50


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 マルローはちょっと中断で、ダリのお話。
 サルバドール・ダリはご存知のとおりシュルレアリスムの画家。スペインはカタルーニャ出身の人ですね。
 ずっとずっと以前、テレビで彼のインタビューを見たことがあります。インタビュアーの質問と全然違うことをべらべら喋っていたのが印象的でした。

 写真の本、やっと金沢大学に入ったのでこの週末に読んでおりました。midiさんはいい本に目をつけられましたね。

 ダリはなかなか有益なことを書いてます。

 作品を成功させるためには、とりかかる前に深く眠ることが必要だというのは、あれこれ考えてしまって眠れないというのでは作品にとりかかる機が熟していないということだ、ということのひとつの表現でしょうね。
 傑作を作りたいと熱望する優れた画家はすべてダリの妻、ガラと結婚しなければならないというのは、一見超個人的なことに見えるけど、たぶん至言なのです。

 他にいろんな、いろんなことが書いてあります。
 グレン・グールドの思索を連想させるところもあったんですが、読み返そうと探してみると、はてどこだったか? 例によって最初から最後に向けて線的に読んでいるわけではないので・・・ すでにこの本に「書いてあること」と「触発されたこと」の差が判然としなくなってるかも。

 5という数字についての考察もあります。5は有機物の世界を支配する、うんぬん。
 こういうのをただの神秘主義として片づけることはしない方がいいと思います。まずはダリの言うことに真摯に耳を傾けましょう。

 ところで、スタンダールはよく自分のテクストのなかに「50」という数字を響かせます。50歳というのが彼の時代の感覚だと老境の始まりで楽しい恋愛の生活も終わりという慨嘆と、どんな人物も死後50年たてば社会もその真価で評価するようになるという考えからの考察が大きいと思いますが、他にもときどきこの数字が出てきます。

 彼の著『イタリア絵画史』――もし今度日本で「スタンダール著作集」出版が企画されることがあるならわたしは『恋愛論』とこれを担当したいんですけど(『赤と黒』は下川さんにお任せしましょう)――の末尾に「50時間講習」という変なものがついてます。
 本当の意味で美術を味わうことができる人になるための提言集、みたいなものですがスタンダールは、これに従えば「ほとんどあなた自身がアーチストになれる(!)」と言ってます。例によって言うことが大胆です。

 内容もかなり意表をついていてたとえばスタンダールは、50時間のうちの最初の10時間を「色調colorisの観念を得るために水泳学校に通うこと」で費やせ、と言うんです。印象派みたいなことを言う奴だな(彼の時代には印象派なんてまだなかったのに)。

 さてダリの本は『私の「50」の秘伝』ですね。
 両者、なんか関係があるような気がしてしまいます。

 繰り返しになりますが、こういうのをただの神秘主義だと思ってしまうのはつまらないというか、もったいないことなのです。
 ウィトゲンシュタインのような、グロテスクなまでに論理的な思考をする人がときに非常に神秘主義的な印象を与えるのも、理由のないことではないと思ってます。
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マルローはどこを盗んだか? 1


 さて有名なアンドレ・マルローAndre' Malrauxのバンテアイ・スレイ彫像盗み出し失敗事件ですが、この事件のちまたでの「語られ方」を見ると、なかなか趣き深いものがあります。

 『地球の歩き方 アンコール・ワットとカンボジア('10-'11版)』p.74にはこう書いてあります:

「かつて、作家のアンドレ・マルローは、祠堂の壁面に施されたデバター像に魅せられ、盗掘して国外に持ち出そうとして逮捕されたことがあった。後に『王道』という小説を著したことで有名な”いわくつき”の彫像である。「東洋のモナリザ」と呼ばれるこのデバター像は、そんな逸話が残るほど魅力的である」

 観光産業的には、ほんとにこういう話だったらよかったですね。有名な作家がその美に魅せられ、盗み出そうとまでした像とはどれほど美しいことだろうか・・・ ひとの心を、想像力を刺激して、ぜひ見に行ってみたいという好奇心をかきたてます。

 でもこれは、おそらく本当に起こったことからはかなりかけ離れた書き方なのだと思います。

 まあ「しょせん本当に起こったことなんて分かるはずがない」というシニカルな達観というのもありうるのですが、「こっちの方がより確からしい」という相対的な真実は、たしかにあるように思えますので、Pleiade叢書という、全体的に権威があるとされているフランスの大作家の作品を集めた叢書のマルロー全集第一巻の『王道』La Voie Royale解説(この部分の担当はWalter G. Langlois)のところを見てみました。
 この本も1989年刊ですから、「確からしい」話といっても20年以上前の時点の研究レベルで、ということですね。 
 以下、マルロー専門家からみたら噴飯もののような間違いをしているかもしれないことをお断りしておいて・・・

 わたしの気になるのは、マルローはいったいバンテアイ・スレイの「どこ」を盗み出そうとしたのか、つかまって押収された「ブツ」はその後どこへ行ったのか、ということなんですが・・・

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バンテアイ・スレイ


 今回のカンボジア訪問は、そもそも金沢大学の塚脇先生が長年携わっておられるアンコール遺跡整備公団のお仕事が発展した形のプロジェクトの一環ということで実現したものです。

 塚脇先生には本当にいろいろお世話になりました。先生は地質学がご専門なのですが、カンボジアのことはなんでもご存知という感じで、すごいです。
 先生には心からの感謝をさせていただきたく思います。

 アンコールワット訪問のあと、予定にはなかったのですが、塚脇先生のご配慮で、急遽バンテアイ・スレイBanteay Sreiを見ることができました。

 ここは、かのマルローが若いころ、彫刻を盗み出そうとして捕まったといういわくつきの寺院ですね。
 わたしとしては、そのくらいの興味しかなかったのです。

 しかし、行ってよかったです。

 ここは、美しいです。

 ほんとに美しい。

 大きくて黒ずんだアンコールワットと比べるとバンテアイ・スレイはこじんまりとしていて、砂岩の赤い色が女神たちの優美さを際立たせています。

 アンコールワットが法隆寺とすると、バンテアイ・スレイは中宮寺だな、と思いました。

 バンテアイ・スレイとは「女の砦」の意味だというのは、さもありなん、という感じです。

 マルローは自分の盗み出した彫刻そのものの素晴らしさのことは書いてないように思います。
 それにこのときの体験を下敷きに書いた『王道』La Voie royaleは、美しい彫刻を盗み出す話というより彼の「死の想念」がテーマみたいな作品です。

 けど本当は、盗もうとしたときやっぱり「美しい!」と思ったんじゃないでしょうか。

[追記] マルローに関するところを少し修正しました。マルローのこの彫刻どろぼうの話は、ちょっと調べて書いてみます。10.02.18.

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なにはともあれアンコール


 今回のカンボジア行きは大学の用事でしたので、当然報告は大学のページの方を優先しないといけません。
 しかし大学のページが改装直前で、ちょっと記事のアップが面倒です。

 とにかく、なにはともあれ、アンコールワットの雄姿は載せさせていただきます。関係各位のご理解をお願いいたします。

 しかし観光客、ほんとにたくさん来てますね。
 これでもリーマン・ショック以来だいぶん減ったとのことなのですが。
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Happy Chinese New Year


 13日から中国の旧正月でした。
 カンボジア、シエム・レアプでも中国系住民がお祝いの飾り付けをしていました。

 中には、こんなふうに木にさりげなく電飾をかけただけの、静かなのもありましたよ。

 カンボジアには中国系の方、たくさんおられますね。社会の富裕な層、中枢をなしている感じです。

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やれやれ


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 はい、おかげさまでカンボジアから無事、帰ってまいりました。
 日本、寒くて体動かないっす・・・

 カンボジアのお話の前に、サランからの返事が来たことをご報告しておきます。

 彼女の感想は、まあ朝青龍が辞めたのは当然だろう、でも泥酔ってのは嫌だね、という短いものでした。

 実はサランのところはいま非常におめでたいことで忙しくて、朝青龍のことはあんまり考えている余裕もないようです。
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カンボジア行ってきます


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 ルイジアナのバイユーに未練は残りますが(クリフトンのCDを引っ張り出して聴いてしまうと、しばらくアメリカ深南部、ディープサウスに思いを馳せてしまって、なかなか戻れなくなっちゃいます)、明日からカンボジア行ってきます。

 ということで、来週までブログの更新はお休みします。

 帰ったらいろんなご報告ができるといいな、と思います。
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ルイジアナのフランコフォン文化


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 このあたりほんとにいろいろ分からないことがあります。

 クリフトンの先祖はハイティから来たんじゃないでしょうか?

 クリフトンの話している言葉、歌っている言葉は、結局なんなんでしょうね?

 このあたり、確かなところを調べようと思っても、日本には調べる材料がほとんど見当たらないです。現地に行ってみたら、すこしは資料とかあるんでしょうか・・・

 このルイジアナの黒人フランコフォン・マイノリティのフランス語は、なかなか存続が難しくなっていると思います。
 すでにクリフトン自身英語で歌うことが多かったです。また彼のあとを継いだ息子のC.Jはお母さんが英語系のようだし、クリフトンは彼をずっとほったらかしてたらしいし、フランス語で歌うことはないようです。
 でも、この文化は消えずにいてほしいです。

 あえて言いますが21世紀において「教養」というのは、スタンダールの作品の綿密な研究もさることながら、アフリカからハイティへ、ハイティからルイジアナへ流れてここに定住した人たちの思い、記憶を大事にすることでもある、と思うのです。
 
 上の写真のビデオは1973年に撮影されたもの。

 クリフトンの108歳(ほんと?)になるおばあちゃん――『うる星やつら』の錯乱坊チェリーみたいな顔です――が出てきて、クリフトンたちが「おばあちゃんの若いころはどんなだったの?」とフランス語で必死に話しかけるんですが、おばあちゃん耳が遠くてほとんど通じない。
 ほんとに、この人の若いころのルイジアナって、どんなだったんでしょうね。

 クリフトンが歌うバックに、ルイジアナ特有の沼沢地バイユーbayouとそこに浮かぶ流木が夕日に映えて赤々と燃える映像が入ります。
 いいなあ、こういうの・・・

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クリフトンのBon ton roulet !


 クリフトン・シェニエのBon ton roulet !(このへん、当然ながら正式の綴りというのはありません)、ひっぱりだしてみました。

 ほんとに、ほんとに、ごきげんなブルーズです。

 クリフトンのアコーディオンが冴えわたってる。

 1966年5月10日、カリフォルニア録音というクレジットがありますね。

 さてこのCDにはChris Smithという人によるクリフトンの歌の転写がついてまして、一番はこうなってます。(ご覧のとおり一応スタンダードなフランス語として綴ってあります)

 Hey, tu, coquin, on va amuser,
Tu juste vives une fois, et quand tu es mort tu es gone ;
Laissez les bon temps rouler,
Laissez les bon temps rouler,
Well, tu peux etre mort si tu es vieux ou jeune
Ca fait 'a quitter les bon temps rouler.

(わたしの試訳)
    おい、このろくでなし、楽しもうじゃないか
    人生は一度、死んでしまえばそれまでさ
    いい時間が流れるに任せようじゃないか
    いい時間が流れるに任せようじゃないか
    年寄りでも若くても、死ぬのはいつかわからないよ
    そしたら、いい時間ともお別れさ

 でも、この機会によーく聴いてみると、わたしの耳にはだいたいこんな風に聞こえることが分かりました(これが標準フランス語の文法、語彙知識をあてはめてどこまで正確に理解できるか、なんの保証もないのですが、一応ここでも標準フランス語綴りを導入します):

 Hey tu coquine, on a amuse'
 Tu jus' vis une fois et quand tu meurs tu es gone
Quitter les bons temps rouler
Quitter les bons temps rouler
Wa tu meurs si t'es vieux ou jeune
Ca fait a quitter les bon temps rouler.

 "coquine"のところはかなり重要です。
 スミスの転写だと語りかけている相手は男のはずですが(coquin, mort, vieux は男性形です)、わたしの転写だと、vieuxを除けば、標準フランス語として理解しても、相手は女性であっておかしくないことになります。それにvieuxのところは実に曖昧で、なんと言っているかあんまりよく分かんないのです。それに、わたしは知らないですがクリフトンの話している「フランス語」ではvieuxに似た音の言葉が「年をとった」の女性形なのかもしれないのです。
 実は最終節のリフレインは:

 Waa tu peux [mourir?] si tu es vieille ou jeune 'tite fille

と聞こえるんです。
 ここはかなりvieilleに近い音が聞こえるような気がします。それになにより相手がはっきり"jeune 'tite fille"「若い娘っ子」にたとえられているのです。

 仮にこれが女性相手の歌だったとしたら・・・これはロンサールが歌い、与謝野晶子が歌ったのと同じように、女性を愛に誘う歌ということではないですか。
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Bon ton roulay


ハイティの話の続きです)

 そろそろ書いておかないと書く時間がなさそうなので、とにかく書きます。

 アメリカにはザディコZydecoという音楽があります。
 わたしはもう何年もアメリカ音楽はまともに聴かないのですが(わたしは最近のアメリカ音楽全然知らないのに、シャバ=ザフアニアだ、シェブ=ビラルだとかいうときゃあきゃあ言って聴いているので、アルジェリア人に変な顔されることがあります)、ザディコにはフランス語が絡んでくるので、これはときどき聴くことにしてます。

 要するに、ブルーズを聴くつもりで、聴くんです。
 ザディコの王様と言われたClifton Chenierは、キャリアのはじめは全部フランス語で歌っていたそうですが、彼がザディコ王として君臨していた時代にザディコは「英語で、そしてときどきフランス語で歌われるブルーズ」といった性格のものになったと思います。

 クリフトンがフランス語で歌うLouisiana Blues、抜群にソウルフルです(これフランス人に聴かせてやると「おまえよくこんなもん探し出してくるなあ」と言って変な顔されます。 彼らにとってはずっと昔に別れた異母兄弟かなんかが突然目の前に現れたみたいな感じがするんでしょうね)。

 さて、ザディコの歴史はよくわからないところがあります。

 たぶんハイティからやってきたフランス語を話す人たちもジャンルの成立に貢献していると思うんですが、むかしの本来のザディコはいわゆる「ケイジャン」音楽、つまりフレンチ系白人の音楽によく似た音楽だったらしいのです。このへんがまずよく分かりません。どういう流れでそうなってるんでしょう?
 どなたかご存じないですか?

 それともうひとつ気になっているのがLouis JordanのLet the good times rollとClarence GarlowのBon ton roulayの関係です。

 上の写真の右上は中村とうようさん編集のLouis Jordan作品集ですね。これにLet the good times rollが入ってます。このCDの解説ではこの曲は「1946年6月26日」とクレジットされてます。録音日のことですかね。ともかくこの曲はルイ・ジョーダンの代表的ヒットのひとつです。当然英語の歌です。

 この同じ曲をクリフトンがフランス語(?これについては改めて書きます)で歌ってまして、それはBon ton rouletというのです。詳しい録音時期はいま分かりませんが、とにかくジョーダンのヒットよりは後です([追記]1966年でした)。

 だからオリジナルはジョーダン、クリフトンがフランス語に振り替えた、ということで問題ないみたいな感じなのですが、はたして本当にそうなのかちょっとひっかかるのです。

 というのは、まず"bon ton"(bon tempsの訛り)というフレーズをClarence Garlowという歌手が自分の愛称にするほどトレードマークにしていて(Clarence "Bon Ton" Garlowっていうんです)、いちおう同じ曲と言っていい曲をだいたい英語で歌っているのですが、サビの"bon ton roulay"(roulayはroulerの訛り)のところだけフランス語で歌っているということがあります。

 彼の歌もまたジョーダンのヒットよりはあとの曲のはずなんですが(上の写真の下のアコーディオンとワニが描いてあるジャケットのCDに入ってるバージョンは1953年ニューオーリンズとクレジットされてます)。

 わたしには、なんだかジョーダンが歌う英語の:

Let the good times roll

よりクラレンスの

Let the bon ton roulay

の方がメロディーラインにあっている気がするんですよ。

 そもそも、他の部分が全部英語の歌でbon ton roulayのところだけフランス語にする、という発想自体、おかしいように思います。
 ひょっとしたらジョーダンのヒットの前にフランス語の原バージョンが存在していたんじゃないかなあ、とも思うんです。

 だいたい・・・ 「良い時間が流れるに任せようじゃない?」っていうの、実にフランス的じゃありませんか。享楽的で、でもどこかはかなげで・・・
 発想自体、英語よりフランス語の方があってる気がします。

 以上、ぜんぜん見当外れの話でしたらごめんなさい。
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