退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『世代』という括りに関することあるいは『現在』が描かれた昔の映画」について

2022-04-26 02:52:54 | Weblog
晴れ。暑い。

酒井順子「駄目な世代」を読む。

個人的には常に「時空を超えているつもり」なので「世代」にはあまり興味なく。
たまたま同じ年に生まれた人々についてどうこう思うこともなく。

「生まれる時代」は自分では選べず。
その時期ゆえの「常識もしくは流行」に縛られるのは仕方がないことだろう。

ただし。
そうしたものに「流されないこと」も可能であることは知っておきたいもの。

そもそも「宇宙の歴史」からしたら「世代」など「ほんの一瞬の出来事」。
もっとも漱石が書いたように「時を同じうして生きている仕合せ」はあっていい。

「しあわせ=仕合せ=どういうわけかそうなってしまったこと」ぐらいが丁度いいのかも。
もちろんそれとは対照的な「悲劇」もあるのは承知の上で。

というわけで著者の作品としては微妙。
とりあえず「『バブル世代』という存在の説明」だと思っておくことにする。

フリッツ・ラング「激怒」(’36)を観る。

いかにも「温厚そうな」スペンサー・トレイシーがこんな役をやっていたとは。
監督の「渡米第一作」だとのこと。

「アメリカの歴史」には付き物の「リンチ」を巡る物語。
主人公は自分を守ってくれなかった「法」を使って復讐を企てる次第。

こうした「現実」はつい最近も「トランプの扇動」によって引き起こされ。
さらには彼がまだ「影響力」を保っていたりする始末。

いわゆる「炎上」もこの種のことだと思ってよく。
つくづくわれわれには「学習能力がないこと」をあらためて。

本作で描かれる政治家やマスコミあるいはよそ者の姿を忘れずに。
今こそ観られるべき作品だと声を大にして言っておきたい。

ついでにビリー・ワイルダー「地獄の英雄」(’51)もどうぞ。
あるいはロバート・ロッセン「オール・ザ・キングスメン」(’49)もいかが。’
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「『再生』はされたが残念な... | トップ | 「マル激のゲストの昔の作品... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事