退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「男たちの『貧しさ』を確認するフランス古典小説と韓国の映画」について

2024-09-07 03:05:52 | Weblog
晴れ。アイスコーヒーが腹具合に影響することを知る。

ロジェ・マルタン・デュ・ガール「チボー家の人々 エピローグ Ⅰ・Ⅱ」を読む。

アントワーヌの在り様が微妙。
彼は女子を「セックスの対象」としてしか見ていないのにふむふむ。

橋本治がかつて喝破した内容に同じく。
「男はそういう種類の存在しか女だと認識しないのだ」と。

Ⅱでは手紙や日記という手法を使っているけれど。
彼がジャックとジェンニーの息子ジャン・ポールに異様に執着する姿が描かれ。

「チボー家」というタイトルの意味がここで明らかになるということか。
死を目前にしていたとしてもそれは「貧しく」。

結局「男の手前勝手」がそのままに。
悪いがこれで感動しろと言われても。

ハン・ジェリム「ザ・キング」(’17)を観る。

かの国の「検察の姿」を確認する。
というより「権力と性と贅沢」にしか興味のない男たちよ。

つくづく「貧しい」と思わざるを得ず。
他にも楽しいことはたくさんあるだろうに。

「オヤジ・コネクション」の厄介さたるや。
やはりこの種のものは「滅びた方がいい」ことをあらためて。

もっともわが国でもこうしたものが暗躍している始末。
例えば「小泉進次郎の背後にいる者たち」だったり。

またしても「神輿を担ぐパターン」か。
そしてそれをよしとする「民度の低さ」も含めて。

政治家を「家柄やアイドルの基準」で選ぶなかれ。
この程度の「常識」がいつまでも通用しないバカバカしさよ。
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