退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『自分』という枠組みを超えられないことと『ヤクザ=専業主婦に支えられる存在であること』」について

2024-07-08 02:28:57 | Weblog
晴れ。猛暑は続く。

左巻健男「学校に入り込むニセ科学」を読む。

「信じることの無謀さ」についてあらためて。
繰り返すが「世界が自分の思い通りになる」わけもなく。

「あらゆるものを疑いつつ進むしかない」という「倫理」は。
いわゆる「普通の人々」には荷が重すぎる模様。

どこかで「気楽」になりたくて。
「そういうこと」だと「白黒付けてしまう」。

何かのせいにすることはその「基本」で。
とりあえず「自分は悪くない」のだと。

その程度の「シンプル」で収まればいいのだけれど。
残念ながらそれを「商売」にする輩が必ず現れて。

「〇〇が全てではない」という反論の問題は。
自分の「真っ当さ」をよそにどこまでも言い募れること。

「論理」というものがなぜ生まれたのかを思いたいところ。
「あまりに酷い現実」に対する「非論理的な情熱」が生み出したもののはず。

仮に「正しいこと」があるのだとして。
「それが如何に正しいのか」を検証しないのならすべて「ウンコ」。

一番わかりやすいのは。
「圧倒的に複雑な世界」の中でわれわれの用いる「論理」がどれほど単純であるかということ。

「世界」に対してわれわれが「圧倒的に愚かであること」を忘れずに。
そもそも感覚器官は「情報」を単純化しているのだから。

諸君に告ぐ。
あなたは隣りにいる存在をどこまで「理解」しているのか。

山本芳久「日本統一5」(’14)を観る。

今回は小沢和義の「ひとり舞台」。
それに尽きる。

彼が山口祥之を「自分に都合のいいウソ」によって「導く」のを覚えておこう。
「新たな対立の火種」はこうして生まれ。

「組織」のために「兄弟」を撃つ古井榮一よ。
そのような「組織」に意味はあるのかを問うたはずなのに。

「内輪の事情」が「すべて」になるあたりは「現実」に近いのかも。
もちろん「劣化」がそれに拍車をかけていることも。

本シリーズの一番の「弱点」は。
「女子の登場」が少ない上に「男子に都合のいい女子」しか登場しないこと。

「ヤクザ=男子」を支えるのが結局のところ女子であることを思えば。
「いい加減にしろよ」と言われても仕方がない。
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