計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

これは現代の「魔女狩り」か・・・

2008年03月14日 | オピニオン・コメント
痴漢でっち上げ「信じてもらえず、不安と悔しさ」(朝日新聞) - goo ニュース

 これはまるで映画そのものではないか!
 たまに公共交通機関の利用する立場の一人の国民にとしても決して他人事ではありません。

 真に犯罪を行う者が諸悪の根源であるのは言うまでもありません。真犯人を捕らえ裁く事は至極当然であるのは論を待たないでしょう。それにしても、最近のこのような冤罪事件やその捜査・公判の杜撰さが報道される度に目を覆いたくなります。

 富山県婦女暴行事件や踏み字の志布志事件、更に最近の拘置先の同房者をスパイに仕立て上げての証言でっち上げ等、一般のごく普通に生活している国民が、ある日突然濡れ衣を着せられ、その後の人生を根底から破壊される恐怖は計り知れません。鹿児島の志布志事件や先のスパイ捜査の件では裁判所の良識が機能しましたが、富山県の場合は警察・検察・裁判所の合同によるこれぞ正しく「組織的国家的失態」と言っても過言ではないでしょう。有罪判決が確定し、服役するまでに至ったのですから、裁判におけるチェックがまともに機能しなかったとの批判は免れないでしょう。

 このような状況では、幾ら「国民参加型の裁判員制度」と言われても「おためごかしもは甚だしい」と言わざるを得ません。良識ある国民をそれこそ「冤罪のでっち上げ」に加担させようとでも言うのですか。警察・検察・裁判所にはある種の尊敬の念を抱いていたのですが、最近その思いが揺らぎ始めているのが正直な所です。我々は何を信じれば良いのでしょうか・・・神?仏?霊?占い?霊能者?・・・それとも、宇宙人?
 
 しかも、この被害者の方が受けた警察での取調べは、最初から「犯行を行ったものと決め付けたもの」との事ですから、これまでの冤罪事件の教訓が全く活かされていないと理解せざるを得ません。科学的かつ客観的な捜査・立証方法と言うものを検討する必要があるのではないでしょうか。自称被害者が「この人が犯人です」と言い、自称目撃者が「私が見ました」と言えば、司法警察職員も何ら疑うことなく「お前がやったんだろう」と過酷なまでの取調べ・・・これでは冤罪のデパートではないでしょうか。日本弁護士連合会が求める「捜査過程の可視化」も去ることながら、科学的な捜査手法の向上に期待せずにはいられません。

 そもそも、このような検証無き捜査がまかり通るとは、科学技術立国を標榜する日本の警察の捜査としては如何なものでしょうか。これはもう現代の日本における魔女狩りや宗教裁判に他なりません。これでは法を持って治める「法治国家」なのか、誠に捕らえ裁くべき真犯人を放置する「放置国家」なのか・・・。そして「開かれた」裁判の場でどれほど精査されているのかも疑問に感じてしまいます。有罪率99%という数字が意味するのは、刑事訴訟法の原則「疑わしきは被告人の利益に」がひょっとして無効化しているのではないでしょうか。法廷は公開されていると言いますが、国民の監視の目が届いていない事の現れとみる事もできるのです。

 今回の事件の被害者の方は現在もメディアのインタビューに答えていらっしゃいます。最後まで毅然と無実を訴え続けたその勇気と根気に心から敬意を表したいと思います。そして、このでっち上げを行った真犯人と共犯者には厳重なる正義の審判が下される事を期待します。警察・検察・裁判所は今こそ失われつつ信頼を回復して頂きたい。やはり、国民の一人としては信じたい。警察・検察・裁判所の多くの方々が、それでも高い使命感と倫理観、そしてプロ意識を持ちながらその職務を全うしようとしている事を・・・。

 冤罪は二重に過ちを犯すものです。一つは無実の人を社会的に抹殺するものであり、もう一つは真犯人を野放しにするものです。そして結局は何ら根本的な解決がなされていないのです。逆に言えばこのような冤罪を防止する事こそが、真に「公共の福祉」につながるのではないでしょうか。

 結局、自分を守れるのは、最後は自分自身という事なのでしょうか。そのためにも法を学ぶ必要があると強く感じました。法はそれを知らぬものは罰しますが、権利の上に眠るものは助けないのですから。
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