退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「平和なこと」について

2011-05-29 09:17:33 | Weblog
雨。今日も一日中(28日)。

高木貞治「数学の自由性」を読み始める。

ほんの数十頁読んだだけだけれど
著者の「上品なユーモア」が十分感じられて今後が楽しみ。

ただしそこで述べられている数学の内容について
ついていけるかどうかは別の話。

仕事のあとガストへ行くことになる。

いかにも「力の余った」若者たちが腕相撲を始める。
ひとり非力な男子の上げる悲鳴に似た声と表情はまるで「奇妙な生物」。

帰宅後飲み直しながらマル激を観ているうちに眠ってしまう。

地元の「ワル」だったふたりの若者に罪をかぶせた「布川事件」について知る。
自白と目撃証言のみで公判を維持した司法のあまりの非道ぶりに驚く。

結局そうした行動をもたらすのは
とりあえず「犯人」を見つけて「平和な日常」を取り戻そうとするためらしい。

犯人が捕まり事件が「解決」することによって
「世の中」はふたたび以前のような「平和」を取り戻す。

そのためなら「多少の犠牲」はやむを得ないどころか
むしろ積極的にそうすべきだというのが当時の「司法」の考えだった模様。

「推定無罪」の基本はたしか
たとえ100人の怪しい犯人を取り逃がしてもひとりの冤罪も出さないことだったはずで。

「権力の横暴」に苦しんだ歴史を持たないわが国では
その種の「力」に対する感性が鈍いのだと。

なるほどとうなずきつつ
それで「平和」かと複雑な気持ちにならざるを得ない。
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