退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「好きであることの愉しさふたつ」について

2020-07-02 02:23:04 | Weblog
くもり。この地域では雨は降らず。

中島淳「湿地帯中毒」を読む。

「生来の生きもの好き」がそのまま学者になった著者の作品。
魚や昆虫など分野を問わない知識が生きた模様。

何事かを芯から好きであるということの好ましい実例がここに。
それさえあればどうにか生きて行けることも同様に。

それにしても「好き」以外の著者のドジぶりには笑うよりなく。
上司である教授の「冗談」も通じないほど。

とはいえ「しあわせな人」であることだけは確かで。
こういう人を見ているとこちらもしあわせな気分になれる。

結局大事なのはここなんだと思うことしきり。
いたずらに他人が気になる向きには是非。

雨宮慶太「ゼイラム」(’91)を観る。

29年前のコンピューター・グラフィックスの実例。
それがやがて「牙狼〈GARO〉」シリーズにつながることに。

「ゼイラム」の姿は一部で「シンドバッド七回目の冒険」(’58)を思わせるところも。
かのレイ・ハリーハウゼンのの特撮ぶりにも似て。

蛍雪次郎とはこの頃から「お付き合い」があったのねという感じ。
物語としては面白味は少ないものの。

「微妙な『美人』」を起用するのも相変わらず。
本作のボブは後に「魔導輪ザルバ」に。

TVドラマの牙狼が始まったのは15年前になるらしく。
この番組はゲストが多彩だった記憶がある。

残念ながら映画の方は観ていなくて。
そういえばパチンコの台にも使われていたか。

もう一度TVドラマで観たいのだけれどもうやらないのだろうか。
監督には是非ともお願いしたいところ。
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