ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

選択

2010-10-07 23:51:09 | 身体のこと
今から20数年前。
透析導入のときのこと。
腎内科の病棟がいっぱいだったので
移植外科の病棟に入院した。
移植腎がだめになって
腎臓を摘出する人が入院していた。
その時に、移植腎は永遠に動き続けるものでないことを知る。
なかには拒絶反応や元の病気が再発して
一年足らずで透析に戻るケースを知る。

親から提供を受けた腎臓がだめになってしまい、
「親の身体を傷つけたのに、親の恩に応えられなかった」と
精神的におかしくなってしまう人がいることも知る。

そして、
「子供に腎臓を提供して
 そのあとに大きい病気をして
 ふたつあれば耐えれたのに
 ひとつだったから耐えれず
 透析になった親がいるんだよ。
 それで苦しむ人もいるし、
 中には親子で透析というケースもある」
と教えられてしまう。

そんな環境の中では生体腎移植という選択を
持つことはできなかった。
きっとSLEがすぐに再発して
腎臓をだめにしてしまうだろうと。


そんなことも知らずに
主任部長は
「このまま入院を続けて
 親から腎臓をもらって移植しよう」
と声をかけてきた。

普通は、透析して一年たたないと移植はしないという。
なのになのに。。。

結局は、献腎移植をしたが、
透析病院にいたとき、
移植に対するアンケートで
「生体腎移植希望」と書いたら
すぐに移植医が
「生体腎移植希望ですってね。
 いつから入院できますか」
と病院まで出向いて聞かれたという人がいた。

当時は、まだ生体腎移植といえでも
完全に確立した医療とは言えず、
とにかく症例を増やしたいというのが
露骨に見えた時期でもあった。

ちなみに現在、
この主任部長は私立大学の教授、
この移植医は国立大学の准教授である。
この声かけで多くの症例を集め、
多くの論文を書いた成果であることは
想像ができる。



そして今。
母の人間ドックの結果がかえってきた。
腎機能の低下がみられるという。
加齢によるものだと思う。
ふたつ腎臓があってもこの調子だと
ひとつだったらどうなっていたかと
思うとぞっとする。
ホント、親子並んで透析という可能性があったのだ。
腎臓をもらわなくて良かったと思った。


もしも、あの時腎臓をもらって、
移植腎が一年でだめになることはなく、
5年もったとして、
この5年間に結婚、出産を終えていたら
親子で透析になっても悔いは残らなかったかも
知れない。
もしもはもしもであって、
腎臓はどれだけもったか、
私に出会いがあったかは全くわからない。

あの時、腎臓を提供した親は、みな現在だろうか?
事故、病気に遭わなくても、
加齢による腎機能の低下した人はいるとは思う。
親子で透析をしている人はいるだろう。


結果として一番良い選択をしたから今がある。
だから、母は今日まで元気に私を、家族を
支えてくれたと思うことにしたい。
コメント (2)
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