退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「幅広い漢詩人の魅力と『理解可能な部分』だけを拾うだけのコミュニケーション」について

2020-02-29 02:32:54 | Weblog
くもり。だったはず。

黒川洋一編「杜甫詩選」を半分くらい再読。

かの詩人は「プロレタリア文学」を書く一方で「夢の世界」や「現実の美しさ」も。
この「幅広さ」が魅力なのだろう。

コロナウイルスのせいでどうやら時間が出来そうなので
明日読了するかどうかは不明。

とりあえずじっくり読み直すのみ。

萩原健太郎「東京喰種」(’17)を観る。
マンガは少し読んでいたのでどういう描写をするのか興味があって。

その結果は残念と言うよりない。
窪田正孝のキャラクターを楽しむだけに終わる。

引退した清水富美加の姿がここに。
彼女が冒頭にのみ出演する蒼井優と似たタイプであることを確認する。

この物語の意味がよくわからない。
「感情のフック」になる展開をつなげただけのような。

要は「あまりに稚拙なお話」であるということ。
これが受けるのだとしたら観客の「読解力」が相当に問題なはず。

ちなみに「パラサイト 半地下の家族」を観たという若い知り合いの男子は
「よく意味がわからなかった」などと。

人々が「字幕」を読めなくなったせいで映画館が「吹替版」を優先させる事実もあり。
かくも「言語の意味」が失われる世界よ。

「断片的な材料」を勝手に拾って味わうというスタイルは本当に楽しいのかどうか。
実はそれが過去から現在に至る「男女の関係」だったり。

どこまでも「現実」に向き合えないわれわれとは。
ところであなたのパートナーとの関係は大丈夫?
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