ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

火垂るの墓

2013-11-24 23:37:38 | Weblog
あまりに悲惨で二度とみたくないと思っていた火垂るの墓。
テレビガイドの解説で
「幽霊となった清太の目で出来事を振り返る」と書いてあった。

え。。そうだったの???
とそれを確認するために見ました。

といってもバレーボールが延長すると思って
最初の10分ほどを見損ないました。。。。




久しぶりに見て、感想が変わりました。

初めてみた時は「ひどいおばさん」と思いました。
清太のおかあさんの形見の着物をお米に替えても
それを全部清太たちに渡すわけでもなく、
また清太がもちこんだ食料も使ってしまった。
人のものをちゃっかり使っているひどいおばさんと
見ていました。

おばさんがいじめなかったから
清太達は死ぬことがなかったのにと。


今、改めてみてみると、
清太たちは、おばさん宅に食費をいれているわけでもない。
配給だけでは食料は足りない。
お金があっても購入できるわけでもない時代に、
おばさんは下宿人と(今回字幕にしていてみたのでわかった。
今までおばさんの息子さんだと思っていた)
娘の食べ物を得るために奔走している中に、
居候が来た。

自分たちが食べるのに精いっぱいなのに居候がいては
自分たちの食事もままならなくなる。
あたりたくもなるでしょう。

それも遠縁の子供。
おばさんのご主人のいとこが清太たちのお父さんにあたるらしい。
義理や恩があるわけでもない。


また、清太と節子の生活レベルがおばさんちとちがう。
節子の「てんぷら、おつくりが食べたい」の発言に
びっくりました。
4歳の子供がそんな物が好きなんて。
(時代の違いかもしれないけれど、
 幼児に生モノを食べさえても大丈夫なの???)
それも戦時中に。。

それにお腹がすいても
すいとんも食べずに「白いご飯がいい」といっていた。
この時代は食べ物であればなんでも食べた時代。
好き嫌いなんていっている場合じゃなかったはず。
海軍さんの家には特別に配給があったのか、
それともお母さんが工面していたのか、
清太の家には白いご飯が常食としてあったようですね。


童謡を歌って「この戦時中に歌うなんて」と叱られたり。
清太の家は広かったのか童謡を歌っていても
ご近所から叱られることもなったのかも。


そんな上流中流家庭で育った子供たちが
庶民の感覚についていくはずもなく。
衝突するはず。


また、隣組に入っていないと
配給品がもらえないと知らなかった世間知らずの清太。

そういう目で見ると「ひどいおばさん」というふうに
見えることはなくなりました。



とにかく清太達は運がなかった。
もっと世間を知っていたら
世間について教わっていたら
生き延びることも可能だったのではないかと
想いました。

もしも、節子がいなかったら
清太一人だったら、
おばさんちでがまんできたように思います。



どんなものも時間を置いてみると
見方が変わるものだなとつくづく思いました。



たぶん、世界のどこかで
現代の清太と節子がいると思う。

絶対、そういう子供たちを出しては
いけないと思う。
コメント
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