑張って。

 あ、でも9月30日の100% Algerian Music Partyではタハの曲をかけるコーナーをもうけて、彼をしのびたいと思います。ふるってご参加ください。

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ラシード・タハ急逝 Que l'âme de Rachid se repose en paix...


 アラブ・ロックの雄・・・というのもなんだかおこがましい、フランス在住アラブ移民二世世代の「ボス」、ラシード・タハが亡くなってしまいました。11日から12日の夜のことでした。
 パリの自宅で、就寝中の心筋梗塞によるものみたいですから、そんなに苦しまずに亡くなったのではないか、と思えるところがちょっと救いかもしれません。

 1998年の『アン・ドゥ・トロワ・ソレイユ』コンサートで成功して、トリオの他の二人が浮かれてふわふわしてしまったところ、彼だけ「家を買って、あとはそのままの生活だ」という話を聞いて、堅実な奴だ、さすが乙女座(関係あるか!)、と思ったものでしたがね・・・

 あれでお酒さえ飲まなければ・・・って、人間失格みたいだな。でも、そんな感じです。

 フランスのVictoires de la musique賞で入賞した機会に日本にやってきた彼のプレス・インタビューの通訳をつとめたのがわたくしの日本音楽業界デビューでした。2001年10月、ちょうど9.11事件直後で世界が騒然としていたころでした。
 あのときには「9.11で世界が変わった、などというのはおかしい。アルジェリアは既に10年テロに苦しんできたのだから」てなことを言ってました。
 渋谷のクワトロで一回だけの演奏でしたが、実に聞き応えのあるいい演奏でした。

 彼は、作る曲全てになにかしら意味をこめることのできる奴で、全くの駄作という作品がなかったひとだと思います。

 フランス語で歌った『ドゥース・フランス』『ヴォワラ・ヴォワラ』などがよく取り上げられますが、アルジェリアの人、そしてわたしにとってはアルバム『ディワン』の『メンフィ』『ヒビナ』そしてもちろん『ヤー・ライヤー』など、それから『ベント・サハラ』『ガラブ』などを思い出します。
 ブライアン・イーノたちとの競演では、ロンドンのクラブで違和感ない演奏をこなせる第一級の貴重なアラブ音楽アーチストという地位を確固としたものにしましたね。
 でも、そのあたりで酒ともうひとつ、悪い癖も覚えてしまったかな・・・

 ヘルシンキ公演のとき酔っ払ってステージ上でぶっ倒れてしまったあたりから、ずっとなんとなくおかしかったかな・・・ あれももうずいぶん前の話なんですが・・・

 2年前の「ライ30年」30 ans du rai(アルジェリアのライ・ミュージックが本格的にフランスに上陸して30年という記念コンサート)では、結局彼がトリをとる格好になりました。やっぱりフランスのアルジェリア音楽シーンに、彼は欠かせない存在だったのですね。わたしこのコンサート、舞台袖で見てましたし、タハの楽屋にも行きましたが、ひげも白くなって、ずいぶん爺さんになったなあ、と慨嘆したものです。息子のリエスくん(DJやってるんですか)がずいぶん大きくなってましたしね・・・ あ、そのときの短いビデオがここにありました。ステージ(持ち時間は3曲分くらいしかなかったのですが)の後はこのビデオよりもっとくたびれた感じで・・・

 また何か思い出したら、ちょっとずつ載せていきましょう。

 まだこれからという年で亡くなったのは惜しいことです。かなり仕事はやれた人生だったかな、とは思いますが・・・
 でも、やっぱりね・・・

 つつしんでタハの冥福を祈りたいと思います。




 
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Album Sukiyaki 2018 (fin) "Workshops" "Finale" "Uchiage (banquet)"


トークセッション「Tootard ~国籍なき者たちの日常と音楽~」(26日日曜10時~11時半)。彼らが「ゴラン高原」から来たというのが厳密にはどういうことを意味するのか、やっと分かりました。ほんとに、「パスポート」で来ているんじゃない人たちなんですね。そういうところでやっているからこそ音楽には変なこだわりがなく、いろんなものを吸収しているのが分かりました。
オープニングステージ、25日のヘリオスステージと、CDよりナマの方がずっといい、というもっぱらの評判でした。わたしもステージの方が個性的で、実によかったと思いますよ。

日本に来れたことを本当に喜んでいたトゥータルドの3人は南砺のあと名古屋、東京、那覇、福岡県能小島と日本中をめぐって、日本をじっくり体験してくれたかな。

26日のトーク・セッションは司会のサラーム海上さん、通訳のサアシャ・カニンガム嬢の活躍で充実したものになりました。
このサイトを駆使して、アラブ音楽の音階をじっくり教えてもらったのもありがたかった。みなさんは「四分の一音」つまり半音のさらに半分の音程って聞き取れますか?

さてランディゴLindigoですが、これはフロントマン?のオリヴィエがたいへんにこやかにいろんなことを教えてくれました(26日12時~13時半)。まあ細かいことは省略させてください。このグループでメロディー楽器を弾いていいのはオリヴィエと、ソプラノサックスのエミーさんだけなんですね。でも詳しい話を聞くと、彼らの音楽、レユニオン島の心の音楽マロヤは元からメロディー楽器が乏しかったわけではなくて1945年以降、フランス植民地主義が解体する過程においてレユニオンでは保守派が強く、マロヤが反体制運動と繋がったものとみなされて、楽器を使っていると官憲に踏み込まれたときやばいので、手拍子だけでやらざるをえなかった時期があったというんですね。90年代に解禁になったあとまたいろいろなタイプのマロヤができてきたわけですが、ランディゴはなんとなくそんなマロヤ苦難の時期の記憶を強く残している感じなのかもしれません。










今年はステージの写真がなくてすみません。カバーできた範囲が少なかったです。ランディゴは、ヘリオスステージでは案外いろんな要素を入れた演奏で、飽きさせなかったです。

はい、フィナーレ。





そして、うちあげ。前にも述べたとおり廣瀬さんのパワー、溜まってたのがここで一気に吹き出した、って感じでしたね。あ、立っているのはブラジルから来てくださったシャコン師匠です。



踊るトゥータルド。



クアトロミニマル。



そしてランディゴ。オリヴィエは打ち上げには出てこなかったです。本番で力を使い切って寝てたんでしょうね。さすがリーダー!




 はい、おしまいです。

 白状すると、始まる前はずいぶん心配しましたが、フタを開けてみると例年以上に得るものの多かったスキヤキ2018だったと思います。

 それじゃ、また来年!
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Album Sukiyaki "Yotaka" "Sukiyaki vu du haut"



 「あんどんどーん! 360年続く福野夜高祭を知ろう」(25日11時、アートスペース)。

 いまではスキヤキは南砺市の、そして日本の、世界のスキヤキですが、ヘリオスのお膝元福野では5月の夜高祭こそ重要なお祭なのだと思います。



 伝統ある福野の夜高祭。説明してくださった方(すみません、お名前忘れました・・・)は、祭りになると「体に鳳凰が入る」感じがすると言っておられました(夜高行灯には鳳凰の飾りがついているのです)。
 貴重な、かけがえのない感覚だと思います。



 このポスターは、お風呂屋さんに貼ってあったものです。



 さて今回のスキヤキには、フランスからランディゴを撮りに来こられた3人をはじめ撮影のチームの方がたくさん入っていましたね。彼らについてヘリオスのベランダから見たお店と、月。









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Album Sukiyaki 2018 "parade"


 ここで申しておきましょう、今年のスキヤキでいちばんがんばったのは廣瀬タクトさん!
 シャコン師匠と子供たちと両方の面倒を見事こなして、キウイ&パパイヤ・マンゴーズのステージもこなし、最後の打ち上げではピンでいちばん気合の入った声をだしてくれました。

 パレード。男廣瀬、晴れ姿!

 でもああダメか、今年は中止か、と思いました。スタート予定の15時半、さあ出発と思ったほんとにその瞬間、おそらく十数日降ってなかったと思われる雨が、にわかにザーッと降りだしてしまったのです。






 しかし、幸いそれは本当の通り雨で、ほどなくあがり、2018スキヤキ・パレードは15分遅れでスタートすることができました。

 橋本委員長は、念力使い過ぎなかったかしらん。

 でもスキヤキは、まだ十分ツキがあります!






 今年はコースが変わって商店街を行進。なんだかパレードがいつもより立派に見えました。
 (昔の祇園祭はなあ、いまの河原町通や御池通とかよりずっと狭い通りを鉾さんが通らはって、ほんまに立派に見えたもんやったなあ、という京都の昔のひとの話を思い出しました)



 最後はガーデンステージでフィニッシュ。これ、わたし聞いてなかった。でもよかった。



 これは商工会館に陳情にきた?巨大3人形。




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Album Sukiyaki 2018 "Opening Stage"


例によって、写真で載せるのを自粛すべきものがありましたらご指摘ください。わたしはそういうのよくわかんなくなりましたんで。

スキヤキ2018、オープニングステージ。
今年初登場のイモムシ巨大人形!







バックステージ。トゥータルドの演奏中、ランディゴたちがなにげに伴奏を始めてました。自然に音楽をやってしまうひとたち。

 


トゥータルドの通訳でサアシャ・カニンガム登場!



ランディゴの通訳でカスヤ・ユウイチ登場!(じいさんは登場せんでええ、っちゅうねん! だれか若くて可愛い女性、役目代わってくれへんかなあ・・・)



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