退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「親しらずであることあるいは人材育成」について

2015-06-22 01:30:25 | Weblog
くもりときどき晴れ。おだやか。

煙草と電池を買いに出た以外引きこもり。

図書館へも行かなかったのは「親しらず」のせい。
とりあえずロキソニンを飲んでいれば痛くはないまま過ごせる状態。

ただ疲れについて「意識」と「実態」の違いがあるようなので
家の中でゴロゴロすることにしてみた次第。

久方ぶりに「昼寝」など。
自分でいびきをかいているのがわかるくらい。

もっともまだ腫れは引いていないので
そのうち歯医者に行くしかないか。

マル激を観る。

「集団的自衛権」を「合憲」だとする憲法学者はなぜか「国連憲章」などを根拠に。
もちろん「国連憲章」に関わらず自国の「憲法」がそれを禁じることはあってよく。

ここでも問題なのはその「論理の在り様」。
あまりに「幼稚」すぎてお話にならないレベル。

その一方。

自民党の政治家村上誠一郎は党内で唯一「集団的自衛権」に異を唱えることができる模様。
自民党の「変質」は「見識」もないまま「政治家であること」にしがみつく者が多くなったせい。

どうやら「小選挙区制」が「党の力」をいたずらに強めることになったと。
実際に政治活動にかかる「金」を個人が用意できず「党」に頼るしかないらしい。

「政権交代」にあまりに期待しすぎて
その「実質」を大して考えずに「良し」とした「ツケ」が回ってきたのかも。

ここでも「人材育成の失敗」が原因だと思ってよさそう。
「人を見る目」が余程いい加減になったのだと思ってもいい。

「ただのメンバー交代」ではその「稚拙さ」が表に出るだけ。
とはいえ「まともな基準」を維持できる「中間集団」はもはやなく。

本格的に政治に参加し総理を目指す「エリート集団」を作らないとダメかも。
それをある種の「ゲーム」だと思ってやれるくらいの「人材」を。

そこでも重要なのは「本物」を知っているあるいはそれに触れること。
「緊張感」もなく何事かができると思うようでは失格。

政治以外の世界ではまだ十分に通用するはずのその形が
結局政治で機能しない理由を考えた方がよさそう。

少なくともそれを「証明」する存在であるのが現在のわが国の首相だと思っていい。
「国際情勢のリアル」をいつのまにか「私怨」に変えてしまうのはやめるべきだろう。
コメント
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