退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「現実の複雑さ」について

2011-03-28 03:21:11 | Weblog
晴れ。風冷たし。

キース・デブリン、ゲーリー・ローデン
「数学で犯罪を解決する」を途中まで読む。

以前にも採り上げたことのあるドラマ「NUMBE3S:天才数学者の事件ファイル」を元に
「統計的数学」が犯罪捜査にもかなり応用できることを例に取りながら紹介する内容。

ただしあくまで「モデル」は「モデル」であって
「自動的に答えが出ること」への安易さに甘んじてはいけない模様。

要はある種の「単純なモデル」を使うことによって
人が大量に処理できない材料をこなして「答え」が出せるということ。

「computer=計算機」で能力が高いものがあれば
その結果が「正しい」かどうかは別にして「答え」は出るのだと。

もちろん「統計的有意」は「正しさ」ではなく
あくまでひとつの「傾向」が他の「傾向」にほぼ「合致する」という「結果」が出るということ。

「統計的処理」の「面白さ」は
人の「先入観」とは違った「事実」に気付くことで。

「第六感」で「理由」もなく判断できる人と
徹底的に「ロジカル」であることであらたな「知見」を生む「コンピュター」の違いよ。

いずれも「不完全さ」においては大した違いはなく
いわゆる「相補的な関係=お互い様」程度に理解しておくのがよさそう。

「演繹」と「帰納」のどちらが「正しい」わけでもなく
「情報処理能力の多寡」でもなく。

所詮「圧倒的に複雑な現実」に対して
わずかな「パラメーター=基準点」を元に「解釈する」だけだから。

なにやら現在起きている「原発の危機」に似ているような。

たとえ「解釈」が「真逆」であったとしても
互いの「結論」に対しては「誠実」に答えたいもの。

そこで「共有できるもの」はどんなものなのだろう。
「目的=終わり」が「同じ」であることを忘れずにいたいものではあるけれど。
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