計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

久々に見た故郷の姿

2006年11月26日 | オピニオン・コメント
 この4連休を利用して約1年ぶりに米沢に帰省してきました。米沢はやはり寒く、慢性的にヒートアップ状態にあった私の脳もクールダウンしてきました。前職で東京にいた頃は長期連休の度に帰省していましたが、今はすぐ近県だから、という認識もありずるずると帰省せずに(できずに)おりました。

 久々に米沢の街並みを散策したのですが、昔馴染みのある商店が幾つも消えているのが目につきました。かなりローカルな話題になりますが、現在は「まちの広場」となっている場所に「サンホーユー」というデパートがあった事や、改名前はファミリーデパートと呼ばれていた事を知っている人が果たしてどれ位いるでしょうか。そして、その直ぐ隣の「ポポロ」が昔、「ジャスコ」と呼ばれサンホーユーと共に平和通り商店街の双璧を成していた事を覚えている人がどれ位いるのでしょうか。あの頃はこのあたりはちょっとした歩行者天国になっていて真ん中には噴水がありました。この付近を通る道路は平和通りと呼ばれ、休日ともなると買い物客で賑わったものです。

 それが今となっては、週末なのに殆ど人気が無い状況。あの賑わいはもう過去の事となりました。区画整理が進んだ北部地区にサティやムサシやワーナーマイカル、ヨークベニマル等が立ち並び、かつての平和通りの賑わいがそのまま移転してしまったような形になってしまいました。かつて買い物で利用したスーパーマーケットに量販店がマンションになったり売地になったりしていました。この街も時代の流れと共に激変していきました。平和通りが賑わっていた当時、このような未来を想像することは出来なかったでしょう。

 かつての思い出の軌跡が一つまた一つと消えていくのを感じました。時代の大きな波はこのような形で地方にも波及してきたのです。この期間、米沢市も色々な事業計画の下で区画整理や道路の開通が進められていきました。このような幾つもの変化がインセンティブとなって、大きな変化の波へと発達したのでしょう。時の流れを否応無しに痛感させられました

 方丈記の冒頭「行く川の流れは絶えずして・・・」というフレーズが符合するかもしれません。かつての平和通りの賑わいもずっと続いていくものではなかったわけです。

 今の繁栄が永遠には続かない。これは逆に言えば、今の逆境も永遠には続かない、という事。良い事が永遠に続かないように、悪い事もまた永遠には続かないのです。つまり、現在は過去の単純な延長ではないように、未来もまた現在の延長ではないのです。全ては常に変化し続けているのです

 要は、良い時も悪い時も、目指すべきビジョン(デスティネーション)を明確にし、然るべきインセンティブを引き起こす戦略を見据えていく必要があると言えるでしょう。気象情報ビジネスもまだまだ発展途上です。しかし、これはずっとは続かないのです。プラスに転じるか、マイナスに転じるかは分かりません。インセンティブが自然に到来するのを待つだけなのか、それとも自分で引き起こすのかの違いはあるでしょう。
コメント (2)
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