退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「英仏の詩による『リアル』と全く『緊張感』のない映画」について

2024-06-25 03:12:07 | Weblog
くもり。蒸し暑い。

吉田健一訳「訳詩集 葡萄酒の色」を読む。

ベレイ、シェイクスピア、バイロン、キイツ、ボオドレエル、スウィンバアン、
ホツプキンス、ハウスマン、ラフォルグ、イエイツ、ヴァレリイ、エリオツト、トオマス。

英仏の詩のあれこれ。
詩人の名前は本作の表示通りに。

読んだことがあるのはシェイクスピア、ボオドレエル、ヴァレリイ、トオマスくらい。
間接的に知っているのはバイロン、キイツ、イエイツ、エリオツト。

詩集そのものを読んだことがあるのはボオドレエルとトオマスのみ。
前者はもちろん「悪の華」、後者は「緑の導火線」だったか。

これを機に英仏の詩集を読んでみるかと思いつつ。
気分次第なのでどうなるかは不明。

「詩によって立ち上がる『リアル』」に久方ぶりに触れた趣き。
この種の「フィクション」をもっと大切にしたいもの。

ケヴィン・フックス「F.L.E.D. フレッド」(’96)を観る。

ローレンス・フィッシュバーン、スティーヴン・ボールドウィンにサルマ・ハエック。
スタンリー・クレイマー「手錠のままの脱獄」(’58)の設定を借りて。

シドニー・ポワチエとトニー・カーティスに「勝てる」はずもなく。
全体に展開が緩く「B級」な感じ。

「物語」にも「カーチェイス」にもあまり魅力はなく。
作品は98分だがそれ以上に長く感じられた次第。

それぞれのシークエンスに「緊張感」が全くないのが残念。
当時30歳のサルマ・ハエックの好ましさだけが救いかも。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「こういう視点で世界を観て... | トップ | 「好ましいミュージシャンの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事